今津景 「今津景 タナ・アイル」(東京オペラシティ アートギャラリー)会場にて 撮影:編集部(Xin Tahara)
国内外で大きな注目を集める現代アーティスト、今津景(1980〜)。その初の大規模個展「今津景 タナ・アイル」が1月11日〜3月23日に東京・初台にある東京オペラシティ アートギャラリーで開催されている。
インドネシアに拠点を移し、扱うテーマも表現メディアも大きな変化を遂げた作家。新天地での制作と生活、植民地主義や環境問題、フェミニズムへの関心について話を聞いた。
*展覧会レポートはこちら
【チケット割引情報🎫】
Tokyo Art Beatの有料会員機能「ミューぽん」を使うと本展のチケット料金が2名様まで200円引きに。会員ログイン後に展覧会ページからご利用いただけます。詳しい使い方はこちら
──東京オペラシティ アートギャラリーでの個展、素晴らしかったです。
今津 ありがとうございます。美術館での個展は初めてで、オペラシティ アートギャラリーは学生の頃から大好きな美術館だったこともありとても嬉しいです。インドネシアに移住してから日本ではあまり発表していなかったので、作品を見せることができて良かったです。
──2017年にインドネシアでアーティスト・イン・レジデンスを経験され、その後拠点を同地に移されました。その経緯をお聞きしてもいいですか。
今津 所属ギャラリーの山本現代(現ANOMALY)がアート・バーゼル香港に私の作品を出品した際に、インドネシア拠点のロー(ROH)プロジェクトのディレクターであるジュン(ラクサマナ・ジュニア・ティルタジ)が私の作品を気に入ってくれたんです。彼はアートが大好きなやる気にあふれた人で、国際的なアートフェアに参加するようなコンテンポラリーアート・ギャラリーをインドネシアで初めて作ろうとしていたんです。インドネシアといえばルアンルパをはじめとするアート・コレクティヴが盛り上がっていますが、2017年にできたミュージアム・マチャンという美術館を除けば、欧米式の美術館やギャラリーはほとんどないんです。
そんななかジュンがバンドゥン(インドネシアのジャワ島西部にある都市)に巨大な倉庫を借りて、ロー・プロジェクトのアーティストたちを集めたレジデンスを始めることになり、私を誘ってくれました。東南アジアに行くのは初めてでしたが、1ヶ月そこに滞在したらすごく面白くて。
びっくりしたのは、生活と制作が一体になっていること。ギャラリーや美術館がないから、ある程度キャリアを積んだアーティストたちが自分たちでアートスペースを作り、そこに大学を卒業したばかりの若いアーティストたちが集まってきて働いている。あんまりお金がなくても、自分たちで助け合ってサバイブするポジティブなムードが漂っていて。スタジオは広いし、美大卒業後に自宅の六畳一間で絵を描いていた自分の経験とは全然違って、こんなやり方もあるんだなと思いました。
そんな南国らしい雰囲気が気に入ったし、(ロー所属のアーティストである)バグース・パンデガというのちの夫とも出会い、遠距離で過ごすのが耐えられなくなったので、日本の大学での非常勤講師の任期を終えた翌年に移住しました。
──インドネシアで大きいスタジオを持つことができるのは、制作にとってプラスですよね。
今津 そうですね。最初は街中の賃貸物件を借りていたんですが、息子が生まれることもあり、より静かで環境のいい山のほうに移りました。インドネシアは日本と違って建築士の資格などがいらないので、自分で人を雇って建物を建てるんです。だからすごいスピードでスタジオもできました。
──日本拠点のときは、今津さんは絵画の新しいあり方を探求する気鋭のペインターという印象が強かったのですが、インドネシアに移ってからは、バグースさんと協働した機械仕掛けの大型インスタレーションや、鉄のオブジェなども手がけられていますね。
今津 日本にいたとき、私の作品について語られるときは、「フォトショップを用いて構成したイメージを油絵で描きなおして……」というスタイルにばかり注目されていました。もちろん制作方法は私にとって大事なものですが、いっぽうで私がもうひとつの軸としているテーマの部分、たとえば戦争や盗難、火災などで失われてしまったもの、消失したものをモチーフとして扱っているということについては着目されないんだな、という諦めも感じていて。
でもインドネシアに来て気づいたのは、日本にいたときの私は自然とヨーロッパやアメリカをアートの中心だと考えていて、「失われたもの」として描いていたのもエルギン・マーブルやナチスによる盗難品といった西洋的なものばかりだったということ。私がそうしたモチーフを選ぶことに、強い説得力がないなと思ったんです。
