「クリティカル・シーイング:新たな社会への洞察のために」は、これからの「美術批評」を「つくることの思想」と定義し、新たな批評とアートの在り方に迫る連載。
第5回となる今回は馬と騎馬肖像がテーマ。西洋美術の著名な絵画から現代作家のオマージュ、ビヨンセ、映画『NOPE/ノープ』、ドラマ『SHOGUN 将軍』までをつなぎながらアートの可能性を検討する。【Tokyo Art Beat】
現在、西洋美術史を必要としているのは誰か。日本では洋楽離れや洋画離れが指摘されて久しいが、美術も同様の状況にあるように思われる。かつて社会現象を巻き起こすほどの影響力を持つロックバンドが姿を消したように、多くの美大生たちに強い影響を与えるような世界的なアーティストはもうない。映画や音楽などの文化・芸術の産業や市場でグローバリズムが進行している状況と解釈できる。
グローバリズムの浸透に伴い、西洋中心主義や植民地主義が強く批判されるなかで、文化多元主義や脱植民地主義の思想や運動が強まり、これまで学んできた西洋美術史がその前提から批判され、美術史の相対化が進行し、歴史を単線的な物語として語ることは難しくなってきている。しかし、西洋美術史を解体することで負の側面が解消され、問題は本当に解決するのだろうか。また、これまでの美術史が持っていた社会的意義を考えれば、単純な解体や忘却はむしろ悪影響をもたらすのではないだろうか。
なぜなら、アーティストたちは、様々な困難を抱えながらも、過去・現在・未来を通して世界を改善するために絶え間ない開発と発展を続けてきた。したがって、西洋美術史を悪や敵と見なして学びを放棄するのではなく、歴史の連続性をなんらかのかたちでとらえる必要があるのではないか。そうでなければ、緊急性を要する世界的な課題や根本的な問題、さらには芸術が持つ可能性をとらえることができないだろう。
では、特権的な人種や歴史に従属することではなく、歴史を学ぶことはできないのだろうか。その方法を模索し、学びとアンラーン(Unlearn)を往復しながら、歴史を再構築していく必要がある。
歴史のなかでは、考察の対象になりえないように見える平凡なモチーフが、複数の時代や作家をつなぎ、新たなネットワークを構築することがある。そのネットワークを美術史的星座と呼ぼう。単線的な歴史語りが難しくなっている現代において、美術史的星座を形成する方法論は有効である。それは国家・人種・時代などの制限を超えて、歴史のネットワーク(他の物語)を構築できるからである。
今回は、その星座を形成する要素として、馬と騎馬肖像を検討する。より具体的には、19世紀転換期のフランスの新古典主義、ロマン主義における馬と騎馬肖像と、21世紀のブラック・アート、ブラック・カルチャーにおける馬と騎馬肖像の美術史的星座を論じていく。
21世紀のブラック・アーティストがなぜ19世紀フランス美術を意識するのか。彼らの意識の深層には、フランス革命とアメリカ独立革命に象徴される近代民主主義の精神を、現代における自らの社会的な文脈と重ね合わせ、人権やアイデンティティ、尊厳の確保といった歴史的問題を再提起することがあるように思われる。本論では、ケヒンデ・ワイリー、ジョーダン・ピール、ビヨンセという、3人のアフリカ系アメリカ人のアーティストを中心に、19世紀フランス美術との関係性と文脈の読み替えを検討していく。
現代アートとポップカルチャーを切り分けることなく、シームレスな同時代の表現として考察する方法は、アメリカの美術史家・美術批評家であるトーマス・クロウの『The Long March of Pop: Art, Music, and Design 1930-1995』(2015)からの展開とも言える。クロウは、ネオダダと呼ばれたジャスパー・ジョーンズやロバート・ラウシェンバーグにあるフォーク・アート性から、ウッディ・ガスリーやピート・シーガーなどのフォーク・リバイバルとの関係を論じた。また、1960年代に台頭してきたポップ・アートと、 ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドやバーズなどのロック・ミュージックとの同時代性を論じていった。ボブ・ディランがフォークミュージックからロックミュージックへ、アコースティックギターからエレキギターへと移行したことは、フォーク・リバイバルからロック/ネオダダからポップ・アートへの転換を象徴するものだった。
