公開日:2021年7月20日

2021年、東京に捧げるパビリオン:「パビリオン・トウキョウ2021」レポート

8人+1組の建築家と美術家が期間限定の「パビリオン」を東京に出現させている(文・写真[*は除く]:住吉智恵[アートプロデューサー、ライター])

パンデミックの禍中、まさかの実施に向かって突き進む東京五輪・パラリンピックを目前に、文化芸術の分野で日本の首都・東京の「現在地」を見せようと東京都が企画したTokyo Tokyo FESTIVALが各地で開催されている。

その公募プログラムに選ばれた企画のひとつ「パビリオン・トウキョウ2021」が7月1日から始まった。8人+1組の建築家と美術家が独自の「パビリオン」を設計し、国立競技場を中心とする都内9ヶ所に設置するプログラムだ。

藤森照信による茶室「五庵」

建築史家・建築家の藤森照信は、さまざまな思惑が絡まり完成した巨大な国立競技場(隈研吾設計)の向かいの角に小さな茶室「五庵」を設計。ずんぐりした低めの火の見櫓のような形で、1階は芝に覆われ、2階は焼き杉という建築史家出身の藤森ならではの工法が用いられている。

「お茶室っていうのは別世界性が必要なんですよ。地上にあるより、やっぱり高さが必要で、高いところに登って、狭くて暗いにじり口から上がっていくと、景色が違って見える。この効果は茶室ならではのものです」(藤森照信の公式コメントより。以下同)

にじり口の梯子を昇り、2階の茶室に腰かけるとベンチとテーブルの狭い隙間にはまり込んで、ほとんど姿勢を変えることができない。閉所恐怖症ぎみでゴールデン街では落ち着いて飲めない筆者には若干息苦しいが、ちょうど向かいの競技場が見える窓の向こうに「TOKYO 2020」という横断幕が見えると、なぜだか地上で見るよりも可笑しさが勝ってしまい、なおさら現実味のない夢幻の光景に思えてくるのだった。高所目線&茶室効果おそるべし。

藤本壮介による《Cloud pavilion(雲のパビリオン)》

建築家の藤本壮介は、代々木公園と高輪ゲートウェイ駅に、雲の形をした白い造形物を作った。2000年頃、デビュー間もない彼にインタビューしたときもたしか雲について熱く語っていて、「とてつもなく大きく、さまざまなものをすべて包み込んでしまう究極の建築」というビジョンをすでに抱いていたと記憶している。

あらゆる地域や状況の上に等しく浮かぶ「世界の大屋根」である雲にインスパイアされた本作は、同時にいまだ雲の上の手の届かないユートピア世界への憧憬をも象徴するようだった。

平田晃久による《Global Bowl》

建築家の平田晃久は、青山通りの国連大学前広場に、大きな木のボウル型のパビリオン《Global Bowl》を設置。通り抜けたり座ったりできるが、滑りやすく登るのは危険だ。ちょっと箱根寄木細工を思わせる精密に組まれた物体の構造は、木材を三次元カットして組み合わせる日本の最新技術を生かしたという。この場所は昔から広大な何もない空間で、商業活動やイベントのできない都市のなかの空白(void)である。幾何学的でありながら生物を感じさせるパーツのシルエットや工芸品のような木質感がくっきりと映える、誰も昇ることのできない巨大なオブジェクトは、利権や私欲がまかり通らないパブリックスペースに置かれたアートに相応しい。

藤原徹平による《ストリート ガーデン シアター》
藤原徹平による《ストリート ガーデン シアター》

その隣にある旧こどもの城前の広場では、建築家の藤原徹平が《ストリート ガーデン シアター》と名付けた階段状の構造物を設計し、梁やテラスなど全体に多種多様な植物を配した。「植木は、東京という都市の最小スケールの秩序と言ってもよいかもしれません」と彼が言うように、東京の街には住民たちが思い思いに育てる植木鉢が並んだ風景が欠かせない。江戸時代に神社仏閣や大名屋敷の庭園で培われた造園技術がやがて民間に伝わり、小さな坪庭や軒先でささやかに(時には狂おしく)園芸を楽しむ文化が受け継がれてきた。道行く人の目を楽しませ、近所付き合いの潤滑剤にもなる園芸は、殊にこのコロナ禍の社会では、安全なテリトリーで季節のうつろいや植物の成長を微細に感じとることのできる営みとして再び注目されている。このパビリオンにも日々変化がある。これから収穫期を迎えるハーブや果実、野菜は街歩きの人にもシェアされるというから楽しみにしたい。

妹島和世による《水明》

同じく、自然や植物と共生するパビリオン《水明》を設計したのが建築家の妹島和世だ。浜離宮恩賜庭園の芝の上に、平安時代の庭園にあったという水路・曲水をイメージして、幾何学模様を描いて蛇行する人工的な水の流れを作りだした。もともと浜離宮には、海水を導き潮の満ち引きによって池の趣を変える潮入の池や鴨場があり、水との縁が深い。鏡面の水路にごく浅く張られたこの水場は、目に見えないほどのわずかな勾配で低きに流れ、わずかな動力で静かに循環しながら空や樹々を映している。水流を調節するために浮かべられたという異質な造花の人工的なテクスチャーと、背景に屹立する汐留の高層ビル群がどこか呼応するようでもあり、これまでも常に人工の造形と自然や伝統との現代的な共生を表現してきた妹島の仕事の一環にあることがわかる。

