公開日:2024年10月11日

「ターナー賞2024」(テート・ブリテン)レポート。オリジン、アイデンティティ、コミュニティの探究(文:伊藤結希)

世界でもっとも有名な美術の賞のひとつであるターナー賞。40周年を記念して、6年ぶりにファイナリストの展覧会がテート・ブリテンにて開幕。

会場風景より、デレーヌ・ル・バス《ピュティアー(汝自身を知れ)》(2023) 撮影:筆者

40周年を迎えたターナー賞

今年のターナー賞ファイナリスト、ピオ・アバド(Pio Abad)クローデット・ジョンソン(Claudette Johnson)ジャスリーン・カウル(Jasleen Kaur)デレーヌ・ル・バス(Delaine Le Bas)4名の展覧会が、イギリス・ロンドンのテート・ブリテンにて始まった。会期は9月25日~2025年2月16日。

テート・ブリテン入口 撮影:筆者

ファイナリストに共通するのは……

展覧会を見終わったとき、この4人のファイナリストに共通する「あること」に気づいた。それが、「オリジン、アイデンティティ、コミュニティの探究」である。

自己形成期を過ごしたフィリピンを軸に、美術館コレクション通じて帝国主義や文化的喪失を批判的に検討するピオ・アバド。西洋美術史で疎外されてきた黒人のポートレイトを通じてカウンター・ナラティブを示すクローデット・ジョンソン。スコットランドのグラスゴーにおけるシク教コミュニティと大英帝国がインドに遺したレガシーを探究するスコットランド系インド人のジャスリーン・カウル。イギリス・ロマ出身のアーティストとして、ジプシー、ロマ、トラベラー(GRT)の遺産と自身の人生の物語を内省するデレーヌ・ル・バス。

つまり、4人とも自身のルーツを起点として、自らが帰属するコミュニティを再考し、それがいかに社会や歴史と関係しているのか、程度の差はあれソシオポリティカルなアプローチをとっている。このミクロとマクロの視点が深く絡み合っている点が今年度のターナー賞の特徴だといえよう。

さて、ここからは実際の展示の様子を紹介したい。いずれの作家も、ノミネートされた個展を一部再構成、再現している。

ピオ・アバド

まずは、オックスフォードのアシュモレアン美術館での個展「暗闇に座っている人たちへ(To Those Sitting in Darkness)」がノミネートされたピオ・アバドからスタート。同美術館とオックスフォード大学が植民地時代に収集した膨大なコレクションから厳選した資料と、それらの入念なリサーチを通してインスパイアされた自身の作品をパラレルに見せる。

会場風景 撮影:筆者

壁一面にずらりと並んだ《1897.76.36.18.6 No.1-No.18》(2023〜24)は、ベニン王国(現在のナイジェリア)から植民地時代に略奪し現在は大英博物館が収蔵しているベニン青銅器と、各青銅器の形を模してアバドの自宅にある品々を組み合わせたものを比較するように平面画面に落とし込んだシルクスクリーン版画。収蔵品目録を作成するように計測、配置されている様子は美術館というシステムへのオマージュだろう。かつて英国陸軍および海軍の軍事装備の主要な貯蔵施設として使われていた建物に自宅があるアバドにとって、家というパーソナルな空間で個人的な感情に沿って、盗まれた工芸品の物語を辿るという作業は、一種の祈りのようにも思える。

会場風景より、ピオ・アバド《1897.76.36.18.6 No.1-No.18》(2023-24) 撮影:筆者

ここでは美術館よろしく、展示物のすべてに作家が書き下ろしたキャプションがついている。たとえばこの1962年に制作された銅版画は、奴隷としてイギリスに連れてこられたジオロと呼ばれる刺青をしたフィリピン人だという。天然痘で逝去したのち、皮膚を採取され、オックスフォードのボドリアン図書館に展示された。その反人道的な顛末がアバドによって明らかにされる。

会場風景より、ジョン・サヴェージ《ジオロ王子の肖像、モアンギス王の息子》(1692) 撮影:筆者

そのすぐ横の壁では、見せもの小屋で展示され、死してなお展示物扱いされたジオロを好奇心の標本というアーカイヴから解放する試みが行われている。アバドは11枚のピンクの大理石にジオロの刺青がある手を再現し、幽霊のように彷徨いながら自身の体を取り戻そうとするジオロを哀悼する記念碑に作り替えた。

