公開日:2023年8月26日

「あ、共感とかじゃなくて。」展(東京都現代美術館)レポート。共感とかじゃなくて……の後に続く言葉を考えてみる

有川滋男、山本麻紀子、渡辺篤(アイムヒア プロジェクト)、武田力、中島伽耶子の5名が参加。東京都現代美術館で11月5日まで開催

展覧会会場入口

「あ、共感とかじゃなくて。」というタイトルの展覧会が東京都現代美術館で11月5日まで行われている。話し言葉がそのまま展覧会名になった本展の内容が気になっていた方も多いかもしれないが、どのような展示を思い浮かべるだろうか?

本展を企画した担当学芸員の八巻香澄(東京都現代美術館)は、プレス用の配布資料冒頭で、このような文章から各展示の解説を始めている。

「あ、共感とかじゃなくて。」このタイトルに興味をもって展覧会に足を運んでくれる人は、どんな人なのだろう。あなたがどんな人でも構わない。ただここで過ごす時間が、あなたにとって安心で、自分の感情を大切にできるものでありますようにと願って、この展覧会という場を開いておきたい。

本展には有川滋男、山本麻紀子、渡辺篤(アイムヒア プロジェクト)、武田力、中島伽耶子の5組が参加している。各作家の作品を順に見ていこう。

有川滋男「解釈しづらい状態で作品を見続けてほしい」

アムステルダムを拠点とする映像作家・有川滋男は「架空の仕事」をモチーフとした旧作4点と、東京都現代美術館の中で撮影した新作を展示。

旧作4点は、企業ブースのような場所で映像、映像内に登場する道具がセットで展示されている。あくまで「架空の仕事」であり、映像内で人々が行う行為がなんの目的で、何から着想を得たのかは明かされない。有川は本作について「私が興味があるのは、人々が作品をどう解釈するかということです。文化的背景、人種、宗教、感情、気分によっても作品の解釈は変わってくるし、見る人の固定観念が影響しがちですが、あえて答えが見つからず、判断できず、解釈しづらい状態で見続けてもらえることを促しています。あらゆる視座に立ってそこから想像力を働かせ、様々な視点を獲得できるような作品を制作しています」と話す。

会場風景より、有川滋男《ゴールド・タウン》(2017/23)

新作《ディープ・リバー》(2023)は、東京都現代美術館のある深川エリアに貯木場があったことから着想を得た作品で、日本に住むインドネシアの技能実習生たちが世界の二酸化炭素濃度を発表するというシナリオだ。「コロナ禍もあり、情報が錯綜して物事を偏見でとらえることが増えている。それを回避するためには想像力が必要不可欠だと考えています。そのことが今回の展示で喚起できると嬉しい」と作家は語る。

会場風景より、有川滋男《ディープ・リバー》(2023)

山本麻紀子の「残していく」ための活動

かつて被差別地域であった京都の崇仁地区に向き合う活動等を行うアーティストの山本麻紀子は、展示室内に、滋賀にある自宅兼スタジオを再現した。「巨人」「落とし物」「植物」という3つのテーマを作品で探究してきた山本だが、今回の展示はそれらのテーマがいくつか絡み合っている。「私の活動はなかなか説明が難しいのですが、この空間の中の空気感や、ものとものの関係性を感じてほしい」と話す。

会場風景より、山本麻紀子の展示

展示室内で目に留まるのは大きな歯。これは、滋賀に伝わる巨人伝説をもとに、巨人の落とし物として作った《巨人の歯》(2018)で、山本はこの歯とともにポーランドで山登りをするなど「先輩」と慕う。崇仁地区の再開発で取り壊しが決まった小学校などのいくつかの施設で山本はこの「巨人の歯」を抱えて眠ったと言い、見た夢を刺繍した作品もあわせて展示されている。山本は「みなさんもこの歯の横で添い寝をしてもらえたら嬉しい」と話す(実際に展示室には寝袋がある)。また、展示室に並ぶ瓶などの雑貨たちは、崇仁地区の建物が取り壊されて更地になった場所に残されたものだ。

会場風景より、山本麻紀子の展示

山本は同地区で伐採された木を776本の挿し木にし、植樹を目指す活動を行ってきたが、そのほとんどが成長せず、挿し木として残ったのは二十数本。失敗した挿し木も「残していく」ため、焼きものなどに転用している。その作品群は決して派手ではないが、些細で見落とされがちなものに着眼した優しさが宿る。