インドネシアはイスラム教がマジョリティの国だし、iPhoneなどのアメリカ製品が使えないといった日常的なことから歴史観に至るまで、まったく価値観が違うことに改めて驚きました。第二次世界大戦について考えるときも、日本にいると自分たちを敗戦国や原爆を落とされた被害者という立場としてとらえがちですが、インドネシアからすれば軍事国家だった日本は侵略する側・搾取する側です。そこから、多文化主義や植民地主義についてより考えるようになり、日本や欧米諸国が考える“中心”ではないものへとフォーカスするようになりました。
──個展の最初の展示室も、戦時中の日本軍による暴力と搾取や、戦後まで続く日本やアメリカによる東南アジアの経済的な支配といったことをテーマに含む作品で構成されていましたね。
今津 レジデンスで最初にバンドゥンに来たとき、ゴア・ジパンというかつて日本軍が軍事要塞として使用していた場所に連れて行ってもらい、衝撃を受けました。《Anda Disini (You are here)》(2024)は、ゴア・ジパンで日本軍がインドネシアの人々を強制的に掘削作業などに従事させていたという加害の歴史について扱った作品です。
またバンドゥンで一緒に車に乗っていたインドネシア人の友達が「ほら、インドネシアはまだ日本に植民地化されてるんだ」と言って、窓の外を指さしたことがありました。外を見ると、日本車と日本製のモーターサイクルしか走っていなかった。インドネシアには資源はあるけど自国の大企業が牽引する製造業が強いわけではない。だから資源を日本などの外国に安く売らなくてはならないし、その過程で環境破壊が起こっているんです。パーム油の輸出が盛んですが、戦時中、日本軍は石油不足を補うために油田を求めて当時オランダ支配下にあったインドネシアのパレンバン(スマトラ島南部)を制圧したという歴史的経緯があります。このことをテーマにした作品も作っています。
──先日展覧会場でお話を聞いたとき、「インドネシアに移住してからは、テーマにしたいことがたくさんありすぎる」とおっしゃっていました。戦時中の植民地主義から、現在に至る経済的な搾取構造、そして環境破壊へと、連続的なものとして問題意識やテーマが広がっていったということでしょうか。
今津 そうですね。今回展示した作品でも扱っているチタルム川は、バンドゥンの南側を流れていて、世界一汚染された川だと言われています。バンドゥンは繊維業の町で、世界の名だたるブランドが工場を構えていますが、排水をそのまま川に流すから水質がすごく悪い。さらに廃棄物処理場などのインフラも整っていないのに、ゴミが世界各地から運び込まれているんです。廃棄物を輸入する代わりに石油や金やニッケルといった資源を輸出していて、それがまた森林破壊や土壌や水質汚染の原因になります。スマートフォンに欠かせないニッケルはインドネシアが最大の輸出国なので、ニッケルについても作品にしてみたいなと思っているんです。とにかくグローバルサウスの自然環境と引き換えに、先進国がクリーンに過ごせているという構図が、バンドゥンに住んでいるとよくわかります。
──世界の不均衡を肌で感じていると。
今津 はい。それと脱植民地主義の問題を考えるなかで、“中心”ではなく“周縁”へとフォーカスが移っていったことが、(東南アジア社会史研究者の)倉沢愛子さんや、(美術史家の)若桑みどりさんらのフェミニズムの思想ともつながっていきました。
──《RIB》(2021)はご自身のインドネシアでの経験に加え、若桑みどり『女性画家列伝』、倉沢愛子『増補 女が学者になるとき:インドネシア研究奮闘記』、エリザベス・グロス『カオス・領土・芸術—ドゥルーズと大地のフレーミング』からも着想を得た作品ですね。
今津 そうそう。女性性や母親、それにエコロジーについて、ポジティブなかたちで表現できないかなと考えていたときに、サンフランシスコでギャラリーをやっているジェシカ・シルバーマンと出会ったことが大きかった。彼女はたくさんのクィアやフェミニスト・アーティストを扱っていて、そのなかのひとりである(フェミニスト・アートの創始者と言われる)ジュディ・シカゴに興味を持ちました。だから《RIB》はジュディ・シカゴの《ディナー・パーティ》から影響を受けています。
──なるほど! 《ディナー・パーティ》は歴史上や神話上の様々な女性たちをディナーに招くという設定で、彼女たちのためのテーブルウェアを設えた大型の作品です。《RIB》も『女性画家列伝』で紹介された女性の画家たちの作品をモチーフとして1枚の絵のなかにコラージュした作品で、過去の女性のアーティストたちを絵のなかに招待したとも言えますね。
