清川あさみと巡る「YUMEJI展」(東京都庭園美術館)。ジャンルを超えた意欲的な創作人生に見た、アーティストとしての共通点

アーティスト、清川あさみが感じた「大正ロマン」を代表する画家の魅力。旧朝香宮邸の展示空間を歩きながら、担当学芸員と語り合う(撮影:西田香織 [《山・山・山》、スケッチ掲載写真を除く] )

清川あさみと《アマリリス》 1919頃 夢二郷土美術館蔵

東京都庭園美術館で、竹久夢二の展覧会「生誕140年 YUMEJI展 大正浪漫と新しい世界」が開催されている。会期は6月1日から8月25日まで。

「大正ロマン」を象徴する画家であり、詩人である竹久夢二は、正規の美術教育を受けることなく、独学で自身の特徴的な画風を確立し、絵画だけでなく、本や雑誌の装丁、雑貨のデザインなど、49年の短い生涯のなかで幅広い創作活動を展開した。生誕140年を記念して行われる今回の展覧会では、このたび発見された大正中期の作品《アマリリス》をはじめ、渡米中に描かれた油彩画や、友人に遺したスケッチ帳など初公開資料も含む約180点を通して、新たな視点から夢二作品を見つめる。

今回本展を訪れたのは、アーティストの清川あさみ。刺繍と写真を組み合わせた作品など、多様な手法を用いて独自の表現を展開してきた。この日、夏らしい爽やかな色の着物に身を包んだ清川は、作品の一つひとつをじっくり鑑賞。その創作姿勢に、自身とアーティストとしての共通点も感じたという。担当学芸員の鶴三慧とともに展示会場をめぐりながら話を聞いた。

恋多き男性だった夢二。《アマリリス》に描かれた女性とは?

――展覧会の冒頭の作品は、今回の目玉作品である《アマリリス》です。

清川 夢二の作品って、S字ラインの佇まいとか、線の描き方とか、彼独自のスタイルを確立させているってイメージを持っていました。けれど、この絵はそんな様式の外にあってデザイン的じゃないのがいいですね。構図もリアルだし、どこか生々しいというか、リアリティがあるというか。

鶴 じつは《アマリリス》はお葉さんという、のちに夢二の恋人になる女性がモデルです。本名は佐々木カネヨといい、藤島武二など様々な画家のモデルを務めていました。

竹久夢二 アマリリス 1919頃 油彩、カンヴァス 夢二郷土美術館蔵

清川 恋人! そうなのかな?って思っていました。眼の前にいる女性を描きたいという夢二の欲求を感じたから。それにしても、夢二って油彩も描くんですね、意外でした。竹久夢二は名前も作風も知ってはいたものの、きちんと作品を見る機会はそこまで多くありませんでした。

鶴 現在確認されている竹久夢二の油彩画は49年の生涯のなかで約30点ほどです。《アマリリス》は、夢二が定宿にしていた「菊富士ホテル」のオーナーへプレゼントしたものでしたが、1944年にホテルが閉業してから約80年所在不明となっていたんです。数年前にようやく所在がわかり、岡山県の夢二郷土美術館に収蔵されることが決まりました。東京で展示されるのは作品が発見されてから今回が初めてです。

左から:清川あさみ、東京都庭園美術館学芸員・鶴三慧

清川 アマリリスの花の位置も面白いです。この構図だと髪飾りにも見えますね。そんなところを描いてみたかったのかな?

 セザンヌみたいにいろいろな視点からとらえて描いていますよね。今回の展覧会には出していませんが、夢二は印象派など西洋の有名画家の作品を紹介した雑誌の記事をスクラップしていて、最先端の芸術を学ぶことに余念がありませんでした。また、きちんとモデルの特徴をとらえて描いています。

夢二は恋多き男性として知られていて、そのなかでも、最初の妻で同居と別居を繰り返した年上の(岸)たまきさん、若くしてなくなってしまう11歳年下の(笠井)彦乃さん、そして《アマリリス》のお葉さんは彼のなかでも存在が大きいですね。《山・山・山》は、お葉さんの前にお付き合いしていた彦乃さんをモデルにしていたもの。

展示風景 一番右端の作品が《山・山・山》(『婦人グラフ』口絵) 1927 夢二郷土美術館蔵
清川あさみと《霜葉散る》(『婦人グラフ』口絵) 1926

清川 顔立ちなどの特徴はやはり違いますね。そしてこれも様式化されていない。

 彦乃さんは、お父様に夢二とのお付き合いを反対されていたため、バレないようにお互いを「山」「川」と呼び合って文通を続けていました。夢二が描いた彦乃さんの絵のタイトルは「山」がついていることが多いんです。