さらに、デヴィッド・ボウイとイギー・ポップがビジュアル面でエゴン・シーレから影響を受けたことも、この文脈に関連する事例である。本論は、このようなアートとカルチャーの関係性をシームレスにとらえ、論じていく方法を採用する。
19世紀の騎馬肖像でもっとも有名な作品のひとつは、フランスの新古典主義を代表する画家ジャック゠ルイ・ダヴィッドが描いた《サン゠ベルナール峠を越えるボナパルト》(1801〜05)である。
この作品は、フランス軍を率いてアルプスを越えるナポレオン・ボナパルトの姿を理想化したものである。いっぽう、ケヒンデ・ワイリーの《Napoleon Leading the Army Over the Alps》(2005)は、この《サン゠ベルナール峠を越えるボナパルト》のイメージを借用し、現代的に再解釈したものである。ワイリーは、ナポレオンという権力者を迷彩柄のカジュアルな服装をした黒人男性に置き換え、理想化されたナポレオン像とは異なる、ラッパーのようなふてぶてしさを表現している。
西洋美術の古典的表現に慣れ親しんだ鑑賞者は、ワイリーの作品における時代や人種の置き換えに 、不遜や不快感を感じるかもしれない。しかし、この違和感こそが、ワイリーの批評性であり、鑑賞者は、それまでの美術史で見慣れない黒人男性が描かれることに直面しそれを意識化する。
この《Napoleon Leading the Army Over the Alps》には、ヒップホップで示されるような黒人のアイデンティティと社会的上昇への意思が明確に表れている。いっぽうで、英雄像という美化された男性性のズレは、私たちに違和感を与える。
この手法は、ギュスターヴ・クールベが《オルナンの埋葬》(1849〜1850)で、歴史画のフォーマットを利用して巨大なキャンバスにオルナンの一般市民の葬儀を描き、既存の階層構造に問題提起したことと共通している。
ワイリーは、黒人男性の社会的上昇への意思(強さ)と、死の危険性などの傷つきやすさ(弱さ)を表現するために、西洋美術史における騎馬肖像にいち早く注目した。そしてこれは、ダヴィッドがナポレオンの権力を国家と美術史のなかに位置づけようとした点で共通している。
ダヴィッドはたんなる戦争の記録を超えて、ナポレオンを古代ローマの英雄に重ね合わせて理想化することで、政治的に操作された「歴史的な瞬間」の劇化を行っている。動的な瞬間が描かれるなか、ナポレオンの冷静沈着な表情と厳密な画面構成、そして力強い写実性により、統一性と絶対性が明確に表現されている。ダヴィッドは、古典主義的な理論と技法を突き詰めることで、ロマン主義の精神を見事に絵画化しており、これはダヴィッド個人の様式性にとどまらない。なぜなら、ナポレオン自身が古代ローマの英雄像に自らを重ねるプロパガンダ的戦略を求めていたからである。
ダヴィッドはナポレオンの政治的ヴィジョンを視覚的に具現化する役割を果たしたのだ。そして、ワイリーのこのような歴史意識が認められたからこそ、バラク・オバマ元大統領の公式肖像画を描くに至ったのだと理解できるだろう。
ダヴィッドの後、現代の出来事をルポルタージュとして記録しながら、同時に歴史画として揺るぎない傑作を描いたロマン主義の画家が、テオドール・ジェリコーであり、その作品が《メデューズ号の筏》(1818〜19)である。
さらに彼ほど馬に執着した芸術家もいないと言える。子供時代のジェリコーは、ピーテル・パウル・ルーベンスとともに曲馬師に憧れるほどの早くからの馬好きであり、生涯を通じて数多くの馬を描いた。彼は一時期ヴェルサイユ宮殿の厩舎で働き、馬を研究する機会を得てそれに没頭していた。しかし、その馬への執念から三度の落馬事故を引き起こし、それが彼の早すぎる死の原因となった。
パリのサロンでのデビュー作《突撃する近衛猟騎兵士官》(1812頃)は攻撃の準備を整えた騎兵将校を描いた騎馬肖像である。ワイリーは、この《突撃する近衛猟騎兵士官》を借用し、《Officer of the Hussars》(2007)を描いている。
ジェリコーが描いた馬のデッサンや絵画の特徴を論じる前に、まず絵画における馬の描写が持つ意味を考察していこう。《突撃する近衛猟騎兵士官》では、二本脚立ちした勇ましい白馬が描かれ、それが騎兵士官の威厳や権力を引き立てている。美しい馬を描くことは、そこに描かれていない所有者の社会的地位をも浮かび上がらせる。
