今年の横浜トリエンナーレのテーマは「タイム・クレヴァス」。作品から受ける強烈な光を、我々の日常に織り成そうという意図である。しかし、特設会場となっている三溪園での展示は、日本庭園という場所の特殊性が前面に出てくる。果たしてその中で展示作品は「強烈な光」を放っているのか。
三溪園は明治時代に造園が着手され、戦後まで造園と庭園内の建造物移築が行われ、現在の姿にとどまっている。なお庭園内の10の建造物は国の重要文化財に、3つの建造物は市の重要文化財に指定され、2006年には三溪園自体が国から名勝地の指定を受けている。
展示作品全てはガイドに記されているが、2つだけわかりにくいものがある。トリス・ヴォナ=ミシェルと中谷芙美子の作品だ。前者は涵花亭(庭園内の小島にあるあずまや風建造物)に踏み入ると、設置されてるセンサーが反応して草むらから人声の囁きが聞こえ始める。後者は、横笛庵近くにある滝に設置された機械から人口の霧を発生させるというものである。共に、意識して鑑賞・体験しないと見落としてしまう。
他4つ全ては建造物の中に設置され、この庭園の静謐さと相まって都会の雑踏を忘れさせてくれるものばかりだ。横笛庵に展示された内藤礼の《無題(母型)2008年》は、天井から吊るしたか細い糸が電熱器に暖められ揺らぐという作品だ。あたかも時のはかなさと些細ながらも生命の鼓動を感じさせる「母系」に対する慈しみがリンクし、会場の特殊性を一層強める。
この「時のはかなさ」はホルヘ・マキとエドガルド・ルドニツキーのパフォーマンスにも共通している。江戸時代初期の建造物、旧東慶寺仏殿の中で行われたパフォーマンスは二胡の生演奏と機械による音響と照明の演出が組み合わされたもの。約20分間に渡り鑑賞者は演奏を聞き続ける。対角線状に吊るされたロープづたいに照明が移動することによって、進展がないように思える演奏の時間経緯が推移できる。単調と思われる空間が確実に変容し、「いま」という時が失われつつあるということを残酷にも刻み付けられる。
こうした時の変容が劇的な形で鑑賞者に刻まれるれるのが、旧燈明寺本堂でのキャメロン・ジェイミーのインスタレーションであった(出品とりやめのため、現在は公開中止)。この作品の詳細は省かせていただくが、展示されている作品がより不気味に感じられるようになっている。鑑賞の仕掛けによって、突如として作品が立ち現れるその瞬間は、鑑賞者の予期せぬ時間、つまり作品を見る時間と暗がりの時間に断絶が穿たれる瞬きなのである。しかし、このことは他の展示会場に比べて三溪園が穏やか、かつ日常からやや遠いところにあるというその場所の特性によって成し遂げられるのではないか。
おそらく、上記で挙げてきた作品は騒音や人ごみを遮断できない空間では、違った印象を与えるだろう。翻ってみれば三溪園だからこそ、これらの作品が、「クレヴァス」のように、日常の些細な事に潜む別空間・次元を垣間見せる機能を、強烈ではないにしろ、発揮しえたと言えよう。