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国内外で大きな注目を集める現代アーティスト、今津景(1980〜)。その初の大規模個展「今津景 タナ・アイル」が1月11日〜3月23日に東京・初台にある東京オペラシティ アートギャラリーで開催される。
今津が手がける様々なモチーフが混交し重なり合う複雑でダイナミックな作品は、現代における絵画表現の新たな地平を切り開くものとして2010年前後から注目を集めてきた。
特徴としてよく知られるのは、インターネット等で採取した画像をPhotoshopで加工しながらコンピュータ上で構成を練り、その下図をもとにキャンバスに油彩で描くという手法だ。最近では2020年、現代における絵画表現を後押しするフランスのPrix Jean François Pratでファイナリストに選出されたほか、22年に「ドクメンタ15」(カッセル、ドイツ)に参加するなど国際的に活躍している。
作家にとっての大きな転機は、2017年にアーティスト・イン・レジデンスをきっかけにインドネシアへ活動の拠点を移したこと。同地での生活や、歴史や神話をも題材としながら制作を重ね、大きな飛躍を遂げてきた。本展は新作を中心に、過去作品と合わせてその制作の全貌を紹介するものだ。そこに溢れる膨大なイメージは、地球環境問題やエコフェミニズム、植民地主義など、様々な要素や現代的な問題意識を含んでいる。
最初の展示室に入ると、少し落とされた照明のなかで大きな洞窟の写真が目に飛び込んでくる。右手には血液のようなものが点滴のチューブで循環する構造の立体インスタレーション。ペインターのイメージが強い今津だが、近年はインスタレーションや立体にも取り込んでおり、メディアにおける新たな展開が見て取れる。そして作品のテーマも、インドネシアへの移住とともに大きく広がったという。
「日本にいたときは描き方や手法にこだわっていたけれど、それだけではつまらないと感じるようになっていた。でもインドネシアに行ったら『やりたいことがありすぎる!』と。テーマにしたいことが多くて、自分が足りないと思ったくらい」(今津)。
とくに第二次世界大戦における日本の「加害」の歴史について、インドネシアをはじめとする東南アジアの視点から見直すようになったという。《Anda Disini(You are here)》(2024)の中央には、「GOA,JAPANG」の文字とともに日本軍の兵士が地元の人を使役している様子が描かれている。ゴア・ジパンとはインドネシア・バンドンの北部に位置する洞窟で、かつて日本軍が軍事要塞として使用していた場所。日本軍がインドネシアの人々を“ROMUSHA”として強制的に従事させ、固い岩を掘削するなど作業にあたらせたようだ。2017年にこの地を訪れた作家が感じた恐れと戸惑いが、展覧会のハンドアウトに記されている。
ミクストメディアによるインスタレーション《Bandoengsche Kininefabrik》は、熱帯地帯で主に見られるマラリアとその特効薬として知られるキニーネを題材にした作品。キニーネは第一次世界大戦から第二次世界大戦にかけて重宝され、その歴史にはオランダや日本による植民地主義が滲む。マラリアを媒介する蚊、そして人間の身体との循環がディストピアSF的な雰囲気で可視化される。
本展のタイトル「タナ・アイル」。インドネシア語でタナは土、アイルは水を指し、このふたつを合わせると「祖国」という意味になるという。最初の展示室に見たように、本展は作家の出身地である日本と、現在の生活の基盤であり、作家のパートナーや子供の出身地でもあるインドネシアというふたつの「祖国」をめぐるものだ。さらに、インドネシア固有の「土」と「水」という自然環境をめぐるものでもある。
作家のパートナーであるバグース・パンデガによる作品《Yesteryuears》(2023)は、3Dプリンター、泥などによるインスタレーション。本作と、それを囲むように配置された今津の作品たちは、インドネシアにあるシドアルジョという世界最大の泥火山に題材を取ったもの。この泥火山の噴火によって家を失った人々に家の形を聞き取り、それを3Dプリンタで再現することを試みたのが《Yesteryuears》だ。
