公開日:2023年12月20日

奈良美智ロングインタビュー(前編)。自分を育んだホーム、感性のルーツ、東日本大震災という転換点を振り返って

アーティスト・奈良美智にとっての故郷、そして「はじまりの場所」がテーマの個展「奈良美智: The Beginning Place ここから」(10月14日〜2024年2月25日)が行われる青森県立美術館でインタビューを行った。前編では、自身のルーツや転換点を振り返る。(聞き手・文:宮村周子)

奈良美智。「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)の会場にて 撮影:小山田邦哉

奈良美智はこれまでどのような思いで作品を生み出し、どんな風景を見てきたのだろうか。故郷、そして「はじまりの場所」がテーマの個展「奈良美智: The Beginning Place ここから」(10月14日〜2024年2月25日)が行われている青森県立美術館でインタビューを行った。

3時間におよんだインタビュー。その前編では、作家にとって特別な展覧会となった本展、故郷とルーツ、強い存在感を放つ新作《Midnight Tears》や、転換点となった東日本大震災について語った内容をお届けする。【Tokyo Art Beat】

奈良美智。「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)の会場にて 撮影:小山田邦哉

ホームだからこそできた展覧会

──今回の個展は、青森で生まれ育った奈良さんのルーツや生き方そのものにフォーカスを当てた、これまでにない展覧会です。故郷の青森が舞台ということで、特別な思い入れがあったのではないでしょうか?

青森は自分の感性が育まれた場所だし、ここでしかできない展覧会にしよう!と思っていたよ。そう思ったきっかけは、来年、スペインのビルバオでする個展の打ち合わせのときに、ビルバオの人達が言っていた言葉。たくさんの人に見てもらいたいから、「バルセロナやマドリードにも巡回できないかな?」と聞いたら、彼らは、「みんなここに来るから必要ない!」ときっぱり言ったの。その自信がすごかった。それもあって、今回の個展も青森だけの開催にして、しかもいちばん特徴のある雪の降る季節に来てもらおうって、どんどんイメージが固まっていった。子供の頃に自分が見ていた風景や吸った空気を感じながら旅をしてきて、美術館に着いたら、俺の家にようこそって迎えられたように作品を見てもらいたいなって。

奈良美智 あおもり犬 2005 Photo©︎Daici Ano Artwork©︎Yoshitomo Nara

──青森県立美術館は、大きな《あおもり犬》をはじめ、奈良さんの初期からの作品を170点以上も、世界一収蔵している縁の深い美術館ですね。

ここは建設される前から関わり合っていて、青木(淳)さんがどんなコンセプトで設計したかもわかるし、スペースも全部知っているからやりやすかったよ。

それに、この展覧会が特別なものになったのは、企画を担当した高橋しげみさんのおかげ! 彼女は美術館で唯一の青森県出身の学芸員で、歳下だけど同じ弘前市出身だから、俺の奥深くにある故郷というものをはっきりと見ることができるの。青森出身の写真家・小島一郎をはじめ、土地に根ざした作家の研究をずっとしてきた人で、俺のことは個の部分でも知ろうとしていただろうから、ほかの人ができないような発想が自信をもってできる。もし担当者が県外から来た人だったら、もっとサブカル寄りになったりとか、まったく違う切り口になっていたと思う。そういう、たくさんの縁が重なってできた展覧会なんだよね。

展示の作業も、手の込んだロック喫茶の再現は、仲のいい大学の後輩たち(ミラクル・ファクトリー)がやってくれたから、気楽に要望も言えて、すごく楽だった。ほかにもいろんな人達が助けてくれて、ホームってこういうところなんだなって実感した。スポーツ選手がホームグラウンドで試合をするときは、こんな気持ちなのかなって。

──地元の期待感も後押ししていたのでしょうね。

いつもは人に注目されるのが苦手なのに、街や温泉に行って、おばちゃんに「あっ!あっ!」とか言われても、全然嫌じゃないの(笑)。青森は本州の端っこで、地方ということにコンプレックスがあるのね。誇れるものは林檎くらいだから、県の文化的な土壌を感じられると、みんな嬉しいんじゃないのかな。以前、ある人が弘前の美術館の人に、「奈良さんは弘前の誇りですね」と言ったら、「日本の誇りですよ!」って返されたと聞いて、すごく嬉しかった。自分自身は誇れるような人間じゃないけど、ここが日本の誇りを生んだ場所だと思えることが、どれだけ地方の人達にとって嬉しいかはよくわかるから。