今津 『女性画家列伝』には、かつて女性たちがいったいどうやってアーティストになって仕事を続けることができたのかが書いてあります。(17世紀イタリアの画家)アルテミジア・ジェンティレスキみたいに父親が画家だったとか、結婚しなくても許されたとか、結婚しても夫がマネージャーに徹していたとか、そういう恵まれた状況にいないと女性は絵のトレーニングも受けられないし仕事を続けられなかった。そういう画家たちを紹介した著者の若桑さん自身が、執筆当時、美術史の道を歩むことが本当にきつかったということも書かれていて、それが面白い。「この人、熱いな!」って。ちょっと読むと……
「(…)私は、女性芸術家の評伝のシリーズを書くことを引き受けてしまった。
軽率にもそのとき私は自分がたいへんな問題に首をつっこんだということがよくわかっていなかった。ところが、第一回のシュザンヌ・ヴァラドンについて調べはじめたときから(略)、私は、今まで一度も味わったことのない気分におそわれた。私はたとえばミケランジェロについて調べてるときにも、十分に彼に共感し、理解し、追体験していたつもりだった。しかし、相手が女性の芸術家であった場合、その理解は両刀のナイフであって、対象を解剖しているかに見えて、それは私の手を切ることが分かった。
具体的にいえば、私は、私生児を生み、その子を母親に預けたことで「男性の」評論家に非難されているシュザンヌについては、確実に彼女の側(*傍点)に立っており、どれほど真摯な女性であっても、いな、真摯な女であればあるほど私生児を生み得るのだ、そして、この自分もまたそうでありえたのだ、と叫ばずにはいられなかった。この叫びが私の心を食い破るのをみて、私はもうすでに”客観的な”歴史家ではあり得ないことを感じた。(略)結局、彼女らの問題は、ことごとく私の問題に他ならなかったのだ」(pp.160-161「あとがき」)
──『女性画家列伝』から40年経ったいまでも、アーティストが結婚や出産、育児などを経験しながら制作を続けていくことの難しさは耳にしますね。
今津 私もインドネシアで子育てしていますが、こちらは子供を育てるにはすごく良い環境です。日本では母親が料理も掃除もせず絵を描いているなんて怒られそうだけど、インドネシアではナニーさんが子供の面倒を見てくれているし、彼女も家族の一員のような存在になっています。このナニーさんの家族も30人くらいの大家族で、その家族たちも手伝ってくれたり、アシスタントとして働いてくれている若いアーティストもパートナーと子供を連れてスタジオのある敷地で一緒に暮らしていたり。若いアーティストも集まってきて一緒に彫刻作品を作ったりと、つねにいろんな人が出入りしている環境なんです。
──それはとてもいいですね。個展では、今津さんのプライベートにおける変化も反映されていますよね。最後の大きな展示室は、インドネシア神話「ハイヌウェレ」(*)に着想を得た作品が中心となり、今津さんの出産・育児の経験と、女性の身体やフェミニティ、そしてエコロジーと生命の循環といったテーマが絡み合っていました。会場のハンドアウトに書かれていた、今津さんが出産時にジャワ島の伝統に沿って胎盤を家族によって庭先に埋めてもらい、そこからヒトデカズラという植物が巨大になるまで育った、というエピソードも興味深かったです。ハイヌウェレの遺体から芋が育ったという豊穣のイメージ、命の再生産ということともつながります。
*——インドネシア・セラム島の神話に登場するハイヌウェレとは、ココナッツから生まれ、自分の排泄物から異国の宝物を生み出す力を持つという女性の名前。最初はありがたがられたが、やがてその神秘的な力を恐れた男たちによって生き埋めにされてしまう。しかし彼女の遺体が切断され土地に埋められると、そこからタロ芋やヤムイモといった様々な芋が育ち、島の人々を支えたといわれる。
今津 そうですね。それと、最初の展示室の作品《Bandoengsche Kininefabriek》(2024)ではキニーネという大戦中に重宝されたマラリアの特効薬をテーマにしていますが、このキニーネは昔、中絶にも使われていたそうです。人の命を救うと同時に奪う側面もあったのかと。マラリアも蚊と人間とを血液を媒介にして循環する病気だし、生と死やその循環ということに興味を持ちました。ハイヌウェレも殺されたあとに、そこから芋が生えてくる。出産を機に生と死が同じ土台にあるということに意識が向くようになりました。
展示タイトルの「タナ・アイル」はインドネシア語で祖国という意味ですが、タナは土、アイルは水を指します。インドネシアにいると植物がノンストップで育ち続ける熱帯の不思議なパワーを感じます。生産力、生命力がすごい。だから、ハイヌウェレは神話の中では死んでしまうけれど、展示は暗い雰囲気にせず、明るくしたい思いました。
──すごくエナジーに溢れた展示になっていました。そもそもハイヌウェレ神話についてはどうやって知ったのですか?
