日本政府が新型コロナウイルス感染拡大防止のため、大規模なスポーツや文化イベントの自粛要請を行ったのが2月26日。そこから多くの美術館が休館し、イベントは中止となり、実空間でのアーティストの作品発表の場は減少している。
いっぽう世界各地では国、市、個人といった様々なレベルでアーティストに対する緊急助成金が立ち上がっているなか、東京都は「活動を自粛せざるを得ないプロのアーティストやスタッフ等が制作した作品をウェブ上に掲載・発信する機会を設ける」という支援策を打ち出した(ウェブ版「美術手帖」)。
そして4月24日、この東京都の支援策が「アートにエールを!東京プロジェクト」と題され、アーティストから「自由な発想を基にした動画作品」を募集、専用サイトで配信するという内容であることが明らかになった。動画作品を制作したアーティストやスタッフ等に対し、出演料相当として一人当たり10万円(一作品上限100万円)が支払われるこの支援策。対象作品は、5~10分程度の動画作品で、未発表の新作であることなどの条件が設定されている。
アーティストはこの状況下で何を思い、東京都のアーティスト支援策について何を考えているのか。東京圏で活動するアーティストに4の質問を投げかけた。
第6回はベルリンを拠点とする、アーティストの金瑞姫。
私はドイツ・ベルリンにて作家活動をしながら商業的な撮影依頼を請けて生活しているのですが、ヨーロッパでの感染拡大が急速に進んだ3月中旬より政府による外出規制や接触制限が施行され、仕事の面では経済的な問題を、生活の面ではこれまで持っていた価値観に大きな変化を感じています。多くの人々と同じように、イベントや展覧会の中止により、また、団体での行動・接触制限、依頼者個々の先の読めない経済的不安により主に撮影依頼のキャンセルが相次ぎ、仕事は激減しています。
生活面で特に感じるのは、フィジカルなコミュニケーションの欠落による変化です。現在、ヨーロッパでは感染防止のため挨拶としてのハグや握手の自粛が求められています。外からやってきた私のように、その文化に馴染みの薄い人間にとっては「寂しい」程度の感覚ですが、その文化のもとで育った人々にとっては精神衛生上とても深刻な問題になり得るものなのではないでしょうか。パンデミックがもたらすのは健康被害や経済的ダメージだけでなく、人々がこれまで築いてきた文化も些細なレベルからじわじわと蝕んでいくのかと思うと、これから次々と今まで信じていたものが根底からひっくり返ってしまうような気がして不安を覚えます。
収束の目処についてです。厳密に言えば、何をもって収束とするのかという判断についてです。一刻も早くワクチンが開発され、この特別な措置が一時的なものとなることを願いますが、何らかの基準をもった「収束」によりこれまでの何もかもが元通りになるのでしょうか。それともこの事態を機に、私たちは新しいシステムの中で暮らしていくことになるのでしょうか。台湾が抑え込みに成功したというニュースがありますが、未だ渡航には制限があります。国境を越えた移動の制限が今後どのように緩和していくのかが一番気がかりです。また、今後各国でナショナリズムが支持される風潮が強くなっていくのではないかという不安もあります。
まず前提として、いま私たちが直面している問題は全世界にとって未曾有の事態であり、誰にも本当の正解が分からない。そのため私たちは思惑に取り込まれることなく流動的に、様々な動きに対して素直に反応するべきだと考えます。東京都のアーティスト支援について小池知事の会見動画やニュース記事などの発表を拝見しましたが、具体的な運営方法やルールが明言されていないため、問題のあるものなのか有益なものになるのか判断しかねます。ただ、何故アーティストだけを取り上げて特別に支援するという考えに至ったのかが気になります。他にもこの事態を受けて経済的に困窮している職業の方はたくさんいるはずです。
日本でもSNSを中心に、ドイツ文化相による芸術文化支援のスピーチと、ベルリンの自営業者への助成金支給が話題になりましたが、文化相によるスピーチの目的は「この事態において軽視されがちな芸術文化を生活に必要不可欠なものとして認める」という表明をしただけであり、ベルリンにおいてはアーティストに限定した支援はなく、申告制で全ての職種の自営業者に一律の助成金が支給されました。もちろんそのスピーチは心強いものでしたし、助成金もとても有難い支援でした。しかし、話は少し逸れますが、オンラインで審査なく受給可能であった州予算の助成金は早々に資金をつき、結果として先着順の支給となったために、本当に必要な人々に行き届いたのかという問題点もあります。
東京の支援策に話を戻すと、発表にあった「プロのアーティスト」という定義にも疑問が残ります。また、作品を制作することが条件として挙がっているようですが、都がすべての作品を買い取るということなのでしょうか。もしくはコンペティションのような形式を取るのでしょうか。後者であった場合、どのような審査基準が設けられるのか、それがどういう基準であるべきなのかも疑問です。どちらにしろ、政府がアーティストに作品を制作させるといった図式は、歴史上のプロパガンダを連想させ、いい印象を抱けません。支援が確定しているのであれば、作品制作といったかたちではなく、アートを取り巻く環境(アーティストや制作者に関わらず、ギャラリーやライブハウス、批評家やライター、書店やディストリビューター等)ごと、持続的に支援する方法が提案されることを願います。
全世界が同時に同じ問題に向き合うことは、これまで私たちが生きている間になかった機会です。深刻化していく環境問題ですら、同じ深度で問題に取り組むということは出来ませんでした。いま世界中の多くの人々が、何が本当に必要で本当は不要なものなのか、また善意や人道的なものについて、様々なレベルで気づき始めているように感じます。全人類が強制参加させられているこの問題を通して、これまでどこか他人任せだったことに当事者性が生まれ、個々の意思や行動が大勢に影響を与えるという意識を持てるようになったことはポジティブな影響だと思います。先に「元通りに戻ることが出来るのか」と述べましたが、いま私たちはインターネットの発明以来の転換期にいるように考えられ、芸術の分野においてもまったく新しい何かが生まれるような期待はあります。
金瑞姫(Mizuki Kin)
1987年東京生まれ。2013年よりドイツ・ベルリンに活動拠点を置く。「写真メディアの再考」と「場所と記憶」をテーマに、歴史的背景を持つ建築物をモチーフとした作品を制作。第58回ヴェネチア・ビエンナーレ(2019年)シンガポール館のカタログを担当するなど、制作活動と並行して美術展や作品集、芸術系メディアを主にフリーランスフォトグラファーとして活動。2015年ポーラ美術振興財団、2018年吉野石膏美術振興財団在外研修員。
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第1回:会田誠
第2回:百瀬文
第3回:Houxo Que
第4回:梅津庸一
第5回:遠藤麻衣
第6回:金瑞姫
第7回:磯村暖
第8回:高山明