奈良美智 撮影:小山田邦哉

人生の物語を伝える5つの章立て

──今回の展示は、奈良さんの人生にとって重要なトピックに注目し、それぞれのセクションごとに作品が紹介されています。一般的な美術展は作品が主体で、作家の人生は補足的に説明されることが多いですが、この展覧会ではその構図が逆転していて、奈良さんの生き方と作品がどれだけ深く結びついているかがダイレクトに伝わってきます。

俺の場合、作品のイメージが強すぎるから、ほとんどの人は表面的に見てしまって、その背景にあるものが後ろに隠れちゃうのね。専門的に深く分析する研究者もいなかったし、みんなが見ているのはここまでで、そこから向こうはどうせわかんないだろうなって、半分諦めてたの。それが、2020年にファイドンから出た本『Yoshitomo Nara』(日本語版『奈良美智 終わらないものがたり』青幻舎)を作る過程で、気持ちが少し変わってきた。著者のイェワン(・クーン)に自分の中にあるものを根掘り葉掘り聞かれていくうちに、こうやっていくつかのテーマで人生を分けていけば、文脈をもった展覧会が構成できるんじゃないかって思えた。

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)会場風景 撮影:高野ユリカ

──奈良さんの創作の源泉となっている内側の世界が、他者の視点から客観的に整理されたわけですね。

自分では分けているつもりでも、分析していないからぐちゃぐちゃだったし、外からは見えないしね。

──高橋さんは、その隠れていた部分に、「家」「積層の時空」「旅」「No War」「ロック喫茶33 1/3と小さなコミュニティ」という5つの切り口を与え、奈良さんの内面や生き方を見事に浮かび上がらせました。

自分では想像していなかった切り口だったから、すごく新鮮だったよ。作家というより、自分という人間がどういうふうにできあがってきたのかがわかる構成だよね。過去の自分をいまの自分から見ることによって、これまでの歩みと作品の両方に客観的に向き合えたような気がする。

いちばん印象に残っているのは、高校のときに音楽好きの先輩に誘われてつくったロック喫茶33 1/3を、もう一度再制作してほしいと言われたこと。当時のことは自分の頭の中からほとんど抜けかけていたのに、高橋さんは、「ロック喫茶をつくっていなければ、いまの奈良さんはいませんよ!」と言っていて。でも、たしかに、この小さなロック喫茶で、俺は好きな音楽を共有できる仲間と初めて出会い、DIYで店をつくり、DJをしたり、みんなとお花見やソフトボールをしたりと、小さなコミュニティのよさをすごく深く体験できた。東日本大震災以降、俺は地方の過疎地にある小さなコミュニティで自分ができることを模索しているから、ロック喫茶はその原点だったんだなと気がついた。

そんなふうに、高橋さんのおかげで、自分の中の下のほうにあったいろいろなことを思い出したり、気づいたりできて、この展覧会はすごく楽しかったよ。

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)会場風景 撮影:木奥惠三

──その楽しさや心地よさは、展示からも伝わってきました。

自分はディスプレイをするだけだったから、すごく気が楽だった。作品は思ったほど借りられなかったし、新作も少ないけど、いつも、あるものだけでその場で構成するから問題はないの。細かい展示プランもつくらなかった。青森県立美術館は、自分の家のように身体が空間を把握しているから、自室の内装を変えるくらいの気持ちで始めて、ほぼ5日間で展示は終わったよ。

──本当に、その場で直感的に配置していくんですか?

