evalaインタビュー:視覚中心のアートと一線を画す、唯一無二のサウンド・アート。ICCでの個展における新境地を聞く

NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]にて「evala 現われる場 消滅する像」が3月9日まで開催中。話題となった無響室での展示など作家の真髄に触れられる本展を機に、音楽批評家・八木皓平が話を聞いた。

evala 《Sprout "fizz"》(2024)の展示室にて 撮影:冨田了平 写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

アルス・エレクトロニカでの受賞や国内外での作品発表など目覚ましい活躍を見せる音楽家・サウンド・アーティストのevalaは、ほかに類を見ない独自の作品制作を行う存在だ。立体音響システムを駆使した“空間的作曲”は、「耳で視る」と言うコンセプトに貫かれた唯一無二の鑑賞体験を人々に提供する。そんな新たな聴覚体験を創出するプロジェクト「See by Your Ears」を全身で存分に味わうことができる個展「evala 現われる場 消滅する像」が、3月9日まで東京・初台のNTTインターコミュニケーション・センター [ICC]で開催中だ。

自身の実践は、視覚中心の現代アートの世界における既存の「サウンド・アート」とは根本的に異なるとevalaは言う。作品が展示空間と密接に関係した「音」であるため、写真や映像ではその姿や展示の様子を伝えることは難しいが、ここでは音楽批評家・八木皓平によるインタビューから、作家の制作における核心部分に触れてほしい。【Tokyo Art Beat】

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約400平米の展示室を全室使用した新作サウンド・インスタレーション《ebb tide》(2024) 撮影:冨田了平 写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

現実ではありえないヴァーチャルな音空間

──「evala 現われる場 消滅する像」で聴けるサウンドは、フィールド・レコーディング音源とご自身で作った電子音が混ざったものが多いですよね。鑑賞者は、それらの音を判別するのが難しく、その混乱が作品のポイントになっていると感じました。

evala 「See by Your Ears」の作品のベースにあるのは『acoustic bend』(2010)という、自分にとって最後のCD作品なんです。ぼくはコンピューターから生成するエクスペリメンタルなデジタル・サウンドを追及してきましたが、いっぽうで高校生ぐらいから音フェチで、自分でフィールド・レコーディングをしてその音源を録りためていたんです。それらが作品として活きることはなかったんですが、『acoustic bend』のときに初めてフィールド・レコーディング音源をコンピューターに取り込んで、人工か自然か分からないような響きをつくり出してみたんです。この発想が現在に至るまで活きています。たとえば《Sprout “fizz”》(2024)のサウンドは、すべてデジタル・ノイズで作られていて、水の音のように聴こえる部分もフィールド・レコーディング音源ではありません。『acoustic bend』の話をもう少し続けると、あの作品の頃から、サウンドを2つのスピーカーに定位させるのが窮屈に感じたのを覚えています。だからそれ以後は、一切CD作品のリリースを止めました。その窮屈さからの脱却が、現在の「空間的作曲」につながります。だからこの展覧会では『acoustic bend』の頃に立ち返るようなところがありました。

evala 《Sprout “fizz”》(2024)の展示室にて 撮影:編集部(Xin Tahara)

──《Sprout “fizz”》のサウンドからは、人の声のような音も聴こえてきます。

evala あれは違う展示室にある作品の音が侵入してきているんです。たとえば絵画の展覧会だと、次の展示室に行ったときに隣の部屋の情報が視界に入ってくることは基本的にありませんが、映像作品やサウンド・アートは隣室の音が聴こえてくる場合があります。別作品の音が侵入してきて目の前の作品に集中できないあれが、ぼくはすごく苦手で。この展覧会では、その音の干渉具合をあえて作曲的に取り入れて、緻密に調整していきました。たとえば、ギャラリーAで鳴っているサウンドが、ギャラリーBに混ぜられていて、ほかの作品の断片が少し入り込むように設計しました。《Sprout “fizz”》で聴こえる声は、まさにその効果のひとつです。どこかのの部屋で聴いたサウンドが頭に残っていて、別の部屋でそれをまた違ったかたちで無意識的に聴く、という脳に残る音の記憶を取り入れて会場全体を作曲するといった意味合いがあります。

──音と記憶のリンクというトピックですと、人によってはフィールド・レコーディング音源を聴いたときに、自分が過去に聴いた音を連想するといった、ある瞬間の音に対して時間が重層化するようなこともありそうですね。

 evala ぼくのフィールド・レコーディング音源を用いた作曲は、時間も場所もバラバラな世界中で集めてきた音源を使用しているので、人それぞれの環境で立ち上がってくるものが違いますから、それも十分にあり得ると思います。あと、時間だけではなく場所の情報も重層化しているんです。生態系に詳しい人の感想を聞いたときに面白かったのは、東南アジアの虫と北欧の鳥がひとつのサウンドに共存していて、こんな世界はありえないと言っていたんです。ただ聴いているだけだと、ひとつの音空間を聴いているように感じますが、じつは複数の時空間が組み合わさっているので、実際にはありえないヴァーチャルな音空間になっているんです。

