「ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家」(東京オペラシティ アートギャラリー)レポート。ガラス食器と絵画、写真が織りなすストーリー

スウェーデンを拠点に活動するガラス作家・山野アンダーソン陽子の展覧会が東京オペラシティ アートギャラリーで開催中。画家が描いてみたいガラス食器を言葉で伝え、その言葉を解釈して山野がガラスを吹き、出来上がったガラス食器を見ながら画家が絵を描くというプロセス、その先にある共演のかたちとは。

会場風景より 撮影:吉田歩

画家が「描きたいガラス食器」をリクエストし、山野が制作することから始まる

まず、画家に描いてみたいガラス食器をリクエストしてもらう。次に、それをもとにイメージを膨らませてガラスを吹く。完成したら画家に届け、今度は絵の中にガラス食器を描いてもらう——スウェーデン在住のガラス作家・山野アンダーソン陽子が発案したアートプロジェクト「Glass Tableware in Still Life」の展覧会「ガラスの器と静物画 山野アンダーソン陽子と18人の画家」が、東京・初台の東京オペラシティ アートギャラリーで開幕した。会期は1月17日から3月24日まで。

会場風景より 撮影:吉田歩

山野は日本の大学を卒業後、スウェーデンに渡って北欧最古のガラス工場があるコースタという村に住み、現地の学校で吹きガラスの手法を学んだ。その後スウェーデンの王立美術工芸デザイン大学にて修士課程を修了し、世界各地でクリアーガラスの作品を展開している。

会場風景より

このプロジェクトは、山野が「ガラス作品の本を作りませんか」とデザイナーの須山悠里から提案されたことに端を発する。そこから山野は本を作るということに数年かけて向き合い、静物画のモチーフとして描かれる自身のガラス食器に焦点を当てたアートブックを制作することを思いつく。山野は絵画を見るとき、いつも描かれているガラス食器に気を取られてしまうのだという。レオナルド・ダ・ヴィンチの《最後の晩餐》のグラスに、セザンヌやピカソの静物画の中の食器。時を経ても絵画の中にガラスの存在が残っていることに感心し、それを通して当時の生活を垣間見ることを楽しんでいた。

協力を依頼した画家は、スウェーデン、ドイツ、日本を拠点にする18人。プロジェクトを撮影する写真家として三部正博も加わった。山野自らが交渉し、対話を重ね、画家の静物画が完成すると、三部や須山とともに画家のアトリエを訪ねて撮影を進めて行った。

会場風景より 撮影:吉田歩

「ガラスは人間が簡単にコントロールできるものではない」

会場の入り口には、スウェーデンの画家アンナ・ビヤルゲルの《milk》(2021)が展示されている。ビヤルゲルのリクエストは「牛乳を飲むためのグラス」「小ぶりで、牛乳の冷たさを指で感じられる薄いグラス」というもの。山野は自身の技法を踏まえ、できるだけ薄く、ただし口当たりを意識してちょうどよい厚みをもたせたものを何度も作り直し、ようやく完成させた。展示室に入ると、そこには絵の中で牛乳が注がれていた山野のグラスが置かれ、さらにそのグラスがビヤルゲルのアトリエに佇む姿をとらえた、三部による大判のモノクロ写真を見ることができる。

会場風景より 撮影:吉田歩

プロジェクトでは、画家からのリクエストは「言葉のみで説明してもらう」というのが条件のひとつ。言葉だけの解釈によって互いの想像とは違う着地点をねらったからだ。画家の言葉にあったのは、「大きなビニールのシートを何度も折りたたんだようなボウル」「できる限り安定感のあるドリンキンググラス」「石楠花の葉っぱのボディー」など様々だ。

「私は『ガラス屋』なので、レストランから頼まれて、ワイングラスなどと用途が決まった食器をつくることがよくあります。クラフトによって量産されたものが好きで制作しているので、そういうときは一見同じように見えてちょっと違うガラス食器を、30個の依頼があればその数を納品します。でも、今回は画家が持つイメージに向かって、作風や人となりをいろいろ想像しながら、これだというものにひとつ絞ることになりました」と山野は話す。

会場風景より 撮影:吉田歩

画家には「ガラス食器が思ったものと違えば描き直していい」とも伝えていたという。「昔から絵画の中に、現実にはガラスという素材で作り得ない『嘘』のガラスを見つけるのが面白くて。そんなことも実現できたらと思いました」という山野は、ガラスというマテリアルを熟知している作家ならではのユニークな視点でプロジェクトに取り組んだ。

はじめの展示室の突き当たりの大きな壁には、高温で真っ赤なドロドロのガラスと格闘する、普段の制作風景の映像も投影されている。普段、涼しげ、繊細といった静のイメージが強いガラスの別の一面を見せたいという山野の思いがあったという。

「自分にとってガラスはとても熱くて、流動的なものなの。人間が簡単にコントロールできるものではないということを、全体を見る前に知ってもらうのもいいなと思いました」と山野。

会場風景より 撮影:吉田歩

展覧会もプロジェクトの一環として考える

展覧会はガラス食器、絵画、写真で構成されているが、巡回先の美術館ごとにキュレーターを交えて話し合いながら、作品の並びや見せ方を大きく変えている。

「展覧会はやってきたことをただ見せる場ではなく、プロジェクトの一環と考えています。巡回先の美術館のキュレーターともそれぞれ話し合いを重ね、オペラシティ アートギャラリーでは、なぜこれができたのかというガラス、絵画、写真を通した関係性を楽しんでもらう展覧会になりました」と山野は説明する。