そう。自分は制作するよりも、モノを配置するのがすごく好きで、得意なんだって気がついた(笑)。何度もちょっとずらしてやり直す人がいるけど、まったく理解できない。そのもの自体の価値は変わらないのにね。

台湾で描いたドローイングをたくさん置いているテーブルは、適当にサイズを言って作ってもらったものなんだけど、並べていくと、最後にピタッと全部入ったからびっくりしたよ。子供のときに受けた知能テストで、図形だけがずば抜けてよかったから、たぶんディスプレイの才能があるんだと思う。いつも展示は、図面もつくらず、右から始めて左でピタッと終わる。やり直しはない。

──同じように絵も……。

絵はできない。あるものを組み合わせるのは簡単だけど、ゼロから生み出すのは難しい。ドローイングだと感情で描けるけど、絵は考えないとできないから。

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)会場風景 撮影:編集部

家という子供時代への入口

──第一室の「家 Home」というテーマは、絵のモチーフでありつつ、故郷や居場所も連想させて、広がりがありますね。初期の頃は、本当によく家を描いていたんですね。

たいていの子供は、三角屋根の平屋の家をひとつ描くでしょう? 自分の小さい頃の家も草原の上に建つ平屋で、日本が経済成長していく過程で周囲は家や建物で埋まっていくんだけど、いつも思い出すのはぽつんと一軒建っている家なの。

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)会場風景 撮影:木奥惠三

──子供時代の原風景のひとつなんですね。

そう。山や森といった自然はいまでも変わらないけど、子供の頃に見ていたいろんな故郷の風景は、いまはもう全部ない。でも、心の中には本当にあるんだよ。

──奈良さんにとってのホームは、自分と一体化して感じられるものなんですね。

でも、自分ではないよ。故郷という場所や友だちとか、捨てたり、恋しがったりする、自分以外の大切なもののことなのかな。

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)会場風景より、《Fire》(2009) 撮影:編集部

──燃えている家が繰り返し描かれていますね。

小学校の頃、近所の食堂が火事にあって、夜に見に行ったの。子供だったから、火って綺麗だなって思って見ていた光景が、ヴィジュアル的にすごく心に残ってる。次の日にまた行って、米びつの焦げた米を寄せると白い米が見えたりとか、些細なことまで覚えていて。そういう断片的な記憶が、意味なく絵に出てくるんだよ。あの火事を見ていなかったり、自分が郊外じゃなくて下町で育っていたらまた違っていたと思う。

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)会場風景より、左から《Untitled》(1984)、《Futaba House, Waiting for Rain Drops》(1984) 撮影:編集部

──積み重なった記憶の中から、無意識にイメージが浮かび上がってくるんですね。

うん。頭で理解してから始めるんじゃなくて、理解より先に手が動いてやっちゃうことが多いの。後になってから初めて、自分でもその意味が理解できる。初期の絵を集めてみたら、家ばかり描いていたことに気づくとかね。

再現したロック喫茶の壁に、古く加工した今回のポスターが貼ってあるんだけど、あれも最後に思いつきでやった。意味もなく加工している途中で、二重のタイムマシンみたいになるなって気がついてさ。1978年前後の喫茶店がいまここに蘇っているのに、そこに古びた2023年のポスターがある。

──高橋さんも、この展覧会はタイムトラベルだとおっしゃっていますが、実際に会場を巡ると、奈良さんの過去を振り返りつつも、それが現在のことのように思えたりと、時間が行ったり来たりする不思議な体験をしました。

会場の壁に、高橋さんの提案で俺の言葉が貼られているんだけど、改めて読んでみたら、そういうことなんだなって思ったよ。

「子どもの頃の気持ちや、思春期の高揚を決して忘れない。大人になるために忘れない。懐古的な感傷ではない。過去を引きずるのでもない。自分の時間軸に一本の幹を見つけたいのだ。年月を経て、それでもずっと自分でありつづけるのだ。」(2013年5月4日のツイートより)

変なたとえだけど、すごく走ってやって来たら、またぐるっと同じ場所に戻ってしまうような感じ。自分の時間の感覚はそういうものなんだって、今回よく理解できた。たとえば、知り合いに十年ぶりに会っても、向こうは久しぶりなんだろうけど、俺はついこのあいだ会ったようにしか反応できないの。会わない時間が長ければ長いほど、つい最近のことのように思えるんだよね。

──それだけ、昔の出来事を何度も思い出しているということなんですかね。以前、子供時代に体験した記憶や感覚は、それぞれ家の形になっていて、記憶の町の地図ができるほど何度も振り返っているとおっしゃっていました。過去を掘り返した今回の展示も、リアリティのある現在として見えているのですか?

