2022年2月24日、ロシアはウクライナへの本格的な軍事侵攻を開始した。それから2年。この戦争が終わる見通しは立たず、いまなお過酷な状況が続いている。
Tokyo Art Beatでは2022年の侵攻直後、ロシア東欧美術・文学研究者の鴻野わか菜にウクライナとロシア出身の4名のアーティストのインタビューを寄稿してもらったが、今回はこの2年を経て、新たにウクライナとロシアの作家の作品と現状に迫るテキストを全3回で掲載する。
今回はロシア人アーティスト、ハイム・ソコルのインタビュー。イスラエルへと移住したものの、同地でも戦争という悲劇が起きたいま、アーティストは何を語るのか。【Tokyo Art Beat】
ウクライナ侵攻開始後、多数のロシア系ユダヤ人が平穏な安住の地を求めてロシアからイスラエルに移住したが、2023年10月、その希望は消え去り、新たな戦争に直面することになった。2022年秋にモスクワからテルアビブに移住した作家ハイム・ソコル(Haim Sokol、1973〜)もそのひとりである。
2024年2月、ソコルは筆者のオンライン・インタビューに答えて、「自宅から70kmのところで戦争が続いている。テルアビブは比較的落ち着いているとはいえ、街には軍服が溢れ、戦争と日常がシンクロし、戦争はつねに心から離れない。ここで起こっている戦争も、そしてウクライナの戦争も……。こうした状況で、プロパガンダや情報の奔流に流されず、自分を見失わないために、戦争を少しでも俯瞰的に見ることが必要になる。そのために芸術は役立つ。ただ、芸術作品は戦争に必ずしも直接的に影響されるべきだとは思わない。もちろん反戦のアートも重要だ。だが、戦争はもっとゆっくり自然な方法で、意識、思考を通じて芸術に反映されるだろう」と語った。
ソコルの主要な主題のひとつは、日用品である。コート、椅子、テーブル、鍋、皿などの日用品を描いたソコルの静物画は、同じタイプの食器が大量生産され流通していた旧ソ連圏の住民には強いノスタルジーをかき立てるが、それと同時に、対象を単純化して描くことで世界のどこにでもある普遍的な光景となっており、作家とは異なる生活圏の人々にも親近感を抱かせる。
ソコルが「私が描いているのは日用品だが、服も靴も持ち主の身体になじんで皺が寄り、形が変わっていく」と語るように、彼が描く日用品は人の気配を感じさせる。それらの物は、平凡かもしれないが穏やかな生活の象徴であり、生が続いていくことへの願いとして、戦争の時代に新たな意味を獲得している。
鳥、とりわけカラスも、ソコルがくりかえし描くモチーフである。カラスを最初に描いたのは、モスクワから東に300kmの町ヴィクサで、2019年にアーティストインレジデンスに参加したときだったとソコルは語る。治金工業で知られるこの都市で多くの労働者が搾取されてきた歴史を思うと陰鬱な気持ちになり、割り切れない思いで戸外をぶらつき、そこで目にしたネズミやカラスを描いたのが始まりだという。
「カラスは人間と共に街で暮らしているが、人間の仲間として受け入れられていない、きわめて孤独な存在である」とソコルは述べる。詩人でもあるソコルは、鳥をめぐる数多くの詩を書いているが、彼の詩においても、窓辺を訪れた鳥は対話の相手であり、また、「私は鳥として死ぬ」という表現からは、鳥が作家自身の分身であることが分かる。なお、ソコルは「ハヤブサ」の意であり、その名字も作家に鳥を意識させる一因となってきたという。
ソコルの描く「鳥人間」は、孤独の象徴であるのみならず、新たな可能性の獲得として肯定的な意味を与えられている。2021年にアンナ・ノヴァ・ギャラリー(サンクト・ペテルブルク)で開催した個展「抵抗の形態としての変容」は、人間と動物、生物と無生物などの境界を超えた変容をテーマとしていたが、展覧会タイトルにも表れている通り、ソコルは変容を、抑圧されていた過去への決別、現状への抵抗としてとらえているのである。
2019年にトレチャコフ美術館(モスクワ)で開催された個展「ある意味で私は彼らになり、彼らは私になる」においても、鳥人間を描いた作品が展示されたが、本展においても鳥人間は自他の境界の克服と変容の象徴だった。展覧会のタイトルが表す通り、他者への変容、とりわけ、第二次世界大戦とホロコーストの犠牲者との同化をテーマとする本展では、人は他者の記憶を共有し、継承することができるのかという問いが追求された。
鳥は、アウシュヴィッツでの犠牲者を追悼するために制作された《雪が降る》(2022)にも登場する。ソコルは本作に寄せて、次のように書いている。
