公開日:2022年6月9日

ウクライナ侵攻後、ロシアのアーティストの現在。反戦と芸術について2作家が語ることとは

エカテリーナ・ムロムツェワとアンドレイ・クスキン。ふたりのロシア人アーティストに、ロシア東欧美術研究者の鴻野わか菜がインタビュー。これまでの活動とともに、ウクライナ侵攻後の思いと創作について紹介する。

アンドレイ・クスキン《混合》(2022)。「血、糞、戦争」という言葉を、それぞれの言葉が指す材料で画布に描きつけ、「戦争」という言葉は、血と大便を混ぜた材料で描いている  Courtesy of the artist 

ロシアのアーティストの現在。反戦と芸術

ロシアのウクライナ侵攻を受けて、ロシアでもアーティストや美術館が次々に反戦の意を表明した。多数の美術関係者が反戦のオープンレターに署名し、プーシキン美術館の副館長らが戦争に抗議して辞任。モスクワのガレージ現代美術館は「日常が続いているという幻想を支持できない」と述べ、終戦まで展示活動を休止している。また、プーシキン美術館は、国立の美術館でありながら、2月27日にFacebookやInstagramの公式ページで声明を出し、「この数日の事態の急速な動きに衝撃を受けています。美術館は記憶と文化の施設として、異なる視点を持ちながらも犠牲者や人々の苦しみを最小限に抑えたいと願う人々を一刻も早く和解させるために、平和で相互の尊敬に満ちた対話を可能にするよう、あらゆる努力を続けていきます」と述べた。

3月4日、ロシア軍に関する「虚偽情報」を広める行為に対して最大15年の禁固刑を科す法案がロシア議会で可決されると、自分や家族の身を守るために反戦のメッセージをウェブから削除する動きが広まった。この時期にも反戦を主題とするドローイングを発表し続けたパーヴェル・オジェリノフ(1979年生)のような作家も少なからずいたが、直接的な表現ではなく、悲しみや絶望を表す比喩的な表現によって反戦の意を示す作品や投稿が目立つようになった。しかし、戦争が長期化し、いっそう残酷化するなか、多くのアーティストがふたたび反戦の意を明確に示すようになり、これまで戦争に関する発言を避けてきた作家たちでさえ、戦争を批判する作品やテクストを公開している。

ここでは、ロシアの若手・中堅の2名のアーティストを取り上げ、過去の作品も振り返りつつ、彼らがこの戦争に何を思い、どのような表現をしているのかを紹介したい。

エカテリーナ・ムロムツェワ(Ekaterina Muromtseva)

エカテリーナ・ムロムツェワは、1990年モスクワ生まれ。2012 年、モスクワ大学哲学部を卒業し、13年から14年までモスクワ現代美術館付属現代美術学校「自由工房」で学び、15年から17年まで、アレクサンドル・ロトチェンコ記念モスクワ写真マルチメディア学校でイーゴリ・ムーヒンらに写真と映像を学んでいる。ロシアを代表する現代アートのギャラリーであるXLギャラリー等で個展を開催。第7回写真フェスティバル(ライプツィヒ、2017)、全世界学生写真ビエンナーレ(セルビア、2017)、北アルプス国際芸術祭2020-2021(長野県大町市、2021)、瀬戸内国際芸術祭(香川県男木島、2022)、そのほか、イラン、フランス、オーストリア等でグループ展に参加。2021年以降、フルブライト奨学金を得て、アメリカに滞在中である。

他者の物語とアート

ムロムツェワは、2021年3月、自分の作品について次のように書いている。

「私の芸術上の関心の中心となるのは、個人的記憶と集合的記憶を参照し、歴史的に不明であったものを取り上げ、叙情的でコンセプチュアルな方法でそれを展開し、大規模な絵画、映像、インスタレーションによって表現することです。私は作品のなかで、現実と空想の境はどこにあるのかということを探求し続けています。私は、ドキュメンテーションと芸術的な想像力が重なるところに生まれる物語に関心があります。だからこそ私は、様々な社会的な集団とつねに対話を続けています。通常、この対話は個人的な物語の形式をとり、私の作品のなかに存在しています。私は自分に問い続けています──強権的な政府のもとにありながら、攻撃的なジェスチャーに頼ることなく、純粋な視覚芸術に社会的共感を織り込み、たえず人々と協働しながら政治について表現し得るアーティストであるにはどうすればよいのかと 」。(*)