そうだね。その町並みが自分と関係ない外から取ってきたものでできていたら、何かが変わっちゃってると思うけど、自分の中から生まれた町は絶対に変わらない。

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)内、再現されたロック喫茶の中で 撮影:小山田邦哉

幼少期と思春期の経験が自分の感性のルーツ

──奈良さんは、高校卒業後に東京や愛知の美大へ行き、1988年から2000年に帰国するまで、ドイツを拠点にされていました。自分の子供時代と向き合い始めたのは、ドイツのデュッセルドルフ芸術アカデミーに在籍していた時だそうですね。

そう。十代の後半から日本の美大で勉強し始めてわかったのは、みんな同じ本を読んで理論や美術史を勉強し、同じ技法を習っているということ。すると、学校の宿題のような美術作品ばかりになっていく。ドイツへ行った頃、そういう美術というカテゴリーではない、もっと私小説的だったり、その場所で必然的に生まれた問題意識が感じられるものとか、その人自身の歴史やその場所でなければできないものがどれだけ重要なのか、気づき始めた。俺があきらかにほかの人と違うのは、美術を志して得たものよりも自分の子供時代だったから、どんどん幼少期のことを思い出して、当時の感性を取り戻していくことで、ああいう子供の絵が生まれてきた。

──幼少期が特別だと感じる理由はなんですか?

子供時代にはもう戻れないから。そのときに育まれた感性や体験は唯一無比のものなんだよ。それ以降の自分は、人と共通のものでできていて、人との違いはじつは少ない。似たような音楽を聴いたり、同じような本を読んだり、似たような友だちができたりね。

それに、何か新しいことを吸収して成長しようと思ったら、いまの大人の自分のままではだめで、子供の頃の感覚に戻らないとできないんだよ。だから、幼少期の自分や子供達にはいつも憧れがある。一緒に遊んでいた子供達が大人みたいになっていくと悲しくなるよ。中学校に入って部活を始めると、急に敬語を使うようになったりとかさ。

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)会場風景より、左から《Mumps》(1996)、《The Last Match》(1996) 撮影:編集部

──でもそのいっぽうで、奈良さんは、未熟さや初期衝動といった思春期のユース・スピリットにも強く惹かれるんですよね。

うん。思春期の嘘のない純粋さを、自分はいつも追い求めている気がする。十代の思春期に聴いていた音楽をいま聴くと、感性が当時の年齢に戻っちゃうから、すごく楽しいんだよね。その頃の俺は、ロック喫茶で年上の連中とつき合って、不良みたいなことをしたり、音楽を聴いたり、旅をしたりと、本当にいろいろな経験ができた。それは確実に、いまの自分の血肉になっている。

ここ十年くらいで、俺の作品に影響を受けたり、真似したりする作品がたくさん出てきたんだけど、みんなどこか薄いんだよね。そういう人達って、美術の文脈の中だけでものを考えていて、きっと最初から美術をやろうと思って始めているだろうから、俺のように多様な経験はしていない。俺は、美大に入ろうと思ったのは高校を出るときで、それまでは美術とは関係なく好きなように生きてこられたから、土壌が違うんだよ。それが自分の作品に、見える人には見えるレイヤーをつくっている。

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)内、奈良が親しんだレコードのジャケットが並ぶ 撮影:小山田邦哉

真実を映し出す絵との対話

──子供時代や思春期の感性を取り戻しながら、奈良さんは子供の姿を絵にずっと描き続けてきました。転機になったという東日本大震災以降は、《春少女》(2012年)をはじめ、表情の際立つ大きな肖像画を多く手がけています。いまは、どんな気持ちでキャンバスに向き合っているのでしょうか?

いつも絵は、自分のために描いているのね。自分が見たことのない絵を描いて、自分を感動させたい。心のひだをめくって、自分の知らない自分の顔を見てみたいでしょう?

──これまでも、作品は自画像だとおっしゃっていますが、自分の知らない自分を見せてくれたと感じたのはいつ頃ですか?

ごく最近のこと。2017年の《Midnight Truth》と深夜に向き合ったとき、鏡を見るように自分の真実と対峙している気がして、「ああ、これだ!」って思った。いつも、作る自分とオーディエンスの自分のあいだで折り合いをつけながら完成にもっていくんだけど、あるとき作品がぐっとよくなるのね。そういうときは嬉しくて、「これで完成だ! 酒を飲んで眠れる!」とか思っちゃうんだけど、この絵は、完成の一歩手前でずっと向き合っていたいような、双子が生まれたような感じだった。

奈良美智 Midnight Truth 2017

──完成すると、その感覚はなくなるんですか?

