陶器のように透き通る肌、「ハリボテ」の絵画と噴水の狭間で揺れ動く。山中雪乃が描く「ポーズ」とは?

DIESEL ART GALLERYにて個展「POSE」を開催中の山中雪乃にインタビュー。

山中雪乃 撮影:編集部

肌に触れるか触れないかのところで所在なさげにする手。その指先は、顔まわりに散る長い髪を払おうとしているのか。あるいは、無防備な顔面を隠そうとする、深層心理の現れだろうか? 1月16日まで、DIESEL ART GALLERYにて個展「POSE」を開催中の山中雪乃に、特徴的な表現の出自やモチーフに込めた思いについて、話を聞いた。

人間だけれど、人間には見えない姿

山中雪乃が描く「人間」は、絵具の滴りや偶発的な色彩の混じり、どこか不自然にも見える描線などによって、キャンバスいっぱいに温度の低い湿り気のようなものを湛えている。そしてそのすべてに共通するのが、あえて描かない「空白」だ。

Photo by Ryo Yoshiya

“人間だけれど、人間には見えない姿”を目指して描いています。とはいえ人間の要素を消しすぎてしまわないように、どれだけ抽象化できるか。そうした意図と、ここになにがあるんだろうと想像してもらうために、あえて部分的に描かないようにしています」。

展示室全体を見渡してみると、その「空白」が、おもにそれぞれの人物の頭部にあることに気づく。

髪の毛って、描いた瞬間に、一気に人間らしさが出てしまうんですよ。そうすると私が表現しようとしている“存在の形”からは離れてしまうから、ベールを被せるようなイメージで、頭の部分をすぱっと抜いています」

いっぽう、展示室の奥に鎮座する立体作品には、明確に毛髪であることが分かる表現が採用されている。

「絵画のなかで存在しないものが、こっちでは存在しているという対比の空間を作ろうと思って。絵画は皮膚感を重視して描いていますが、立体のほうは、“骨”というか、身体の内側に硬い芯がある感じを意識しました。無造作に置いたブーツもそうです。絵画では足を描いていないので」。

Photo by Ryo Yoshiya

表情を描くことへの固執

以前は、人体は肉感を持たせながら、写実的に描いていた。そのうえで、手足や胸、腹部などのパーツに分解し、内臓が外部に露出しているかのように、現実の人体とはかけ離れたランダムな構図で配置した。

しかし画面上でのまとまりを追求していくなかで、次第に身体そのものを「器」や「図形」として捉えるようになっていく。外枠としての人体構造は本来の姿を維持する一方で、細部の写実性は放棄した。人間らしからぬ姿を描くことはそのままに、構造のみを反転させたのだ。それまで描いていた内臓の「ぐちゃぐちゃした感じ」は、面が多く、複雑な動作や細かな陰影の付け方が可能な手指に代えた

sunlight Photo by Ryo Yoshiya

要素を抑えることで、鑑賞者の視線を、自身がもっとも描きたいという「表情」に持っていくことにもつながった。そんな山中の表情に対するこだわりの原点は、幼少期に遡る。

誰しも幼い頃、アニメのキャラクターを真似て描いたり、ちょっとしたマンガを描いた経験があるだろう。山中が絵を描き始めたきっかけも同様だった。だが、周囲とは少しだけ趣が違っていた。

「私は背景もストーリーも、なんなら体すらもあまり描きたいと思わなかった。とにかく鉛筆で人の表情を描くことが好きでした。子供の頃から、“人間の表情をうまく描きながら何かをつくる仕事”がしたいと思っていて(笑)。それが具体的になんなのか当時はわからなかったけれど、まさにいまやっていることだなと思います」。

陶器の置物から立体作品へ

もうひとつ、山中が好んで選ぶモチーフに、陶器の置物がある。猫やウサギなどの動物を模り、どこか女性的なしなやかな体つきをしたレトロな置物。なかでももっとも興味があるのが、カッパだという。

カッパって、キャラクター化されるときに、四肢は人間っぽいのに、くちばしがある鳥のような顔で表現されますよね。とくに酒造メーカー、黄桜のイメージキャラクターは、結構エロティックな体つきをしていて、それがすごくおもしろい。京都の黄桜記念館にも何度か行ったことがあります。最近はカッパの置物を、骨董市やオークションで見つけるたびに集めるようにしていて、それをモチーフに描くのが好きです」。

wait and see 撮影:編集部

そうした置物に、思わず息を呑むほどの色香を纏わせて描く。今展にも、曲線が美しい女性の身体の一部を切り取った作品が数点展示されているが、それがカッパの置物をもとに描いたものだとは、言われるまで気づけなかった。それもそのはず。