清川 人間関係だけでも非常に興味深いです。3人ともタイプが違いすぎるのも面白い。

 ロマンティックなエピソードも多いので、それらも含めて竹久夢二はファンが多いんですね。夢二の人間関係などをフィーチャーした展覧会も数多く開催されてきましたが、今回は作品、特にこれまであまり知られてこなかった油彩画を主体にした構成にしています。

日本画から版画、テキスタイルデザインまで。ジャンルを超えた表現

――清川さんはこの展覧会を非常に楽しみにされていたと伺っています。

清川 夫(彫刻家の名和晃平)に強く勧められたんです。彼いわく、夢二は私と重なるところが多い、と。今日、庭園美術館で見られることがとても楽しみでした。

 夢二は現在の岡山県瀬戸内市で生まれて、18歳で単身上京しました。早稲田実業に通いながら雑誌や新聞に絵を投稿するところからキャリアをスタートし、人気作家となっていきます。画家に弟子入りしたり、美術学校へ通ったりすることなく、独学でそのスタイルを築きました。そして、瞬く間に人気作家となっていきます。

清川 すでに共通点が多くあります。私も瀬戸内の出身ですし、独学でいまのスタイルに辿り着いたことも重なります。

 清川さんも夢二も、様々なメディアを手がけているところも似ていますね。

清川 夢二の表現は、本当に多様なんですよね。展示室を見ていて驚きました。49年という短い生涯のなかで、こんなにたくさんの作品を作っていたなんて。日本画も、版画も、さらにはグラフィックデザインやテキスタイルデザインなど、ありとあらゆるものを手がけています。私もジャンルを超えて作品を作っているので気持ちがよくわかる。夫が勧めてくれた理由がわかってきました。

そして、このフットワークの軽さから考えると、とにかくいろいろ描きたかった人なのかな?と感じます。油彩が少ないのは、絵の具が乾くのを待っていられなかったのかも……、なんて妄想までしてしまいます。油彩って、乾くのを待つ時間など、制作時間が非常にかかりますし、いくらでも加筆できるからゴールが見えないんですよね。

旧朝香宮邸の建築空間と、夢二の作品世界の共鳴

――清川さんもかつて東京都庭園美術館で展示されていましたが(「Stitch by Stitch ステッチ・バイ・ステッチ 針と糸で描くわたし」、2009)、建物と夢二作品の組み合わせについてはどう感じますか?

清川 建物と絵がとてもしっくりくる組み合わせだと思います。夢二が活躍していた大正時代って、幕末や明治にかけて一気に西洋の文化が流れこみ、和と洋の文化が混ざりあった状態。そんな歴史背景が夢二の絵に強く影響が出ていますね。ものすごくいろいろなものを取り入れようとしているのが着物の柄や女性の髪型など細部からわかります。

夢二の活躍していた少し前、ヨーロッパだとミュシャが活躍していましたよね。ミュシャがデザインとアートのあいだでフレキシブルに活躍していたことを思い出しました。

鶴 東京都庭園美術館は、そんな夢二の活躍していた時代とほぼ同時期に建てられた旧皇族・朝香宮の邸宅でした。そんな建物で同時代に活躍していた芸術家の作品を展示したい、という思いでこの展覧会が実現しました。実際、朝香宮の次女、湛子女王が夢二のファンで、夢二の色紙を自室に飾っていたという逸話も残っています。

清川 そんなつながりがあったんですね。

鶴 この展覧会は、東京都庭園美術館を皮切りに、この後全国各地を巡回するのですが、やはり当館ならではの展示を盛り込みたくて、いろいろ工夫をしています。たとえば展示構成ですね。本館1Fは章立てせずにハイライトという形にして、朝香宮邸と夢二の作品世界を見てもらう空間にしました。大食堂の展示室は、室内の照明がフルーツをモチーフにしているので、ぶどう棚を描いた屏風を飾っています。

清川 展示空間がとても楽しいです。

興味の赴くままに描く。初公開のスケッチも

―― 新館で展示されている友人に遺したスケッチや素描などは初公開の資料です。

清川 スケッチがすごく上手で魅力的です。スピード感もある。外国人の顔立ちや体つきもきちんと特徴をとらえて描けているのが面白い。鉛筆と墨と両方使っているんですかね? 異なる種類の画材を両立させていることと、作風も和洋両立させていることと、共通点があるのかな?なんて思いながら見ていました。