ちょっとレベルが下がる。すごくいいところまでいって、本当はここでやめてもいいのに、守りに入るっていうか、無理して完成させようとするの。そうすると対話じゃなくなる。ほとんどの作品がそうだよ。

──《Midnight Truth》との対話はどのようなものだったのですか。

わかんない。言葉にできないから、絵を描いているの。でもね、ある時期から、そういう完成前の途中の過程が見えていても、全然恥ずかしくないなって思えるようになった。本(『奈良美智 終わらないものがたり』)の表紙の絵(《Little Haze Days / Study》2020年)もそうだし、今回の《Midnight Tears》も、涙以外はきっちりと描いていない。逆にもっとさらけ出すぞ!みたいな感覚だった(笑)。

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)会場風景より、《Midnight Tears》(2023) 撮影:木奥惠三

──その新作の《Midnight Tears》は、チラシからもただならぬオーラが伝わってきましたが、実作を前にすると、強い存在感に圧倒されました。暗闇から浮かび上がる重層的な色づかいや、繊細でリアルな描写など、これまでとは違う変化が見られました。

あの絵は偶然の産物なんだよ。いままでは、加工されていない綿布や麻布を木枠に張って、自分で下地を塗って描いていたんだけど、間違って白く塗られた布を買っちゃったの。試しにそれを使ってやってみたら、筆が滑ってコントロールができなくて、全然上手く描けない。自然と覚えたやり方が通用しなくて、我を忘れて一生懸命闘った。そのおかげで、絵がテクニックじゃないものでできていったんだと思う。

たとえば、ドイツでいい絵をたくさん描けていた筆を全部使ってしまって、別の新しい筆を買うとなると、それを使いこなせるようになるまで一からやり直しなのね。それと似ていて、今回も初心に返ったような感じ。布を裏返しに張ればいつものキャンバスになるって、後で気づいたんだけどね(笑)。

──そんな格闘の跡が、あの立体的に迫ってくる力強さや生々しさを生んだんですね。

そうかもしれないね。あと、昔覚えた油絵を描くようなテクニックも意識してたかな。この新しいスタイルをシリーズ化するのが発表やマーケットを意識したプロのアーティストなんだろうけど、自分にはわざとらしい気がしてできないんだよね……。

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)会場風景より、《春少女》のバナー(2012) 撮影:編集部

──近年の代表作《春少女》や《Midnight Truth》は、どこか宗教画のような穏やかさや静けさがありましたが、この絵からは何かを強く訴えかけてくる切実な印象も受けます。紛争のニュースが絶えないからか、描かれた人物が戦地の子供達と重なって見えてしまったり、あるいは、心がざわつく自分自身と向き合うような気持ちにもなったり……。

それは、3年前に描いた《Light Haze Days / Study》から始まっていたと思う。でも、自分にはやっぱり説明することができない。子供の絵の中でお母さんが大きくてお父さんが小さいと、お母さんが強い家庭なんだろうとか、家が小さいと家に問題があるとか、大人はよく指摘したがるけど、子供はたぶん、問題があると思って描いていないんだよね。それと同じで、俺もいつも、下描きもせずに何も考えないで描いていって、後からなんでなんだろうと思うの。

《Midnight Tears》も、展覧会のためというより、森美術館が持っている《Miss Moonlight》(2020)の目が閉じていない絵を描いておきたくて始めたもので、完成までに3ヶ月くらいかかっている。絵具が乾かないうちに塗ると下の色まで引きずられて消えちゃうから、木炭で目鼻の位置を描いたら、それが水で溶けて垂れて、泣いた女の人の黒い涙のように見えた。それで最後に涙を黄金色にして、そこにフォーカスが合うようにした。全部偶然なんだけど、それを必然と受け止めるような描き方をいつもしているんだよ。

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)会場風景より、《Midnight Tears》(2023) 撮影:編集部

──奈良さんの絵に描かれているのは、精霊のように非現実的で、でも確実に魂を宿したリアルな存在です。彼らが現れるときは、何かが降りてきて描かされているような、あるいは身を削って描くような時間だとおっしゃっていますね。