このことについて、ジョン・バージャーは次のように説明している。
「例えば、動物画は、野生状態の動物ではなく、家で飼われている動物であり、その動物の血統が価値として強調され、それによって所有者の社会的地位がほのめかされるしくみになっている(こうした動物たちは、まるで四本脚の家具のように見える)」(*1)
ジェリコーは、バージャーが指摘するような所有者の地位や経済力を象徴する美しい乗用馬や軍馬を描いたが、それだけに留まらない。彼は、競走馬、農耕馬、牽引馬、さらには古代やオリエントの馬など、多様な社会的背景を持つ馬を描いた。社会的属性の異なる馬を描くことで、身体、表情、毛並み、馬具、環境などの違いが明確化し、またそこに生まれる闘争、競争、労働、貧困、優美、死、苦悩といった多様な感情や行動を描写している。
時に、過酷な労働環境を強いられている馬の力強さと悲しみや、所有や売買されることに対する馬の怒りなどを描いており、これらはたんなる描写や観察を超え、近代民主主義の精神や資本主義批判のメタファーにも感じられる。ジェリコーの馬に関する作品は、ひとつの社会学的調査ともいえる。
馬を主題にした絵画は、フランスよりもイギリスで盛んに描かれていたが、ジェリコーほど社会学的に意識的に描いた画家はいない。また、ジェリコーは解剖学に精通し、アトリエに死体を持ち込んで腐乱する過程を観察するなど、科学的アプローチを重視した。
また、パリにあった精神病院サルペトリエール病院に勤めていた精神医学の先駆的な医師エティエンヌ・ジョルジュから依頼され、精神病患者たちの肖像画を描くことも行なっている。ここではジェリコーの冷徹な観察眼が医学の領域において発揮されている。 ジェリコーの後輩であり、同じ師に学んだウジェーヌ・ドラクロワも動物を多く描いたが、とくにライオンやトラといった猛獣を重要なテーマとした。これらの動物は、力強さ、野生、そして人間の理性を超えた暴力的な本能を象徴する存在であり、ゆえに神話的なものとなっている。ドラクロワは動物を、理性や文化の外部、あるいは非西洋の象徴として描いており、ジェリコーのような人間社会の内部に位置づけられた動物に対する社会学的関心は感じられない。
ドラクロワは二項対立的な方法を示した画家であり、自然と文化、西洋と非西洋、人間と動物のコントラストを色彩論的に(原色と補色の衝突的使用によって)鮮やかに描いた。それに対してジェリコーは、自然と文化、人間と動物、人間とモノ、正常と異常の区分に直面しながらも、そこに懐疑の視点を持つ画家であった。
次に、ジェリコーの馬の描写における科学的不正確さが歴史的な議論を呼び、絵画というメディアに大きな影響を与えた有名な事例として《エプソムの競馬》(1821)を取り上げたい。
この作品では、馬たちの脚がすべて地面から離れ、前脚と後脚が外側に伸びている。躍動感のある馬の疾走が見事に描かれているが、実際の馬はこのようには走らない。
これを証明したのが、エドワード・マイブリッジによる高速度撮影である。実業家で元カリフォルニア州知事のリーランド・スタンフォードの依頼によって、このプロジェクトは実施された。マイブリッジは12台のカメラを等間隔に並べ、馬のギャロップを撮影した連続写真《The Horse in Motion》(1878)によって、馬の運動を正確にとらえた。
この連続写真は、人間の目でとらえられない運動を可視化し、ジェリコーの描写の誤謬を証明した。「科学的客観性」という概念とは、写真の開発とともに形成され、盲目的視覚の可視化によって生み出されてきた。客観性とは、偏見やスキル、想像や判断、希望や努力に関わらず、推論や解釈、知性を抜きにして盲目的視覚を獲得することだ(*2)。
この盲目的視覚について、ヴァルター・ベンヤミンは「写真小史」で視覚的無意識として論じている。
「〈足を踏み出す〉ときの何分の1秒かにおける姿勢となると、誰もまったく知らないに違いない。写真はスローモーションや拡大といった補助手段を使って、それを解明してくれる。こうした視覚における無意識的なものは、写真によって初めて知られる。それは衝動における無意識的なものが、精神分析によってはじめて知られるのと同様である。」(*3)