ムロムツェワはこうした意識のもとに、他者の声や物語に耳を傾け、人々との交流のうちに作品を制作してきた。2014年から19年にかけて、ムロムツェワは、ロシアの地方都市トゥーラ県の高齢者介護施設をしばしば訪ね、夏季には数週間にわたって入居者と共同生活を行いながら、彼らとともに施設の壁に何枚もの壁画を描いた。この協働のプロジェクト《唱和する方がいい》について、ムロムツェワは、「私にはアーティストとボランティアの境界がどこにあるのかわかりません。どんなアーティストも、〈人生〉という巨大な組織のボランティアなのかもしれません」と語っている。

エカテリーナ・ムロムツェワ 唱和する方がいい 2015 Courtesy of the artist

エカテリーナ・ムロムツェワ 唱和する方がいい 2015 Courtesy of the artist

《この国で》(2017)では、ソ連時代を知らない子供たちに「ソ連で人々はどのように暮らしていたか」というテーマで作文を書いてもらい、それをもとに9分33秒のフィルムを制作。映像自体は、揺らめく影絵の手法を用いていることもあり、過ぎ去った時代、いまは存在しない国をめぐるノスタルジーを感じさせるものだ。しかし、そこで人々がどのような服を着て、どのように余暇を過ごしていたかという、当時の生活をめぐる子供たちの想像を通じてソ連を描くことで、国家の教科書的なイメージは異化されている。ソ連の貧困や弾圧にも言及することで、2000年代以降にロシア社会の一部で広まった「懐かしむべき大国ソ連」というプロパガンダへのアンチテーゼともなっている。また、このプロジェクトは、経験していない自国の歴史を人はどのように想像するのか、その背景にどのような教育や語りがあるのかという重要な問題を提起するものでもある。ムロムツェワは、影絵の手法は、第一に過去への追憶と、第二にプラトンの洞窟のイメージと結びついていると語る。

エカテリーナ・ムロムツェワ この国で 2017 Courtesy of the artist
エカテリーナ・ムロムツェワ この国で 2017 Courtesy of the artist

2021年の《違う時間》でも、ムロムツェワは、複数の他者に「あなたが歴史や政治、大きな世界について真剣に意識した瞬間はいつでしたか」というインタビューを行い、それを映像とドローイングで表現した。作家は、個人の記憶や体験にもとづくプライヴェートな観点からの歴史を表現することで、ともすれば固定化しがちな歴史像につねに新たな色彩をつけ加える。それは歴史の政治からの解放でもある。

エカテリーナ・ムロムツェワ 違う時間 2021 Courtesy of the artist

エカテリーナ・ムロムツェワ 違う時間 2021 Courtesy of the artist

モスクワのガレージ現代美術館のプロジェクト《ワーシャはここにいた》(2018)では、同美術館に残された観客の感想ノート(数年分、40冊以上)を読み、観客をタイプ分けし、人物像を制作。人々の声を聞き取ることで、現代美術の受容の状況を映し出そうとした。

エカテリーナ・ムロムツェワ ワーシャはここにいた 2018 Courtesy of the artist
エカテリーナ・ムロムツェワ ワーシャはここにいた 2018 Courtesy of the artist

2021年の「北アルプス国際芸術祭2020-2021」(長野県大町市)でも、地元の住民の物語を聞き取ったプロジェクト《全て、もっていく》を実施している。2019年に視察で大町を訪れたムロムツェワは、大町がかつて、松本と糸魚川を結ぶ塩の道千石街道の宿場町として栄え、重い荷物を背負って山道を運んだ人々(歩荷)がいたことに関心を抱いた。そして作家は、塩の道を運ばれた重荷を哲学的に解釈し、「私たちは皆、人生という荷物を運んでいる。希望、欲望、記憶という荷物を」と考え、地元の住民に、人生のなかで大切にしているものを持って来てもらい、その宝物についての物語を聞き取った。コロナ禍のため作家の再来日がかなわず、これらの交流はビデオレターを通じて行われたが、ムロムツェワは、農作業で使う背負子を背負ってきた男性らが語る大切なものにまつわる物語をもとに、彼らの姿を絵に描いた。