会場風景より、ピオ・アバド《ジオロの嘆き》(2023) 撮影:筆者

アーティストが美術館コレクションに介入し、疎外され、説明されず、無視され、忘れ去られてきた品々を再文脈化するという方法論自体は決して新しいものではない。しかしながら通常この手のアプローチで陥りがちな過去の歴史を非難する攻撃性よりも、アバドの場合は瞑想のように内省的かつ控えめな印象を与える静謐さがユニークだ。

ジャスリーン・カウル

続く展示室は、グラスゴーのトラムウェイでの個展「Alter Altar」がノミネートした、ジャスリーン・カウル。ファウンドオブジェを中心としたインスタレーションに、複数の作品から音楽や音が聞こえる賑やかな会場だ。

会場風景 撮影:筆者

まっすぐ伸びる巨大なアクスミンスター織りのカーペットの頭上には、青空を模した透明のパネル《Bagampura》(2023)が広がる。カウルの生活やアイデンティティにまつわる25の品々――インドの極右団体RSSのビラ、インド独立運動の英雄バガト・シンの未完成のジグソーパズルなど政治的なものから、スコットランドの1ポンド紙幣、ターメリックで汚れた付け爪など多岐にわたる――が優劣なく平等に同じ青空に散らばっている様子は、シク教の根幹でもあるカースト制度の否定を連想させる。

会場風景より、ジャスリーン・カウル《Bagampura》(2023)。スコットランドの国民的炭酸飲料「Irn-Bru(アイアンブルー)」とインド独立運動の英雄バガト・シンの未完成のジグソーパズル 撮影:筆者

パンジャブ州モガのイスラム教徒とシーク教徒のコミュニティ間の土地返還を撮影した拡大写真の上には、植民地時代のインドを象徴する楽器であるハルモニウムが自動演奏され、断続的に不協和音を奏でる。

会場風景 撮影:筆者

カーペットの先を進んだ奥には、綿花貿易を象徴するレース網みの特大ドリーに包まれたヴィンテージの赤いフォード・エスコートが現れる。カウルによれば、これは「父親が最初に購入した車と父親の出稼ぎ願望」を象徴している。思い出のドライブミュージックなのだろうか、カーオーディオからは不定期にインドのものであろうポピュラー音楽が流れる。

会場風景より、ジャスリーン・カウル《Sociomobile》(2023) 撮影:筆者

また、車の背後にある家族の思い出の写真は、カウルのインターカルチュラルなアイデンティティとその葛藤を顕著に表している。スコットランドの国民的炭酸飲料「Irn-Bru(アイアンブルー)」を連想させるオレンジ色の樹脂に包まれた家族写真は、ところどころちぎったロティ(ナンのような平たいパン)の切れ端によってカウル以外の顔の判別を困難にしている。

会場風景より、ジャスリーン・カウル《Untitled》(2023) 撮影:筆者

面白いことをしているという確信を抱かせるいっぽう、それぞれのオブジェが特定のコミュニティで共有されている歴史や物語と強く結びつき、時には作家個人のパーソナルな記憶にも及ぶという意味では、筆者を筆頭にそのコミュニティの外にいる人々にとっては取っ付き難い印象は否めない。

デレーヌ・ル・バス

続くデレーヌ・ル・バスは寓話的な没入型のインスタレーションを3章構成で展覧。ウィーンのセセッション館での個展「Incipit Vita Nova. 新しい人生の始まり/新しい人生が始まっている(Incipit Vita Nova. Here Begins The New Life/A New Life Is Beginning)」がノミネートしたル・バスは、祖母の死をきっかけに、同胞たちに思いを巡らす心象風景の旅に誘う。

会場風景より、デレーヌ・ル・バス《マーレイ》(2023) 撮影:筆者

第1の部屋「混沌 (Chaos)」の入口でチャールズ・ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』に出てくる亡霊マーレイに迎えられた鑑賞者は、その後オカルティックな祭壇を目撃する。オーガンジーで仕切られたテントからは謎めいた激しい音楽が流れ、死者復活の儀式をとり行っているような切迫感と混乱は、まさしくカオスだ。

