公開日:2020年7月27日

アートのための通訳・翻訳の可能性を探る:田村かのこ インタビュー

アートトランスレーターの田村かのこにインタビュー

2014年より3年に1度行われてきた芸術の祭典「札幌国際芸術祭(SIAF[サイアフ])」。今年は「Of Roots and Clouds:ここで生きようとする」をテーマに、12月19日から2021年2月14日にわたって開催される(*編集部追記:7月22日、新型コロナウイルスの影響を考慮し開催中止が決定した)。

今年のSIAFは、初のディレクター3名体制。現代アートの企画ディレクターは天野太郎、メディアアートの企画ディレクターはアグニエシュカ・クビツカ=ジェドシェツカ、そして公募によってコミュニケーションデザインディレクターに就任した、田村かのこだ。

アートトランスレーター(アートに特化した翻訳者・通訳者)を名乗り、現代アートや舞台芸術のプログラムを中心に、日英の通訳・翻訳、編集、広報など幅広い活動を行ってきた田村。幼少期からこれまでの軌跡、アートトランスレーターとしての活動、SIAFでのコミュニケーションデザインディレクターとしての役割などについて話を聞いた。
(インタビュー収録日:2020年3月4日)

田村かのこ

 

幼少期からスイス、アメリカの日々まで

──田村さんは、アートトランスレーター(アートに特化した翻訳家・通訳家)として活動していらっしゃいます。まず、アートとの出会いはどのようなものだったのでしょうか?

田村:幼少期から絵を描くことが好きで、中学生の時は美術部の部長でした。高校は親の方針で留学をすることになり、スイスのアメリカンスクールへ進学したのですが、その学校でも美術の授業が一番好きでしたね。

──高校留学は「親の方針」だったんですね。

田村:お恥ずかしながら(笑)。将来的にアメリカの大学に行かせたいと考えていたようで、高校はその準備としてヨーロッパに行くことになりました。

──スイスでの高校を卒業した後は、アメリカのタフツ大学の土木工学部に進学されますね。なぜここで土木工学部を選ばれたのでしょうか?

田村:当時の私は美大にあまり良いイメージがなくて、「そんなところには行くまい」ってひねくれて考えていたんです。でもアートが好きだったのでどうしようと思っていたところに、建築という選択肢が浮かびました。建築は、アートとアカデミックの中間にあるようでおもしろそう、と。タフツ大学にはいわゆる文系の建築史と理系の土木工学専攻があったのですが、数学が好きだったので土木工学を選びました。

──土木工学というと、建築史と比較するとより実務的で「社会的・経済的基盤の整備のための技術」のイメージがあります。

田村:はい、建築や都市のインフラを支えるための実数計算の演習がほとんどでした。建築というとデザインばかりが話題にあがるけれど、構想の実現を可能にする技術とはどんなものなのかを学べたのは大きかったです。構造計算用にコンクリートの配合や鉄鋼のサイズが書かれた分厚い書籍と、大きな計算機をいつも持ち歩く、荷物の多い学部生時代でした。

タフツ大学にて

──タフツ大学を卒業後は、東京藝術大学美術学部先端芸術表現科に進学されましたね。日本に帰国し、ふたたび学部に進学しようと思った理由はなんだったのでしょうか?

田村:タフツ大学在学中は建築事務所でインターンを経験するなど、アメリカで建築家を目指すことも検討していたのですが、それが本当にやりたいことなのか確信が持てなくて。そんななかで先端(東京藝術大学美術学部先端芸術表現科)の存在を知り、初心にかえって好きだったアートを一から勉強しようと決意し、一般受験で学部に入学しました。

──数ある学部の中で先端を選んだ決め手はなんだったのでしょうか?

田村:既存の美術ジャンルにとどまらず、色々な分野に開かれているという特徴ですね。同級生にもユニークな人が集まっていて刺激を受けました。高校を卒業してすぐではなく22歳を超えてから入ったのも、吸収できるものが多くてよかったです。在学中は文字、文字と言葉の関係、詩など、言葉をテーマに作品制作をしました。

──数字がメインの工学部から一転、「言葉」を選ばれたんですね。

田村:はい。留学中に、自分の身体に別の言語である英語がインストールされて、それをうまく使えない歯痒さや日本語との違いを考えるうち、言葉へのこだわりがすごく強くなっていたんです。卒業制作では言葉についての考察をさらに発展させて、美術の制度やコミュニケーションが起こる仕組みについての作品を発表しました。

──学部での指導教員はどなたでしたか?

