エスパス ルイ・ヴィトン大阪で、彫刻家 アルベルト・ジャコメッティ(1901〜66)の展覧会が開催されている。会期は2023年2月23日から6月25日まで。同スペースでの3回目の展覧会となる本展は、フォンダシオン ルイ・ヴィトンが主催する「Hors-les murs(壁を越えて)」プログラムの一環として開催。フォンダシオンの所蔵コレクションからジャコメッティを象徴する7点の彫刻作品が公開されている。
今回この展示を訪れたのは、木材の特性がもたらす偶然性を取り入れながら、驚異的な技術力で躍動感溢れる独自の人物表現を追求する彫刻家、森靖。長年にわたって影響を受けてきた巨匠の作品を前に、子供のように目を輝かせながら生き生きとその魅力を語ってくれた。
展示スペースに入るや否や、興奮を抑えきれない様子で「すごい!」と声を漏らす森。しかし、作品に向ける観察眼にはジャコメッティと同じ彫刻家としての冷静さが光っていた。まず目に飛び込んでくるのは、《大きな女性立像 II》(1960)。女性の裸体を扱ったジャコメッティ最後の作品だ。まず2m77cmのその大きさに圧倒されるのだが、森は「僕がいま作っている作品と同じくらいのサイズだ」と言う。
「これくらい大きな作品だと、つくっている自身の手のサイズと立体感覚が合わなくなってくるのですが、指の跡を残しつつ破綻させずに成立させているところがすごい。」
その奥に位置する《棒に支えられた頭部》(1947)の前では、「上から、ジャコメッティがこれを作っていた時の視点で見てみたい」と、森はしきりに背伸びをする。ジャコメッティは20歳の頃、共に旅をしていた老人の突然の死を目の当たりにし、その衝撃は彼に一生消えることのない衝撃を刻み込んだ。その体験から26年後、彼はその時の悲痛をこの作品で表現した。直方体の台座と棒と頭部という構成に、「自身の過去のシュルレアリスム期の作品と戯れているようにも見えますね」と森。
《3人の歩く男たち》(1948)も、台座が特徴的な作品だ。ひとつの都市空間で、3人の人物がお互いを認識することなくすれ違う様をとらえたこの作品で、正方形の台座は場面の設定する重要な役割を果たしている。
「ジャコメッティは台座が命ですよね。台座のない胸像をつくるときは彫刻の型にはまってしまいがちだとジャコメッティ本人が語っていますが、まさにそうで、やはり台座を持っているこの作品は型にはまっていない感じがします。」
続く《ヴェネツィアの女 III》(1956)は、森が今回いちばん熱心に見ていた作品。「これはすごすぎる。正面から見ても像の後頭部がどこにあるのかわかるほど完璧なバランスです。指を使って成形するジャコメッティの身体感覚に、このサイズがちょうど合っているんだと思います。」この作品は、1956年のヴェネツィア・ビエンナーレで発表された6作品からなる作品群のうちの1点。
「発表当時の石膏鋳造より、ブロンズにしたことでよりよくなったんじゃないかな。ブロンズ像は中空になっているものが多いのですが、これは中までブロンズがみっちり詰まっていて、物質としての金属の強さも感じます。」
3つの胸像からなる《男の頭部》(ロタール I)、(ロタール II)、(ロタール III)(1964-65)を見ながら森が語ってくれたのは、男女のとらえ方について。
「ジャコメッティは男性 / 女性という意識を強く持っていて、自分にないものを女性に見ているところがありますよね。それが歩行する男性像と直立した女性像という対比にも表れている。彫刻の伝統としては、女性的な身体はアウトラインでとらえられ、男性的な身体は面と凹凸としてとらえられます。僕の場合もとらえ方はそうなのですが、両方をひとつの作品の中で混ぜ合わせることをよく考えています。」
本展では、エルンスト・シャイデガーとペーター・ミュンガーによる約50分のドキュメンタリー映像『アルベルト・ジャコメッティ(1901-1966)』(1966)も見ることができる。ジャコメッティが作品をつくっている様子を初めて映像で見たという森は、「思っていたよりもかなり柔らかい粘土を使っている」「両利きで、ナイフを左右持ち替えながらつくっている」「爪が長いから、爪でも細かい部分をつくっていたのだろう」「作品の全体を離れたところから見ることはあまりなく、近い目線でずっとつくっている」など、たくさんの発見を語ってくれた。
ここからは、作品を見た後に行ったインタビューの様子をお届けする。
──森さんがジャコメッティに興味を持ち始めたきっかけはなんだったのでしょうか?
森:僕は愛知県出身で、名古屋市美術館や愛知県美術館、メナード美術館、徳川美術館などに子供の頃からよく行っていました。そこで見た作品たちをきっかけに近代彫刻の巨匠たちが好きになっていって、その中にジャコメッティもいました。
──森さんの思うジャコメッティの魅力は、どんなところにありますか?
