いまから1750年ほど前、王の墓である古墳に並ぶ造形物として作られ始めた埴輪。古墳時代の約350年間にわたって時代や地域ごとに発展を遂げた埴輪は、当時の生活や王を取り巻く人々の様子を現在に伝えている。そんな埴輪が全国各地から集結する大規模展覧会「挂甲の武人 国宝指定50周年記念 特別展『はにわ』」が、東京国立博物館 平成館 特別展示室で10月16日から開幕する。会期は12月8日まで。
本展は、「埴輪 挂甲の武人」が国宝に指定されて50周年を迎えることを記念して開催されるもの。人物や動物をかたどったものから、武具や家型埴輪まで、多様な約120件が紹介される。東京国立博物館では約半世紀ぶりに開催される埴輪展となる。
内覧会に登壇した河野正訓研究員(東京国立博物館 学芸研究部 調査研究課 考古室主任研究員)は、本展には「挂甲の武人」「50」「国宝」という3つのキーワードがあると説明。「挂甲の武人」が国宝指定されてから50周年を記念した展覧会であり、国宝を含む5体の「挂甲の武人」が史上初めて集結すること、全国各地の約50の所蔵保管先から作品を借りたこと、前回に東京国立博物館で埴輪展を開催したのが約50年前の1973年であること、そして多数の国宝が展示される贅沢な展覧会であることなど、本展の魅力をアピールした。
展覧会はプロローグとエピローグを含む全7章で構成。第1会場、第2会場と2つの会場に分かれている。
プロローグ「埴輪の世界」で来場者をまず待ち構えているのは、とぼけた表情が魅力的な2体の埴輪《埴輪 踊る人々》だ。東京国立博物館の所蔵品である《踊る人々》は、1930年に出土し、すぐに修理復元されたが、その後は経年劣化が進んでいた。同館の創立150周年を記念して、文化財活用センターと共同でクラウドファンディングなどにより寄付を募って修理を行い、今年3月に修理が完了。本展が修理後初のお披露目となる。
《踊る人々》は「これまで埴輪のアイコンとして認知されてきた、最も有名な埴輪と言っても過言ではない」と山本亮研究員(東京国立博物館 学芸研究部 調査研究課 考古室研究員)。近年の研究で、同じ古墳に立てられた埴輪は高さをおおよそ揃えていたということがわかったことから、修理前は7cmほどあった2体の身長差が、修理を経て4cmほどになったという。また出土後の土汚れを落とした結果、古墳に立てられた当時の色である赤みの強い色が出てきたため、修理前よりも全体に赤みがかった姿になっている。
第1章「王の登場」は展示室の展示品すべてが国宝のみで構成されるという贅沢なエリア。
埴輪は王などの権力者の墓である古墳に立てられた。古墳からは豪華な副葬品が出土することがあり、副葬品は王の役割の変化とともに時代に沿って移り変わっていった。また、中国大陸や朝鮮半島との関係を示す国際色豊かな副葬品も存在している。
ここでは、王が司祭者的な役割をしていた古墳時代前期の4世紀後半に築造された前方後円墳・東大寺山古墳から出土した、柄頭を装着した金象嵌銘太刀や、王の武人的な性格が強まった5世紀、朝鮮半島からもたらされた豪華な金製の耳飾り、ヤマト王権の中央集権的な性格が強まった6世紀の出土品で、王の権威を誇示するかのような、きらびやかな装身具などを展示。埴輪とともに古墳に埋葬された副葬品を通して、埴輪が作られていた各時代の背景を知ることができる。
つづく展示室に進んで行くと、人の身長を超える巨大な円筒埴輪と出会う。第2章「大王の埴輪」では、古墳時代前期から古墳文化の中心地として栄えた奈良盆地や、倭の五王の陵として知られる大阪百舌鳥・古市古墳群、継体大王の墓とされる今城塚古墳など、古墳時代にヤマト王権を統治していた大王の墓に、当時の最高水準で作られた埴輪を時期別に紹介する。
巨大な円筒埴輪は奈良のメスリ山古墳から出土したもの。242mという高さにも圧倒されるが、薄さは2mmほどしかなく、その高い技術力にも驚かされる。
さらに壁沿いには大阪の大仙陵古墳から出土した埴輪を展示。女子の頭部や、馬形埴輪、犬形埴輪、3万本が立てられていたという円筒埴輪など、素朴ながら表現力を感じさせる埴輪が並んでいる。
そして青い展示壁を背景に並べられた4つの埴輪はいずれも古墳時代後期、6世紀に作られた今城塚古墳の出土品。武人埴輪はいまにも刀を抜こうとしている姿が印象的だ。開放的かつ豪華な作りの家形埴輪はまさに大王の神殿。高さ171cmの日本最大の家形埴輪とされる。