スポーツ選手と同じで、線が決まるときはゾーンに入っているんだろうね。そういうときは、自分がつくったようには思えないんだよ。同じものはもう描けないし、やっぱり偶然というか……。

──近作の《I Want to See the Bright Lights Tonight》(2017)は、リチャード&リンダ・トンプソンの1974年の同名のアルバムにインスパイアされたものだそうですね。

イェワンがアルバムのカバー写真との関連を言及していて、そうだったのかって後で気がついた。曲を聴きながら描いたわけでもないし、カバーも見ていない。頭のどこかにアルバムジャケットのイメージがあって、自然とその題名が出てきたんだと思う。そういう、後から辻褄が合うものがいっぱいあるんだよ。

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)会場風景より、《I Want to See the Bright Lights Tonight》(2017) 撮影:編集部

──最近、絵が大きくなってきたのはどうしてですか?

スタジオの空間が大きくなったからじゃない? 俺の場合、そこでいかに気持ちよく描けるかが大事で、発表することは前提じゃないから。今年はもっと描けるかなと思ったけど、大きな絵は1月に描いた2枚しかない。

──力を使い果たした?

いや、興味がないんだと思う。ほかの表現方法だってあるし、旅もできるのに、なんでみんなそんなに描くんだろう? 俺はたまたま絵で評価されたから美術をやっているけど、そもそも自分は何になりたかったんだろうってよく思うよ。

──過去のドローイングを何枚も貼り重ねた作品は、絵とはまた違った意表をつく表現ですね。

あれは、90年代頃からの失敗したドローイングをどんどん上から貼っていったもので、去年何回かやって、面白かったよ。金をドブに捨てているようなものだけど、これは自分にしかできないだろうなって思うと、気持ちよかった。失敗作でも平気で売れるような人には絶対できないよね。

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)会場風景より、旧作のドローイングを重ね合わせて制作された作品群 撮影:編集部

──なぜ、そういうことを始めたんですか?

自分は後追いの人とどこが違うんだろうとずっと思っていて、自分の中にある層の厚さを見たかったから。この絵は許せないと思って消せるうちは、まだ自分はやれるなって思えるの。失敗した絵を上から塗りつぶすときと似てるかな。これをシリーズ化したらだめだと思うからもうやっていないけど、きっと誰かが真似しだすよ。わざと失敗したりしてね。

──失敗した自分も否定せず、積み重ねていくイメージでもありますね。

そうだね。誰にも見せなければいいんだろうけど、よくないものを描いた事実は変わらないから。前はよく破って散らかしてたけど、こうすると失敗が失敗じゃなくなっていくよね。

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)会場風景より、《In the Empty Fortress》(2022)。旧作のドローイングを重ね合わせて制作された 撮影:編集部

東日本大震災後に経験した心の変化

──奈良さんは、東日本大震災が起きた後、絵が描けなくなるほど苦悩されたそうですね。

別にヒーローにならなくてもいいのに、できることをしなきゃって思うから、何もできない自分の無力さに苦しむことになった。どんどん負の方向にひっぱられて、自分が美術でやっていることも無意味なんじゃないかって、すごく落ち込んだよ。でも、日常にある小さな喜びや、自分を育んでくれた故郷の大切さに気づいたことで、少しずつ気力を取り戻せた。大事なものはすべて自分の足下にあったんだよね。

──被災したのが故郷のある東北だったから、なおさら心の打撃も大きかったのですね。

被災した現場も見たし、自分でも地震を体験しているからね。自分はそれまで、大勢の人が亡くなった状況に関わったことがなかったんだよ。阪神淡路大震災は直接は経験していないし、もちろん第二次世界大戦も知らない。ベトナム戦争のときも、弘前に花見に来ていた米軍兵を見て、この人達は戦争に行って帰ってこなくなるのかな、とか思うくらいで……。

でも、ヴィジュアルの力がやっぱりすごいなと思うのは、母や父の実家に行くと、軍服を着た若者の肖像写真が神棚に並んでいるのね。おじいちゃんでもないし、なんでこの人は若いんだろうって、小さい頃は気持ち悪くてさ。そのうちにそれが戦争に行って死んだ人の写真だと気づくんだけど、当時は実感がなくて、後になってから映画や写真を見たり、本を読んだりして、自分からリアリティのあるものに近づいていったんだと思う。