泥火山の真南を流れる川と、その地域で盛んだというエビ養殖に着想を得た今津の絵画も面白い。
そもそもこの泥火山の噴火は、天然ガスの掘削作業を行なった会社が引き起こした「人災」としての部分が大きいという。この構図は、日本での東日本大震災と原発事故に関わる一連の出来事とも重なるだろう。「失われてしまったもの」にいかに向き合い、再生するのかといったテーマは、今津が2015年の個展「Broken Image」(山本現代)で発表した一連の絵画とも通じる。このときの作品は、廃仏毀釈によって遺棄された仏像や、紛失や戦争で消失した絵画作品などをモチーフとし、ものの「存在」や再生を探究するものだった。
長い通路状の展示室に展示された《Lost Fish》も作家の「失われたもの」への関心を反映した作品。様々な魚が描かれた絵が並んでいるが、これらは「世界一汚染された川」と呼ばれるチタルム川にかつて生息していた魚の図版をもとに描かれた。繊維工場が垂れ流す有毒廃棄物や生活排水、ゴミの投棄によって、川に住む魚の6割が死滅してまったという。汚染された水と土、それでもそれらとともに生きる人々。グローバル規模の環境問題と、いち生活者の小さな暮らしの重なり合いが、この地にどうすれば根付くことができるかを模索する異邦人の視点から表現されている。
本展で圧巻なのは、大きな展示室で展開される神話「ハイヌウェレ」にインスピレーションを得たセクションだ。フェミニティや体温を感じさせるピンク色の床が広がり、入り口には鑑賞者の侵入を阻みつつも歓迎するかのような鉄製のゲートが。その先には巨大な絵画や、空中に吊るされた骨のオブジェ、地母神のような柱像、植物や身体の一部を模したオブジェなどが展示されている。
インドネシア・セラム島の神話に登場するハイヌウェレとは、ココナッツから生まれ、自分の排泄物から異国の宝物を生み出す力を持つという女性の名前。最初はありがたがられたが、やがてその神秘的な力を恐れた男たちによって生き埋めにされてしまう。しかし彼女の遺体が切断し土地に埋められると、そこからタロ芋やヤムイモといった様々な芋が育ち、島の人々を支えたといわれる。
作家はこの神話を、インドネシアで経験した自身の出産と結びつけながら、植民地主義の歴史やフェミニズムといった文脈を通して独自に解釈した。
会場で配布されるハンドアウトにこの神話と作家のインドネシアでの経験が詳しく書かれているが、作家自身は出産後、ジャワ島の伝統に沿って、出産時の胎盤を家族によって庭先に埋めてもらい、そこからヒトデカズラという植物が巨大になるまで育ったという。
ゲート状の作品《SATENE's Gate, Patalima & Patasowa sculptures》の中心にいるのはサテネという神で、ハイヌウェレが殺されたことに怒り、土から掘り起こしたハイヌウェレの腕を掴んでいる。サテネは鉄のゲートを作り、ハイヌウェレを殺した人々にそこを通るように命じたという。今津によるゲート作品では、神の身体の中心にある子宮は芋の花として表現され、母性と豊穣のイメージを喚起する。その周囲に表現されたのは芋であり、縦横に伸びる蔦や葉は生命のエネルギーに満ちている。
食事をすること、排泄すること、そこからまた何かが実り、命を育むこと。こうした自然や生命の「循環」は、本展を通して幾度となく現れるイメージであり、その中心にあるのが「土」と「水」なのだ。そのうえに作家が立ち、自らの生活と制作を密接させながら、作品世界をかたちづくっているように感じられた。神話的スケールを持ちながら、地に足がついた、血の通った作品たちだ。
実際、インドネシアでは周囲の人々とともに子育てをしながら制作がしやすいと今津は言う。作家のスタジオには、家族だけではなく様々なアーティストが集い、制作に励んでいる。絵画以外の立体や彫刻へと広がったメディウムの展開は、こうした周囲のアーティストやコミュニティとの関わりによるところも大きいそうだ。
こうしたインドネシアでの環境が生んだ本展は、今津景という世界で注目を集める作家の勢いと創造性の高まりを全身で感じられる充実の内容だ。強力なイメージやテーマに満ち溢れた、ハイパーエナジェティックな空間をぜひ多くの人に体感してほしい。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)