山口晃インタビュー【前編】セザンヌ絵画と感覚器官のビビッ。アーティゾン美術館「ジャム・セッション」をめぐって

東京・京橋のアーティゾン美術館で11月19日まで開催中の展覧会「ジャム・セッション 石橋財団×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」。本展において石橋財団コレクションが所蔵するセザンヌと雪舟の絵画作品に向き合った画家の山口晃にインタビュー。

東京・京橋のアーティゾン美術館にて、画家の山口晃。背後は 山口晃《来迎圖》(2015、部分) 撮影:坂本理

石橋財団コレクションと共演

東京・京橋のアーティゾン美術館で、展覧会「ジャム・セッション 石橋財団×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」が開催されている。石橋財団コレクションと現代美術家が共演する「ジャム・セッション」の第4弾。会期は9月9日から11月19日まで。

「ジャム・セッション」は、アーティゾン美術館のコンセプト「創造の体感」を体現する展覧会としてアーティストと学芸員が共同するもので、2020年は鴻池朋子2021年は森村泰昌昨年は写真家の柴田敏雄と鈴木理策が招かれた。

今回招かれた画家の山口晃は1969年生まれ。鳥の目で描く鳥瞰図といった日本の伝統的絵画の様式を取り入れて油絵の技法で描く絵画をはじめ、立体やマンガ、インスタレーションなど多岐にわたる表現を行っている。最近では東京2020パラリンピック公式アートポスターや、東京メトロ日本橋のパブリックアートなども手掛けて話題になった。

大和絵や古美術に影響を受け、独自の作風を確立してきた山口が、今回「ジャム・セッション」の対象作品として選んだのは、近代絵画の巨匠ポール・セザンヌ(1839~1906)の《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》と、「画聖」と呼ばれる室町期の画僧・雪舟(1420~1506)の《四季山水図》。いずれも石橋財団コレクションが所蔵する東西の名品だ。山口と担当学芸員の平間理香学芸課課長に本展を作り上げた経緯をインタビューし、前後編に分けてお届けする。

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展示風景 撮影:木奥惠三 Courtesy of Artizon Museum

東西の名画へ山口流アプローチ

──今回の展覧会は、山口さんがセザンヌと雪舟の作品に向き合われた成果をはじめ、新作近作の絵画群、体験型のインスタレーション、NHK大河ドラマ「いだてん ~東京オリムピック噺~」(2019)のオープニングタイトルバック画、パブリックアートや漫画の原画と盛りだくさんの内容です。山口さんは東京の美術館での個展はいつ以来になりますか?

山口 そうですね…。東京の美術館ではかなり久しぶりでしょうか。練馬区立美術館の「山口晃展 今度は武者絵だ!」(2007)以来になります。

——現代美術家が石橋財団コレクションと共演する「ジャム・セッション」は今回が4回目です。アーティゾン美術館からは2019年に本展の依頼があったそうですが、どのように思われましたか?

山口 依頼はなんでも嬉しい、という質(たち)でして。やはり学生上がりの頃の、待てど暮らせど誰からも連絡がない日々を過ごした身からすると、仕事は本当に嬉しい。断ると次が無い気がして、いただいた依頼は全部やりたくなる。それでちょっとオーバーワークになって、あとで大変になるところがあるのですが、本展もシンプルに「いいんですか! はい、頑張ります」と。

山口晃 東京圖1・0・4輪之段 2018-2023 作家蔵 NHK大河ドラマ「いだてん」のオープニングタイトルバック画になった 撮影:浅井謙介(NISSHAエフエイト株式会社)©YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

——本展の担当学芸員の平間さんが、山口さんに依頼した理由を教えていただけますか?

山口 私がいると、答えづらいんじゃないですか? ちょっと耳を塞いでいます。

平間 いえいえ、大丈夫です(笑)。そうですね、現在3000点を超える石橋財団コレクションは、大きな柱である西洋近代美術と日本近代洋画から、西洋と東洋の彫刻、20世紀美術、さらに中近東の古代美術まで多岐にわたり、近年は戦後抽象絵画と日本近世美術の収集にも力を入れて、そのなかで私は日本と中国の古美術を担当しています。少し前置きとなりますが、私が美術館に入った頃は、まだ学芸員が手書きで所蔵作品の詳細を記録していた時代で、その後に作品情報のデータベース化が始まりました。そのときに、コレクションが幅広いだけに作品データをどう取るかを統一するのが意外に難しかったんですね。