会場風景より、山本麻紀子の展示

渡辺篤「美術館に来られない・出会えない人がいる社会に私たちは生きている」

元ひきこもりで、当事者をケアする活動家でもあるアーティストの渡辺篤。渡辺は本展で、当事者と協働するかたちで社会に向け作品を発信し、アートが社会に直接的な作用をもたらす可能性を模索するアートプロジェクト「アイムヒア プロジェクト」主宰者としての名義でも作品を出品している。

会場風景より、渡辺篤(アイムヒア プロジェクト)の展示

約3年にわたり自宅にひきこもっていた渡辺が、ひきこもりをやめる決意をした日に撮影した自撮り写真をコンクリートに転写し、破壊し、金継ぎをした作品《セルフポートレート》(2016)。その隣の扉の作品は、家族との軋轢でカッとなった渡辺が蹴破ったドアを再現し、壊し、金継ぎして修復した《ドア(プロジェクト「修復のモニュメント」より)》(2016/19)がある。「福祉や当事者運動の現場では“リカバリー”という言葉があります。それは傷ついた経験やトラウマを消して完全に元通りにするということではなくて、折り合いをつけていく・痛みや傷を持ったままどうやって乗りこなしていくかという意味で、その “リカバリー”をどうやってかたちにするかと考え、金継ぎを引用的に使うことにしました」。

会場風景より、渡辺篤《セルフポートレート》(2016)

通常、美術館では屏風などを展示するガラスケースでカーテン越しに見えるのは、「アイムヒア プロジェクト」名義の作品として人々から写真を募集し、展示される、ひきこもりの人々の部屋。「ひきこもりの部屋」と聞くと、どんな部屋を思い浮かべるだろうか。この展示では、決して一元化することのできない個の姿が見えてくるが、「アートの名のもとに、引きこもった時間を価値に変えたい」と渡辺は話す。

会場風景より、渡辺篤(アイムヒア プロジェクト)の展示

いっぽう、展示室を明るく照らすライトボックスは「同じ月を見た日」というプロジェクトの一環として、月の写真が並んでいる。これは、コロナ禍でひきこもりに限らず孤立・孤独を感じている人という条件で渡辺が募集をかけ、集まった50名のメンバーが撮影した写真で、名前や撮影日時などもリスト化されている。「アートが当事者を搾取的に扱ってきた文脈があると自己批判的に思うので、どうやって参加者に合意形成を取り協働的に進められるかを重要視しながら進めてきました」。また、「コロナ禍を通して私たちが知ったのは、美術館に来られない人がいるということ。コロナが終わっても、ひきこもりや障害があってずっと出会えない人がいる。でも、そんな人たちがいる社会に我々は生きているということを、作品を通して考えてもらえたら嬉しい」と渡辺。

展覧会入口にあるライトにも、「同じ月を見た日」のメンバーがリアルタイムで関係するしかけがあるので注目してほしい。

展覧会会場入口

武田力が向き合った限界集落の伝統芸能、新たなかたちの「演劇」

演出家、民俗芸能アーカイバーの肩書きで活動する武田力は、《朽木古屋六斎念仏踊り継承プロジェクト》と《教科書カフェ》を出品している。《朽木古屋六斎念仏踊り継承プロジェクト》は、滋賀の限界集落で数百年にわたって受け継がれてきた、お盆の時期に集落に帰ってくる魂に向けた六斎念仏という踊りに関する作品だ。「その限界集落ではだんだんと人口が減っていて5世帯ほどのみが暮らし、朽木古屋六斎念仏踊りの継承者も高齢化し、いちばん若い方でも80歳。継承する人が地域にいないなか、継承者としてよそもののアーティスト(武田)に声がかかりました」と作家は話すが、その後、武田の参加に触発されるかたちで継承者の孫も参加し、一部演目も復活するなど活発化していったという。

会場風景より、武田力《朽木古屋六斎念仏踊り継承プロジェクト》(2023)

踊りの映像の裏側にも、作家と担当学芸員が「袋とじ」と呼ぶ、2023年に作家が書いた手記の展示がひっそりと行われているのでお見逃しなく。「映像がハレなら手記はケの部分だと思う。つながっているので両方見てほしいです」と武田。

もういっぽうの出品作品《教科書カフェ》は、かつて演劇俳優として活動していた武田が演劇作品として制作したもの。戦後から平成31年までの小学校の教科書を寄贈してもらい、それを移動図書館のような軽トラに載せて、それぞれの時代状況が反映された教科書を見比べながら学校教育について話し合うという作品で、「演劇としてどういう場を作ることができるか、あるいは劇場に来られない人たちと何が考えられるかの試行として作った」と作家は説明する。