エカテリーナ・ムロムツェワ 全て、もっていく 2021 北アルプス国際芸術祭2020-2021 Courtesy of the artist

住民たちの肖像画は盛蓮寺の本堂で展示されたが、いっぽう、寺の蔵では、重い荷物や鞄を運ぶ幾世代もの人々の姿を青い透明なプラスチックのシートに描いて制作した影絵が上映された。ムロムツェワは、「この作品によって私は問いかけたい。私たちは自分の荷物を下ろして、純粋な魂で前に進むことができるのか。宗教も芸術も、それを可能にする仲介者であると思う。仏教寺院は、あなたが不要なものを下ろして、瞬間を感じ始めることのできる場所である」と語った。

エカテリーナ・ムロムツェワ 全て、もっていく 2021 北アルプス国際芸術祭2020-2021 Courtesy of the artist

エカテリーナ・ムロムツェワ 全て、もっていく 2021 北アルプス国際芸術祭2020-2021 Courtesy of the artist

また、来たる「瀬戸内国際芸術祭2022」夏会期・秋会期(2022年8月5日〜9月4日、9月29日〜11月6日)で展開する《学校の先生》では、男木島で、様々な人々から聞き取った「学校の先生」のエピソードにもとづくドローイングを古民家に展示する予定である。国や民族をこえて子供たちが「先生」に抱く感情や幼年時代の感覚が、どこか民話的、民芸的な趣のあるドローイングによって表現され、歴史の授業を主題とする作品も展示される。

エカテリーナ・ムロムツェワ 学校の先生 2022 瀬戸内国際芸術祭2022 Courtesy of the artist

エカテリーナ・ムロムツェワ 歴史の授業(学校の先生) 2022 瀬戸内国際芸術祭2022 Courtesy of the artist

アートを通じた人との交流を希求するムロムツェワの姿勢は、2020年の外出自粛期に、アーティスト・イン・レジデンス先のクロアチアの首都ザグレブで行なった《バルコニー・ギャラリー》にも見てとることができる。あらゆる美術館や画廊が閉館するなか、ムロムツェワは、自分が暮らしていたアパートのバルコニーで作品を展示し、住民たちとの接点のうちに文化的な営みを続けていこうとした。「これは、アートが人の気持ちを明るいものにしてくれるという良い例で、希望かもしれない」と作家が語ったように、このプロジェクトは、パンデミック期のアートを通じた新たなコミュニケーションの在り方として注目を集めた。

エカテリーナ・ムロムツェワ バルコニー・ギャラリー 2020 Courtesy of the artist
エカテリーナ・ムロムツェワ バルコニー・ギャラリー 2020 Courtesy of the artist

エカテリーナ・ムロムツェワ バルコニー・ギャラリー 2020 Courtesy of the artist
エカテリーナ・ムロムツェワ バルコニー・ギャラリー(モスクワでの展示) 2020 Courtesy of the artist

歴史、戦争

《この国で》や《違う時間》からも明らかなように、歴史もまた、ムロムツェワの主要な主題である。《12時15分前》(2018)は、20 世紀初頭のロシア象徴主義詩人アレクサンドル・ブロークの革命をテーマにした詩「十二」にインスピレーションを受け、影絵によって革命のリズムを映し出し、集団的な期待と変化のサイクルを表現した作品である。この作品では、観客の影もしばしば作品と重なり合い、時空を超えたつながりが生まれる。

エカテリーナ・ムロムツェワ 12時15分前 2018 Courtesy of the artist
エカテリーナ・ムロムツェワ 12時15分前 2018 Courtesy of the artist

革命や民主化運動へのムロムツェワの関心は、《ピケット》(2019)にも表れている。2019年、ロシアでは、政府幹部の違法ビジネスを告発しようとしていた独立系の記者イワン・ゴルノフが麻薬密売容疑で逮捕され、それに対する抗議デモで500人以上が拘束された。この事件は内外のメディアの注目を集め、当局はその後、「単純なミスだった」としてゴルノフを釈放したが、この作品は、ゴルノフを支持して抗議する人々の姿を描き、ロシアの民主化運動とその可能性に焦点を当てている。

エカテリーナ・ムロムツェワ ピケット 2019 Courtesy of the artist
エカテリーナ・ムロムツェワ ピケット 2019 Courtesy of the artist

そして、2022年2月、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった。この戦争を受け、ムロムツェワは、反戦を主題とする連作ドローイング《戦争に反対して黒衣を着る女性たち》を3月25日にInstagramで公開。反戦運動が危険を伴うロシアでは、黒い服を着て白い花を持つことによって反戦の意を示す女性のグループが活動しているが、ムロムツェワは、「彼女たちの行為は戦争に反対するすべての人々の悲しみと痛みを表すものだ」と考え、その姿を描いた連作の公開を決意したという。筆者のインタビューに答えて、ムロムツェワは次のように語った。