──evalaさんの作品では、あるサウンドが突然バッサリ切られて、また別なサウンドが出てくるといった演出がされていますよね。

evala 「空間的作曲」は、全体で起承転結を作っていくような構成じゃないんです。一つひとつの音の空間が起こす波みたいなものがあって、その波が互いに干渉しあって産み出されるサウンドをエディットしていくような意識でやっているんですよね。だから映画の映像編集のように、横の時間軸を構成していくようなものとは基本的に違います。たとえば、時間をずらして水面に何度か小石を落とすと、いくつもの波紋が広がって干渉し合い、複雑な波紋になっていきますよね。世界の音空間をいくつか切りとって、それを同居させた時に面白い干渉をしたらそれを切り取って配置していくようなイメージです。サウンドが切り替わるのは、そういった波紋をリセットするようなものと思ってください。ぼくはこれを「耳の瞬き」と言っています。強いストロボ発光とともに発されるこの「耳の瞬き」を挟みながら、いくつもの空間を編集してひとつのサウンドを形成するのが「空間的作曲」です。とはいえ、その「瞬き」をいつ発するかという時間的作曲の側面も作品の重要なポイントですけどね。

evala Sprout “fizz” 2024 Photo: Yutaro Yamaguchi Photo Courtesy: SbYE

──フィールド・レコーディングは、ある音が欲しいと思って録りに行くのか、たまたま何かのタイミングで良いなと思ったものを録るのか、どちらでしょうか。

 evala 両方ありますけど、大体は後者で、狙って録ったものじゃないものを使うことが多いです。それには理由があって、自分が良いと思ったものだけを空間に配置してみても全然面白くないんです。たとえば人の顔について考えたとき、自分が好みの目や口といった部位を抽出して顔を作ったところで、自分の好きな顔になるとは限らないという、そういうものに似ています。だから自分が良いと思った瞬間を形成するには、ひとつの文脈のような、最適な連続性が必要ということです。これは楽器のような音の高さ、長さ、強さで構築していくのとは別の作曲技術なんです。そこが空間的作曲の難しさであり、面白さでもあります。たまに、録ってきた色んな音を流しているだけと思われることがあるんですけど、試行錯誤を重ねて悩みつつ作曲していますね。

──どんな音源を使うかよりも、空間でどのようにそれを響かせるかに苦労しそうですね。

 evala 音の空間操作にはすごく時間をかけます。たとえば《Sprout “fizz”》の128.4.4チャンネルのシステム上で、仮にザーっという砂嵐の単純なホワイトノイズを音源にしたとしても、その動かし方によって波の音にも、風の音のにもなるんですよ。でもヘッドフォンで聴くと、ただのザーっというノイズなんです。つまり音の空間運動によって、聴こえるものの印象がまったく違ってくるので、そこが空間的作曲の肝ですね。それから、同じ作品でも展示空間のスケールや壁面素材が変われば、音響反射によってまた違った表情になる。だから、毎回シリーズ最新作としてその空間に対しての新しいアレンジを施すので、作品は必然的に作品を設置する空間にあわせたサイト・スペシフィックなものになります。

 ──フィールド・レコーディングを環境音のサンプリングととらえると、その音源にはレコーディングする人間の主観性が宿るように思えますが、お話を聞いていると、evalaさんの場合はそう単純なものではなさそうですね。

 evala 主観にも客観にも振り切れないところが面白いですね。以前はフィールド・レコーディングの面白さは主観にあると考えていたところがありました。ここで言う主観は、写真家がレンズを向けて世界を撮るように、マイクを向けて世界を見ていくようなものを指しています。ただ、いまやっているように展示空間の操作によって音をいじっていく面白さに気づいた時、何かにフォーカスして狙って録ったものだけを使うのではなく、自分が最初にイメージしていたものとは離れたところに面白い音の在り方があると考えるようになりました。そこでは最初にあった主観のようなものが、同居するほかの音や、空間の在り方といった外部的な影響を受けてどんどん変容していくんです。

evala 大きな耳をもったキツネ 2013–14 撮影:木奥恵三 写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

歴史的なサウンド・アートとの違い

──アートは基本的に視覚中心の歴史から成り立っています。視覚的な情報量が極端に少ないevalaさんの作品に対して、鑑賞者の感想はどのようなものがあるんですか?

