「横尾忠則 寒山百得」展が、9月12日~12月3日に東京国立博物館 表慶館にて開催される。
長い芸術家人生を誇る横尾忠則(1936年兵庫県生まれ)にとって、最大規模のシリーズとなる「寒山拾得」シリーズの完全新作102点を一挙初公開する。
*横尾忠則が本展について語った記者会見でのコメントはこちら
「寒山拾得」とは、中国・唐の時代に生きた伝説的なふたりの詩僧「寒山(かんざん)」と「拾得(じっとく)」のこと。世間の規範から逸脱した姿や奇行ぶりは「風狂」ととらえられ、日本、中国では伝統的な画題となってきた。近代以降は森鴎外や夏目漱石ら文学者たちにとっても憧憬の対象であった。
そんな「寒山拾得」をテーマにした作品を、約100点を展示するので「寒山百得」。本シリーズは2021年9月から2023年2月までの約1年半ほどの期間に集中的に描かれており(最後の1点だけ6月)、なんと1日に3点描いた日もあるというから驚きだ。
横尾が寒山拾得をモチーフにした作品を初めて発表したのは2019年。曾我蕭白の代表作である《寒山拾得図》にインスパイアされたものだった。そこから継続的にこの画題に取り組み、新型コロナウイルス感染症のパンデミックの時期には外部との接触を極力避け、さながら寒山拾得の脱俗の境地のごとく、ひとりアトリエで制作に没頭したという。
それぞれの作品には制作した日付が記されており、基本的に制作順に展示されている。「自由」に見てほしいという横尾や美術館の思いから、作品横にキャプションや説明はない。
最初の作品は「2021-09-03」だ。続く「2021-09-09」には、エンゼルスの大谷翔平選手が描かれていて面白い。本シリーズは、横尾が同時期にメディアを通して見たのであろうスポーツに関するイメージも度々登場する。
本展に先駆けて4月に開催された記者会見で、横尾はこのように話している。
「今年86歳になりまして、100点も描けるのかな、えらいことになってしまった、これは相当なスピードを出して描かないと間に合わないと思いました。だからもう、アーティストを辞めてアスリートになろう、と。頭で考えるのではなくて、体で考える。脳みそを体のほうに移動しまして、僕はそれを”肉体脳”と呼んでいます」
伝統的な寒山拾得では、寒山は巻物を、拾得はほうきを持つ姿が定番として描かれる。しかし横尾はこれを独自に解釈。巻物はトイレットペーパーに、ほうきは掃除機に置き換えられているものも。さらにトイレットペーパーからの連想でトイレの便器もしばしば登場し、それは現代アートの重要作家マルセル・デュシャンの《泉》を思い起こさせる。
このようにイメージは連想が連想を生み、古今東西のモチーフが画面に呼び込まれ、そこからさらにメタモルフォーゼしていく。時期によっては同一の構図を様々な描き方で繰り返し試していることもあるが、102点の寒山拾得は、同じテーマとは思えないほどじつに多様な作品になっている。
マネの絵画から、アルセーヌ・ルパンにドン・キホーテ、サッカーワールドカップ、東京五輪の誘致で沸き立つ政治家まで……。ときに世相を交えながら、時空を超えて、変気し、自由に飛び回る寒山拾得の姿はなんとも楽しげだ。
キャプションがない本展だが、時折壁には文字が見える。これは横尾が2019年から2021年にかけて書いた小説『原郷の森』(文藝春秋、2023)の一説だ。本作では、デュシャン、ウォーホル、葛飾北斎、三島由紀夫、黒澤明、さらには宇宙霊人まで、様々な人物が時空を超えて語り合う。本シリーズ直前に着手されたこの小説も、本展とのつながりがあるものとしてチェックすると、より楽しめるだろう。
揺れ動くような線の集積によって描かれた作品は、ふたりや周囲が「渾然一体」として溶け合っている。ほかにも組体操するような姿で描かれたものや、複数人が組み合わさったもの、画面に「FUSION」と描かれた作品などもあり、こうした融合・渾然一体の状態は、本作シリーズ制作中の横尾を強くとらえたイメージなのだろう。
渾然一体の作品に見られるように、柔らかく優しいタッチが印象的な本シリーズ。こうしたスタイルを、横尾は「朦朧体」と呼ぶ。朦朧体とは近代日本画壇で使われてきた言葉だが、横尾にとっての朦朧体は、自身の身体性と密接に関わるものだ。2015年に発症した難聴によって視界や頭のなかまで不明瞭になったことから、事物の境目や夢と現実までもが曖昧になったという。また座って描くことが増えたために画面の上下での密度に差が生まれ、腱鞘炎になったりしたことが線の柔らかさにつながった。
こうした身体の変化は一般的にはマイナスなものとしてとらえられがちだが、横尾はある種の不自由さを味方につけ、過去や規範にとらわれない自由なスタイルを新たに獲得したとも言える。その柔軟で変化の中に身を置く生き生きとした描き方・生き方には、見ているこちらも元気がもらえる。
最後の1枚は、まさにこの朦朧体が極まったような1枚。緩やかに解け、踊るような線の解放感が印象的だ。
80代後半にして、最大シリーズを短期間で描ききり、新境地を切り開いた横尾忠則。その画家としての真髄に触れることができる展覧会だ。
また本展はグッズも大充実。Tシャツやバッグ、マグネットといった定番のものから、特別感のあるブランケットやスケートボードまで。鑑賞者をワクワクさせるサービス精神が最後の最後まで満載だ。
なお本館では、本展の関連年企画として、特集「東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ―」も展示中。東京国立博物館が誇る、中国、日本で描かれた「寒山拾得図」を一堂に集めた展示なので、ぜひ合わせて見てほしい。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)