データベース化は、ひとつずつの作品のデータを登録していきますが、日本の古美術中心の美術館と西洋美術がメインの館ではそもそも作品情報の取り方が異なります。近代以降の作品なら作者が最重要情報に位置付けられますが、作者が分からないことが多い古い日本美術はまず作品名、次いで技法や材質、作られた年代、そこから推定される作者といった情報の取り方をします。また、たとえば制作年が「寛永年間」と表示されていれば、江戸時代のどの時期か見当がつきますが、表記を西暦に統一すると年号表記は入らなくなります。そうした様々な問題をすり寄せながら作品情報の項目を統一していく作業を行いました。コレクションの主となる西洋の近代美術を基準としたデータベースだけに 、その枠組みに日本の古い美術品の情報を入れ込むことで、表し得ないものがあると感じたのですね。

そうした経験もあって、明治以来の日本の美術や制度に問題意識を持ち、その様を「汁なしうどん」(*1)などとたとえ表現される山口さんに関心を持つようになりました。石橋財団コレクションは、非常に作品の幅が広いので、山口さんなら興味深いアプローチをしてくださると思い、今回の「ジャム・セッション」を企画しました。

——なるほど、そうだったのですね。山口さん、ちょっと驚かれていますが?

山口 いま初めて聞きました。よかったです、いまで。事前に聞いていたら、考えすぎちゃってがんじがらめになってしまいそうだから。多分それもあって、これまで平間さんは言われなかったと思いますけど。

語り合う画家の山口晃(右)と平間理香アーティゾン美術館学芸課課長(左) 撮影:坂本理

「見ること」を阻害するもの

——10のセクションで構成された本展は、導入部のインスタレーション《汝、経験に依りて過つ》から始まります。まだ展覧会をご覧になっていない読者のために詳述は避けますが、ビックリ箱といいますか、「感覚が狂う部屋」になっていて、ちょっとクラクラしました。

山口 申し訳ありません。

——いえいえ、あの感覚は久しぶりに味わいました。まず展示冒頭に、鑑賞者の体感に直接働きかける作品を設置した狙いを教えていただけますか?

山口 たぶんあの場所にしか設置できなかったんですね。つまり、四面が壁のインスタレーションなので、全部の壁を新しく立てると費用が掛かるけれども、既存の壁を使うと幾らか割安になるという。どうしよう、いま笑ってもらおうと思って言ったんですけれど、割と真剣に聞かれてしまって……。

一同 すみません(笑)。

山口 アトラクションめいたかたちにすぎるので、展示途中にあると「賑やかしに逃げたな」と思われそうですが、しょっぱなにやれば「なんか本気だ!」と感じてもらえるのではないか、という。

——本作は、かつて「としまえん」(*2)にあったアトラクションを「もう一度体験したいと」という山口さんの思いから実現したそうですね。

山口 同じものの場所を変えることで見え方や意味合いを変えるという手段がありますが、としまえんのそれは「アトラクション」と呼ぶにはあまりにも惜しい、非常に示唆に富んだ装置でした。今回タイトルに付けた「サンサシオン」はセザンヌがよく使った言葉で、感情にいたるまでの目を見開いて感覚器官がビビッとくる、フランス語の「感覚」を意味します。ここでは、来場した方にまずクラッとする感覚を味わってもらうことで、「目眩」を作者が憑依してくる鑑賞体験の隠喩とした、象徴的な導入になってくれれば、ということで置いたというふうに……公式見解ではなっております(笑)。

画家の山口晃 撮影:坂本理

山口 作品タイトル通り《汝、経験に依りて過つ》わけですね。制度や環境に適応したがゆえに根本的に事を誤ることは方々にありまして、絵についても人間は言語に習熟すると「見ること」は阻害される。つまり、ものを記号的に見がちになる。概念で対象をとらえるようになると、それまで全部見ていた人が、本当に一部しか見なくなるのですね。道沿いの建物を全部覚えていた子どもが、目的地を「八百屋の角を右に曲がる」と覚えたとたん、八百屋、それも看板の文字しか目に入らなくなるみたいに。おかげで情報が圧縮できて、加齢により脳細胞数が減っても社会生活を営み続けられる利点はありますが、絵を見ることに関してのリテラシーは確実に下がってしまう。つまり、人間に便利な言葉や概念が、「絵を見る」ときは阻害要因になっている、ということですね。ただ、「概念」がものの輪郭を形作り絵を描けるようにもするわけですし、制度によって絵と出会えたりするわけですから、要は塩梅と働かせ方です。

絵だけでなく、そうした「さんすくみ」みたいな状況は色々なところにありますから、ここでちょっと足元を見て、適応が見えなくしてるものはないか、人を活かすための制度に人が使われてやしないかと考えたいのですね。