田村:木幡和枝さんです。学部生は3年生になるときに研究室を選ぶことになっていたんですね。私は1年生の時から木幡さんに気をかけていただいて研究室に出入りしていたので、木幡研に入ったのは自然な流れでした。

──木幡さんと言えば、スーザン・ソンタグとの交流やそのテキストの翻訳など、私にとっては翻訳家のイメージが強いのですが、アートプロデューサー、芸術評論家として著名かつ伝説的な方ですね。残念ながら2019年に逝去されましたが、とてもパワフルな人柄だったと多方面から聞きます。

田村:私は木幡さんの生き方を目の当たりにしてすごく刺激になりましたし、現代アートに貢献するための手段として言葉を使いたいと思ったきっかけも、彼女との出会いが大きかったです。在学中も、通訳の現場にアシスタントという名目で同行させていただきました。じつは、木幡さんは私にずっと「アーティストになりなさい」って言ってくださっていたんです。でも私は、人と人、人と文化、言葉の間に立つことが一番しっくりくると感じていたので。アーティストではなく木幡さんと同じような「言葉」を扱う仕事を選んだので、もしかすると全然おもしろく思っていなかったかもしれませんね(笑)。木幡さんは私が最も尊敬するメディエーター(媒介者)です。彼女と出会えたことは本当に感謝しています。

2020年2月に行われたSIAF記者会見の写真 撮影:詫間のり子

 

Art Translators Collectiveの結成

──先端を卒業した2年後、田村さんは2015年に「Art Translators Collective」を立ち上げますね。複数名のトランスレーターが集まるこのコレクティブを結成した経緯について教えてください。

田村:大学卒業後、フェスティバル/トーキョーの広報チームでアシスタントをしたり、アートプロジェクトのコーディネーターをしたりしながら通訳・翻訳の仕事を受けていたんですね。その頃、同じようなフリーランスのトランスレーター何名かと出会い「ギルド的にお互い助け合えたらすごく良いよね」という話になったんです。

──「良い」というのは具体的にどういったことですか?

田村:これは他業種のフリーランサーにも当てはまるかもしれませんが、タイミングが合わずに一度仕事を断ると、そのクライアントから次のオファーが来なくなることがあります。そういうとき、「私が代わりに引き受ける」と、信頼できるコレクティブのメンバーで穴埋めをし合えたら助かるということですね。

あとは、アートの翻訳・通訳には大きな可能性があるのに、その価値や可能性があまり理解されていないがために、アートシーンにとってもったいない状況が多く生まれているという共通の問題意識もありました。コレクティブの活動が、そうした状況を解決するきっかけをつくることができるのではないかとも思いました。

──トランスレーターと言うと、影の立役者的な黒子のイメージもあると思いますが、より主体的に活動、発信していくということですね。「アートシーンにとってもったいない状況」とは、具体的にどのようなことですか?

田村:いろいろあるのですが、作品ステートメントがわかりやすい例として挙げられると思います。アーティストのみなさんは作品と同様に作品ステートメントにも注意を払っていますが、それを翻訳する段階になると「じゃあよろしく」と途端に丸投げするケースが、じつは少なくありません。英語圏の読み手へ内容を適切に伝えるためには、日本語そのままではなく、ニュアンスやテンションを調整する必要があります。それをトランスレーターと協働しながら考えることが、結果的にステートメントと作品にとって良い状態になると考えています。

──英語がわからなくても、一緒に作り上げていくことができる、と。

田村:はい。アートにおける翻訳・通訳は言語の変換だけにとどまらず、言葉一つひとつの選び方から「あえて翻訳しない」という選択肢まで、無限の可能性があります。トランスレーターが表現者に寄り添い、その可能性を模索することは職業としての誠実さであり、クリエイティビティに貢献することにつながると思います。