会場風景より、武田力《教科書カフェ》(2019)

通常は武田が《教科書カフェ》に滞在し、コーヒーなども提供するが、今回は美術館での長期展示ということで、会場には武田から鑑賞者への質問がいくつか用意され、それに答えるような形式になっている。運が良ければ時々武田にも遭遇できる。

軽トラの裏側にはジリリリと発信音が鳴る電話機が。受話器を取って耳に近づけると、「どうしてお金があるんですか?みんなに必要なものをタダで配ってくれたらいいと思います」というような、小学生が社会に抱いた素朴で鋭い疑問が聞こえてくる。鑑賞者が受話器に向かって話した答えは録音され、後日子供たちに共有されるため、ぜひ答えてみてほしい。

会場風景より、武田力《教科書カフェ》(2019)の電話

中島伽耶子「壁は分断するものであると同時に、自分を守ってくれるもの」

物事を隔てる壁や境界線をモチーフにしながら、人との分かり合えなさをテーマに作品を制作してきた中島伽耶子。これまで古民家の空間を利用した作品を発表することが多かったが、今回、美術館のホワイトキューブで空間を分割するように大きな黄色い壁を建てた。作品名は《私たちは黄色い壁ごしに話をしている》だが、実際には壁に空いている穴を通して、向こうにいる人々の気配をうっすらとしか感じることができない。

会場風景より、中島伽耶子《私たちは黄色い壁ごしに話をしている》(2023)

中島は本作についてこう説明する。「人とのコミュニケーションというのは、壁がある状態で人と会話することだと考えています。会話をし始める前の緊張感、こちらが投げかけた言葉が受け手にとって思わぬかたちで受け止められるすれ違い、ずれをテーマに作品を作りました。壁に設置したドアホンや穴から、壁の向こうを想像してほしいです」。この壁の黄色は、シャーロット・パーキンス・ギルマンの短編小説『黄色い壁紙』から着想したものなのだそうだ。

壁に取り付けられたドアホン

この作品では壁を隔てて明暗のある部屋が出現するが、暗いほうの部屋では映像作品《言いたくないことは誰にも言わない》も展示。「壁は分断するものであると同時に、自分を守ってくれるものだと思いながら映像を制作した」と話す。なお、本作が置かれた階からは見えないところに、中島はトランスジェンダーの人々への連帯を示すフラッグを展示しているという。以前、本展関連イベントのドラァグクイーンによる絵本読み聞かせに際してヘイトコメントが多く目立ったが、それに対するリアクションでもあるのだろうか。筆者は見つけられなかったが、見つけた方は連帯を示す意としてもSNSなどにアップしてみるのはどうだろう。

会場風景

以上が、参加作家5組の作品だ。おそらく文字と写真だけではわからない箇所も多いと思うため、会場を訪れることをおすすめしたい。中高生は500円、小学生以下は無料で見ることができるので、学生の放課後やズル休みの日にもおすすめしたい展覧会だ。

担当学芸員の八巻は、本展の解説を以下のようなテキストで締めている。

簡単に「共感」して思考停止するのではなく、自分の言葉で考え続けること、理解できないことに耐えるネガティブ・ケイパビリティを思い起こす言葉として。だからこのタイトルも、「あ、共感じゃなくて。」と会話を終わらせるのではなく、「あ、共感とかじゃなくて、うーん・・・えーと・・・」とその先を悩み続ける形で続けていきたい。そしてそれに次に続く観客からのアンサーを待ちたいと思う。

筆者は、「あ、共感とかじゃなくて。」の後に続く言葉を「想像してみるだけでもいいんじゃないですか」とアンサーしたい。安易に共通項を見つけて共感するのではなく、目の前のわからなさを突き放さずああでもないこうでもないと想像すること。速度と効率重視の現代では筋トレのように地味だがきつい忍耐を伴う、わからなさに対する「想像」こそ、私たちに求められていることなのかもしれない。本展を見て、「あ、共感とかじゃなくて。」の後に続く言葉を考えてみてほしい。

野路千晶(編集部)

野路千晶(編集部)

のじ・ちあき Tokyo Art Beatエグゼクティブ・エディター。広島県生まれ。NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、ウェブ版「美術手帖」編集部を経て、2019年末より現職。編集、執筆、アートコーディネーターなど。