公開日:2024年5月29日

「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」(東京国立近代美術館)レポート。総勢110名の作家による34のトリオ、その共通点を自由に楽しむ

パリ、東京、大阪、それぞれ独自の文化を育んできた3都市の美術館のコレクションが集結。3点1組、34のトリオを7つの章に分けて紹介することで、20世紀初頭から現代までのモダンアートの新たな見方を提案し、その魅力を浮かびあがらせる

会場風景より、左からアンリ・マティス《椅子にもたれるオダリスク》(1928、パリ市立近代美術館蔵)、萬鉄五郎《裸体美人》(重要文化財、1912、東京国立近代美術館蔵)、アメデオ・モディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》(1917、大阪中之島美術館蔵)

パリ市立近代美術館、東京国立近代美術館、大阪中之島美術館の3館のコレクションから共通点が見出された3点1組を展示するというこれまでになかった展覧会「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」展が東京国立近代美術館で開催中だ。会期は8月25日まで。

会場風景

展示作品は総勢110名の作家による約156点(前・後期合計)。絵画、彫刻、版画、素描、写真、デザイン、映像など多彩なジャンルから34のトリオを組み、テーマやコンセプトに応じて7つの章に分けて紹介される。パリ、東京、大阪での何十回ものオンラインミーティングを経て決定された作品群だ。「3館のコレクションから色彩、素材などの共通点があるものを選びました」と、東京国立近代美術館の横山由紀子研究員。プレス向け説明会では、各都市の綴り「TOKYO」「PARIS」「OSAKA」の太文字部分を抽出して「TRIO」となることはタイトル決定後に発覚したとというこぼれ話も。

展覧会ヴィジュアル
にしうら染による3館の説明パネルから、東京国立近代美術館編

「作品そのものの魅力はもちろん、コレクション展であることを強くアピールしたい」と話すのは、大阪中之島美術館の高柳有紀子主任学芸員。展覧会プロローグは、各館のコレクションの礎となる最初期のコレクションを紹介するトリオ「コレクションのはじまり」。ロベール・ドローネー《鏡台の前の裸婦(読書する女性)》(パリ市立近代美術館蔵、以下パリ)、安井曾太郎《金蓉》(東京国立近代美術館蔵、以下東京)、佐伯祐三《郵便配達夫》(大阪中之島美術館蔵、以下大阪)で、いずれも椅子に座る人物像だ。「見た目で共通点を探せるのが楽しみ方のひとつだが、それ以外にもいろんな共通点を探しながら見ていただけると思う」と高柳は話す。

会場風景より、左からロベール・ドローネー《鏡台の前の裸婦(読書する女性)》(1515、パリ市立近代美術館蔵)、安井曾太郎《金蓉》(1934、東京国立近代美術館蔵)、佐伯祐三《郵便配達夫》(1928、大阪中之島美術館蔵)

7章のうち、1章「3つの都市:パリ、東京、大阪」、2章「近代化する都市」はアーティストが都市をどのように見、いかに表現するかにフォーカス。 オンラインミーティングで何十回と打ち合わせをしても、実際に3点を並べた様子は会場で初めて確認できること。横山は「うまく成立するかドキドキしたトリオがいくつかあった」と振り返るが、2章終盤のトリオ「都市のグラフィティ」もそのうちのひとつだったという。佐伯祐三《ガス灯と広告》(大阪)、ジャン=ミシェル・バスキア《無題》(大阪)、フランソワ・デュフレーヌ《4点1組》(パリ)のによる3点は、本展のなかでもそれぞれの制作年が離れている珍しい組み合わせだが、時代を超え、いまも昔も変わらない都市生活者の忙しい足音や街の喧騒が聞こえてくるようだ。

会場風景より、左からジャン=ミシェル・バスキア《無題》(1984、大阪中之島美術館蔵)、佐伯祐三《ガス灯と広告》(1927、東京国立近代美術館蔵)、フランソワ・デュフレーヌ《4点1組》(1965、パリ市立近代美術館蔵)
会場風景より、ラウル・デュフィ《電気の精》(1953、パリ市立近代美術館蔵)

本展で一際強烈な存在感を放つのは、4章「生まれ変わる人物表現」の冒頭に展示され、本展のちらしにも用いられている「モデルたちのパワー」のトリオ。アンリ・マティス《椅子にもたれるオダリスク》(パリ)、萬鉄五郎《裸体美人》(東京)、アメデオ・モディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》(大阪)、いずれの女性にもディーバ的なパワフルさがあり、3人集まれば主役級の迫力だ。「“横たわる女性”という王道の型からはみ出た力強い表現が特徴です。絵画を成立させる条件は色々ありますが、なによりもモデルがいなければ成立しませんでした。“陰の立役者”ではないモデルたちの姿に注目してほしいです」(横山)。