今津 以前、「縄文のビーナス」と呼ばれる土偶について調べていたときに、アドルフ・エレガルト・イェンゼンの『殺された女神』という人類学の本を読んで知りました。やはり世界各地の神話には同じような話があるんですね。土偶も、縄文のビーナスのように体が丸ごと残ったまま発見されることは稀だそうです。なぜなら多くの場合、意図的に割られて、それを畑に植えることで豊穣を祈っていた。『日本書紀』に出てくるオオゲツヒメもハイヌウェレと同じような話で、人々に気味悪がられて体を切断されて埋められてしまう。そこからアワとかヒエが生えてきた、という。大事なものが埋められているというのは、現代のニッケルやオイルなどの資源ともつながるイメージです。
──自分の身体を肥やしに資源(芋)を生み出し人々に与えるハイヌウェレは、自らの土壌や水を危険に晒しながら資源を他国に与えているインドネシアという場所とも重なりますね。
今津 言われてみると確かにそうですね。神話っていうとファンタジーみたいな響きだけど、現在進行形の状況とも似ている。
──でも、たんに悲劇的ではない、生命のポジティブさが展示からは伝わってきて。おそらく土着的な信仰のために作られたであろう彫像も作品に組み込まれていたのが気になりました。
今津 展示室に置いてある彫刻は全部私が集めたもので、妊娠してる姿を表したものなんです。おなかを抱えてたり、おっぱいがちょっと突き出ていたり。インドネシアに渡ってから、妊娠している像を見つけると絶対に手に入れようとしてしまう。
──なぜですか?
今津 さっき話したジェシカのパートナーがサラ・ソーントンという人で、『Tits Up』というおっぱいをテーマにした面白い本を書いているんです。そのなかで、「ヴィレンドルフのヴィーナス」と呼ばれる有名な先史時代の小像は、妊娠した人が自分の自画像として作ったんだ、というようなことが書かれていて。私もインドネシアで妊娠して子供を産んだことで、この像みたいな妊婦の姿にちょっと愛着を持つようになって。なんかかわいいなって。
──妊娠を経て、おっぱいとかそうした形状のものに以前とは違う愛着が湧いてくる気持ちはわかります。では、最後に今後の展望についてお聞かせください。
今津 次はインドネシアのミュージアム・マチャンで個展を開きます。インドネシアにはいま水を汲み上げすぎて地盤が沈んでいくところがあって、それとバタビア号事件と呼ばれる船の歴史的な難破事故を組み合わせた内容を考えています。そのあとはシンガポール・ビエンナーレと、ウズベキスタンのブハラ・ビエンナーレに参加します。ブハラは中央アジアで開催される初めてのビエンナーレになるらしく、面白そうです。作品の輸送は一切しないと方針が決められているので、地元の職人さんたちと一緒に新作を作る予定。東南アジアの次は中央アジアにも自分の視点が広がりそうで、いまから楽しみです。
今津景
1980年山口県生まれ。インドネシアのバンドン在住。2007年に多摩美術大学大学院美術研究科を修了。2009年「VOCA2009」佳作賞、2013年年絹谷幸二賞奨励賞を受賞。
国内では、「六本木クロッシング2019展:つないでみる」(森美術館)や、「あいちトリエンナーレ2019」などの展覧会に参加。2020年フランスの「Prix Jean François Prat」ファイナリストに選出され、2022年には「ドクメンタ15」に参加。2024年には、「昌原彫刻ビエンナーレ」(韓国)、バンコク・アート・ビエンナーレ(タイ)に参加するなど、国内外で大きな注目を集め、精力的に活動を行っている。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)