「人間を描いている延長線なので、陶器なんだけれど、皮膚に見えるように描いているんです」。

人間を描くときには器のように、陶器の置物を描くときには人間のように。それは意図的に両者を近づけようとする意識からではなく、肉体や人間を見つめる自身の視点が、自然と絵に表れているのではないか。山中は、自らそう分析する。

背中、足、臀部など、置物を部位ごとにフォーカスして描いているうちに、立体制作に取り組む意欲も湧いてきた。今度は、自分で作った立体作品を絵に描いてみたい。先述の立体作品は、そうした思いを具現化させた自身初の試みだ。そしてこの立体は、展示空間全体にも特殊な効果をもたらした。

Photo by Ryo Yoshiya

「個展をやるなら、会場の真ん中に大きな噴水とかを置いてみたいとも思っていたので、この立体は枯れた噴水をイメージして作りました。アーチ型の入り口をくぐると、噴水がドンと置いてある。そしてそのすぐ前には、窓をイメージした超大型の作品があります。室内に野外にあるはずのモチーフを持ち込むことで、自分がいま室内にいるのか、外にいるのかがわからなくなる。そしてまわりに展示してある絵には、しっかり描いてある部分と抜いてある部分があって、抜いてある部分は、目の前の噴水のなかに散らばっている……。そうやって見る人の“意識の揺れ動き”を起こしたくて、空間全体の構成を考えてみました」。

ハリボテ・見せかけという意味での「ポーズ」

じつはその「揺れ動き」こそが、山中が描く作品と、今展のタイトル「POSE(ポーズ)」に通底する重要なキーワードだ。

「ポーズ」と聞いてまず浮かんでくるのは、写真を撮る際の「ポージング」のイメージだろう。山中の絵もすべて、表情や手指を用いた挙動の瞬間を捉えている。

「でも実際に展示室に入ってみたら、大きすぎる絵が飾ってあって、動かない噴水が置いてあって、まるで舞台装置のような空間が広がっている。絵に描かれているのは、たいそうな“ポーズ”を決めている重たい人間のイメージだけれど、あくまで1枚の薄っぺらい布の上に描かれているだけ。ハリボテと言われればその通りなんです」。

weight 撮影:編集部

人間だけれど、人間には見えない。

絵画で存在しない部分が、立体作品には存在する。

人間のように描かれた陶器と、器のように描かれた人間。

室内にいるのに、外であると錯覚する。

決めポーズと、ハリボテ・見せかけという意味での「ポーズ」。

ハリボテなのに、生々しい──。

鑑賞者は、あっちへ行ったり、こっちへ行ったりと、何かしらの「揺れ動き」を経験する。そしてそのことを自覚したとき、まるですべての伏線が回収されるかのように、ストンと腑に落ちるのだ。

SNS時代を生きる者として

Photo by Ryo Yoshiya

山中のこうした思考の根底には、SNSなどでいかようにも「ポーズ」がとれる現代を生きるなかで得た実感がある。

「いまの時代、画面のなかの自分と、実際の自分のどちらに現実があるのか、わからなくなってしまうことがありますよね。そうやって揺れ動く心情は、肯定も否定もできるけれど、私はあえて、そのままの状態を留めておきたいと思っていて。揺れ動いているんだよなぁ、そうだよねーって」。

そのために、自分自身や、自身と同世代の女性をモデルにして描く。

「そのほうが、投影しやすいから。自分が揺れ動いていることって、意識して考えてみないと、案外気づけなかったりするじゃないですか。生きていて、漠然とした不安を抱えているけど、それがなんなのか。そういった揺れ動きを作品で可視化して、見る人の考えるきっかけにしてもらいたいんです」。

山中雪乃が作り上げる展示空間という「器」のなかに、身を置いてみる。そこで感じる揺れ動きは、あなたにどのように作用するだろうか。酔ってしまうのか、はたまたゆりかごのような心地良さを感じるのか。現地で体感してほしい。

山中雪乃 「POSE」

会期:2023年12月2日〜2024年1月16日
会場:DIESEL ART GALLERY
住所:東京都渋谷区渋谷1-23-16 cocoti B1F
開館時間:11:30〜20:00(変更になる場合があります)
DIESEL ART GALLERY ウェブサイト

菊地七海

菊地七海

きくち・ななみ 編集/ライター。1986年生まれ、国際基督教大学卒業。『美術手帖』や書籍、ウェブサイトなどで編集・執筆を行う。アート、スポーツ、ライフスタイルなど、多ジャンルに適応しながら活動中。