——先ほど会場を再訪したのですが、体験中の方が声を出して笑ったり、驚いたりと色々なリアクションが起きていました。

山口 ちょっと高揚感とともに会場に入ってもらって、最初の部屋の「目眩」が、鑑賞を少しでも観念上の処理だけでないものにしてくれたら、などと都合よく思っています。

展示風景より、右は山口晃《来迎圖》(2015) 撮影:木奥惠三 Courtesy of Artizon Museum
山口晃 東京圖1・0・4輪之段(部分)2018-2023 作家蔵 撮影:浅井謙介(NISSHAエフエイト株式会社)© YAMAGUCHI Akira Courtesy of Mizuma Art Gallery

セザンヌ作品の生理的気持ち良さ

——山口さんは、「ジャム・セッション」の対象としてポール・セザンヌの《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》と雪舟の《四季山水図》を選ばれました。幅広い石橋財団のコレクションのなかですぐに決まりましたか?

山口 やっぱり興味があるところから選んでしまいました。ピンとこない、どこが良いとも言えないし悪いとも言えない、私にとって透明な作品を選んで、そこから「さあ、どうしようか」というのもアリだったと思うのですが、ここは素直になって好きな作品を選びました。作品をじっくりと観察したり、ケース越しでなしに見たりできるかもとの下心もあって、この2つにさせてもらいました。

——2012年の大規模なセザンヌ展「セザンヌ-パリとプロヴァンス」(国立新美術館)に関連して雑誌の仕事やテレビに出演されるなど、長くセザンヌに関心を寄せてきました。

山口 あのとき、雑誌やテレビに呼ばれたのはその前から「セザンヌ、いいよね」と言っていたからでしょうが、自分がいつセザンヌに「ビビッ」と来たかは全然覚えていないんですよ。中学生の頃、日曜絵描きだった父親が地元の画材屋さんでもらってきた世界名画カレンダーのなかにあったセザンヌの水浴図を「つまらない絵だ」と思いながら見ていた記憶があります。色は変だし、身体は大根を重ねたみたいだし。それがいつからこうも好きになったのかはまったく覚えていないんです。

おそらく絵を勉強して画面を作っていく意識を持つようになってからでしょう。その目でセザンヌ作品を見ると、画面の中に生理的な位置のある感じが、とにかく気持ちいい。なぜこちらの感覚がわかるの?と思うぐらい、絶妙なところに筆致や色彩が置いてあるんです。

ポール・セザンヌ サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール 1904-06頃 石橋財団アーティゾン美術館蔵

——いつも自分が描いているつもりで絵をご覧になるのですか?

山口 基本的に絵を描く人間は、自分で追体験しながら絵を見ると思います。「あすこにグレーを置いて、ここにハイライト入れて、よし描けた」みたいな感じに脳内で再現して、それが嵌ると気持ちがいい。反対に、あるべき場所にしかるべき筆致や色彩がないと気持ちが悪い。その気持ち悪さからも鑑賞が始まるわけですが。形のとり方も、セザンヌのデッサンを見ると抑えどころがわかります。接地面と上部を抑え、ちょっと執拗に回り込みを描く。

——セザンヌは、形態を把握する力が際立っているのでしょうか?

山口 能力が際立っているというより、何に基づいて形態を把握するのかがほかと異なるのだと思います。なぜセザンヌ作品だと自分はあんなに気持ちよく感じるのか、もそのへんでしょうし、快感の強さがほかに替え難くて、ついつい見てしまう。

会場風景より、左からポール・セザンヌ《鉢と牛乳入れ》(1873-77頃)、同《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》(1904-06頃)、同《帽子をかぶった自画像》(1890-94頃)、いずれも石橋財団アーティゾン美術館蔵 撮影:木奥惠三 Courtesy of Artizon Museum

絵の中に分け入り気づいたこと

——図録によると、山口さんは2022年11月から今年6月までの計7回にわたり、セザンヌの最晩年の作品《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》(以下《サント=ヴィクトワール山》)と向き合って模写を行いました。本展の「セザンヌへの小径」のセクションでは、山口さんの模写《セザンヌへの小径(こみち)》が展示されています。本作において、なにを探求されたかを噛み砕いて教えていただけますか?