会場風景より 撮影:吉田歩
会場風景より

たとえば、小林且典の《静物学》(2019)を例に出して山野が説明する。

「小林さんの絵では、水差しのハンドルが丸くなっている。でも、私は『ブロンズのような』というリクエストを解釈して、ハンドルがピッと上がるように意識していた。でも小林さんは違うほうがいいと思って描いたんだ!とわかって楽しかった」。

会場風景より、手前が山野アンダーソン陽子のガラス作品、奥が小林且典の作品群

また、スウェーデンの画家ニコラス・ホルムグレン《Anusha, double》(2021)についてもこんなエピソードがある。ホルムグレンは「シャンパン、ゴブレット、赤ワイン。白ワイン、シェリーグラス」と5脚のセットをリクエストした。5脚をバランスよく手作業でつくるのは難しく、山野は1種類につき何十個も制作するなどやっとのことで完成させたが、絵に描かれたのは2脚だけだった。「結局2脚にしたけど、絵のコンセプトに合っているから自分はそれでいい、ということなのです。潔いですよね」と山野。スウェーデンでは人と人との関係がフラットで、忖度なし。こういうことはよくあるという。

会場風景より、手前が山野アンダーソン陽子のガラス作品、奥がニコラス・ホルムグレン《Anusha, double》(2021)

このような画家と山野の作品を介しての対話を、俯瞰するようにとらえたのが三部の写真だ。完成して画家の所有物となったガラスを、画家のアトリエで撮影した。

「クリアーガラスなのでモノクロで撮るのはどうか?と須山さんに提案され、素晴らしいと思い賛同しました。撮影では光を作為的につくらず、自然光に順応して、画家が普段感じている光のゆらめきを写しています」と三部。また、展示した写真は、8×10カメラを使っている。「クリアーガラスの流れるような質感を出すには、粒子が荒れにくいのでイメージサイズが大きいフィルムが適しています。それからフィルム撮影の一回性は、山野さんのガラス制作と似ている点があると考えました」。

会場風景より、三部正博の写真

人々がガラス食器について考えるきっかけを作りたい

今回、プロジェクトの第一の目的となったアートブックをデザインした須山は、建築家の伊藤暁、照明家の岡安泉とともに、広島市現代美術館の会場構成にも関わった。本展が仄暗い展示室から始まるのは、須山のアイデアで洞窟をイメージしたという。

「山野さんに本をつくることを提案したのは、私自身がもともと『複製』に興味をもっていることとつながっていて。プロジェクトのはじまりは、ガラス食器を本にすること。つまり、複製することでした」と話す須山は、ガラス、絵画、写真というメディアの関係性についても考えることができる構成を考えた。

会場風景より 撮影:吉田歩

「絵画の発生は、先史時代の洞窟の中と言われています。でも、写真の原理も同時に生まれていたのではないかと、ある本で読んだことがありました。洞窟壁画の中に、ネガティブ・ハンドと呼ばれる、壁に手をあてて顔料を吹きかけてできた像が見つかっていて、これは手の『複製』で写真とも言える。展覧会でも、洞窟のような暗がりから、実際のプロジェクトとは逆の順序で、写真、絵画、ガラスが生まれていくイメージがつくれたら面白いのではと思いました」(須山)。

山野は、プロジェクトについて、「ガラスの食器そのものよりも、関わってくれた人たちとの関係性や費やした時間が重要だった」と振り返る。「自分にとって大切なことが、他の人にはそうじゃなかったり。そういうこと自体がとても面白かった。展覧会に来てくれる人の興味もそれぞれでいい」と話すが、ひとつだけガラス作家として、期待していることがあるという。

会場風景より 撮影:吉田歩

「自分で持っているガラス食器やレストランやカフェで使っているものを少し意識するようになって、ガラスの見方を少しでも変えてもらえたら。機械生産が主流になってガラス産業の在り方が大きく変化し、とくに私が使用している古い技法は急速に廃れています。ただマニアックに追求しているわけではなく、やはり使用感や口当たりがよいと信じて続けているのですが。展覧会がガラス食器について考えてもらうきっかけになったら嬉しいですね」。

会場風景より 撮影:吉田歩

展示室を出てすぐの長い通路には、三部が画家たちのアトリエやその道のりで出合った風景を35ミリカメラで撮影した写真が展示されている。山野とともにスウェーデン、ドイツ、日本と回った長い旅の断片を集めたたくさん写真は、このプロジェクトに関わった人たちの熱量が伝わってくるようだ。三部は、「プロジェクトの中心にあるのが、誰にでも身近で普遍的な存在ともいえるクリアーガラスというのがよかった。いろいろな人が、自分とガラスとの関係を照らし合わせることができるのでは」と言う。

会場風景より 撮影:吉田歩

会場内では画家のアトリエで撮り下ろした静物画とガラス食器、それぞれの写真が収められたアートブック『Glass Tableware in Still Life』(torch press刊)を手に取ることができ、両者の関係性やアトリエの空気感を展覧会と合わせてじっくりと味わえる。また、山野がプロジェクトに取り込む日々を綴ったエッセイ『ガラス』(BlueSheep刊)も刊行されており、この実験的なプロジェクトを楽しむ様々な仕掛けが用意されている。

左から須山悠里、山野アンダーソン陽子、三部正博 撮影:吉田歩

宮崎香菜

宮崎香菜

みやざき・かな 編集者、ライター。『美術手帖』『アサヒカメラ』編集部を経てフリーランス。