20世紀後半のモードをけん引したフランスのファッションデザイナー、イヴ・サンローラン。日本では没後初となる回顧展「イヴ・サンローラン展 時を超えるスタイル」が東京・六本木の国立新美術館で9月20日に開幕した。会期は12月11日まで。
サンローランは1936年に当時フランス領だったアルジェリア・オランに生まれ、17歳でパリへ。急死したクリスチャン・ディオールの後継者として弱冠21歳でコレクションデビューし、1961年に自身のオートクチュール(高級仕立服)メゾンを設立。当時のジェンダー規範を超越するようなパンツスーツやトレンチコート、サファリ・ルックといった現代まで続くスタイルを打ち出し、女性のワードローブに変革をもたらした。アートとファッションの融合にも先駆的役割を果たし、プレタポルテ(既製服)にも進出して2002年に引退するまで大きな影響力を持った。2008年永眠。
本展は、2017年に開館したフランスのイヴ・サンローラン美術館パリが全面的に協力。同館が所蔵するオートクチュールのルックを中心に、ジュエリーやドローイング、写真などを含む計262点によりサンローランの40年余の創造活動を12章構成でひもとくものだ。日本での回顧展は1990年以来、33年ぶり。プレス内覧会に出席した同館チーフキュレーターのセレナ・ブカロ=ミュセリは「優れたクチュリエ(オートクチュールのデザイナー)であり、様々な活動を行った20世紀最大の才能のひとりであるサンローランの軌跡を堪能してほしい」と語った。
展覧会は、幼少期からクリスチャン・ディオールで最初のコレクションを発表するまでをたどるプロローグ「ある才能の誕生」からスタート。13歳の時に制作した愛に関する挿絵入りの小冊子や16歳頃に紙を切り抜いてペーパードールや服を作った「紙のクチュールメゾン」が紹介され、若きサンローランの感性とファッションへの思いを伝える。1958年にメゾン・ディオールのためにデザインしたトラペーズ(台形)ラインのドレスからは、彼の持ち味になった軽やかなエレガンスが見て取れる。
第1章「1962年 初となるオートクチュールコレクション」は、公私ともにパートナーとなった実業家ピエール・ベルジェの支援を受けて設立した自身のメゾンの最初のコレクションを紹介。船乗りの仕事着から着想し華やかな金ボタンを加えた紺色のピーコートや膝丈のスカート・スーツが、あたかもモデルがランウェーを闊歩するように展示されている。サンローランが鉛筆で描いた服のスケッチや、彼の服を引き立てた帽子、アトリエで使われた生地見本付きの仕様書も並ぶ。
本展前半の大きなハイライトが第2章「イヴ・サンローランのスタイル アイコニックな作品」。ここでは、男性服のカットや機能性を保ちながら女性向けにアレンジを加えたサンローランの代名詞的ルックの数々を見ることができる。たとえばタキシードは男性の準礼装、ジャンプスーツは飛行士の仕事着、サファリ・ルックはアフリカの宣教師の服からヒントを得て、女性の身体を引き立てるシルエットに生まれ変わらせた。これら活動的なスタイルを、いまも愛用している女性は多いだろう。現代は当たり前になったシースルーも、サンローランは最初に取り入れたひとりだった。
1960年代後半から70年代初めは、フランス五月革命(1968)や女性解放運動、カウンターカルチャーがおこり、それまでの既成概念が覆されて変革の気運が高まった時代だった。サンローランも、そうした社会の変化を肌で感じていたのだろうか。1966年にパリに開いたプレタポルテのブティック「サンローラン リヴ・ゴーシュ」には女性客が押し寄せ、彼が提唱したスタイルは急速に普及していった。
手頃な価格のプレタポルテに参入し、「ファッションの民主化」に貢献したサンローラン。だが本人は、あくまで自分をオートクチュールを手がける「クチュリエ」だと認識していた。第3章「芸術性 刺繍とフェザー」は、彼の大胆なクリエーションを支えた織物や染色、刺繍、羽細工といった職人技が光る作品が集められている。
旅行をあまり好まなかったサンローランは、もっぱら読書や美術品収集を通じて異国へ思いを馳せ、創造の源泉とした。第4章「想像上の旅」は、アフリカやスペイン、日本、中国などの民族衣装のデザインや素材、図柄を取り入れ、自分のスタイルに昇華したルックを展示。ここでは、とくに鮮やかなカラーパレットが印象的だ。伝説的なロシアのバレエ団をイメージソースにした1976年秋冬「オペラ・バレエ・リュス」オートクチュールコレクションは、絢爛たる世界観が話題となり、サンローランもとくに気に入っていたという。
古代や中世、ルネッサンス、狂騒の1920年代など、様々な時代の装いを現代的に解釈した作品が並ぶのは第5章「服飾の歴史」。1985年にパリの教会の聖母像のために制作した神秘性漂う黄金のガウンや、天使のように背中に羽がある花嫁衣装もみどころだ。第6章「好奇心のキャビネット ジュエリー」では、宝石や本物の真珠にこだわらず、廉価な木材や金属、ラインストーンを用いた自由な発想のアクセサリーが目を引く。
子供の頃から舞台芸術に魅せられたサンローランは、演劇やバレエ、ミュージックホール、映画の衣装を数多く手がけた。第7章「舞台芸術――グラフィックアート」と第8章「舞台芸術――テキスタイル」は、生き生きと線が走る衣装スケッチや女優のためにデザインしたコスチュームを紹介。「生きた芸術」を愛したサンローランの、あまり知られていない仕事を知ることができるセクションになっている。
後半のクライマックスは、第9章「アーティストへのオマージュ」。ゴッホやピカソ、ブラック、マティスらの絵画を引用的に表現した作品が一堂に会する。名高い《モンドリアン・ドレス》は、ジャージー素材のパネルを継ぎ合わせ、動きやすい直線的なシルエットを実現。ゴッホ作品《アイリス》のモチーフを取り込んだジャケットは、無数のビーズやスパンコールが立体感を生み、画家の筆致を思わせる。熱心なコレクターだったサンローランの、アートへの深い理解と共感を感じさせる逸品がそろっていた。
第10章「花嫁たち」は、ファッションショーのラストを飾ったウェディング・ガウンが登場。女性の手と顔だけが露出する《バブーシュカ》は、さなぎのような前衛的なデザインで、結婚制度に対するユーモラスなまなざしも感じさせる。
ラストを飾るのは、日本との関係をかかわりを見せる第11章「イヴ・サンローランと日本」だ。サンローランは生前3回ほど来日。初めて訪れた1963年に行ったショーは、小説家の三島由紀夫が作品中で言及するほどの一大イベントとなった。
展覧会を通覧して、サンローランが提唱した様々なスタイルが現代女性のファッションに浸透していることを実感した。自分の感性に忠実に作り上げた作品が、普遍性の高みまで到達するのは多くのクリエーターが抱く夢だろう。イヴ・サンローランは、それを成し遂げた稀有なデザイナーだった。