「横尾忠則 寒山百得」展が、9月12日~12月3日に東京国立博物館 表慶館にて開催される。
本展は、現代美術家・横尾忠則(1936年兵庫県生まれ)が「寒山拾得」を独自の解釈で再構築した「寒山拾得」シリーズの完全新作101点を一挙初公開する。
寒山(かんざん)と拾得(じっとく)とは、中国・唐の時代に生きた伝説的なふたりの詩僧のこと。その奇行ぶりから「風狂」ととらえられ、日本、中国では伝統的な画題となってきた。
そんな寒山拾得を描いた101点が並ぶので、「寒山百得」。横尾のシリーズとしては最大規模のものとなる。
本展に関する報道発表会が4月20日に東京国立博物館で行われ、横尾忠則と松嶋雅人(東京国立博物館 学芸研究部調査研究課長)によるトークセッションが行われた。その様子をレポートしたい。
「寒山拾得」シリーズは、コロナ禍を挟む3年にわたって制作された。パンデミックのあいだ横尾は、寒山拾得が達した脱俗の境地のように、俗世から離れたアトリエで創作活動に勤しんでいたという。作品にはそれぞれ、描かれた日付がタイトルに付され、会場では基本的にこの順序に沿って展示されるという。
報道発表会で最初に登壇した同館の松嶋雅人は、「自由」「縦横無尽」「ワクワク」といった言葉をたびたび使って本展を説明した。なるほど、今回公開された図版を見るだけでも、その型にはまらない自由な描きぶりが見て取れる。
横尾が描く寒山と拾得は、ときにドン・キホーテや女性の姿で描かれていたり、キュビズムのように幾何学的図形に還元されていたりと、まさに百変化。
「寒山と拾得のふたりは、伝統的に怪しげに笑う表情の絵が多い。寒山は手に巻物を持ち、拾得がほうきを持つ姿が定番的な表現です。ふたりが実在したかは定かではありませんが、後世の人々はその脱俗的な振る舞いや生活に憧れてきました。日本でも室町時代以降、数多く描かれ、近代以降は森鴎外や夏目漱石ら文学者たちにも取り上げられ、強い憧憬が向けられました」(松嶋)
横尾はこうした寒山拾得を独自に解釈し、様々な造形を生み出しながら新たな寒山拾得像を切り開いている。時に寒山の巻物はトイレットペーパーに置き換わったりと、心をくすぐるユーモアも楽しい。
個性的な101点だが、そこには連続性もあるという。
「これらの作品には、同じモチーフが連鎖していく様子も見られます。かたちがシークエンスをつくり、作品がつながっていきます」(松嶋)
面白い例は、《2022-11-03》。こうした幾何学的な形態でふたりが描かれた作品について、横尾からは「AI」や「ロボット」という言葉があったという。そして足元を見ると、サッカーボールらしきものがあるのがわかるだろう。「日付からおわかりのように、この時期はちょうどサッカーワールドカップが開催されていました」(松嶋)。その時々の横尾の意識が反映された、どこか日記的な側面もあるのかもしれない。
さらに《2022-12-01》にもボールを蹴るような姿が受け継がれているが、このボールはまるで地球のようで、時空を超えた大きなスケールを感じさせる。
さらに幾何学図形を描く姿が《2022-12-29》にも登場。 仙厓(1750〜1837)の有名な《○△□ (まるさんかくしかく)》も思わせる。ここでも足元に地球のようなボールが。
《2023-01-15》では、水墨画に描かれた山の稜線が寒山拾得の体になっている。人間が山となる壮大な本作は、人の存在や一般的な概念にとらわれない自由闊達さが魅力だ。
「肩の力を抜いて、自由に、縦横無尽に、常識にとらわれない横尾さんの世界をご覧になってください」と、松嶋は解説を締めくくった。
続いて松嶋と横尾によるトークセッションが始まった。
なぜ今シリーズは、アーティスト活動において最大規模のシリーズとなったのだろうか。横尾はこのように語る。
「(寒山拾得がテーマだが)そのままやってもおもしろくないと思って、拾(十)を百にしてみようと。僕がいちばん調子が良かったのが、50代〜60代のとき。その頃でも1年に30〜40点ほどしか描けなかったんです。でも今回は百得と名付けた以上、100点に挑戦してみようと。今年86歳になりまして、100点も描けるのかな、えらいことになってしまった、これは相当なスピードを出して描かないと間に合わないと思いました。
だからもう、アーティストを辞めてアスリートになろう、と。頭で考えるのではなくて、体で考える。脳みそを体のほうに移動しまして、僕はそれを”肉体脳”と呼んでいます。
去年の夏に急性心筋梗塞になり、手術をしなければいけなくなったときは、もうこれは間に合わないかなと思いました。ただ医師の先生から『2週間だけ休んでください』と言われて、そのあいだはものすごく長く感じました」。
本シリーズが同テーマに基づきつつも、じつに個性豊かな作品群になったのはなぜだろうか。
「たくさん描くためには、自分の固有の様式を持っているとダメだなと思いました。多義的な人間となり、僕自身が寒山拾得にならないといけない。
描いていくと、今日と明日とで気分が変わっていく。すると作品も複数化し、モチーフも変わっていった。それがまさに寒山拾得ではないかと思いました。アルセーヌ・ルパンのように寒山拾得を変装の名人にさせようと。女ルパンになったりしていますね。
僕だけでなくすべての人間は、自由を求める気持ちが非常に強い。自由とは何かというと、それは多様性だと思うんです。多様性を採用できる精神。そう思ったら、僕の中の多様な寒山拾得を描けばいいんだとわかりました」(横尾)
アスリートのつもりになるということは、子供の精神にも近いと横尾は語る。
「幼児性や子供性をはっきりと自覚して、その精神を取り戻さなければいけない。ピーターパンや、ハックルベリー・フィンになったような感じで」(横尾)
松嶋が、横尾の展覧会には子供や若者がたくさん来館してくれるのではないかと期待していると伝えると、「若い人は全部ライバル。ちっちゃい子供も小学生も全部ライバル」と横尾が即答し、会場からは笑いが。しかし「学ぶとすれば子供から。むしろ先生だと思っている」という言葉からは、創造の源にある尽きぬ好奇心や学びへの意欲が溢れ出るようで圧倒される。
さらに、博物館からは今年の7月頃までに全作の制作を終えるよう依頼されていたところ、横尾は昨年末の時点でほとんど描き終えてしまったというエピソードや、「完全新作」と謳っているが開幕時にはもう自分にとっては「過去作」になっていると思うというコメントなど、横尾のパワフルで未来志向の発言が続々と飛び出した。
「かつては”自分”を持っていないと描けなかったが、いまは”自分”を消さないと描けなくなってきた。僕に残った時間は絵だけ。いままでは生活の中でお芝居を見るなどほかにやることがあったけど、いまは絵を描くことが生活。生活と芸術がひとつになってしまった。それが残された僕の人生のテーマになったのかなと思います」(横尾)
なお、関連企画として、9月12日~11月5日、東京国立博物館 本館特別1室にて、同館が所蔵する、中国と日本で描かれた「寒山拾得図」を一堂に集めた特集「東京国立博物館の寒山拾得図―伝説の風狂僧への憧れ―」も開催される。合わせて楽しみたい。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)