近年、国内外で急速に再評価が進むアーティスト、田名網敬一(たなあみ・けいいち)。多種多様なモチーフと極彩色で埋め尽くされた作品は、その世界にあっという間に取り込まれてしまいそうな迫力と、一度見たら忘れられない不思議な魅力を放つ。
絵画、コラージュ、立体作品、アニメーション、実験映像、インスタレーションなど、60年以上にわたる縦横無尽な創作活動を、「記憶」をテーマに総覧する初めての大規模展「田名網敬一 記憶の冒険」が、国立新美術館で開催されている。会期は8月7日〜11月11日。
本展は、田名網が綴る幼少期のエピソードと、最新作のインスタレーション《百橋図》で構成された「プロローグ」からスタート。11もの章立てで膨大な創作の変遷を丁寧にたどり、最後はアートディレクションを手がけたコラボレーションアイテムの数々と、インタビュー映像が流れる「エピローグ」で締めくくられる。
彼の創作活動に通底するのは、生まれ育った東京で経験した第二次世界大戦や生と死のイメージ、戦後の日本へ一気に流入してきたアメリカの大衆文化やカウンターカルチャー、そして古今東西の美術との出会いだ。
田名網は、1950年代後半、武蔵野美術学校(現:武蔵野美術大学)デザイン科に在学中から、グラフィックデザイナーとしてキャリアをスタート。1960年代、アンディ・ウォーホルの活動に触発され、複製され広まっていく印刷物に関心を持つ。
第1章「NO MORE WAR」は、1965年に銀座の画廊で発表した最初期のシルクスクリーン作品「ORDER MADE!!」シリーズや、翌年、初版2000部のすべてをオリジナル作品として出版した書籍『田名網敬一の肖像』、当時手がけた様々なポスター、アクリル絵具で描いた金魚がモチーフの絵画などを展示。
大学では、現在も親交がある現代美術家の篠原有司男や、三木富雄、赤瀬川原平らと出会っており、彼らと行動をともにしながら、美術家としてもグラフィックデザイナーとしても、すでに独自の表現活動に取り組んでいたことが伝わってくる。
博報堂の制作部勤務を経てフリーランスになると、多忙な仕事の傍らでコラージュ作品の制作に取り組む。1969年にアーティストブック『虚像未来図鑑』を、写真家の原栄三郎との共著で出版。テレビや雑誌、新聞などで情報が氾濫し始めた日本社会の有様を視覚的にとらえようと試みた。第2章の展示空間には、当時の膨大なコラージュ作品の一部が展示されている。
いっぽうで、1975年には日本版の月刊『PLAYBOY』創刊に際して、初代アートディレクターに就任。見開き全面印刷を多用した斬新なエディトリアル・デザインは、現代の雑誌のイメージを裏切るアートブックのようだ。田名網は雑誌や広告などの仕事を通じて、日本のアンダーグラウンドなアートシーンを牽引していった。
雑誌や広告の仕事で多忙を極めていたであろう1965~75年、田名網は驚くことに自ら映像制作を学び、アニメーション作品をいくつも手がけている。第3章の展示スペースでは、コラージュのような切り絵によって制作された素材の数々と、実際のアニメーション作品7本を鑑賞できる。
1本あたり3~4分前後、長くても8分程度の作品で、当時のポップ・カルチャーや欧米のイメージ、金魚や白人の金髪女性といった、後の田名網作品にも登場するモチーフとの関連性や、音楽なども印象的だ。
また田名網は、実験的な表現の映像作品にも取り組み、これまでに70本以上を手がけてきた。第6章「エクスペリメンタル・フィルム」では、1975年、80年代、2000年代と、映像作家の松本俊夫(1932~2017)や、相原信洋(1944~2011)らと断続的に制作した作品群を鑑賞できる。
大きなスクリーンで見られる滅多にない機会なので、時間に余裕をもって訪れてほしい。田名網の独特な作品世界に没入するような感覚を味わえるだろう。
