公開日:2020年10月13日

いま、何を考えていますか? アーティストに4の質問:Houxo Que

新型コロナウイルスの影響下で、アーティストは何を考えている? 東京圏で活動するアーティストにメールインタビュー

日本政府が新型コロナウイルス感染拡大防止のため、大規模なスポーツや文化イベントの自粛要請を行ったのが2月26日。そこから多くの美術館が休館し、イベントは中止となり、実空間でのアーティストの作品発表の場は減少している。

いっぽう世界各地では国、市、個人といった様々なレベルでアーティストに対する緊急助成金が立ち上がっているなか、東京都は「活動を自粛せざるを得ないプロのアーティストやスタッフ等が制作した作品をウェブ上に掲載・発信する機会を設ける」という支援策を打ち出した(ウェブ版「美術手帖」)。

アーティストはこの状況下で何を思い、東京都のアーティスト支援策についてどう考えているのか。全8回の連載「いま、何を考えていますか? アーティストに4の質問」では、東京圏で活動するアーティストに4の質問を投げかける。

第3回は、アーティストのHouxo Que。


 

1:新型コロナウイルスはあなたの生活をどう変えましたか?

2020年内に予定されていた展示会や仕事などは延期・中止され、現状の予定はすべて白紙ですが、普段の暮らしはあまり外出しない生活だったので外出自粛要請を受けてもそれほどの生活スタイルそのものの変化はありません。収入の見込みが現状ないのは確かに不安ではあるのですが、元々そのような生活だったので今まで通りの不安があるだけです。

ただ皮肉なことに、世の中の多くの人が自分と同じ状態になったことで、今までの自分の生活というのが、結局は社会とのあいだにある一定の距離が、つまり既に社会的距離(ソーシャル・ディスタンス) があったものだったということに気がつきました。COVID-19によって生活が変わったのは私ではなく、社会のほうだったということです。

 

2:いま、一番気がかりなことはなんですか?

人々の精神的な、または態度の変異ということに今は関心があります。特にそれが不可逆な形で訪れるのではないのか、という懸念があります。

今はこの感染症を抑え込むために、地球上の多くの人々がライフスタイルを一時的にも変化させ、大変な努力をしている最中かと思います。人類は過去に何度も感染症と戦ってきたのですから、おそらく今回のコロナ禍も(犠牲者の数はわかりませんが)乗り越えることでしょう。地球上の人類の社会秩序が崩壊して ホッブズ的闘争の時間が始まる、ということも可能性としてないとも言えないですが……。ただこの先どうなるにせよ、ヒトが生存可能な環境があれば、(どれだけの時間がかかるかはさておき)物質的なものはいずれ取り戻されると思います。

一方で、現在の社会秩序が維持されたまま収束したとして、今回の感染がグローバルな物と人の移動によって広がったということが人々をどのように受けとめるかということは気がかりです。例えば、クラスター対策が注目されると、感染者の行動追跡がニュースで語られるようになります。「どこでクラスターが発生して、n人がその後移動したか」とか「感染経路のわからない人がn人いる」といったことです。また、AppleとGoogleが各国保健機関と共同して行うプロジェクトも、利用者のプライバシーに配慮しながらも追跡をします。こうして「濃厚接触」と「行動追跡」という言葉を、前者は危険に、後者は安全につながるものと私たちは認識していきます(そして、それは正しいのでしょう)。この意識の変化はその後どうなるのでしょうか。人やモノとの“接触”はどのように変わるでしょうか。安心安全と引き換えに、国や社会にあなたの行動を追跡させることをあなたは受け入れるようになるでしょうか。

私はそういったことを気にかけています。反動的になるのか、変わらずに元通りになろうとするのか、それとも針を極端に振らないようなバランスのとれた道を見つけるのか。このような意識的な変化があるのではないかと、関心を持ち観察しています。

美術の世界への影響も当然関心があるわけですが、それは先程書いたことと繋がった現象だとも考えています。

Houxo Que「un/real engine」(2019) LCD display monitor, Raspberry Pi, water, India ink 「TOKYO 2021美術展『un/real engine──慰霊のエンジニアリング』」展示風景より Photo: ShuNakagawa

今閉館している美術館の中には、日本国外から作家を招いた企画を準備していた展示もありましたが、作家が来日して展示の最終確認を行えていないため、仮に緊急事態宣言が解除されてもオープンできない状況の施設があると聞きました。また、貸し受けた作品はあるものの、クーリエ( 美術品の移動に際して、随行し、作業を監督する役の者)が渡航できていないという話も聞きます。これらの問題のように進行がスタックしてしまう現状は、美術の世界もグローバルな繋がりの中で駆動していたことの証でしょう。一見、ドメスティックな表現を行っている国内の作家であっても、使っている材料が手元に運ばれてくる経路にはサプライチェーンの存在があるかもしれません。もしも、物と人の移動がせき止められたとしたら、美術の世界も今まで通りに続けていくことはもはや困難でしょう。

