横浜美術館 内観
2021年3月から2024年3月まで、開館以来初となる大規模工事のため休館していた横浜美術館が、2月8日に全館オープン。あわせてリニューアルオープン記念展「おかえり、ヨコハマ」が開幕した。
昨年3月から開催された「第8回横浜トリエンナーレ『野草:いま、ここで生きてる』」でリニューアルオープンし、その後、11月1日から一部開館していた同館。ここではリニューアルに伴いアップデートされた箇所と、「おかえり、ヨコハマ」展の見どころを紹介する。
横浜美術館は、丹下健三の設計によって1989年に開館した。今回のリニューアルでは、来場客を迎え入れる広大なエントランスホール「グランドギャラリー」を中心とする無料エリアを「じゆうエリア」として整備。ガラス張りの天井は、開閉式ルーバーの改修工事により、自然光が入るように。エントランス正面の円形のエリアは「まるまるラウンジ」として、作品や建築を見ながらカフェの飲み物を持ち込んでくつろげるエリアとなった。
左右対象に広がる階段の踊り場には、それぞれ「丸」と「四角」を切り口に彫刻作品を展示。小さな子供が靴を脱いで楽しめる「くつぬぎスポット」も新設されたほか、館内の授乳室を増やし、調乳器を新たに導入するなど、子供連れの来館者をサポートする設備の充実も。エレベーターも1台新設された。無料エリアは展示室前のホワイエまで拡張され、子供から大人まで自由に過ごせる場所として人々を迎え入れる。
また無料で入場できるふたつのギャラリーを館外の広場に面したエリアに増設。これまで3階にあった美術図書室は広場から直接アクセスできる地上階に移設された。
新たに作られたピンクの椅子やテーブルなどの什器、サイネージは、建築家の乾久美子、アートディレクター/グラフィックデザイナーの菊地敦己によるもの。かわいらしいピンク色が館内の様々な場所で目を引くが、横浜美術館の建物のメイン素材である御影石にピンクをはじめ様々な色が含まれていることから、ピンクを中心としたキーカラーが生まれたという。
建築家として丹下の建築に携わることは「緊張感のある仕事だった」と振り返る乾は、「日光の降り注ぐすごく気持ちいい空間のなかで、石と新しいピンク色の什器が調和しながら、くつろぎの空間を訪れる方々が感じていただけるような空間を目指しました」と説明。
菊地は、浅葉克己が手がけた3つの正方形による美術館ロゴに対し、3つの正円で構成されるリニューアルロゴを作成。「建築についてもグラフィックについても、新しいものを丸々作り変えるのではなく、既存のものを生かしながら、いまあるかたちにアップデートしていくというというデザイン計画を担当しました」(菊地)
リニューアルオープンに際した「みなとが、ひらく」というコピーやメッセージ、「じゆうエリア」などの名称は、コピーライターの国井美果によるもの。「美術館というのは港のようなもの。分け隔てなくあらゆる人を受け入れて、情報や宝物の交換をする場所でありながら、そこに訪れる人たちも一人ひとりもまた港になる。そういう場所でありたいという意思をメッセージに込めました」(国井)
今回のリニューアルで無料エリアの拡張に力を入れた背景には、美術館建設時に人々に自由に使ってもらう「広場」として美術館を構想し、丹下が36年前に作った「使い道を定めない自由な空間」を可視化するというねらいがあった。
館長の蔵屋美香は「(無料のエリアについては)『おかえり、ヨコハマ』展も含めて、すごく考えた部分です。たとえば無限の可能性を持つ子供たちが、無料でうっかり見て、こういう道もあるんだと気づいて思わぬ方向に未来の道がひらけたりする。美術館というのはそういう場所でありたいと私は強く願ってきました。この横浜美術館でそれを目に見えるかたちにする。そのひとつが無料の『じゆうエリア』であり、その理念をかたちにするのが『おかえり、ヨコハマ』という展覧会です」と語る。
蔵屋が企画した「おかえり、ヨコハマ」展は、縄文時代から現代まで、アートを通して見えてくる新しい横浜の姿を描き出す試み。開港前に横浜に暮らした人々や、女性、子供など、これまであまり注目されてこなかった存在にも光を当て、様々な人々が住み、行き交ってきた横浜の歴史を多様な作品群を通して紹介する。蔵屋にとっては、初めてひとつの地域のローカル史に取り組む展覧会になるという。