エカテリーナ・ムロムツェワ 戦争に反対して黒衣を着る女性たち 2022 Courtesy of the artist

「戦争が続いているなかで、美術について話すのはとても難しいことです。戦争に反対するすべてのアーティストは、直接的な意味で、あるいは間接的な意味で、平和のためのボランティアになりました。私の知人の多くのアーティストも私自身も、難民、政治的理由で投獄され勾留されている人々を助ける組織のボランティアになりました。戦争を仕掛けた国に住みたくないという理由で、非常に多くの人々がロシアを去りました。ロシアの活動家やアーティストが作ったすぐれた組織のひとつが『フェミニズム反戦抵抗組織』であり、抵抗の新しい形式を発明し、発展させています。『戦争に反対して黒衣を着る女性たち』の抵抗運動などです。私はこの行動に強いインスピレーションをかきたてられ、黒衣を身にまとって花とプラカードを持つ女性たちの姿を描きはじめました。彼女たちはしばしば顔を見せないで写真に写っています。逮捕を避けるためです」。

エカテリーナ・ムロムツェワ 戦争に反対して黒衣を着る女性たち 2022 Courtesy of the artist
エカテリーナ・ムロムツェワ 戦争に反対して黒衣を着る女性たち 2022 Courtesy of the artist

文化統制下のロシアでは本作を展示することはできないが、本作を売って、収益の全額をウクライナの避難民を支援するファンデーションに全額寄付したいというムロムツェワの希望を受けて、この連作は、「越後妻有 大地の芸術祭 2022」のプロジェクトとして、7月半ばから8月半ばまで、芸術祭の拠点施設である「越後妻有里山現代美術館 MonET」の特別展示室で展示されることが決まった。また、ほぼ同時期に、代官山のアートフロントギャラリーでも、本作と、歴史的記念碑の撤去を主題とする《リー将軍を撤去せよ》(2022)が展示される予定である。

エカテリーナ・ムロムツェワ リー将軍を撤去せよ 2022 Courtesy of the artist

ムロムツェワは、ここで挙げた作品のほかにも、様々なプロジェクトを展開している。《あなたが眠っている間に私は木を植えた》(2019)は、ある日、突然、体から芽が出て木が生えてくるという空想的な物語である。「ある人々は自分の体に生えてきた木に悩まされて、それを抜こうとするでしょう。抜いてしまえば、木は別の場所で成長します。でも、体から生えてきた木に慣れて、木のない人生が想像できなくなり、木をたえず世話する人々もいるでしょう。彼らは、彼らがいなくなった後も木は生き続けて成長することを知っているのです」とムロムツェワは書いている。他者との関わりのもとに生み出されていくムロムツェワの芸術もまた、この不思議な木のように、作家を離れた後も生き続ける。

エカテリーナ・ムロムツェワ あなたが眠っている間に私は木を植えた 2019 Courtesy of the artist
エカテリーナ・ムロムツェワ あなたが眠っている間に私は木を植えた 2019 Courtesy of the artist


アンドレイ・クスキン(Andrey Kuzkin)

アンドレイ・クスキンは、1979年モスクワ生まれ。モスクワ印刷大学を卒業し、ロシア、ウクライナ、フランス、イタリア、ドイツなどで作品を展示。「イノヴェーション」賞を2回受賞(2008年「新世代部門」、2017年「今年の本」部門)し、2016年にカンディンスキー賞を受賞(「今年のプロジェクト」部門)。現在もモスクワで生活している。パフォーマンス、ドローイング、インスタレーション、映像など様々なジャンルで制作を続ける。

追悼と命の継承

クスキンの主要なテーマのひとつは、亡くなった親族の追悼と命の継承である。クスキンの父親はアーティストだったが、クスキンが3歳のときに早逝。クスキンは、父の遺作である99本の木を描いた版画を模して、全裸で逆立ちして木の格好をするというパフォーマンス《自然現象 あるいは木のある99の風景》を2010年に開始し、世界各地で99回行おうとしている。これまで、オーストリア、アメリカ、ロシア、イスラエル、アルゼンチン、イギリス、南極などで実施してきた。本作は、父への追悼と父の作品の記念であると同時に、木としての人間を表現することで「文化から自然へ」というメッセージを発しているとクスキンは語る。また、地球上の99ヶ所でパフォーマンスを行うことで、「どんな場所にいても、形而上学的な意味では人間の状況は同じである」ことを示しているという。