会場風景より、デレーヌ・ル・バス《カオス》(2023) 撮影:筆者

第2の部屋「黙想(Reflection)」は、アルミ箔反射シートが壁一面を覆い、静謐でミステリアスな雰囲気に一変する。さながら生者と死者が交わる場といったところだろうか。湖に浮かぶ月を覗き込むように、ふたりの人物(ひとりは頭部に馬のマスクを被っている)が野原を駆ける映像作品《Incipit Vita Nova》(2023)が鎮座する。

会場風景より、デレーヌ・ル・バス《Incipit Vita Nova》(2023)  撮影:筆者

第3の部屋「上昇(Ascension)」は、巫女の足跡に招かれ、神殿へ辿り着く。カラフルで明るいペイントと、軽やかに揺れるオーガンジー生地は、死を受け入れ、再出発へと向かう明るい希望を感じさせる。

会場風景より、デレーヌ・ル・バス《ピュティアー(汝自身を知れ)》(2023) 撮影:筆者

そして壁に描かれた「汝自身を知れ」によって、この場がデルフォイのアポロン神殿を模したものだとわかる。「どこから、なぜ、何のために生まれてきたのか」あるいは「どう生きていくのか」、親近者の死を通じた自らのルーツを再考する旅路だったことが明らかになる。

会場風景より、デレーヌ・ル・バス《珊瑚》(2023)と《汝自身を知れ》(2024) 撮影:筆者

没入度合いとインパクトという観点では群を抜いており、短時間のあいだに長い旅をしたような気さえする。惜しむべきは、展示を一部再構成した弊害だろうか。死、喪失、再出発という卑近で人類共通のテーマが前面に立ち上がってくるものの、作家が述べるところの「ジプシー、ヒッピー、パンク」の美学が見えにくくなっていた。

クローデット・ジョンソン

最後の展示室を飾ったのは、ロンドンのコートールド・ギャラリーでの個展「プレゼンス(Presence)」とニューヨークのオルチュザー・プロジェクツでの「ドローン・アウト(Drawn Out)」がノミネートされたクローデット・ジョンソン。

会場風景 撮影:筆者

大掛かりなインスタレーションと物量が圧倒的だったほか3名とうってかわって、ドローイングがメインのオーソドックスかつ質素な展示室には虚をつかれる。しかし、ジョンソンが描く自由闊達でパワフルな線からは、この広い空間に比肩を取らない力強いエネルギーを感じる。

会場風景より、クローデット・ジョンソン《Protection》(2024) 撮影:筆者

現在65歳のジョンソンは、イングランド中部のウェスト・ミッドランズで1979年に興ったBLKアート・グループと呼ばれるブラックアートの運動に深く関わっていた(2017年にターナー賞を受賞したルバイナ・ヒミッドも同メンバー)。キャリア初期には主に黒人女性の存在に光を当てることをライフワークとしていたが、近年では黒人男性のポートレートにも取り組んでいる。友人や親戚の姿、あるいは自画像を通じて、西洋美術史で周縁化されてきた黒人表象を復権しようとする姿勢は30年以上変わらない。

パステルとガッシュ、ときには油絵を組み合わせた彼女のドローイングには、コインの裏と表のように、黒人であること、黒人として生きることの「肯定と祝福」、「困難と葛藤」が共存している。

会場風景より、クローデット・ジョンソン《Figure in Blue》(2018) 撮影:筆者

2020年、アメリカで黒人男性が白人警官の暴行により死亡したジョージ・フロイド事件をモチーフにした《Pietà》(2024) では初めて樹皮布を支持体として利用するなど、いまだに新しい制作方法の研究に余念がない。ファイナリストの中では最年長者であるが、進化する作家であり続けている。

会場風景より、クローデット・ジョンソン《Pietà》(2024) 撮影:筆者

受賞者の発表は12月3日。記念すべきターナー賞40周年の節目に受賞するのは果たして誰なのか注目だ。

伊藤結希

いとう・ゆうき

伊藤結希

いとう・ゆうき

執筆/企画。東京都出身。多摩美術大学芸術学科卒業後、東京藝術大学大学院芸術学専攻美学研究分野修了。草間彌生美術館の学芸員を経て、現在はフリーランスで執筆や企画を行う。20世紀イギリス絵画を中心とした近現代美術を研究。