「私は雪を見ると思い出し、想像する。おそらく、この窓の外の雪に似ているのは、1944年1月、ポーランドのアウシュヴィッツ近郊で降った雪だ。あるいは1942年の冬、私の父が属していたパルチザン分隊があったウクライナの森に降った雪。白い雪の上の黒い鳥は、隠れることも消えることも見えなくなることも致命的に不可能な状況にある人々を思い起こさせる」。
ソコルは、インタビューでも「雪の上で黒いカラスは身を隠すことができず、無防備だ」と述べていた。翼を持ち、一見、自由な存在に思える鳥と同様に、どこにでも行けるはずの人間もまた、虐殺や戦争においては無力な犠牲者となってきた歴史を、これらの無数の鳥たちは無言のうちに物語っている。
苦難と迫害の歴史に対する作家の切実な関心は、ドイツ系ユダヤ人で、第二次世界大戦中、ナチスからの逃亡中に亡くなった思想家ヴァルター・ベンヤミンの晩年の著作『歴史の概念』に寄せた2018年の展覧会にも表れている。同著作の一節である「私たちの到来は地球で予期されていた」をタイトルとする本展では、難民のボートを思わせるオブジェなどが配置され、難民的な存在であった歴史上のあらゆる人々へのオマージュとなっている。
難民への関心は、過酷な状況の中でロシアで労働者として働く中央アジアからの移民を主題とする展覧会「スパルタクス Times New Roman」にも通じている。本展でソコルは、中央アジアからの移民と共同でビデオ・パフォーマンスを制作し、虐げられた境遇から立ち上がり抵抗する移民のイメージを、映像とインスタレーションで表現している。
ソコルは、古代ローマにおけるスパルタクスの蜂起、パリ・コミューン、ドイツのマルクス主義革命運動であるスパルタクス同盟の蜂起、1905年と1917年のロシア革命などのプロットを引用し、現代の問題を歴史的な視座で再考する。なお、本展は、半分が工場としてまだ稼働している建物の廃墟部分をアートスペースとして変容させた「創造的インダストリアル・センター・ファブリカ」(モスクワ)という、労働者とアートが結合した場所で開催され、展覧会のコンセプトと空間も呼応していた。
ソコルは最近、自身の創作の軌跡を振り返り、次のような声明を発表した。この宣言では、日用品をめぐる作品の背景や、様々な歴史を参照しながら、それを現代にも続く事象としてとらえて異なる時代の関連性を見出してきたソコルの創作の姿勢が示されている。ソコルは、時空や種や類を超えた連帯、つながりを夢想し、今日も作品を描き続ける。
「私にとって、アートに携わることは、証人になるということだ。法的な意味ではない。アートは、歴史の汚れた皿を洗うシンクの排水口のゴミかごだ。汚れ、食べ残し、ゴミなど、ゴミかごに詰まった不快なものを、私は〈忘れられないもの〉と呼んでいる。 集団的記憶とは、私たちが覚えていることではなく、私たちが知っていることだ。忘れられないこととは、私たちが知らないこと、あるいは知りたくないことだ。私は、忘れ去られたものから歴史を再構築しようとする。証言するということは、過去に救済のチャンスを与えることだ。だから私は古いもの、ゴミ捨て場から見つかった名もないアーカイヴかつての工場、廃屋、壊れた仕事道具が好きなのだ。それらもまた証人である。それぞれの物は、それ自身の物語だけでなく、〈集団〉の物語、つまり、いつ、どこで、誰によって作られ、どのように使われたかを物語っている。
証言とは本来、パフォーマンスである。第一に、それは宣誓や降伏のように言葉で表される行為だからである。第二に、証言はパフォーマティブな身振りとなって表れる。物はそれ自体では何も語らない。死者もそうである。だから、媒介者としてのアーティストの身体が必要となる。パフォーマンスは私のインスタレーションの血液である。私は失われた手紙を写し、線路の枕木で庭を作り、移民たちの古い靴を測り、床を洗い、汚れた雑巾で本を作る。あるいは、抵抗の世界史のエピソードを移民とともに再構築する。アーティストとしての私の仕事は、身の回りの物質世界の記念碑的性質を明らかにすることだ。それは何よりも、異質な物をひとつの詩的な星座として構成することを意味する。別の言葉で言えば、私は様々な物、出来事、運命の間に想像上の線を引き、それらを過去の象徴的な姿に結びつける。この姿は、もちろん私たちの想像力のなかにしか存在しないが、星座のように私たちの人生に何らかの影響を与える」
*2022年の記事はこちら
ハイム・ソコル 公式サイト:https://hmsokol.com