アーティストが制作を行う時、 ──周囲の状況がどのようなものであれ──そこはプライベートな時間と空間であり、そこから作品は生まれてきます。しかし、もしあらゆる座標を追跡され続けるとしたら、アーティストたちはそれをどのように内面化するのでしょうか。どのような新しい表現が生まれるのでしょうか。または、なにが失われるのでしょうか。

このように世界全体が現在進行形で大きく変わりだしている中で、社会がどう変化をし、人々はどういった方向に向かうのか、また美術ではどのようなゲーム・チェンジが起きるのか(または起こせるのか)、ということを考えるために人々の変化を気にかけているのです。

 

3:東京都のアーティスト支援策についてどう思いますか?

まず、東京都がアーティスト支援を考えてくれていること自体に、ありがたいという気持ちがあります。未だに国からはそのような話はないですし、少なくとも文化庁長官の声明よりもずっとマシな提案ではないかと思います。しかし、この支援策にはいくつかの問題と疑問があると感じます。

1:ウェブ上での公開という形式であること
芸術の表現形式は多様です。オンラインに本質的に対応できない表現を行っているアーティストは支援を受けることが難しいのではないか、実際にはスクリーニング(選別)されてしまうのではないかという懸念も残ります。 それぞれの自宅でも観賞できる作品を発表することで多くの人が外出を控えることに繋げ、感染者の増加を抑え医療現場のリソースを守ろうとする目的には同意しつつも、この点で形式を限定していることには公平性がかける可能性があると考えます。

2:作品の内容についての審査はあるのか
審査について現在(4/20時点)まだ詳細な発表はありません。もしも、あるとしたらそれは誰がどのように行うのでしょうか。また、もしもそれが実態としてコンペティションになってしまった時、仮に東京都が好ましくないと判断をする内容の作品があったとして、それを作った作家たちは、作品の内容次第で支援を受ける対象かどうか判断されるのでしょうか。この懸念をもって即ちに「表現規制だ」というつもりもないですが、作家(人)ではなく作品(モノ・コト)を前提とした支援策には危うさがあるとは言えます。COVID-19によって「経済的な打撃を受けているアーティストや運営団体らを援助」するうえでの条件に作品(の制作や発表)を織り込むことの難しさが、そこにはあるのではないでしょうか。

3:芸術と権力の歴史
東京都は地方自治体ではありますが、首都という性質上、その影響力は国家ほどではないにしても非常に強いものと言えるでしょう。芸術は過去に国家的プロパガンダに用いられてきた歴史があります。ナチスとワーグナー、社会主義リアリズム、 藤田嗣治と戦争画など、暗い歴史たちを私たちは知っています。そして、それらの歴史の中には当時の社会で輝かしいものとして示され、受け入れられたものがあったことも忘れてはなりません。正しい目的のためと思える時ほど、ふと立ち止まり思考すべきなのです。

それゆえ、危機の中にあって「芸術は無力だ」「無駄なものだ」といった諦観を口にすべきなどではないと私は考えます。それは反動的な「力」を求めてしまうからです。そうではなく、芸術とは過去には人々を高揚させ社会を導いたのですから、括弧なしの力があります。ですから、その力の取り扱いには注意を払わなければいけないし、そのために私たちはその力をよく知らなければなりません。行政からのオファーだからといって即座に否定すべきとは考えませんが、特に現代美術は過去の反省の上に立つべきであり、国家に紐づく共同体との関わり方には警戒感を持って臨む必要があると私は考えます。支援を受けるためにはアーティストであることを証明しなくてはならないため、人ではなく作品を条件とすることには一定の妥当性があるようにも感じられつつも、同時に都からのメッセージを作品が担わされる可能性もあることには注意すべきでしょう。

 

4:この先にどのような希望を見ますか?