山口 2012年のセザンヌ展のときに、テレビの美術番組に呼ばれて《サント=ヴィクトワール山》を模写しました。絵は実物でなくて、コピーだったのですが。そのとき、同じ色を目でたどっていくと、向きが同じであることが多くて、それが遠景や中景や近景といった絵の中の距離と組み合わせて使われている。つまり、遠景右側の面に使う色とか、正面中景から中景にかけての色とかが揃っているように見えたんですね。大発見ではないのですが、自分でみつけたものですから、もう一度確認したいと思いまして、今回も模写をしたいと美術館にお願いしました。

どうしても、やはり図録では絵の中に分け入るのは無理なんですね。実物でないと。「目」という器官は本当によくできていて、両眼視差で色々なものを見てかなりの情報量を拾いますから。今回は、《サント=ヴィクトワール山》で使われている絵具の色合わせもしまして。

山口晃が方眼紙に描いたセザンヌ作品の分析。右手に見えるのは色合わせに使った絵具のチップ 撮影:永田晶子

——会場のケース内に、山口さんが作られた色チップも展示されています。セザンヌが使っていた色を解析されたのですね。

山口 それもやりたかったし、あと描き順ですね。セザンヌがどこからどういうふうに色の面を重ねていったのか。やはり2012年のセザンヌ展に関連した雑誌の仕事で、セザンヌの故郷のエクス=アン=プロヴァンスを訪れて、地元のグラネ美術館でセザンヌ作品を見る機会がありました。彼の作品と分からないような若描きの初期風景画の隣に、いかにもセザンヌらしい完成期の作品が並んでいて、なぜこれほど違うのかと思いながら筆致を辿ってみたら、描き方がまるで違ったのです。若い頃の作品は山の稜線から描いて、その内側を陰影付けしながら立体感を出しているのですが、完成期の風景画はよくわからない青色の輪郭線があったりして。さらに見ていくと、そちらの作品は輪郭線から描きだしていないんですね。つまり山の真ん中あたりから、こう粘土の塊をギューッとギューギューギュー(こねて広げるしぐさ)と、輪郭のほうへ向けて押し広げるみたいに麓を作る。そういう感じでモデリングして描いているんです。非常に触覚的な印象がありました。

そのときに気づいた、セザンヌが描き始めた「真ん中」が、果たしてその1枚だけだったのか、それともほかの作品とも共通しているのか。そこに非常に興味があって、確認したいと前から思っていたものですから。

——山口さんによる模写《セザンヌの小径(こみち)》では、セザンヌ独自の色の分布や筆遣い、筆順を分析しているのですね。

山口 《サント=ヴィクトワール山》を見ながら、ひたすら気になることを確認していったもので、自分の「作品」を作ろうという気はありませんでしたね。

会場風景より、右壁面にかかっているのは山口晃《セザンヌへの小径(こみち)》(2023) 撮影:木奥惠三 Courtesy of Artizon Museum
会場に展示されている山口晃によるパネル 撮影:永田晶子

「盆のような月」vs「ボールのような月」

——鑑賞する立場から言えば、やはりセザンヌの絵画は手ごわくて、どう見ればいいのかと思うことがあります。本展では、同じ会場に《サント=ヴィクトワール山》も展示されているので、山口さんの探求を手掛かりに実作品を見て確認したり追体験したりできます。会場に掲示されている山口さんの言葉と絵によるパネルでも、セザンヌの描き順についてご自分の「発見」を書かれていますね。

山口 以前に知人の美術家から聞いた話ですが、彼女がニューヨークかどこかに滞在したときにあちらの方に絵に水彩だかの下塗りを頼んだら、その人が真ん中から色を塗り出してムラだらけになったことがあったそうです。日本の美大を出た感覚ではアウトラインから一方向にムラなく塗っていくのが常道だと思います。そのときは、笑い話みたいに受け取りましたが、その後「あ、何かありそう」と思いました。ドラクロワが「真ん中から描くことだ」と述べていましたが、そうした描き方によって、彼ら西洋圏で美術を学ぶ人は回り込みに対する意識を高めてきたのではないか、と。

かつて美術予備校に通っていたとき、先生から「日本人は立体把握に疎い。僕たちは『盆のような月』と言うけれど、西洋人は『ボールのような月』と言うんだ」と言われたことがあって。

——「ボールのような月」と見る立体把握意識が、西洋の写実性を生んだのでしょうか?

山口 教育の成果なのか、地域性によるものなのか、個人の資質によるのか、本当のところはわからないですよ。ただ、その先生の言葉が記憶に残っていて、だからといって立体把握が絵の要諦というわけではなく、それが「できない」アドバンテージを最大限に活かすことが、逆に日本の絵の生きる道だと思いますが。

山口晃 日本橋南詰盛況乃圖 部分 2021 作家蔵 撮影:浅井謙介(NISSHAエフエイト株式会社) © YAMAGUCHI Akira, Courtesy of Mizuma Art Gallery

——山口さんは、色彩についてどうお考えですか?