鶴 夢二は基本的に独学なのですが、藤島武二や岡田三郎助と交流があって、美術学校には通っていないものの、当時の洋画家たちと情報交換は行っていたみたいですね。また、小学生時代に図工教師の服部杢三郎に出会うのですが、彼は夢二に写生の重要性を説きました。夢二はそれを律儀に守って写生やスケッチの練習を重ねていたそうです。

晩年には、約2年半かけて欧米各地を回ったのですが、こちらのスケッチはそのときに描かれたもので、初公開となります。

展示風景
夢二が使用していた筆など、実際の画材の展示も

清川 売れっ子だったのに、2年かけて欧米旅行するのってちょっと勇気が必要なことですね。

 じつは、大正から昭和に変わるこの頃、やはり夢二の人気にもかげりが出てきてしまって……。当時、夢二は榛名山のふもとに美術研究所を設立し、生活と自然や芸術をつなぐ活動をしようと準備もしていたのですが、最終的に自分の好奇心を優先して洋行を選びました。

新館の展示を締めくくる《立田姫》は、夢二が洋行する前に描いた最後の作品。夢二自身が自分の集大成として位置づけていた作品です。構図もすごく不思議ですよね。

清川あさみと《立田姫》 1931 夢二郷土美術館蔵

清川 富士山はやっぱり外せないんですね。色使いも素敵です。海外に行って、その後はどんな感じだったのですか?

鶴 過労もあったのか、帰国後に結核になってしまって1年後に亡くなってしまうんです。今回初出品されたスケッチは、夢二がお世話になっていた療養所の医師の方にお渡ししたものでした。

清川 夢二さんはプレゼントするのもお好きなんですね。それにしても、長生きしていたらどんな絵を描いてたんだろう。気になります。

鶴 今回の展覧会は油彩画であったり、スケッチであったり、これまであまり取り上げてこなかった夢二の別の側面を取り上げています。ここから夢二の新しいイメージ像が生まれるといいなと思っています。

清川 興味が赴くままに描きまくり、制作しまくる。非常に親近感が湧きました。しかも彼の作品はすべて一定の水準以上というのがめちゃくちゃおもしろいです。特にドローイング! 非常に独特でセンスがあり、それだけでアーティストとして刺激を受けました。一度に彼の仕事全体を展望できたのもよかったです。いま、子供がスケッチにはまっていて、夢二のスケッチを見たら絶対面白がると思うので、今度あらためて家族で伺いたいと思います。

【衣裳・ヘアメイク】
着物・帯/竺仙
https://www.chikusen.co.jp
03-5202-0991(代)

スタイリスト:秋月洋子

ヘア/メイク:布施智訪

清川あさみ

兵庫県・淡路島生まれ。03年より写真に刺繍を施す手法を開始。ソーシャルメディアや雑誌などのメディアシステムを通じて膨大な情報に晒される社会において、個人のアイデンティティの内面と外面の間に生じる差異や矛盾に焦点を当て、それを可視化する。写真や雑誌、本や布に刺繍を施す独自の手法で知られ、ヴァーチャルモデルとコラボレーションするなどデジタル技術、伝統的な手法を融合させた作品など発表し続けている。国内外の個展やグループ展、アートフェアにも多数参加・出展。

近年は、広告・映像・空間・プロダクトデザインなどのクリエイティブにも携わり、絵本の制作や地方創生事業にも取り組む。2022年4月より大阪芸術大学の客員教授に就任するなど、幅広く活躍。最近では、虎ノ門ヒルズ駅に設置された大型パブリック・アート「Our New World(Toranomon)」の原画・制作監修を務め、話題となった。

2024年8月より鹿児島県霧島アートの森にて特別企画展「清川あさみ展『ミスティック・ウィーヴ : 神話を 縫う』」が開催される。

X:https://x.com/Asami_Kiyokawa
Instagram:https://www.instagram.com/asami_kiyokawa/

浦島茂世

浦島茂世

うらしま・もよ 美術ライター。著書に『東京のちいさな美術館めぐり』『京都のちいさな美術館めぐり プレミアム』『企画展だけじゃもったいない 日本の美術館めぐり』(ともにG.B.)、『猫と藤田嗣治』(猫と藤田嗣治)など。