森:自分が何をつくるべきかということに対して信念があって、それが揺るがないところですね。1930年代、モビールが出てくるなど彫刻の概念が激変した時代に、延々とひたすら具象彫刻を追求し続けたのはすごいことだし、そこがかっこいい。ジャコメッティの視点を強く意識した彫刻表現を直接的に継承しているアーティストはいないけれど、真摯に作品と向き合うその制作スタンスには、後の多くのアーティストが影響を受けていると思いますし、僕もそのひとりです。
──先ほど見たドキュメンタリー映像の中で、ジャコメッティが自身の制作の形態のひとつとして彫刻や絵画と同列にデッサンを挙げていたことに驚いていらっしゃいましたね。
森:僕も最近改めてデッサンを始めたんです。デッサンは高校時代からずっとやっていて、60冊以上溜まっています。最近また始めたのは、彫刻のできあがっていく工程をアーカイブするため。日々姿を変えていく自分の彫刻を、毎日デッサンし続けています。だから、ジャコメッティもデッサンをひとつのメディアとして語っていたのを見てぐっときましたね。
──ジャコメッティは、1940年代の数年間、手のひらに載るようなごく小さな作品しかつくれなくなった時期がありました。森さんの《On the hand - The statue of liberty》という作品では、その時期のジャコメッティの作品が参照されていますね。
森:あの作品は、ジャコメッティの小さな作品を手のひらに載せている様子を写した、安齊重男の《宇佐見英治の手の上のアルベルト・ジャコメッティ》という写真が着想のもとになっています。先ほど見た《3人の歩く男たち》からもわかるように、ジャコメッティは台座の感覚に優れた彫刻家です。この写真を見た時に、ジャコメッティの台座の感覚と、僕が考え続けていた彫刻と台座の関係についての問題意識がリンクしました。《On the hand - The statue of liberty》は、手のひらに載せて鑑賞することを前提につくったもので、自分の手のひらが台座になるんです。立体を自分の身体で把握するとはどういうことか、彫刻というものはどこにあるべきなのか、そういった問題のひとつの答えとしてつくりました。
スケールの感覚という点でも、ひとつの視点からモノのスケールを感じ取り、作品のサイズを変化させていきながら彫刻しているジャコメッティは稀有な作家です。スマートフォンを手にした我々は、画像やモノを指2本で簡単に拡大、縮小できるようになりました。しかし、その行為は単に比率を変えることに留まっていて、例えて言うならドラえもんのビッグライト・スモールライトを使っているようなものです。でも本来、人間が身体感覚を持って把握するスケールの大小というのは、そのような単純な比率の問題とはまた別のところにあるはずなんです。
例えば、僕はキャラクターフィギュアを目の前にしてもその世界に入ることができません。自分自身のスケールをミニチュアの世界に入れることができないからです。僕にとっては、スケールと彫刻の形体は一体となったものなのです。ジャコメッティも、小さな彫刻しかつくれなかった時期を経て、大きな彫刻をつくろうとした時にどうしても細長くなってしまったというエピソードからもわかるように、サイズによって彫刻の形体が大きく変わっていきます。
──最後にお伺いしたいのですが、いまの時代の視点から改めてジャコメッティを見る意味というのは、どんなところにありそうですか?
森:いまの現代アートの流れとしては、モチーフにどんな意味を込めるか、作品と時代性をどうリンクさせるかなど、コンセプトに重きが置かれた作品が多くなっています。そんな中で、ジャコメッティの作品を見るということは、その流れと対極にあるものを見ることとして重要だと思います。また、時間の流れがめまぐるしく、なにもかものスピードが速くなっているいま、ジャコメッティはそれとは異なる時間の流れも提示してくれます。長い時間をかけて、一生懸命手を動かした痕跡を物量として見せてくれるジャコメッティの作品は、いまだからこそ見るべきものだと思います。
また、先ほどお話ししたビッグライト・スモールライト的ではないスケール感覚に触れられるという点にも大きな意味があると思います。あまりにも画面の中のイメージの世界で生活する時間が長い現代の人々にとって、感じとるべき表現がジャコメッティにはあるのではないでしょうか。
プロフィール
森靖
もり・おさむ 彫刻家。1983年愛知県岡崎市生まれ、2009年東京藝術大学大学院彫刻専攻修了。
2010年山本現代で初個展「Can’t help falling in love」を開催し、翌年には横浜トリエンナーレ「OUR MAGIC HOUR-世界はどこまで知ることができるか?」に参加。2020年に4mに達するエルヴィス・プレスリーをモチーフにした作品をPARCELで10年ぶりの個展で発表。2022年にはPARCELからFrieze Seoulに個展形式で参加した。
PARCELで5月末に個展「Twister」を開催する予定。