「風船爆弾作戦と本土決戦準備 —女の子たちの戦争—」

明治大学平和教育登戸研究所資料館
5月31日終了
今から80年前の1944(昭和19)年~1945年の時期に、登戸研究所は、日本陸軍が強い期待をかけた風船爆弾の開発・製造に全力を挙げていました。陸軍は、この兵器を戦争の勝敗を決する「決戦兵器」と位置付け、アメリカ合衆国本国に大打撃を与えられるものと考えていました。1発あたり数十kgの兵器積載能力しかない風船爆弾に何を搭載しようと考えていたのか。当初は対人細菌兵器が構想されていたようです。後には米国の食糧生産に打撃を与える「牛疫ウイルス」の搭載が準備されましたが、結局は通常の爆弾・焼夷弾になりました。風船爆弾は、1944年11月から1945年4月にかけて9300発が発射されました。それがどのように計画され、多数の女学生たちを動員して製造され、どのような結末になったのか、なぜ陸軍は風船爆弾に強くこだわったのかを明らかにします。また、風船爆弾作戦が実施された時期には、本土決戦の準備が本格的に進められていました。日本陸軍と登戸研究所は、本土決戦に際してどのような戦いをしようとしていたのか、本土における遊撃戦(ゲリラ戦)はどのように構想されていたのか、また、敗戦に際しての証拠隠滅の指示など、残された資料から詳細に検証します。

スケジュール

開催中

2024年11月20日(水)〜2025年5月31日(土)あと179日

開館情報

時間
10:0016:00
休館日
月曜日、火曜日、日曜日
12月26日~2025年1月7日・18、2月5日・7日は休館
入場料無料
展覧会URLhttps://www.meiji.ac.jp/noborito/info/mkmht000001pi4kf.html
会場 明治大学平和教育登戸研究所資料館
https://www.meiji.ac.jp/noborito/index.html
住所〒214-8571 神奈川県川崎市多摩区東三田1-1-1 明治大学生田キャンパス内
アクセス小田急小田原線生田駅南口より徒歩10分
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