山口 私は線を描きたいんです、本当は。色は塗りたくない、むしろいらないと思っているけれど、色を塗らないと「完成していない、途中だ!」と言われてしまうから、仕方なく塗っている。

一同 (笑)。

山口 基本はそうで、色に関してはほぼ塗り絵ですね。受験絵画で「とにかく絵が仕上がったように見せろ」と教え込まれたものですから、「三角食べ」みたいな塗り方になるんです。ご飯とおかずと味噌汁を満遍なく少しずつ食べていくと、ほぼいちどきに全部が綺麗になくなるという食べ方。そんな感じで、一部分に偏らず絵を塗っていくと、いつ「これで終わり!」と言われてもある程度の絵のバランスとクオリティが保てるので、そういう描き方をしろと……。なぜこの話を始めたんでしたっけ?。

——私が絵画の着彩についてお聞きしまして。

山口 それです! そうやって無理矢理に色を塗って作品を仕上げているうちに、色を塗った時にだけ、完成したときにだけ現れる状態があるというのも次第にわかってきて、それはそれで、「こうなるんだ!」という描画材や線や形に導かれて当初の思惑とまるで違うものが現れてくる制作の醍醐味なわけですが。なのになぜ私が色を塗りたくないかと言えば、それは自分の脳内で色彩は補完されますから、アウトラインさえあれば十分なのです。自分の中では足りているんです。「いい絵が描けた!」と感じられれば。つまり人に見せることを想定していない絵をずっと描いてきたわけで。

——そうなんですか!

山口 そうです。全部自分が見たいから、やりたいからやるだけで、絵を描くことに他人は一切関係ないです。褒めてくれなくていい。ただ、そう云う原初的な場で描いた絵を、美術という制度の中に絵画として送り出してやるわけですね。鑑賞の場に供してやる。そこでは絵と見る人のために言葉も尽くすし環境も操作する。褒められれば単純に嬉しかったりもしますが、やはり「絵」とは違うところにあるステージなんです。

——以前のインタビューでも褒めてくれなくていいと言われていましたね。

山口 絵が褒めてくれればいいのです。「ありがとう、形にしてくれて」と。実際は、絵はなにも言わないし、私も聞こえないですよ。でも描いているとこう、楽しいんです。自分が「ああ、面白かった」と思えればいい。子供の頃も親に絵を褒められたことは一度もありませんでしたが、不満は感じなかったし、むしろ一切干渉しないで放っておいてくれてありがたかったし、いちばんの甘やかしだったと思っています。

——「こういうふうに描いたら」とアドバイスされませんでしたか?

山口 まったく言われませんでした。僕が3歳だか4歳だかの頃、一度だけ父親がなにか言ったらしいんですね。そのときに私が非常にムカついた顔をした(笑)。「あ!」と思ってそれ以来、一切口は出さないようにしたらしいです。

——「あ!」と気づいたお父様はすてきですね。

山口 父親は自分でも絵を描きますから、そこはわかるんでしょうね。

会場風景より、山口晃《趣都 日本橋編》(2018-19、講談社『月刊モーニング・ツー』) 撮影:永田晶子

【近日公開予定の後編へ続く】

*1——「西洋美術由来の素数で因数分解するだけで良いのか。何を素数にとるか。/『スープ』と『パスタ』から見れば、『うどん』はそれらの折衷だが、『うどん』から見ると『スープ』と『パスタ』はそれぞれ『具なしうどん』と『汁なしうどん』」(「ジャム・セッション 石橋財団×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」展カタログ・山口晃「日本近代と洋画」の項より)

*2——1926年に開業した東京都練馬区の遊園地。2020年閉園。

やまぐち・あきら 1969年東京生まれ、群馬県桐生市に育つ。1996年東京芸術大学大学院美術研究科絵画専攻(油画)修士課程修了。日本の伝統的絵画の様式を用い、油絵という技法を使って描かれる作風が特徴。絵画のみならず、立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。近年のおもな個展に、「望郷TOKIORE(I)MIX」(2012、東京・銀座メゾンエルメス フォーラム)、「山口晃展 前に下がる 下を仰ぐ」(2015、茨城・水戸芸術館現代美術ギャラリー)、「Resonating Surfaces」(2018、ロンドン・Daiwa Foundation Japan House Gallery)など。2013年に著書『ヘンな日本美術史』で第12回小林秀雄賞を受賞。本展で原画を展示している漫画「趣都」を月刊「モーニング・ツー」で連載中。

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。