アンドレイ・クスキン 自然現象 あるいは木のある99の風景 オーストリア、2010年12月3日 Courtesy of the artist

《円を描いて》(2008)は、作家が自分の胴体に太いロープを縛りつけ、固まりつつある深さ30センチのセメントの中で5時間にわたって円を描いて歩き続けたパフォーマンスである。本作は、世代が代わっても永遠のように同じことをくりかえしてきた人類の営みを象徴していると作家は述べる。人間の一生は、最初は元気で力がみなぎっていても、最後には足取りは重くなり、死を迎えるとも語っている。また、これは、ユダヤ人として生まれ、苦難の人生を送った祖母に捧げるパフォーマンスでもあるという。

アンドレイ・クスキン 円を描いて 2008 Courtesy of the artist

《木製のかばんの旅》(2008)は、亡き祖父が大切にしていたかばんをモチーフとしたパフォーマンスとドキュメンテーションである。祖父は、彼の父親の手製の木のかばんを抱えて、青年時代に生まれ故郷のリャザン県のポタピエヴォ村からカザンまでひとりで旅し、その地で建築大学に入学し、戦争中は軍需工場で働いた。30〜40キロの道のりをいつもそのかばんを持って歩いて通ったという。やがて、祖父はモスクワ郊外で暮らし始め、木のかばんはクリスマスツリーの飾りの入れ物となった。クスキンは父親の死後、3歳から6歳まで祖父母と暮らしたが、クリスマスにそのかばんを開けるのは幸せな瞬間だった。クスキンが17歳のときに祖父は亡くなり、クスキンには息子が生まれた。そしてクスキンは自分の手で新しい木のかばんを作り、かつて自由で幸福な日々を過ごした郊外の野原をそのかばんとともに歩いた。祖先や子孫に思いを馳せながら。

アンドレイ・クスキン 木製のかばんの旅 2008 Courtesy of the artist

2021年には、クスキンは、曽祖父が作った木のかばんを持って、息子を連れてリャザン県のポタピエヴォ村に先祖の歴史を訪ねる旅に出た。曽祖父が生まれた家を見つけ、遠い親戚に出会い、墓地では、いままで知らなかった先祖の存在を知った、素晴らしい旅だった。だが、2022年、戦争が始まり、いまやその村でも「愛国主義」の授業が行われ、車には戦争を支持する「Z」のマークが貼られていることを知ったクスキンは、苦悩に苛まされている。

死者を悼む思いは、親族だけではなく、身近な人々にも向けられる。第6回ベルリン現代美術ビエンナーレで実施したプロジェクト《存在するものは、すべて私のもの》(2010)では、作家は体毛をすべて剃り、自分の裸体にペンでありとあらゆる病気の名前をラテン語で書いてもらい、ガラスケースの中で4時間横たわり続けた。これはクスキンの友人のキュレーター、オリガ・ロプホワの死を追悼する作品であると同時に、人はいつか病んで死ぬ存在であることを示していると作家は述べている。

アンドレイ・クスキン 存在するものは、すべて私のもの 2010 Courtesy of the artist

身体と物

身体と物は、クスキンの創作における主要なモチーフである。《基本的な質問》(2013)は、クスキンが手術用メスで自分の皮膚を切り裂き、「これは何か?」という言葉を刻んだパフォーマンスである。作家は次のように述べている。

「この問いは、実存的なものでもあり(痛みとは何か? 体とは? 私とは? 私の人生とは? など)、美術史のコンクテストでとらえられるものでもある。すなわち、過去のアーティストやパフォーマーの経験をふまえて、現代においてこうしたジェスチャーとは何か?」。 

アンドレイ・クスキン 基本的な質問 2013 Courtesy of the artist
アンドレイ・クスキン 基本的な質問 2013 Courtesy of the artist
アンドレイ・クスキン これは何か? 2011 Courtesy of the artist 《基本的な質問》に先立つプロジェクト。自分の身体にメスを入れる心の準備として、「これは何か?」というテクストを街中に貼り付けた
アンドレイ・クスキン これは何か? 2011 Courtesy of the artist