出品作の8割ほどは美術館のコレクション作品で構成され、会場では同館が誇る1万点以上のコレクションを「横浜」という視点でとらえ直すことで見えた発見を「コラム」という形式で展示パネルで説明している。
全8章から成る本展は、土偶や埴輪など古代に現在の横浜市域で暮らした人々が遺した物の展示で幕を開ける。
縄文時代の耳飾りや弥生時代の土器などは、太古の時代からこの地でたしかに営まれてきた生活があることを伝える。また江戸時代から近代にかけて市内の神社に奉納されたという絵馬には、手をあわせる子連れの女性の姿も複数描かれており、当時の庶民が何を願っていたのか、見る者の想像を喚起する。
第2章「みなとを、ひらけ」からは、1859年の開港以降の街の姿を伝える。開港前後の横浜の風物を描く「横浜浮世絵」を手がけた歌川貞秀の作品群は、幕府が修好通商条約を結んだ国々の人々が国旗を掲げて行進する様子や、荷物を運搬する西洋の船など、活気のある港の様子を描き出している。このような西洋人の姿や鉄道、西洋風の街並みなどは当時錦絵として流通し、市外の人々の好奇心も満たしていたという。
また本展では、横浜の遊郭や赤線の歴史に光を当てているのも特徴のひとつ。開港とほぼ同時に開かれた港崎遊郭は一度移転したのちに大火に見舞われ、約8年で姿を消した。その際に亡くなった遊女は400人にのぼるとも言われている。当時の浮世絵には、外国人をもてなす女性たちの姿が描かれているが、外から入ってくる人々を受け入れるために遊郭や赤線を設けるという発想は以後も横浜で繰り返されることになる。
外国人向けの土産物や輸出品としても多くの絵画が工芸品が作られた横浜。第3章では、こうした異文化の接触面に生まれた作品群を紹介する。
展示室で一際目を引くリアルな猫が上に乗った陶磁器の作品は、1870年に京都から横浜に移り住み、窯を構えた宮川香山の作品。
土産品として絵画を制作する家に生まれた洋画家・五姓田義松の絵画には、妹・幽香や、老いた母など、150年前の横浜を生きた一家の姿が描かれている。渡辺幽香は、女性として限られた教育機会のなかで画業を継続し、明治時代に女性洋画家の草分けのひとりとなった。
続く4章「こわれた、みなと」では、輸出入関連の仕事を求めて日本各地から横浜に移った家庭に生まれたふたりの日本画家、今村紫紅と牛田雞村に着目。さらに順調に街が発展を続けるなかで見舞われた、関東大震災前後の様子についても取り上げる。中島清之が焼け跡をスケッチして描いた《関東大震災画巻》にはその生々しい被害の様子が記録されている。
続く章「また、こわれたみなと」の展示室に向かうと、片岡球子が戦時期を生きる子供たちを鮮やかな色彩で描いた作品が待ち受ける。当時は日本が朝鮮半島を占領していた時代で、日本に渡って働く朝鮮の人々も多かった。横浜市の小学校で教員をしていた片岡の絵のなかには、韓服をまとった教え子の姿も描かれている。
この章では、洋画家・松本竣介の代表的なシリーズ《Y市の橋》を、横浜で初めてまとまったかたちで展示しているのも見どころだ。《Y市の橋》は横浜駅近くの月見橋を描いたもの。年代順に並べられた橋の絵をじっくり見比べていくと、戦争によって変化していく日常を松本がどのように観察していたのかが見えてくるかもしれない。
第6章「あぶない、みなと」では、戦後の占領下から高度経済成長期の横浜の様子を紹介する。
とくに注目したいのは、戦後横浜の女性たちの多様な生活を鮮明に記録した写真家・常盤とよ子の作品群だ。赤線地帯を寄り添って歩く女性たち、病院の待合室に佇む看護師と患者、野毛山プールでの女子プロレス、さらには戦前の本牧・小港地域にあった主に外国人客を遊ばせる店「チャブ屋」でかつて働いていた「お六さん」など、様々な境遇のなかで当時の横浜を生きた女性たちの姿を克明にとらえている。