ベンヤミンが指摘するように、マイブリッジやフランスの生理学者エティエンヌ゠ジュール・マレーなどによって開発された「連続写真」の解析は、視覚的無意識を明らかにし、精神分析と結びついていることが興味深い。実際、サルペトリエール病院で行われた神経学者ジャン゠マルタン・シャルコーの精神医学の研究・治療では、写真のイメージ分析が中心的な役割を果たした。増田展大の『科学者の網膜:身体をめぐる映像技術論:1880–1910』(2017)で詳細に論じられているように、ヒステリー患者の増加や精神分析の発展と、連続写真や高速度撮影との同時代性には相関性がある。
また、先述したように1822年にジェリコーが同じサルペトリエール病院で、精神病患者たちの肖像画を描いたことは、偶然ながらも興味深い事実である。19世紀前半と後半を分けるものとして、リアリズムの社会的力能を担うメディアが絵画から写真へ移行し、芸術と医学、芸術と科学の関係性が変容していった。 しかし、それは絵画の衰退を意味するわけではない。馬の疾走を描いた絵画における近代的な発明として、エドゥアール・マネの《ロンシャンの競馬》(1866)に触れざるを得ない。
マネは、馬の疾走を正面からとらえる独特のアングルを採用し、土埃を利用して馬や騎手、観客の描写を曖昧化しながらも、部分を的確に描くことで、競馬の臨場感や疾走感を鮮明に表現した。マイブリッジの連続写真がいくら正確な描写であっても、ゾートロープのように写真を回転させない限り、それは躍動感や運動性が失われた凍りついたイメージに過ぎない。
マイブリッジが作り出した馬のギャロップのイメージを、現代の文脈と接続したのが、ジョーダン・ピール監督の『NOPE/ノープ』(2022)である。
この映画でのピールの試みは、映画という視覚文化に考古学的な視点を導入し、19世紀後半に解明されていった「盲目的視覚」を、科学的文脈から人種的文脈に読み替えることにある。
まず前提として、『NOPE/ノープ』に登場するマイブリッジの写真に関する文脈は、フィクション内の設定であり、意図的に不正確で創作的な要素が含まれている。この映画では、主人公たちの家族(ヘイウッド家)が、マイブリッジの歴史的な連続写真に登場する最初の黒人馬術師の子孫であることが紹介される。この連続写真は、動物の動きをとらえる初期の試みとして有名だが、この黒人騎手の名前の記録は残っていない点が強調されている。
ただし、この黒人騎手の連続写真は、マイブリッジが最初に撮影した《The Horse in Motion》ではなく、『Animal Locomotion』(1887)で撮影されたもののひとつである。また、黒人騎手が身元不明である事実を利用しているが、ヘイウッド家も架空の存在だ。
ピールがマイブリッジの写真を取り上げたのは、このエピソードが家族の歴史や映画業界において無視されがちな黒人の貢献を象徴するためである。
実際、19世紀後半の騎手の多くは黒人であり、この騎手の名前が記録されていないのは、彼が黒人であったことに起因していると考えられる。さらに、この黒人騎手の匿名性は、科学的な検証を目的とした映像技術にも要因がある。運動の形態を明確に見せるために、白バックの背景とのコントラストでシルエットとして表現され、騎手の顔は横顔のシルエットとしてしか確認できない。そのため、アリスター・E・ヘイウッドという架空の名前が、無名の人物に具体性を与え、鑑賞者に個人として認識させる重要な役割を果たしている。
この個人として黒人を特定することの難しさという映像的・社会的な問題は、『NOPE/ノープ』の主要なテーマのひとつである。そして、映画における黒人の肌の撮影や照明技術は、依然として発展途上にある。
映像機器とその技術は、白人の肌を基準に設計されてきた。露出や照明などの設計の難しさ、技術者の知識不足などの問題がある。とくに夜間の撮影では、この問題が顕著に表れる。ピールは、夜のなかでの黒人を撮影する技術の不完全さを、ホラーの映像言語として巧みに活用し、暴力性を際立たせている。主人公OJは、夜の闇に溶け込み、見えにくい存在となる。それに対して「ゴースト」という名前の白馬や、宇宙人に扮装した子供たちは暗闇のなかで白く浮かび上がる。
見えにくさを抱える黒い肌は、物理的・社会的な疎外を体現している。 これは映像技術に限られた問題ではなく、絵画にも存在する。ケリー・ジェームズ・マーシャルの《A Portrait of the Artist as a Shadow of His Former Self》(1980)は、目と口だけが浮かび上がる怪物的で匿名性の高い黒人男性が描かれており、黒人に対する差別や抑圧が凝縮された作品だ。
