青森県の十和田市現代美術館で個展「荒木悠 LONELY PLANETS」が12月9日から始まった。企画は同館キュレーターの中川千恵子、会期は2024年3月31日まで。
2008年に開館した十和田市現代美術館は、ロン・ミュエクや名和晃平らの常設作品で知られるいっぽう、街中のサテライト会場「space」を含め年に4本の企画展を行っている。冬期の館の企画展は「今後活躍していくキャリア10年ほどの中堅作家」(鷲田めるろ館長)を対象に、これまで毛利悠子やAKI INOMATA、百瀬文らの個展を開催してきた。今回取り上げた荒木悠は、国内外の展覧会や映画祭で活躍するアーティスト・映画監督で、美術館での個展は初となる。
荒木は1985年に山形県に生まれ、幼少期から日本とアメリカを行き来してワシントン大学サム・フォックス視覚芸術学部美術学科彫刻専攻を卒業。帰国後は東京芸術大学大学院映像研究科メディア映像専攻を修了し、現在は京都を拠点に活動している。本展の開催に当たり、荒木はこう述べた。
「山形生まれなので東北の冬が原体験にある。とくに積雪する冬の静けさと独特な光の周り方は、様々なインスピレーションを与えてくれた。また日本とアメリカの2国の間で育った生い立ちは、自分の作品を紛れもなく形作っている。周りの雪景色とともに本展を楽しんでもらえたらと思う」
本展は、4点の新作映像を含む8つの作品を展示室と通路、カフェエリアに展示している。さっそく作品を見ていこう。
最初の展示室の大スクリーンに投影されているのが、当地で撮影を行った44分の大作《NEW HORIZON》だ。登場するのは、十和田市内と近隣の小中学校で英語を教えている6人の外国語指導助手(ALT)。そのインタビュー映像の間に、鎖国期の日本で英語教育に従事したアメリカ人のラナルド・マクドナルドの語りが挟み込まれる。後者の名前は某グローバル企業の名称を想起させるが、こちらは江戸時代後期の1848年に小舟で日本に密入国し、蝦夷地から長崎に送られて日本人の通訳育成に当たった人物だ。
アメリカやカナダ、南アフリカなど様々な出自を持つALTの人たちは、インタビューに答えて日本行きを希望した理由や十和田に来た経緯、ここでの暮らしについて語る。学校の子どもたちや住民と交流する喜び、慣習や意識の相違によるカルチャーギャップ、日本の英語教育に対する違和感……。それぞれの思いや体験が、175年前の日本で過ごしたマクドナルドの回想とオーバーラップしていく。
本作によると、学校の英語授業を補助するALTの応募者は赴任先の希望は出せるが、実際にどこへ派遣されるかはわからないという。作中の6人も思いがけなく青森に来た人ばかり。2021年11月から何度も十和田や青森各地を訪れ、リサーチを重ねた荒木は本作についてこう語る。
「親が転勤族だった自分と、偶発的に十和田に住むことになったALTの方たちの境遇にシンクロニシティ(共時性)を感じた。青森の歴史を振り返ると、津軽(弘前)藩は非常に先進的でいち早くアメリカ人の教師を招いたが、次いで日本初のネイティブの英語教師は誰かを調べてラナルド・マクドナルドを知った。彼の手記を読んで、異文化体験はいまも昔もあまり変わっていないのではないかと感じた」
西沢立衛の設計による、街に開かれたアートルームが幾つも連なる美術館の作りにも背中を押されたという。「映像は上映する際に窓をふさぐ必要があるが、今回の作品は美術館の『中と外』をつなぐような作品にしたかった。ぜひ当地の生徒さんにも作品を見てもらい、自分たちの学校にいる外国人の先生の考えに触れ、英語習得による選択肢の広がりも感じてもらえたらと思う」。作品タイトルは、荒木自身も使った日本の有名な中学英語教科書「NEW HORIZON」から取った。
作品は、現代の青森に暮らす外国人の肉声を伝えるドキュメント部分と、江戸時代の風景画などを交ぜたテレビの教育番組ふうのパートが交互に進む。教え子との触れ合いを話す若いアメリカ人女性と、日本での愛弟子を思い出すマクドナルドの回想が重なり、心を動かされた。ラストは、10カ月を過ごした日本から祖国に送還されたマクドナルドを思わせる人物が、海と水平線を見つめながら語る独白で締めくくる。戦争と紛争が絶えないなか、普遍的な人間同士の関係性を考えさせるマクドナルドの言葉に、共感を覚える人は多いのではないだろうか。
やはり新作の《ミチノオク》は、日本家屋の障子をスクリーン代わりに用いた映像インスタレーション。刻一刻と変わる雪景色の中に、頭部があるような不思議な影が位置を変えクルクルと回りながら現れては消えていく。妖しい歌声とピアノの音色が流れ、「障子を開けてはならぬ」と戒める民話の世界に迷い込んだ気分になる。
「青森県内を回ると夜の闇が深く、次の街に着くまで星と星の間を旅するようだった。最近いかに日本を表現するかに関心が向いているが、日本固有のスクリーンと言える障子のポテンシャルに惹かれ、映像を投影する支持体として取り入れた」(荒木)
奇妙な影の正体は、じつは1台の天体模型。そこに2台のプロジェクターから投影される手書きのアニメーションや歌やピアノが同期せず各自の周期でループしている。「つまりこの瞬間の状態が再び訪れることは永遠にないかもしれない」と荒木。歌とピアノ音楽は、即興演奏ユニットの「瞼」が提供した。
通路には、荒木が2014年から手掛ける映画のアカデミー賞で授与されるオスカー像をモチーフにした作品が並ぶ。オリジナルと全然違う形をした彫像群は、荒木が日本や世界各地の職人に複製を依頼したもの。制作風景の記録映像がセットになった作品もある。今回、東北に多く出土する遮光器土偶のレプリカの作り手や、岩手伝統の「南部こけし」の職人に制作してもらった新作も展示した。
荒木が関与せず、それぞれの職人が土地の文化や技法に則って作った「オスカー像」は、どれも強い土着性を纏い個性的な姿が愛らしい。オリジナル/複製の境界を揺さぶる作品と言えるが、前の2作同様「偶発性」や「不確かさ」に対する作家のこだわりもうかがえる。「自分の想像を超える作品ができることが一番の喜びで、そのためには自分以外の人の力が必要だと思っている」と荒木は話す。
担当キュレーターの中川は、次のように語る。
「荒木さんは、本展をプロジェクターや映写機、ブラウン管テレビなど様々な映像媒体を使い、それぞれでイメージがどのように浮かび上がるかを丁寧にとらえた作品で構成している。日本とアメリカを行き来してきた自身のアイデンティティの問題を背景に、これまで異文化圏の間に生じる摩擦やひずみを扱う作品を多く制作してきたが、今回は様々なモチーフをちりばめ、青森の地とも融合する展示になったと思う。来場した方には、異文化や過去への旅、抽象的な宇宙空間のイメージなど、作品ごとに異なるリズムやテンポも楽しんでいただければ」
有名な旅行ガイドブックから命名した展覧会タイトルには、この地で作家が偶然出会った人々や風景、自身の軌跡を振り返る心境が重ねられている。本展はほかにも、もう見られない「砂嵐現象」をブラウン管テレビに手書きアニメーションで再現した作品や、東日本大震災の被災地で撮影した映像をあえてアナログ変換した映像作品を見ることができる。ぜひ旅するように自由な気持ちで訪れたい。