さらに戦後に占領軍兵士と日本人女性のあいだに生まれ、後に孤児になった子供たちなどを保護した聖母愛児園の園児らの写真や、奥村泰宏、奈良原一高といった写真家たちの作品など、戦後の混沌のさなかにあった横浜の街とそこに生きた人々の姿を写した写真作品が並ぶ。また、そうした街の独特の雰囲気ゆえ、横浜が多くの日本映画の舞台にもなったという側面にも光を当てる。
1983年にみなみとみらい21地区の開発が始まり、1989年に横浜美術館が開館。第7章では、美術館の設立過程を紹介するとともに、開館前後に収蔵された作品を新しい視点から読み直す。
とくにポール・セザンヌ《縞模様の服を着たセザンヌ夫人》に描かれたセザンヌの妻オルタンス・フィケ、パブロ・ピカソ《ひじかけ椅子で眠る女》のモデルとされるマリー=テレーズ・ワルテルなど、描かれた人物と作家の関係に着目し、作品を読み解く視点を解説している。
最終章となる「いよいよ、みなとがひらく」では、前半部分を子供のために選んだ作品で構成。「子どもの目で見るコーナー」として、ルネ・マグリットやマックス・エルンストらの作品を子供が見やすい高さで展示し、子供用の椅子や鑑賞の手がかりとなる問いかけパネルも用意している。
章の後半には、横浜美術館の新たな船出を飾る2010年代以降の作品を展示。松田修が母の言葉を使って制作した映像作品《奴隷の椅子》や、百瀬文が耳の聞こえない研究者の木下知威との対話をもとに制作した映像作品《聞こえない木下さんに聞いたいくつかのこと》といった新収蔵作品も紹介されている。
そして最後の展示室は、奈良美智が東日本大震災後に描き、2012年の「奈良美智:君や 僕に ちょっと似ている」展に出品した《春少女》と、「I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.」展(2001年)に際し、子供たちのために描いたメッセージ《横浜の子どもたちへ》で締め括られる。
またグランドギャラリーの大階段には、檜皮一彦が本展のために制作したインスタレーション《walkingpractice / CODE: OKAERI [SPEC_YOKOHAMA]》が展開されている。車椅子ユーザーである檜皮にとって階段や路面の凹凸、トイレの有無といったモビリティを左右する制限について考えるため制作された、横浜の街にある障害物に花を咲かせるプロジェクトの映像作品が展示されているほか、すべての人が「同じ景色」を見るため、大階段にスロープを張り巡らせた。
出品作のほとんどが美術館のコレクションで構成される本展は、そのコレクションの豊かさをあらためて目の当たりするとともに、「女性」や「子供」といった切り口によって、作品や横浜のローカル史を新たな角度から見ることのできる充実した展覧会だ。
蔵屋は本展について「横浜の歴史は、東京や大阪と同じくらい研究の蓄積がある分野で、そこに新しい視点を加えるのはなかなか難しい。ただ、ここは美術館なので、誰かが作ったものを手がかりにすることで、新しい歴史が見えてくるのではないかと考えました。アートの作品は、一つひとつ誰かが思いを込めて手で作り、それを多くの人が見て楽しんできたものです。そうした人たちの声に耳を澄ませて、いまこの場所に私たちが生きているということを感じられる展示になったら嬉しいなと思い、今回の企画をすることになりました」と語る。
さらに「全部の作品が並んでみると、それを作った人、見た人、愛した人、一人ひとりの声が聞こえてくるようで、これらの人とたくさんの話をしながら展覧会の旅を終えるような経験を自分でもすることができた」と振り返った。
またコレクション展として館内では、淺井裕介の新収蔵作品《八百万の森へ》の特別展示や、生活や身体をテーマとした女性アーティスト、手仕事的な創作や性差の問題に取り組んだ男性アーティストら、1980年代と2010年代を中心とした作品を紹介する「新たにむかえた作品たち──生活・手仕事・身体」を開催。
新たに設置された無料で鑑賞できるギャラリー8、9では「ひっくり返す・ひっくり返る」「ガラスとひかり」をそれぞれ開催しているので、こちらもあわせて訪れてほしい。オンラインでは、SIDE COREとのコラボレーションにより、美術館の建物の記憶を360度カメラで撮影した映像作品『KAIROS/カイロス』も公開中だ。