美術に限って言えば、社会距離戦略の実現のためには当然、展示という形式を見直すべき時にあるでしょう。特に「ギャラリーという外部から隔てた空間で公に見せる」という行為がある時、そこには人が集います。ですから、今まで通りというわけにはいかないのです。

今日、人々は個人的な空間に留まっている一方で、自宅に留まれず外出しなくてはならない職務の方も多くいます。そのどちらも余儀なくその場にいるのではないでしょうか。この、誰もが自らの意思より先立つものによって身体の座標を決定される状況は、すべての人間が“わたし”という場所から遭難し、漂流しているようにも思えます。一方で、現代美術とはその“わたし”という場所についての思索を続けてきたのではないでしょうか。

少し、私の作品について話します。私の液晶ディスプレイにペインティングをした絵画作品のシリーズは、3.11後に今と同じように自宅に閉じこもっていた期間に着想を得たものです。当時は東京の自宅から外出もできず、ただただインターネットやテレビの報道を見続けていました。私はYouTubeの被災地の映像やSNSで飛び交う言葉から、まるで自分が当事者になってしまったかのような錯覚を伴うリアリティを感じていましたが、そのリアリティとはネットワークの向こうにある“リアル”から与えられたものではありませんでした。なぜなら私は自分の端末の前から一歩も動いてはいなかったのですから、当事者には成りえないからです。

つまり、その“リアリティ”とは“わたし”という場所を身体から離れて遠くまで伸ばしてしまう奇妙なリアリティであり、ディスプレイの光によって与えられたものだと考えたのです。

代替案として頻繁に行われているオンライン展示とは、所詮は仮初のものに過ぎません。人々と同じく作品たちもまた、余儀なくオンラインという場所にあるのでしょう。人も作品も漂流し続けているのです。しかし、人々がオンライン展示で見るものは仮想された空間にある作品ではなく、その人の孤独なディスプレイの光でしかありません。

私は、このような時であるからこそ9年間続けてきたシリーズの一つの達成として、(これを読んでいるみなさんが、今まさに見ている)その/この ディスプレイを作品としてお見せできると考えています。オンライン展示ではなく、直接あなたの今いるところで。

http://quehouxo.heteml.jp/16777216view/

このURLにアクセスして現れる光は、私の絵画作品の光と同じものです。私の作品は光そのもの。ですから、あなたがどこにいても、あなたのディスプレイがわたしの作品です。

自宅にいるにせよ、使命を持って仕事に向かうにせよ、特に今は誰しもが特殊な時間の中にいます。同時に、今までと同じように展示ができないということはアーティストにとっても、美術を愛する人々にとっても苦しいものですが、制作し、作品と出会うことを止められているわけではありません。また、そこでは作品と鑑賞者は──社会から切り離されているからこそ──「展示」という言葉から一時的に離れた、より親密な時間を作ることもあり得るのではないでしょうか。そして、それが人々を“わたし”の場所へと留め、結果として感染症拡大の抑止につながるのなら幸いと考えます。

そして、そのことが社会の中で遭難した人々を“わたし”の場所へと戻れるよう、あなたのところを照らすことできれば幸いと考えます。

過去にペスト禍が吹き荒れていた時、アイザック・ニュートンは大学から実家へ疎開している期間に『光学』をはじめとした多くの業績を残しました。14世紀には当時の権力構造が破壊された結果、教会の力が弱まり古代が再発見され、ルネサンスへと至りました。人類が過酷な感染症を乗り越える時、そこでは世界への新たな眼差しを手に入れてきたのでしょう。21世紀もまたそのような時代なのかもしれません。今はとても苦しい時ですが、人類は乗り越えていくでしょう。そして、それがどのような形になるのかは我々次第なのです。

少し未来へ目を向けてみましょう。今回のCOVID-19が過ぎたとしても、その後の平穏が続く保証などない世界に私たちは生きています。現在の地球の大規模な気候変動はどうでしょう。もしかしたら海面上昇によってヴェネチアは水没して、ビエンナーレは存続できなくなるかもしれません。 日本も台風や水害、地震など、毎年大きな災害と戦っています。 今、この世界は急速に変わりだしていますが、残念ながらこれが一過性のものであるかどうかすらわかりません。そして、COVID-19以降の世界を「ポスト・コロナ」と呼び続けられるかどうかもわからないのです。次々と脅威が現れる中で、私たちはどうしようもなくそれ以前を忘れていってしまいます。だからこそ、美術という歴史の中での営みを続けるべきなのです。

私たちはいずれ忘れてしまうのだから、作品を作らなければなりません。

 

Houxo Que Photo: MiyuTerasawa

Houxo Que(ホウコォ キュウ)
1984年東京生まれ。ストリートアートを出自とし現代美術へと活動の領域を広げてきた。2012年頃よりディスプレイに直接ペイントをする制作を始め、次世代を見据えた絵画を発表している。主な展覧会に「Proxy」(Galley OUT of PLACE TOKIO、2020年)、「TOKYO 2021美術展『un/real engine──慰霊のエンジニアリング』」(戸田建設、2019年)など。
 

いま、何を考えていますか? アーティストに4の質問
第1回:会田誠
第2回:百瀬文
第3回:Houxo Que
第4回:梅津庸一
第5回:遠藤麻衣
第6回:金瑞姫
第7回:磯村暖
第8回:高山明

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