暗闇のなかでの黒人の表象を絵画の問題として歴史的に提示したもっとも有名な作品は、マネの《オランピア》(1863)である。この作品では、白人女性に花束を渡す黒人女性のメイドと黒猫が描かれており、黒人女性は画面の背景に溶け込むように配置され、白人女性を際立たせる役割を担っている。ここでも、黒人女性は匿名性を強めている。彼女は美術モデルであり、名前はロールとされ、マネは彼女の肖像画も描いている。
マネは、《オランピア》に限らず、黒のなかに黒い対象を描き、黒が画面の大部分を占めながらも画面に明るさを印象づける方法を開発した画家である。彼は、黒を影ではなく色彩としてとらえ直し、新たな感性を生み出した。このマネの「黒」の開発は、その後マティスに引き継がれた(*4)。これは政治的意図を含まない色彩に対する美的感性の追求ではあるが、マティスはアフリカ美術に影響を受け、『ジャズ』などを制作したことからも、色彩としての黒という認識が黒人表象の問題と無関係ではないことがわかる。
実際、ブラック・アーティストたちが肖像画というジャンルを復権させ再開発していくうえで、マネやマティスが探求した「黒のなかの黒」という色彩的課題は、中心的な主題として引き継がれている。
再び『NOPE/ノープ』における騎馬肖像の表象に目を向けよう。本作のラストシーンでは、「OUT YONDER」と書かれたゲートが額縁のように配置され、その中心で馬に乗った主人公OJは、騎馬肖像画のような姿で映し出される。ここでOJが着ているビビッドなオレンジのパーカーは、ワイリーの《The Virgin Martyr St. Cecilia》(2008)のパーカーを想起させる。この黒人と乗馬の関係は、ケヒンデ・ワイリーの作品との類似性を感じさせる。OJは、黒人男性の英雄的な姿を示しつつ、同時に弱さ(死にやすさ)を抱えた存在として描かれている。
実際にピールがワイリーの作品を意識的に参照しているかどうかは問題ではない。オレンジ色のパーカーは、黒人が歴史的に騎馬像やカウボーイとして描かれることが少なかったという事実を鑑賞者に意識させ、伝統的なカウボーイのイメージを刷新し、映画史に新たな意味を与えている。これはワイリーの騎馬肖像画の試みと共通しているからだ。
『NOPE/ノープ』が公開された2022年、アメリカではもうひとつの重要な騎馬肖像が発表された。それはビヨンセのアルバム『Renaissance(ルネッサンス)』(2022)のジャケット写真である。
ここで彼女は、クリスタルのように輝く馬にまたがり、ポーズを取っている。彼女は露出の多いビキニ風の衣装を身にまとい、幻想的で力強い雰囲気が漂っている。ビヨンセが馬のイメージを使用したことは、彼女の個人的な馬への好意を示唆しているかもしれないが、それを超えた多くの解釈を引き起こした。
ビヨンセはその後も馬というモチーフを強調し、次のアルバム『カウボーイ・カーター』(2024)では、アメリカ西部神話やアメリカの白人男性の古典的象徴でもあるカウボーイのイメージを前面に押し出し、白人中心の保守的なジャンルであるカントリーミュージックに挑む作品を制作している。
また、『Renaissance』と『NOPE/ノープ』がともに馬を中心的なモチーフとして取り上げていることから、ビヨンセがジョーダン・ピールと仕事をしたのではないか、あるいは彼の映画からインスピレーションを受けたのではないかという憶測がSNSで広まっていた。ビヨンセと彼女のパートナーであるジェイ・Zは、ピールの監督作『アス』(2019)を絶賛しており、ふたりは個人的な交流もあるため、ビヨンセとピールが、互いの作品を意識している可能性は十分にあるが、その真偽は重要ではない。
確かなことは、ピールとビヨンセが2022年に19世紀の美術史に関わるポリティクスに関心を持ち、馬をモチーフに扱ったという共通性である。 『Renaissance』というタイトルは、「復興」や「再興」を意味する。このタイトルの選択は、ダヴィッドがナポレオン・ボナパルトを古代ローマの英雄に重ね合わせ、推し進めた新古典主義と関連づけて考えることができる。