会場風景より、左からアンリ・マティス《椅子にもたれるオダリスク》(1928、パリ市立近代美術館蔵)、萬鉄五郎《裸体美人》(重要文化財、1912、東京国立近代美術館蔵)、アメデオ・モディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》(1917、大阪中之島美術館蔵)
会場風景より、左からシュザンヌ・ヴァラドン《自画像》(1918、大阪中之島美術館蔵)、ピエール・ボナール《昼食》(1932、大阪中之島美術館蔵)、藤島武二《匂い》(1915、東京国立近代美術館蔵)

同章「人物のコンポジション」では、マリア・ブランシャール《果物かごをもった女性》(パリ)、岡本更園《西鶴のお夏》(大阪)、小倉遊亀《浴女 その一》(東京)が揃う(ブランシャール以外は前・後期で展示替えあり)。このトリオは作品のコンポジションに加え、同じ時期に活動した女性画家による作品という点でも共通点が見られる。後期展示には北野恒富(大阪)の出品があるが、北野について高柳は「作品検証が遅れ、全国的な知名度が低い。そのため“大阪の日本画”にとどまっていますが、本展はその枠を超えて展示されるすばらしい機会になりました」と話す。

会場風景より、岡本更園《西鶴のお夏》(1916、大阪中之島美術館蔵)、マリア・ブランシャール《果物かごをもった女性》(1922、パリ市立近代美術館蔵)、小倉遊亀《浴女 その一》(1939、東京国立近代美術館蔵)

北野の作品のように本展では大抜擢された作品もいくつかあり、知られざる作家・作品の魅力を知る貴重な機会にもなりそうだ。たとえば3章「夢と無意識」のトリオ「空想の庭」で《椿と仔山羊》が紹介される辻永(つじ・ひさし)は、父の影響で植物画家を目指したことのある画家で、所蔵先の東京国立美術館では今回初めて作品が展示されている。6章「響きあう色とフォルム」内、「色彩とリズム」で田中敦子(東京)、ソニア・ドローネー(パリ)とトリオを組む菅野聖子(大阪)も具体美術協会の作家だが、これまであまり大々的に取り上げられてこなかった。「とても繊細で理知的な画面」と高柳は評する。

会場風景より、左から辻永《椿と仔山羊》(1916、東京国立近代美術館蔵)、ラウル・デュフィ《家と庭》(1915、パリ市立近代美術館蔵)、アンドレ・ボーシャン《果物棚》(1950、大阪中之島美術館蔵)

横山が「解説に縛られることなくそれぞれの視点で自由に楽しんでほしい。私たちが見えない視点もあるので皆さんの視点を大切にしてほしい」(横山)という本展は、コレクション・共通点という制約がありながらも、時代や西洋・東洋といった枠組みを超えた自由な組み合わせが実現。初対面の作品たちがステージに立って合唱する発表会のような晴れ晴れとした趣があったり、異種格闘技戦のような緊張感があったり、関わり合いのない作家の共通の問題意識が垣間見えたりと、34トリオ個別の鑑賞体験があり楽しい。例えるならば、意外な食材の組み合わせのおかずが詰められた幕の内弁当といったところだろうか。「見て、比べて、話したくなる」という親しみやすいキャッチコピーに違わず、気負わず誰かと感想を交わしながら見るのにぴったりの展覧会だ。

会場風景より、左からヴィクトル・ブローネル《ベレル通り2番地2の出会い》(1946、パリ市立近代美術館蔵)、ルネ・マグリット《レディ・メイドの花束》(1957、大阪中之島美術館蔵)、有元利夫《室内楽》(1980、東京国立近代美術館蔵)
会場風景より、左から辰野登恵子《UNTITLED 95-9》(1995、東京国立近代美術館蔵)、セルジュ・ボリアコフ《抽象のコンポジション》(1968、パリ市立近代美術館蔵)、マーク・ロスコ《ボトル・グリーンと深い赤》(1958、大阪中之島美術館蔵)
会場風景より、左からファウスト・メロッティ《対位法 no.3》(1970、大阪中之島美術館蔵)、北代省三《モビール・オブジェ(回転する面による構成)》(1953、東京国立近代美術館蔵)、手前がアレクサンダー・カルダー《テーブルの下》(1952、パリ市立近代美術館蔵)

本展のグッズ記事はこちらから

野路千晶(編集部)

野路千晶(編集部)

のじ・ちあき Tokyo Art Beatエグゼクティブ・エディター。広島県生まれ。NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、ウェブ版「美術手帖」編集部を経て、2019年末より現職。編集、執筆、アートコーディネーターなど。