1981年、激務がたたって4ヶ月近く入院した田名網は生死をさまよう。薬の強い副作用で夜ごと幻覚や夢にうなされるが、それらをノートに書き留め、退院後の創作活動へとつなげた。
第4章「人工の楽園」では、1970年代の作風から一変し、幻覚や夢で見たイメージや、1980年に中国へ旅をして以来、傾倒していった神仙思想、鶴と亀といったアジアの吉祥文様などをモチーフに、より緻密な表現へと進化した大判のシルクスクリーン作品や絵画、幻覚と幼少期に遊んだ積み木の記憶から想起したという大小様々な立体作品が展示されている。
続く第5章「記憶をたどる旅」では、1990年代頃から継続して取り組んだという、自身の「記憶の検証」のためのドローイングから展開した絵画作品を展示。
まるで田名網の無意識や、深層心理の奥深くへと迷い込んだかのような表現の数々は、第7章「アルチンボルドの迷宮」、そして第8章「記憶の修築」で、さらなる迷宮へといざなわれるかのように、巨大かつ極限まで緻密に描き込まれた、極彩色の絵画やインスタレーションへと展開する。
第8章「記憶の修築」、そして第9章「ピカソの悦楽」に展開された作品群は、田名網が所属するギャラリー、NANZUKAのスペースで2020年代に発表されたもの。つまり、80代を迎えて以降、ここ数年の間に手がけた作品ばかり、という事実に、驚かずにはいられないだろう。
本展の終盤、第10章「貘(ばく)の札」は、柱のない大空間を活かし、2000年代以降に手がけた大画面の絵画や、FRPなどを用いた巨大な立体作品、デジタル・アニメーションを一堂に展示している。
ここまでの膨大な展示を振り返ると、田名網でなければ展開し得なかった多種多様な作品群の背景に、自身の強烈な固有の記憶と、これまで出会ってきた無数の表現の記憶が、膨大に蓄積され渾然一体となって存在してきたことが窺えるだろう。
アンディ・ウォーホルに始まり、マリリン・モンローやエルヴィス・プレスリー、ビートルズといった時代のアイコンたち、DCコミックスに登場するスーパーマンやバッドマン、戦闘機や宇宙船など、アメリカ大衆文化の象徴の数々は、現在まで繰り返し描いている。
インスピレーションのモチーフとなった美術作家も、パブロ・ピカソやジュゼッペ・アルチンボルドだけではない。
サルバドール・ダリ、ジョルジョ・デ・キリコ、エドヴァルド・ムンク、葛飾北斎や曾我蕭白、伊藤若冲、そして最新作《森の掟》では、アンリ・ルソーもだ。
続く第11章「田名網敬一×赤塚不二夫」では、ほぼ同世代であり敬愛してきた漫画家、赤塚不二夫(1935~2008)が描いたキャラクターらをオマージュした作品群を展示している。
これほどまで時代もジャンルも問わず、縦横無尽の表現と協働を展開できる稀有なアーティストは、後にも先にも、もう現れないのではないか。そう考えずにはいられない。
齢を重ねるごとに、描写の密度も、大画面から発せられるエネルギーも、ますます増大しているかのような田名網敬一の作品群。じっくり見るには時間も体力も必要だが、筆者はなぜか不思議と、見れば見るほどパワーをもらえたような鑑賞体験だった。
なお、展示室を抜けた先には特設ショップが登場。本展のために製作されたオリジナルTシャツや缶バッジ、刺繍ワッペン、トートバッグなどが多数展開されている。特集記事をぜひチェックしてほしい。
「死を意識すればするほど、生への意識も強くなる」と田名網は語っている。死を意識し、いまを貪欲に生きているから、これほどまでに作品が生命力に満ち溢れているのだろう。米寿を迎えた稀有なアーティストの足跡を、ひとりでも多くの方に展示室で目の当たりにしてほしい。
Naomi
Naomi