このように推測できる理由は、ビヨンセがジェイ・Zと共に、ザ・カーターズによる「APESHIT」(2018)のミュージックビデオ(MV)をルーブル美術館で撮影しているからである。この映像でビヨンセとジェイ・Zは、美術館内で絵画や彫刻のマスターピースの前で、パフォーマンスを行っている。
ここでの《モナ・リザ》や《サモトラケのニケ》は、ビヨンセがクィーンであるとことを示す権威と威厳、そして勝利のアイコンとして映し出されている。しかし、このMVでより注目すべきは、ダヴィッドの作品群が執拗に映し出されている点にある。
とくに《ナポレオン一世の戴冠式と皇妃ジョゼフィーヌの戴冠》(1805〜07)はひとつの中心となる象徴的な作品として扱われている。ダヴィッドは、フランス皇帝ナポレオン一世の誕生の瞬間を歴史画として、幅約10メートルにも及ぶ大画面に描いた。ビヨンセとジェイ・Zは、挑発的にナポレオンと皇妃ジョゼフィーヌに自らを重ねあわせている。これは自らを名誉白人的なポジションに位置づけようとしているわけではない。ビヨンセとジェイ・Zは、ダヴィッドとナポレオンを意識的に反復しつつ、「Black Is King」として、文脈を読み替えている。ゆえに、ビヨンセは、スフィンクスや古代エジプトの女王のような姿をしている。
さらにこのMVは、19世紀初頭の黒人表象におけるもっとも重要な作品のひとつである新古典主義の女性画家マリー゠ギュミーユ・ブノワによる《マドレーヌの肖像》(1800)や、ジェリコーの《メデューズ号の筏》も取り上げている。《マドレーヌの肖像》は、黒人女性のヌードが肖像画として描かれており、当時としては珍しい作品である。フランスで1794年に奴隷制が廃止された6年後に描かれた。そのためこの肖像画は、女性解放と黒人の権利の象徴とされている。
《メデューズ号の筏》では、群像のなかに描かれる黒人の存在が大きな意味を持っているが、その詳細については後で論じる。また、「APESHIT」のMVでは、《突撃する近衛猟騎兵士官》と馬の上に立つカウボーイハットをかぶった黒人の青年の姿が対比的に映し出される。ここにはワイリーの影響を見ることは可能である。これらの点からも、ビヨンセが新古典主義を重視していることは明らかである。
『Renaissance』のカバージャケットの騎馬肖像について改めて考察してみよう。白人でもネイティブアメリカンでもないアフリカ系アメリカ人の女性は、乗馬のステレオタイプから大きく外れた存在である——この実感は、テキサス出身のビヨンセにとって、つねに立ちはだかる壁のようなものであっただろう。
さらに彼女は女性用乗馬服でもなく、裸同然の姿で馬に跨っている。このことでは、ジョン・コリアの《ゴダイヴァ夫人》(1898)と関連づけて考察されている(*5)。ゴダイヴァ夫人の伝説は、彼女が領主である夫に、町の重税を軽減するよう懇願すると、夫は彼女が全裸で馬に乗って町を一周すれば税を下げると答えた。ゴダイヴァ夫人はこの条件を受け入れ、髪で体を覆いながら馬に乗り、町を巡ったという話である。コリアの作品では、若い女性の恥じらいを伴った裸の姿が象徴的に描かれているが、『Renaissance』のビヨンセには一切の恥じらいがない。彼女は自らの美と才能、努力と権威によって勝ち取った姿を堂々と示している。
ここで《ゴダイヴァ夫人》の騎馬肖像から、アメリカの彫刻家チャールズ・レイの《Horse and Rider》(2014)を召喚してみたい。これらのふたつの作品には、ともにパブリック空間で作られる「恥」という感覚が扱われているからだ。また、レイの彫刻を取り上げる別の理由は、『Renaissance』と『Cowboy Carter』の騎馬肖像は、いずれも不自然なほどに運動性を抑えている点で、彫刻作品との関係性を意識させるからだ。
《Horse and Rider》は、『Renaissance』の馬と同様に、美しく輝くシルバーのステンレス製のリアリスティックな騎馬自画像だ。この素材は、現代的なクールさを強調している。そして、ここで造形されている馬は、普遍的な美しさと忠実さを示している。
しかし、乗り手のレイの姿は、そのクールさや美しさと、釣り合わないギャップを持っている。レイは、現代的でカジュアルな服装、痩せて小柄なプロポーション、曲がった背中など、老いを隠さず描写しており、伝統的な騎馬像の典型から大きく外れている。また、公共の場に置かれる騎馬彫像は通常、モデルの威厳や権威、そしてマスキュリニティを強調するために台座に乗せられるが、《Horse and Rider》は、台座がなく地面の高さに設置されている。この配置により、作品と鑑賞者の関係は非常に現実的で、対等な近さを生み出している。——ただし、その構造ゆえに、環境活動家らによってオレンジ色の塗料で塗りつぶされるという被害にも遭った。