その後、作家は、《基本的な質問》のパフォーマンスで撮影した自分の身体の写真はまるで広告写真のようでもあると感じ、公共空間に貼ろうと考え、同一の写真をモノクロで93枚印刷し、モスクワ郊外の森に貼り付けるアクション《広告》を実施した。ほとんど誰も足を踏み入れることのない森の奥に「広告」を貼るこのアクションは、アンドレイ・モナスティルスキー(1949〜)を中心とするソ連の非公認アーティストがモスクワ郊外で展開していた「集団行為」のアクションに通じるとクスキンは語る。

アンドレイ・クスキン 広告 2013 Courtesy of the artist

なお、クスキンは2008年にモスクワ郊外で、観客がいる川岸の対岸に、「こっちはずっと良い」と書かれた木製の文字を設置するプロジェクト《向こう岸》(2008)を実施しているが、自分たちがいま暮らしている社会の不完全さをユーモラスに摘発するこのプロジェクトもまた、「集団行為」のアクションに通じるものであり、とりわけ、「何も文句はないし、すべていいと私は思う。ここに来たことは一度もなく、この場所について何も知らないけれど」という言葉を書いた赤い布を郊外に設置したアクション《スローガン》(1977)をふまえていると考えらえる。

アンドレイ・クスキン 向こう岸 2008 Courtesy of the artist

《私たち、あるいは存在の効果》(2011)は、モスクワの「創造的インダストリアル・センター・ファブリカ」で実施された。「ファブリカ」は、いまでも一部が工場として稼働しているが半ば廃墟化していた古い建物に作られたオルタナティヴ・スペースである。クスキンは、この「ファブリカ」で催されているほかのアーティストたちの展覧会場に約100対の靴を置いた。展覧会のオープニングには多数の人々が訪れるのに、その後は観客がまばらな日もあるという美術界の現状をふまえて、「アートに観客は必要か」という問題を提起するものだと作家は語る。それと同時に、廃墟のような建物に置かれた持ち主のない無数の靴は、まるで死者の靴のようでもあり、戦争や収容所における大量死も想起させる。「人は死ぬが、物は残る」というのは、クスキンの創作にくりかえし表れる主題である。

アンドレイ・クスキン 私たち、あるいは存在の効果 2011 Courtesy of the artist
アンドレイ・クスキン 私たち、あるいは存在の効果 2011 Courtesy of the artist

クスキンは、ランプに照らされた自分の影を壁に描き、その下に靴を置いた作品《僕はここにいる》(2007)においても、人は消えるが物は残ると語っている。「僕は生きている」と書かれた板を背負って都市や森を歩くパフォーマンス《仮の小屋》(2021)に端的に表れているように、身体は文字通り生命の象徴だが、作家の眼差しは、身体が消滅した後の世界にも向けられている。

アンドレイ・クスキン 操作、価値の転換1 2012 Courtesy of the artist 公共の空間であるギャラリーで実施した《私たち、あるいは存在の効果》を、作家にとって私的空間である森で行うことで、作品の意味の転換を追求したプロジェクト
アンドレイ・クスキン 仮の小屋 2021 Courtesy of the artist
アンドレイ・クスキン 仮の小屋 2021 Courtesy of the artist

《すべてはこれから!》(2011)もまた、残された物を主題とするプロジェクトである。クスキンが自分の作品や衣服などを保管した58個の金属の箱を、観客は買うことができるが、この箱は一種のタイム・カプセルであり、29年間開けることができない。2040年にふたたび箱を持ち寄って開封しようというプロジェクトだが、この箱を手に入れた58人全員が生き残っているとはかぎらない。そのうえ、2022年のロシアのウクライナ侵攻は、この作品に別の意味合いも与えることになった。クスキンの友人、知人の多くが、戦争を続ける国に住むことに絶望し、仕事も大半の持ち物も捨てて、国外に移住してしまったからだ。持ち主を失った物は、去った人々を記憶するための小さな記念碑となるのだろうか。

アンドレイ・クスキン すべてはこれから! 2011 Courtesy of the artist

供物としての作品

クスキンは2010年代以降、パンを使って、数千の人間の像を作り続けてきた。クスキンは、「パンは私にとって人間の体の象徴です。人間を表すのに最良の生きた材料です。永遠のものではない、変わりゆく、朽ちてゆく、苦しむ身体。遅かれ早かれ消えてゆく身体」と述べる。