震災のとき、亡くなった人の名前が公開されたでしょう。《I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME. 》(2001)のぬいぐるみを作ってくれた人(*)は住所を全部控えてあるから、それこそ東北地方の太平洋側に住んでいる人の名前がリストにあるかどうか、最初に調べたよ。誰もいなかったけど、すごくリアリティがあった。

「奈良美智: The Beginning Place ここから」(青森県立美術館)会場風景より、《I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.》(2001) 撮影:編集部
《I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.》(2001)の細部 撮影:編集部

──震災後は、東北との向き合い方も大きく変わったそうですね。

自分が東北について何も知らなかったことがわかって、ショックだったよ。戊辰戦争で負けた藩のある所に原発がつくられたことや、福島第一原発でつくられた電気が東北ではなく関東に送られていたこと、東北地方や北海道は日本の米倉や食料庫と位置づけられていて、新幹線を盛岡から青森まで延ばすのに、国ではなく青森県が多額のお金を出して、さらに核燃料処理場も引き受けていたんじゃないかとか……調べれば調べるほどいろいろなことが見えてきて、自分はこれまで何を見ていたんだろうって愕然としたよ。東北はもちろん、日本という国の歴史さえ真剣に向き合おうとはしてこなかったから。

震災後に各地を旅して見えてきたこと

──震災後は、東北やサハリンなど、ご自身のルーツをたどるように北のほうを旅されていますね。

俺はこれまでずっと故郷に背を向けてきたから、親と話す機会もなかったの。父親が亡くなってから、実家にひとりでいる母親を訪ねて結構話すようになって、震災後に、おじいちゃんが樺太の炭鉱で働いていたことや千島列島で魚を捕っていたことを初めて聞いて驚いたよ。それで、おじいちゃんが見ていた風景を自分でも見てみたいと思って、2014年にサハリンに行った。炭鉱跡に立ったとき、美術とかやって遠回りしてきたけど、この風景を見るために自分は生きてきたんだなって実感したよ。

──それからは、個人的に関わりの深い場所にとどまらず、北海道や台湾にも頻繁に足を運んでいますね。

うん。震災後は、都市よりも地方の辺境ばかりに目がいくようになってる。鳥居龍蔵という民俗学の先駆的な研究者が、明治期にたくさんの場所を歩き回っているんだけど、面白かったのは、台湾のある部落を訪れたときに、住民のひとりが、「うちのおじいちゃんが案内したんだよ」って、鳥居龍蔵との写真を見せてくれたこと。そういう生き字引のような人とまだ接することができるから、いまのうちにもっと回りたいと思ってるの。

映画『セデック・バレ』の舞台になった、台湾の山岳部にある部落にも行ったよ。日本の統治下で虐げられた原住民が日本人を虐殺した事件を描いた映画で、生き残った原住民の孫にも会えた。名前が同じモナルダオで、日本語は話せないはずなのに、なぜかチャゲ&飛鳥を完璧に歌ってた(笑)。映画監督にも来日時に会って、映画で使われた民族衣装一式をもらった。そういうアートの世界とは違う、もっと確実な人とのつながりができていっているのがすごく面白くて、自分はこういうことがしたかったんだ!って気がついたよ。

──民俗学のフィールドワークのようですね。

そうだね。ローカリゼーションを実感したというか、ニューヨークやパリといった大都市は、大きいようでじつは小さくて、田舎のほうがでかかった!みたいな感じ。巨大な都市と言われている場所は、じつは蜃気楼みたいな幻影で、図書館の本棚に匹敵する知識や経験をもったお年寄りが、田舎にはいっぱいいるんだよ。

──つまり、大都市には実体のないものも多いということですか?