私は2019年にレイのトークイベントに参加したが、彼は市民から作品に危害が加えられる危険性を十分に認識していた。 レイが公衆に自らの姿を晒すことは、ゴダイヴァ夫人のように裸になることとは異なるが——いっぽうで伝承において、町民はゴダイヴァ夫人の裸の姿を誰も覗き見ようとしなかった——似たような「恥」の感覚を踏まえていると言えるだろう。
しかし《Horse and Rider》は、ゴダイヴァ夫人のように恥に打ち勝つことで人々を救うという英雄性はなく無目的である。ここにはレイが、白人男性の特権性の伝統を自嘲的に解体するという異質性が示されており、ワイリーやビヨンセと、目的には共有する部分はありつつ、アプローチにおいては対照的な姿勢を見せている。
最後にもう一度、テオドール・ジェリコーの作品分析に戻ることで、19世紀美術とブラック・アート、ブラック・カルチャーの星座的ネットワークを閉じたい。
先述した「APESHIT」のMVでは、ジェイ・Zの背景に《メデューズ号の筏》が映し出されるが、これは作品の歴史的文脈を踏まえたものである。《メデューズ号の筏》は、1816年にフランスのフリゲート船メデューズ号が西アフリカ沖で座礁し、その後の悲劇的な出来事を生存者に取材して描いたものである。乗組員と乗客は筏を作って脱出を図ったが、筏に残された149人のうち生存者はわずか15人。飢え、暴力、そして人間の悲惨さが極限に達した状態で、救助される直前を描いている。
この作品は、ルイ18世の側近という理由で任命されたフランス人船長の無能さと悪質な行動が原因となった実際の悲劇を描くことで政府の無責任さを告発しており、作品公開当時、フランス社会に大きな衝撃を与えた。
「APESHIT」でジェリコーの作品が取り上げられた理由は、その陰惨な事件性ではなく、ジェリコーがこの事件を物語るために構成した構図にある。この絵画はロマン主義の代表作でありながら、古典的な三角構図によって形作られている。画面の左下から右上へと展開するこの構図は、絶望から救済への希望を象徴している。そして、その三角構図の頂点に立ち、フランス国旗を振っている男性が、この難破事故の生存者のなかで唯一の黒人であったアフリカ人乗組員のジャン・シャルルである。このたくましいシャルルの後ろ姿は、白人男性に劣らない理想化された身体として描かれており、彼は後ろにいる白人男性にしっかりと支えられて立っている——本作の習作である油絵を見ると、シャルルを支える男性は黒人になっており、この判断が途中で変更されたことがわかる。
シャルルは、この時代の表象としては考えられないような特権的なかたちで描かれている。またシャルルたちの画面下部には、黒人男性が生きている白人男性を抱えるように死んでおり、シャルルと白人男性の関係を反転させるように描いている。これはジェリコーが取材した生存者アレクサンドル・コレアールが、強い奴隷制廃止論者でありジェリコーに影響を与えたと考えられている。ここでの黒人と白人の身体は、コントラストの強い陰影や、血の気が引いた死体の描写などによって違いが見えにくくされている。ここでもジェリコーの作品には、二項対立が強まるような状況のなかで、それを曖昧化する複雑な視点が存在する。
「APESHIT」において、ビヨンセとジェイ・Zがこの文脈を無視していたとは考えにくい。また《メデューズ号の筏》とジェイ・Zのシーンの合間には、片膝をつく黒人の青年たちが映し出される。これは、2016年にアメリカンフットボールリーグ(NFL)のクォーターバックであるコリン・キャパニックが、アメリカにおける人種的不平等や警察の暴力に対する抗議として、国歌斉唱の際に膝をついて抗議した行動を参照しているのだ。歌詞でも「Tell the NFL we in stadiums too」とそのことが明示されている。つまり、《メデューズ号の筏》がBlack Lives Matter運動と結びつけられている。もちろん、このMVの制作において専門家の協力があっただろうが、これがコロンビア大学のウォラック・アート・ギャラリーやオルセー美術館で開催された「黒人モデル ジェリコーからマティスまで」展(2018〜2019)よりも先立って発表されたことにも驚かされる。