草間彌生による《オブリタレーションルーム》 ©YAYOI KUSAMA Yayoi Kusama / The obliteration room 2002–present Collaboration between Yayoi Kusama and Queensland Art Gallery. Commissioned Queensland Art Gallery. Gift of the artist through the Queensland Art Gallery Foundation 2012 Collection: Queensland Art Gallery, Australia 協力:オオタファインアーツ 撮影:木奥恵三(*)

美術家の草間彌生は、世界各地で発表されてきた代表作《オブリタレーションルーム》の2021年バージョンを展示。「オブリタレーション(自己消滅)」とは、草間彌生が1960年代から継続するテーマで、夥しい水玉が身体や空間を覆うことで、自身の身体も他者もすべてが水玉の中に消滅していく願望を表現している。本展では、初の日本間も設えた真っ白な部屋に入り、来場者が家具や調度品などあらゆる場所にカラフルな水玉のシールを貼っていく。無菌室のように生気のない仮設の室内が会期を通じて水玉で埋め尽くされ、次第に空間と物の輪郭は「消滅」していくが、一方で他者の雑多な介入によって生き生きと息を吹き返すとも言える。

「真鍋大度+ライゾマティクス」による作品

特別参加となった「真鍋大度+ライゾマティクス」は、ワタリウム美術館向かいの小さな空き地でメディアアートの展示を試みた。

「この作品では、もうひとつの東京2020を展示します。2020年春の最初の緊急事態宣言から現在までに収集した様々なデータを使用して、AIが生成する狂喜乱舞する東京の姿。本来使用されるはずだったデータや中止になったイベントに関する情報などの特徴を抽出し抽象化して文字や映像に変換し続けます」(真鍋大度+Rhizomatiks)

文字を追うのもやっとの速さで流れていく映像は、ある程度の時間かなり集中して見ていないと意味を掴むことはむずかしい。AIがすくいあげた2020年の東京のエッセンスは、この期間に多くを失った者の怨嗟やぼやきを濾過したドギツイ毒気も孕んでいそうだ。

建築家の石上純也は、九段下にある旧個人邸の庭に、焼き杉を使って木漏れ日をつくりだすための庇のような構造物を制作。内覧日には未完成で見られなかったが、炭化したマットな質感が醸し出す、古色を通り越した凄みのある廃墟感が、いい感じのロマンチックな洋館建築にどのような異化効果をもたらすか。木漏れ日の涼しさよりもむしろそちらが興味深い。

会田誠による《東京城》 © AIDA Makoto 撮影:ToLoLo studio(*)

神宮外苑のいちょう並木入り口には、美術家の会田誠が《東京城》を建造。もともとそこにあったが気にとめたこともなかった二つの石塁の上に、ダンボールとブルーシートのお城を築いた。この謎の台座は江戸城の石垣を使ったもので、関東大震災後のバラック建設の指揮官であり、小学校の鉄筋コンクリート化を推進した建築構造家の発案によるものだという。

八百屋さんで分けてもらったダンボール、ありふれたブルーシートといった仮設感たっぷりの素材だが、構造計算や工法については建築家の知恵を借り、堅牢な作りになっている。とはいえカラフルに彩られたダンボールの表面には連日の長雨ですでにヘタリが見られるようだ。

「強調したいのは恒久性とは真逆の仮設性、頼りなさ、ヘナチョコさ──しかしそれに頑張って耐えている健気な姿である。どうなるか、やってみなければわからない。一か八か作ってみる。それを現在の日本──東京に捧げたい」(会田誠)

会田は1995年の《新宿城》以来これらの素材を多用しているが、その文脈は作品ごとに微妙に異なる。いずれも私たち日本人にとって、日頃梱包や養生で頼りにしている素材である一方で、ホームレスの住居、震災や水害の度に仮設される避難所といったイメージを喚起させ、心をざわつかせる質感でもある。しかしこのパビリオンでは、彼はこの2つの素材を使うことで、「現在」まさに苛烈な状況におかれた日本と首都東京の人々へエールを送る。さらには同時並行で進められる祭典と政(まつりごと)との捻れたコントラストにも無言の言及をおこなっているのではないか。それはどこにも明言されてはいないが、いまにも崩落しそうだが踏ん張って持ち堪えている2つの城の向こうに、権威の象徴たる歴史的建造物を蜃気楼のように眺望するとき、そんな穿った見方をせずにはいられない。

日本を代表する建築家と現代美術家がそれぞれの東京、そして日本への想いを自作パビリオンに込めた本プログラム。いま目の前にある東京という都市とその構造のリアリティがどこにあるかと自問するならば、やはり風雨にしぶとく堪えるダンボールとブルーシートの城が見せるやけっぱちの強靭さに尽きるのである。

会田誠による《東京城》

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