evala 無響室の作品は真っ暗でどう表現していいか分からないからか、鑑賞者が自分で視覚的な物語を作っていく感想が多いですね。ぼくの作品は、鑑賞者が視覚を極端に制限された場所で、音に身体をまさぐられた時に、人それぞれのイマジネーションが自然と立ち上がってくるという点は共通していると思います。歴史をたどってサウンド・アートを見ても、まずサウンド・インスタレーションでは美術的な造形があって、それが音を出しているものがほとんどです。ぼくの場合は「See by Your Ears」のプロジェクトが無響室から発展したように、基本的に音しかない場所で、耳で何かをとらえるという作品なので、そういったサウンド・アートとは違います。

──evalaさんの作品が聴覚中心のアプローチを取っているのは間違いないですが、今回の展覧会だと、たとえば《Score of Presence》(2019)は視覚の要素がほかの作品に比べると強いですよね。この作品のイメージは、パネルから音を発するという技術にインスピレーションを受けたのでしょうか?

evala Score of Presence 2019 撮影:丸尾隆一 写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

evala そうですね。最初は大日本印刷さんから「喋るポスター」という技術についてお話があったんです。平面自体が音を発する技術があるのですが、企業関係の案件で何か作ってくれませんか?という内容でした。それをうけて、アート作品をつくりませんか?という提案をしたのが出発点でした。写真に撮ると、普通に6枚の絵画が飾られているだけの空間ですが、あれ自体がスピーカーなので、6チャンネルの音の作品になっています。また、絵画自体の色はブラック&シルバーなのですが、特殊印刷でプリントされているので、鑑賞する角度によって鮮やかに色づいて発光するようなものになっています。これは《Score of Presence》に限らず、すべての作品にいえることですが、視覚的な要素を加える際は、必ずその実体がとらえにくい、幻覚のようなものをイメージしています。

──テクノロジーからのインスピレーションが出発点になった作品はほかにありますか?

evala
 すべての作品において、最新鋭の立体音響技術やプログラミングがなんらかの関係をしていますが、本展においては特にソニーグループに技術協力いただいた《Studies for》(2024)の音楽生成AIの開発でしょうか。

evala Studies for 2024 撮影:丸尾隆一 写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

──《Studies for》で音楽生成AIを使っているのは興味深かったです。いま、音楽生成AIの開発が進んで、プロンプトを入力するとそれっぽいサウンドができるような世の中になっていますよね。今回は、evalaっぽいものを音楽生成AIに作ってもらったということなんでしょうか?

evala そうです。ただ、世の中に共有されている音楽のデータ・セットの蓄積からevalaっぽいサウンドを作っているのではなく、本作のために開発したSonyの音楽生成AIは「See by Your Ears」の作品だけを学習したものです。ぼくはデータを渡しただけで自分では一切創作していません。制作中にSonyチームとは「どの音がいいですか?」、「このパラメータは変えますか?」などと音作りの観点からの問いに答えながらディレクションしていたんですが、あるときから「いやもう、これは自分の子供だからすべて認知する。すべてかわいい。」と、そこからは展示空間を用意して見守るだけにしました。本作の展示空間は、そこに至るまでの薄闇の空間とは一転して、真っ白で曲線的になっています。これは死後の世界と、生まれる前の子宮の中、その双方をイメージしているからです。この音楽生成AIはリアルタイムかつマルチ・チャンネルで生成することが可能で、会期中も音が成長を続けていますが、いまはまだ子宮の中にいる胎児の状態です。本作《Studies for》は、作家不在でも立体音響作品を永続的に継承・制作しうる新しいアーカイブのかたちを探求する実験、その最初のスケッチなのです。

evala Embryo 2024 撮影:丸尾隆一 写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

レクイエムとしての作品

──《Studies for》が胎児ということですが、《Embryo》(2024)は胚、《Sprout “fizz”》は発芽です。加えて、『Sea, See, She - まだ見ぬ君へ』(2020) を鑑賞した時にも思ったのですが、evalaさんの作品には、「生や死」といったテーマが宿っているものがいくつもありますよね。

evala 昔からあった、というわけではありませんが、今回こうして展覧会の作品を見るとたしかにそういうものが多いですよね。《ebb tide》(2024)もそのなかのひとつです。近年、ぼくが関係した色んな方々が突然亡くなることが続いて、本作はそこが出発点になっています、やはり自分が歳を重ねることによって、死というものの存在をより近しく感じてきたのかもしれません。《ebb tide》のウレタン素材で出来た大きな構造体は、普段は海に隠れているけれど、引き潮の時に現れる岩みたいなもので、その岩に登って、耳を澄ましながら想いを馳せているような空間をイメージしています。潮の満ち引きが人間の生死と関係していて、満ち潮の時は新しい生命が生まれ、引き潮の時は誰かが亡くなることが多いという伝承があります。引き潮を意味する本作《ebb tide》は、近年亡くなった自分に関係する人たちへのレクイエムなんです。

evala ebb tide 2024 撮影:丸尾隆一 写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