アンドレイ・クスキン 円を描いて 2014 Courtesy of the artist

《祈る人たちと英雄たち》(2016-19)には、独房、あるいは墓のような1104の小部屋があり、どの部屋にも、パンで作られた祈る人の像が置かれている。その傍らには、やはりパンで作られ作家の血が塗られた6つの男性の頭部像がある。クスキンはこれらすべての像を3年かけて自分の手で作り上げた。「この作品は、私にとって、この国の悲劇的な歴史に対する供物であり、ある種の犠牲なのです。この国の罪のない犠牲者たちに捧げる作品です」とクスキンは語る。

アンドレイ・クスキン 祈る人たちと英雄たち 2016-19 Courtesy of the artist

アンドレイ・クスキン 祈る人たちと英雄たち 2016-19 Courtesy of the artist
アンドレイ・クスキン 祈る人たちと英雄たち 2016-19 Courtesy of the artist
アンドレイ・クスキン 祈る人たちと英雄たち 2016-19 Courtesy of the artist

《忘却の賜物、あるいは空虚な世界の公式》(2017)では、「忘却」という言葉が上部に吊り下げられた荒涼とした暗い空間で、パンで作られた人間が倒れ、「嘘」「恐怖」「死」という言葉を書いた3つの白いライトボックスの光を浴びている。「困難な時に私たちに希望を与えて私たちを暖める愛や神や真実などのない世界。国家権力の公式、暴力の公式、人間を別の人間によって管理する公式。実際に機能している公式。そしてこの公式は、私たちが記憶することを学ばない限り、機能し続ける」とクスキンは述べる。

アンドレイ・クスキン 忘却の賜物、あるいは空虚な世界の公式 2017 Courtesy of the artist
アンドレイ・クスキン 忘却の賜物、あるいは空虚な世界の公式 2017 Courtesy of the artist

多数の国民が「政治犯」として粛清されたソ連時代。そして、反体制的なジャーナリストらが暗殺され、歴史に逆行する独裁体制が敷かれているプーチン時代。しかし、私たちはそうした歴史を「忘れる」ことで日常を生きてきた。クスキンは次のように語る。

「私たちがこれまで生きてこられたのは、忘れる能力があるからです。記憶しない、考えない、理解できないことを理解しようとしない能力。たとえば、どうやって恐怖を意識するか? 私たちの状況、あるいは私たちではない人たちの状況をどう意識するか? 恐怖、苦悩、不正に満ちた様々な歴史的な時代。それをたずさえてどう生きるか? 生きることはできない。だから忘却し、気をそらし、なにか別のことに熱中する。(略)そしてその歴史は新しい形で何度でもくりかえされる」。

これらの作品や、無数の死体が折り重なる《身体の山》(2017)といった作品が、2014年のロシアのウクライナ侵攻の後に作られたことにも留意したい。2014年の紛争による死者は、13000人以上に昇った(国連難民高等弁務官事務所による推計)。クスキンは、2014年のロシアのウクライナ侵攻に抗議し、2014年3月25日には、ロシアの権威ある現代美術賞「イノベーション」の展覧会オープニングに、ロシア軍の軍服を着て、模型の銃を持って現れるパフォーマンス《イノベーション2014》を実施している。このパフォーマンスでクスキンは、「現在の真の〈イノベーション〉(新しい状況)は、私たちが国境で戦争を始めた国に住んでいるということであり、武器を持つ人間が町や社会の催しに現れることが、じきに普通になる」ことを示したかったと語る。

アンドレイ・クスキン 身体の山 2017 Courtesy of the artist
アンドレイ・クスキン イノベーション2014 2014 Courtesy of the artist

アンドレイ・クスキン イノベーション2014 2014 Courtesy of the artist

そして今回の2022年の戦争が起こった。クスキンは、戦争勃発の数日後にモスクワで反戦デモに参加し逮捕され、4月6日、戦争に反対するという声明をあらためて発表し、5月15日には、今回の戦争に抗議する初の作品《混合》(2022)を完成させた。作家は、「血、糞、戦争」という言葉を、それぞれの言葉が指す材料で画布に描きつけ、「戦争」という言葉は、血と大便を混ぜた材料で描いている。

アンドレイ・クスキン 混合 2022 Courtesy of the artist

3月9日、クスキンは、筆者のインタビューに答えて、「戦争は卑劣だ。言葉もない……」、「戦争に反対する作品をこれまでいくつか制作してきたが、いまはまだ新しいプロジェクトのことは考えられない」、「いまは創作することができない」と述べた。そして、5月26日、インタビューに再度答えて次のように語った。