埴輪を立てる風習はヤマト王権との関係を軸に、現在の奈良や大阪など近畿地方から各地方へ広がった。地域ごとの特色や技術者の習熟度、大王との関係の強弱などによって、異なる表現方法が生まれていく。第3章「埴輪の造形」では、そのような各地域で発展した独特な造形を、円筒埴輪や、家、船、器材などの形象埴輪を中心に紹介する。
当時の船の構造がよくわかる船形埴輪、タテガミかふさ飾りのようなものが首元に表現された豪華な飾り馬の埴輪、家を中央にして小さな建物が四方についた極めて珍しい家形埴輪など、その表現の多様な展開を感じ取れる。
第2会場へ移動すると最初に展開される第4章が、本展の目玉である「国宝 挂甲の武人とその仲間」の展示コーナーだ。
この章だけ展示室は黒い展示壁に囲まれており、一つひとつのガラスケースの後ろに武人のシルエットが描かれるなど、特別感が演出されている。埴輪として初めて国宝に指定された、東京国立博物館所蔵の「挂甲の武人」を中央にして、兄弟のようによく似た武人埴輪が計5体立ち並ぶ。
同館所蔵の国宝である「挂甲の武人」は、頭から足先まで鎧を着込んでいる非常に珍しい埴輪だ。弓を左手に持ち、右手で刀を掴んでいる。発掘された当時はバラバラの状態で出土したが、その後、現在のような形に復元が行われた。
河野研究員の解説によれば、これらの埴輪が作られた古墳時代後期の6世紀後半は、近畿地方では前方後円墳が作られなくなり、埴輪作りが衰退し始めていた時期。しかし、群馬ではまだその影響がおよんでおらず、巧みな技術で多くの埴輪が作られたという。
国宝の「挂甲の武人」は群馬の太田市から出土したものだが、おそらく同じ工房で焼かれたとされているのが、今回展示されているほかの4体だ。現在はそれぞれ群馬の相川考古館、千葉の国立歴史民俗博物館、奈良の天理大学附属天理参考館、そしてアメリカのシアトル美術館に収蔵されている。よく似た姿ながら個々に異なる表現を見比べてみるのも面白い。
ちなみに今回5体の埴輪には、戦隊モノよろしくイメージカラーが設定されている。本展の軸である東京国立博物館所蔵のものが赤、国立歴史民俗博物館所蔵のものは同館のロゴの色にちなんで黄色、相川考古館所蔵のものは群馬県旗と同じ紫、海を渡ってきたシアトル美術館所蔵のものは水色、天理参考館所蔵のものは緑が多い奈良県にちなんで緑とのこと。それぞれイメージカラーの土台の上に立っているのがわかる。
また本展を「名品展にはしたくなかった」と河野研究員。最新の研究が紹介されている点も本展の特徴だ。「挂甲の武人」5体が並ぶ展示室を抜けると、同館所蔵の「挂甲の武人」の彩色復元が展示されている。最新の研究ではこの埴輪が、白、赤、灰色の3色で塗り分けられたと考えられているという。白地にグレーの縦縞が引かれた武人は、これまでのイメージを覆すような埴輪の姿だ。
埴輪は複数の人物や動物などを組み合わせて、様々な物語場面を表現した。第5章「物語をつたえる埴輪」では、その埴輪群像を「はたらく」「すまう」といった役割ごとに紹介する。
口をへの字に曲げたり、笑っているような表情を浮かべたりしている埴輪は、盾の上に人の顔が造形された盾持人埴輪。手足は表現されておらず、その独特の表情で悪しきものを古墳に寄せ付けないためのガードマンのような存在だ。その横には、少しふくよかな姿をした力士の埴輪が並ぶ。多様な建築様式で作られた家形埴輪や、大きな導水施設形埴輪は、当時の権力者たちの住環境を伝えている。
最後の展示室には愛らしい姿の動物埴輪が大集合。飾り馬や小馬、牛、鹿、鶏など、王の儀礼と関連して作られたものや、自然の動物をそのまま写しとったものなど、それぞれに役割が異なった動物埴輪たちがダイナミックに展示されている。
さらにエピローグとして、木版画家・斎藤清の作品のモチーフになった埴輪や、俳優の三船敏郎が手にした埴輪、埴輪の総選挙「群馬HANI-1グランプリ」でグランプリに選ばれた《埴輪 笑う男子》 など、明治から現代までの埴輪の受容を紹介し、本展は幕を閉じる。
東京国立博物館では約50年ぶりの埴輪展であり、兄弟のような5体の「挂甲の武人」が史上初めて一堂に会する本展。河野研究員は「これだけの作品が揃うことは、おそらく私が生きているうちでは難しいんじゃないかと思っている」と話す。東京国立近代美術館で12月22日まで開催されている「ハニワと土偶の近代」展とあわせて、多様な埴輪の表現を体感してほしい。