──《ebb tide》は、とくにサウンドにおいて「See by Your Ears」のほかの作品とは少し毛並みが違うようにも思えます。

evala これまでは先ほどお話した通り、フィールド・レコーディング音源に重点を置いて作曲してきました。あるいは《Sprout “fizz”》だったら、ノイズを空間に運動させることによって、新しい価値が音に宿るというコンセプトです。つまりすでに存在している音を採取したり、コンピューター上で生成した音を使用していました。《ebb tide》では、自分の手を使って音を発したいと思ったんです。展覧会の資料室に小さな音具が展示してありますが、《ebb tide》で聴けるほとんどの音はあの音具たちの音と、フィールド・レコーディングで録った海の音が素材になっています。この作品が展示されているスペースは、本展でもっともスケールが大きいんですけど、だからあえて、ものすごく小さい音から作曲したいと思ったんです。スペース的には小さい無響室の作品は、世界中から音を素材にして作曲しているのですが、それとは逆のアプローチと空間への展開ですね。

──evalaさんにとってある意味で新機軸のような作品と言えそうですね。

evala 空間での音のあり方も含めて、ぼくにとって次のステップと言えるかもしれません。例えば電子音やノイズ、フィールド・レコーディング音源を使ったときは、ハイ(高音域)がキラキラする高解像度のチューニングをする方向でしたが、《ebb tide》では初めてハイを削って、解像度を下げる方向性で、にじませてぼかすようなサウンドにしました。そうすると、音との距離感が無限大のような、どこまでも広い宇宙のようなひろがりのような響きが生まれるんです。対して、超高解像度の無響室作品「Our Muse」は、音との距離感がマイナスで、身体の内部で響く体験です。

──《ebb tide》のサウンドは、いわゆるアンビエント・ミュージック的な茫漠とした要素があると感じたのですが、そういった処理をしていたんですね。いわゆる「音楽」になっている部分があったことに、逆に新鮮さを感じました。

evala 音具を使用した結果、サウンドにいわゆる音階をともなった音楽的な部分を呼び寄せることになったんだと思います。今回使用した音具は東洋の楽器ですが、ぼくはもともと音階のある楽器を演奏していた時代もあるので、西洋的な意味での作曲もしていたんです。《ebb tide》では、ぼくのそういった部分が、「See by Your Ears」でやってきたことに少し溶け込んできて、原点回帰というよりは、方法を探りながらまた新しいことに取り組み始めた、という感触があります。

資料展示より、《ebb tide》(2024)の模型など 撮影:編集部(Xin Tahara)

──《ebb tide》には空間デザインに建築設計事務所NOIZを入れるなど手が込んでいますが、コンセプトを教えていただけますか。

evala 「See by Your Ears」の作品は、その空間に長居する人が多いのが特徴なんですが、ぼく自身も観客には、作品に長く滞在してほしいという想いがあるんですよね。そうするためには、空間に人間が座ったり寝転んだりできるような構造体があるといいなと思ってあのような作りにしました。また、「See by Your Ears」の出発点となる《大きな耳をもったキツネ》(2013〜2014)が無響室の作品なので、そこから11年たって外に出たという意味を込めて、吸音材でも使用されるウレタンと同じ素材で構造体を作っています。まるで無響室の壁の一部が切り取られ、吸音材が引き伸ばされ、イビツに波うったような形状になっています。イビツであるのは視覚的な創作だけではなく、機能面の理由もあります。たとえば山の地面や海の岩などは、自分でポイントを探して体制を整えますよね。ベッドやソファーのように完全にリラクゼーションできるようなデザインではなく、最初に身体のどこかにテンションがある方が聴覚に集中できるのです。

資料展示 撮影:丸尾隆一 写真提供:NTTインターコミュニケーション・センター [ICC]

──今日お話いただいたように、今回の展覧会はevalaさんの空間的作曲の総決算であるとともに、次のステージに向かっていることが見えるようなものになっていると思います。最後にお聞きしたいのですが、これからevalaさんがサウンド・アートを作っていく中で、こういうテクノロジーがあればいいなと思うものはありますか?

evala ぼくの作品の感触を、耳の聴こえない人に伝えられるテクノロジーがあればいいなと思います。聴こえない人たちにどうやって、振動触覚や音階やリズムで単純に翻訳できないこの作品をシェアしていけばいいかということを最近よく考えます。作品の感想のなかに、音って耳だけで聴いてるんじゃないんですね、というものがよくあるのですが、全身でサウンドを聴くことができる状態になったときに、そこの可能性を追求してみたい。これまで耳が聴こえないと鑑賞できなかった空間音響の新しい体感方法を開発できれば面白いな、と妄想しています。

八木皓平

八木皓平

音楽批評家。ラグビー愛好家。理系研究職。北海道安平町追分出身。千葉県袖ケ浦市在住。原稿執筆等のご依頼については以下メールアドレスかDMでお願いします。