──ロシアのウクライナ侵攻から3ヶ月が経ちました。この状況や、戦時のアートやアーティストについて、どのように考えていますか。

「この状況について何を考えることができるか……。以前と同じで、状況は非常に悪いです。最初のショックはもちろん過ぎ去りました。人間は、時間とともにあらゆることに慣れるようにできています。なんとか生き延びることを学ぶのです。もしそうでなくては、精神的な落ち込みのために皆が死んでしまうでしょう。私の子供たちは母親と一緒にロシアを出ました。私は犬と残されました。犬が私の生活を彩ってくれています。そして詩を読んでいます。詩も、戦争の恐ろしいニュースから少しだけ気をそらしてくれます。私の友人や知人の多くが国を去りました。ヨーロッパへ、イスラエルへ、ジョージアへ、アルメニアへ。私はまだロシアにいます。ですが、ロシアで反戦的な展覧会を開くことは不可能ですし、いま起こっていることを考えると、違うタイプの展覧会は開きたくありません」。

──文化統制が行われている危険な状況のなかで、反戦的な作品を発表することを決意したのはなぜですか。

「私はこの《混合》という作品を作り、血と大便を塗る様子を写真と映像に撮り、Facebookで公開しました。でも、この作品を公共空間で公開することは、到底不可能です。ギャラリーに提案さえしませんでした。拒否されるのが分かっているからです。それは危険なことですし、理解できます。誰も、国に罰せられて、罰金を払ったり刑務所に入りたくはありません。なぜこれをしようと決意したか? なぜなら、あらゆる戦争は血と糞であることを人々が忘れているように思えたからです。人はすっかり愚かになり、基本的なことを学び直すために小学校へもう一度入学する必要があるからです。だからこの作品は、初等読本のようなスタイルで描かれています。とても単純な作品ですが、人々に働きかける作品だと思います」。

筆者がクスキンと初めて会ったのは、2017年3月、アルゼンチン南端のウシュアイアの港を出て南極に向かう船の上だった。ウクライナ出身でモスクワ在住のアーティスト、アレクサンドル・ポノマリョフが実施した第1回南極ビエンナーレで、クスキンは、父親に捧げるパフォーマンスを行い、自分の作品について恥ずかしげに、だが熱っぽく語った。モスクワ郊外のアートスペース「グスリツァ」で制作した、美術界の友人たちを描いたインスタレーションについて。都市よりも自然に惹かれ、自然のなかで様々なパフォーマンスを行ってきたこと。ロシアのサマーラ県でアメリカを主題にする芸術祭が催された際には、山と川に囲まれた野原にネイティヴ・アメリカンの小屋を作り、そこで1週間生活し、人と交わらない生活のなかで考えたことを絵に描き、小屋の中に展示したこと……。

アンドレイ・クスキン グスリツァ 人々 2013 Courtesy of the artist
アンドレイ・クスキン グスリツァ 人々 2013 Courtesy of the artist

しかし、ロシアのアーティストは、もはやアートについて天真爛漫に語ることはできない。クスキンをはじめとするロシアの多くのアーティストたちは、戦争を始めた国の国民であることを恥じ、ひどく苦しみ、作品によって反戦の意を示し、ウクライナと連帯しようとしている。しかし、国家による統制がいっそう強まり、さらにはロシアに絶望した仲間のアーティストやギャラリストが国を去るなかで、残されたアーティストたちは孤立し、生活や創作をめぐる状況は厳しさを増すばかりである。戦争に反対して表現を続ける作家たちは、意を同じくする市民たちの心の支えでもある。世界は、ウクライナのアーティストを支援するとともに、ロシアのアーティストとも協働し、その作品や言葉に注目することで、アートを通じて人々と結びつくことができるのではないか。

*──エカテリーナ・ムロムツェワ「孤独の代替としてのアート」(英語)『Relations』vol.2 https://relations-tokyo.com/2021/02/24/art-instead-of-loneliness/

鴻野わか菜

鴻野わか菜

こうの・わかな ロシア東欧美術・文学・文化研究。早稲田大学教育・総合科学学術院教授。イリヤ&エミリア・カバコフの「カバコフの夢」(越後妻有)キュレーター。編著書に『カバコフの夢』(現代企画室、2021)。