もちろん、トランスレーターによって色々な解釈があるはずなので、私の考えが100%正解とは言いません。でも少なくとも私は、ステートメントの翻訳にしても、表現者の横でリアルタイムに行う通訳にしても、その内容と場を生かすも殺すも私次第という気持ちで取り組んでいます。

Art Translators Collectiveのミーティング風景。左から荒木悠、樅山智子、相磯展子、田村かのこ 撮影:村田冬実

 

コミュニケーションデザインディレクターという仕事

──今年の札幌国際芸術祭(SIAF)は、初のディレクター3名体制です。現代アートの企画ディレクターは天野太郎さん、メディアアートの企画ディレクターはアグニエシュカ・クビツカ=ジェドシェツカさん。そしてコミュニケーションデザインディレクターに田村さんが就任されました。このコミュニケーションデザインディレクターは、具体的にどのような役割を担うのでしょうか?

田村:シンプルに言うと「どのようなコミュニケーションが起こることが現場にとって一番良いのか」を考える人ですね。そのために、広報から会場の動線、サイン計画、教育普及、鑑賞プログラムなど、来場者に芸術祭を適切に伝えるための方針を決めていきます。

──コミュニケーションデザインディレクターは公募によって選ばれたことも話題になりました。応募しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

田村:いま、日本ではグローバル化やオリンピック関連で国際的なプロジェクトが増え、トランスレーターなしでは成り立たない現場が増えていますよね。なのに、「どんな翻訳が必要か」という議論は全然なされてない印象を持ちます。異なる文化間での協働には丁寧なコミュニケーション設計が必要なはずなのに、作品の出来に直接影響する対話の質が、トランスレーターのスキルや判断力に任されていることも多い。私は以前から、翻訳・通訳に限らず、創作の場において適切なコミュニケーションが発生するためにはそこにディレクションが必要だと考えていたので、SIAFがコミュニケーションに特化した人物をディレクターに据えようとしているのを知り、「そんな芸術祭があるんだ!」とすごく共感したんです。

SIAFのディレクター3名。左から田村かのこ、アグニエシュカ・クビツカ=ジェドシェツカ、天野太郎

──田村さんはあいちトリエンナーレ2019をはじめとした様々な芸術祭にトランスレーターとして参加してきましたよね。そうした経験も今回の実感につながっているのでしょうか。

田村:はい。私は、アートはただ作品を「置いていれば何かが伝わる」ものではないということを、これまでの仕事で実感してきました。では、どのように伝えているかというと、その後ろにはキュレーターや広報、あるいは編集者やライターなど、コミュニケーションがどのように発生するかを根気強く考える立場の人がたくさんいるわけです。でも、それは見えづらいがゆえに、コミュニケーションはなんとなく自然発生するものだと思われている。

ですので、作品を前にした人が自由に言葉を発するためにはどういうサポートが必要か、あるいは、まったく異なるバックグラウンドを持つ人とおもしろさを共有するためにはどうしたら良いかといったことを、芸術祭が立ち上がるゼロの段階から考えていくことはすごく理想的だと思いました。こちらから発信するだけでなく、観客の意見の取り入れ方や記録の残し方など、限られた予算の中での最適解を検討することができますから。

──芸術祭の開催まで約8ヶ月ですが、現段階で、田村さんはSIAFの準備でどのような仕事を行なっているのでしょうか?(インタビュー収録日:2020年3月4日)

田村:いまはアートメディエーション担当のマグダレナ・クレイスさんと、子どもから大人まで誰でも楽しめる様々なプログラムを企画し、準備を進めています。

北海道立三岸好太郎美術館にて、田村かのことマグダレナ・クレイスが一緒に行なったSIAF子ども向けのプレイベントの様子 撮影:詫間のり子

──そうしたSIAFでの作業プロセスにおいて気をつけていることや信条はありますか?