そう。ほとんどの人達は大都市というひとつのグラウンドでプレイして成功することしか考えていないけど、それはシーンがすでにそこにあるからで、そのシーン自体もじつは蜃気楼でしかない。昭和や平成にめっちゃ流行ってたアイドルでも、いまは知らない人のほうが多いじゃない? ところが、そうした幻影は、田舎に行けば行くほど少なくて、そこにあるものしか見えないの。そして、本当に素晴らしいものは、流行に左右されず、そこに確実にあるものなんだよ。たとえば、都市部に遊びに行けば何軒もお店をハシゴできて面白いけど、田舎にはたった数軒なのに、素晴らしい店があったりする。

──旅をすることで、奈良さんの世界観も変わってきたんですね。

最近、旅をしたり本を読んだりするのがどんどん楽しくなってきてて、作品を作ることが必ずしも自分の存在意義ではないなと確信したよ。自分はアーティストになりたくて美術を始めたわけじゃないから、ますますアートシーンから離れていってる。

──小さい頃から絵は好きだったそうですが、本当に画家になろうとは一度も考えなかったんですか?

全然。ロック喫茶に通っていた頃、俺、「奈良キャン」って呼ばれてたのね。「奈良 can do everything.」の略。大工仕事や壁塗りも、DJも、なんでも器用にできたから。で、弘前大学で美術教育を専攻する学部生に、「奈良キャンは絵が上手いから、美大に行ったら?」と言われて、初めて美大に行くという選択肢があることを知った。丸暗記するような受験勉強には興味が持てなかったし、それより文学や音楽とかのサブカルチャーのほうがずっと面白くてさ。美大に入る人はヒッピー崩れの長髪で、すごく自由な格好だったから、きっと美大に行ったらあんな自由な生活が送れるんじゃないかって思ったの。実際に美大に入ると、みんなちゃんと美術の基礎を勉強しているからとてもかなわなくて、作家になるのはあきらめて、それよりも自由を謳歌するために、ライブに行ったり、演劇を観たり、レコードを買ったり。あげくのはてに、学費を使ってヨーロッパを旅して、帰国後は、学費の安い愛知県立芸術大学に入り直した。

1977年、ロック喫茶「33 1/3」の前で。左から佐藤正樹、佐藤直人、奈良美智

──青春時代を満喫していたんですね。

ただ自由でいたかっただけ。そのことをずっと忘れかけていたんだけど、震災後に旅をするうちに、当時の気持ちを思い出してきた。絵を描くのは嫌いじゃないし、描けば熱中していいものができたりするけど、やればやるほど、自分は絵を描くために生きているんじゃないなってわかってきたの。ドイツへ行った頃から、自分は人と違うなとは気づいていたんだけどね。ほかのみんなは展覧会をしたくて、作品資料を見せにギャラリー回りをするんだけど、俺は自分と向き合って絵を描く環境があるだけで十分だったから。

後編へ続く

奈良美智 撮影:小山田邦哉

*──《I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME. 》(2001)に収められたぬいぐるみは、当時あった奈良美智のファンサイト「HAPPY HOUR」に集う人々によって制作された。「HAPPY HOUR」には奈良も頻繁に訪れ、日記のコーナーを更新したり、掲示板に書き込んだりしていた。

奈良美智(なら・よしとも)
1959年青森県生まれ。1987年愛知県立芸術大学大学院修士課程修了。1988年渡独、国立デュッセルドルフ芸術アカデミー入学。修了後、ケルン在住を経て、2000年帰国。1990年代後半以降からヨーロッパ、アメリカ、日本、そしてアジアの各地の様々な場所で発表を続ける。見つめ返すような瞳の人物像が印象的な絵画、日々生み出されるドローイング作品のほか、木、FRP、陶、ブロンズなどの素材を使用した立体作品や小屋のインスタレーションでも知られる。国内外での個展、グループ展への参加多数。近年の美術館個展に、「YOSHITOMO NARA. ALL MY LITTLE WORDS」(アルベルティーナ近代美術館、オーストリア、2023)、「Yoshitomo Nara」(ロサンゼルス・カウンティ・ミュージアム/ユズ・ミュージアム、上海、2021–23)、「奈良美智 for better or worse」(豊田市美術館、愛知、2017)など。写真展「北海道 — 台湾」がタカ・イシイギャラリー フォトグラフィー / フィルムで12月26日まで、4人組アーティスト・コレクティブの一員として参加する「THE SNOWFLAKES 」が苫小牧市美術博物館で3月24日まで開催中。

宮村周子

宮村周子

みやむら・のりこ 編集者、ライター。『美術手帖』編集部を経てフリーランス。『えほんzineねっこ』で「コモドドラゴンとアート散歩」連載中。