今日において、ダヴィッド、ジェリコー、ワイリー、ピール、ビヨンセの表象の戦略とは、議論を喚起するものとして考えるべきであって、無条件に賞賛できるものではないだろう。ここで取り上げたブラック・アーティストが、資本主義を批判する力を持ち得ているとは言い難い。ワイリーは性的マイノリティであり、ステレオタイプな男性性や女性性とはズレを作り出している。それでも、権力的な表象を再活用していないとは言えない(*6)。
また、ビヨンセが作り出す権威的なイメージ戦略が両義的であることは、彼女自身も理解しているだろう。しかし、彼女でなければ、保守的な白人男性が主導するカントリー・ミュージック業界に挑戦するような音楽制作とその成功は作り出せなかっただろうし、副大統領カマラ・ハリスが大統領選に登場する際に、彼女の楽曲「フリーダム」(2016)が使用されることもなかっただろう。
批判を抑圧してはいけないが、同時に議論を作り出すことを恐れて、きれいごととして済ませてしまっては変化は生まれない。彼らの作品から浮かび上がる星座的ネットワークは、今日私たちが抱えている政治的問題に向き合うための示唆に富んでいる。
また、アートとポップカルチャーの相互関連性、フランスとアメリカにおける近代化の歴史、ブラック・アートとブラック・カルチャーの歴史の解析力は、アジアや日本にとっても無関係ではない。代表的な例として、黒人の美学と日本の工芸の歴史をハイブリッド化する「アフロ民藝」を展開するシアスター・ゲイツや、1960年代に早稲田大学の大学院に留学し、具体美術協会や日本文化を学び、それを作品に反映させたブラック・アーティスト、センガ・ネングディが挙げられる。
メーガン・ザ・スタリオンが千葉雄喜やRMとともに楽曲を制作したり、日本のカルチャーをリスペクトするドージャ・キャットのようなアーティストも存在する。今後は、ブラック・カルチャーと東アジアのカルチャーは、これまで以上に融合的な展開を見せるだろう。
また、全体の7割が日本語で展開される『SHOGUN 将軍』が、第76回エミー賞で史上最多となる18の賞を受賞したことも、同時代的な現象としてとらえられる。そうした進展が進めば、日本や東アジアのカルチャーは、たんなるエキゾチズムを超えた影響関係を形成するだろう。
このようなグローバルな関係性が進行する社会において、他者の歴史に対する解析力は欠かせないものになっているアイデンティティが抱えている問題は、短期的な視点では理解できない厚みを持っている。自身も観察されるだけの対象ではなく、他者の歴史を批判的に見返さなければならない。たとえそれが敵対的に対立している他者の歴史においても同様である。ヴァンダリズムやキャンセル・カルチャーではなく、他者の歴史や芸術を批判的に学びつつ、再開発していくことの可能性は、いまもなお存在している。何よりも、芸術やカルチャーを信じる者にとって、アーティストが作り出した可能性(星)は、国家や人種を超えたスケールで結ばれるもの(星座)だからだ。
*1──ジョン・バージャー『イメージ:視覚とメディア』伊藤俊治訳、PARCO、1986年、124頁
*2──ロレイン・ダストン、ピーター・ギャリソン『客観性』瀬戸口明久・岡澤康浩・坂本邦暢・有賀暢迪訳、名古屋大学出版会、2021年
*3──ヴァルター・ベンヤミン「写真小史」『図説写真小史』久保哲司訳、ちくま学芸文庫、1998年、18頁
*4──アンリ・マティス『画家のノート』二見史郎訳、みすず書房、1978年、236頁
*5── Alex Greenberger「ビヨンセのニューアルバムと“ゴディバ”のアートな関係」ARTnews JAPAN(https://artnewsjapan.com/article/304、最終アクセス:2024年8月31日)
*6──ケヒンデ・ワイリーは、現在性的暴行の疑惑をかけられ告発されている。しかし、ワイリーはその告発を否定している。美術館が展覧会をキャンセルするなどの事態が起こるなか、彼の作品を論じることについては慎重に考えさせられた。しかし、歴史的観点から検討するうえで、彼の騎馬肖像画を抜きに語ることはできない。また、ワイリーが示した証拠が、現段階では説得力を持つと判断し、本文ではこの件については言及しないことにした。