田村:どうすれば鑑賞者のみなさんが「自分ごと」だと思ってくれるきっかけをつくれるか、ということですね。作品を高尚な芸術としてただ眺めるのでなく、作品が示す視点や疑問を自分ごととして受け止め、想像力を働かせることで、その人の生活に少し変化が訪れる、というのが作品と鑑賞者の理想的な出会いだと思います。そのきっかけを起こすのが芸術祭の役割で、それをサポートしていくのが私の仕事です。特に、SIAFで紹介するような現代アート、メディアアートはそのまま展示するだけでは大きな化学反応は起きにくいので、「自分ごと」のために必要なのは入口づくりなのか、作品と鑑賞者の橋渡しなのか、適材適所の準備を行なっていきます。

じつは、2月に発表した最新のSIAF開催概要も、日本語と英語で異なる読み手を想定して作成しています。日本語は、アートに馴染みのない方々が読んでもストレスのないような切り口、対して英語は、現時点でプレスリリースに目を通すようなアート業界の方向けのハードコアなアプローチになっています。

SIAFのプレスリリース(2020年2月7日版)より

──開催概要冊子のレイアウトも、キャッチコピーがあったり、写真が多かったりと、雑誌のような雰囲気になっていますね。さきほど田村さんがおっしゃったような「どのようなコミュニケーションが起これば現場にとって一番良いのか」という工夫が、すでにプレスリリースにも表れている。実際の芸術祭でも、適材適所のためのチューニングは念入りに行われそうですね。

田村:はい、そうしたいです。私自身コミュニケーションデザインディレクターというポジション自体も初めてだし、完全に未知の領域なんです。地道に細かくこだわっていますが、どこまで目に見える形になるのかはわからないのでドキドキしています(笑)。こだわりが良い形で届くと良いなと思っています。

──個人的な感想なのですが、「現代アート自体に抵抗感を抱く人は意外と多いのかもしれない」と感じたのが2019年でした。ですので、今回のSIAFでは田村さんが媒介者となり、どのようなリアクションが起こるのかが楽しみです。

田村:私はSIAFをきっかけに現代アートが生活に必要だと感じる人を増やしたいです。つねづねアートと人は運命共同体だと思っているので、愛好家や理解者がいなくてはアート自体も存続できないし、人の存在も危ぶまれる。

──運命共同体というと、アートと人はともに栄え、ともに滅亡する、ということですか?

田村:そうです。アーティストは、オルタナティブな見方を発明したり、聞こえない声を聞こえるようにしたり、みんなが気づいているけど誰も言わないことを大声で言う。そうした営みが地球から消えたら、みんなどんどん、一番簡単でリスクの少ないシンプルな生き方を選ぶ。結果、権力者だけが得をする世界になっていき、人の想像力がなくなり、概念的な話ができなくなり……それはやがて死に至るということだと思います。少し大きな話になりましたが、そんな未来を招かないためにも、とにかく今は地道に芸術祭をがんばりたいと思っています。

──楽しみにしています。SIAFを訪れるうえで気をつけたほうが良いことはありますか?

田村:スケジュールに余裕を持ってきていただきたいです。というのは、今回のSIAFは冬開催なので、雪の影響で交通に遅れが出るような可能性もあるんですね。芸術祭を一日二日の弾丸で効率よく巡りたいという方も多いですが、札幌には美味しいものも素敵な場所も味わいきれないほどたくさんあるので、なるべく心にゆとりがある状態で来てほしいです。芸術祭と街の滞在とがセットで、より豊かな体験ができるとお約束します。

 

田村かのこ ©Photo by Ittetsu Matsuoka

田村かのこ
アートトランスレーター。Art Translators Collective主宰。現代アートや舞台芸術のプログラムを中心に、日英の通訳・翻訳、編集、広報など幅広く活動。人と文化と言葉の間に立つメディエーター(媒介者)として翻訳の可能性を探りながら、それぞれの場と内容に応じたクリエイティブな対話のあり方を提案している。非常勤講師を務める東京藝術大学大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻では、アーティストのための英語とコミュニケーションの授業を担当。また、札幌国際芸術祭2020ではコミュニケーションデザインディレクターとして、展覧会と観客をつなぐメディエーションを実践している。2008年タフツ大学工学部土木建築科(米国)卒業、2013年東京藝術大学美術学部先端芸術表現科卒業。NPO法人芸術公社所属。

 

野路千晶(編集部)

野路千晶(編集部)

のじ・ちあき Tokyo Art Beatエグゼクティブ・エディター。広島県生まれ。NTTインターコミュニケーション・センター[ICC]、ウェブ版「美術手帖」編集部を経て、2019年末より現職。編集、執筆、アートコーディネーターなど。