「森村泰昌:ワタシの迷宮劇場」が、6月5日まで、京都市京セラ美術館 新館東山キューブで開催されている。
森村は1951年大阪市生まれ。1985年にゴッホに扮したセルフポートレイト写真でデビューして以降、西洋美術史に描かれた人物や、歴史上の有名人、女優、ポップスターなどに扮した自画像を制作し、名画の秘密を探り、人間の中の多重性をあらわにしてきた。
学生時代を過ごした思い入れのある地、京都での大規模な展覧会となる今展では、「セルフポートレイトの作品を振り返って、ワタシひとりの中にたくさんの秘められたワタシがいて、それが裏表、複雑に絡んで織りなされる風景——そんなラビリンス(迷宮)を会場にあらわせないか?と考えました」(森村)。一筋縄ではいかない「ワタシ」という現象と格闘してきた森村が作り出す迷宮は、やはり一筋縄ではいかないトリッキーさだ。
まず展示室の入口には布地が垂らされていて、ちょうど姿見の鏡のような形のスリットがあり、そこをくぐって入る。しかもその入り口は、5か所。どこからでも入れて、入り方によって、中での体験が違って見えてくる、という仕掛けだ。
展示室内部には、垂直なパーテーションや順路はない。波打ったカーテンが迷路のように湾曲した導線となり、そこに写真作品を展示する「M式写真回廊」が巡らされている。「ルートに沿って説明を読んでわかった気になる、そんな展覧会ではなくて、ワタシという名のラビリンスを体感してもらうための空間。やわらかで、体内にいるような感じを受け取ってもらえるように」(森村)。
展示されているのは、未公開の800枚以上のポラロイド写真で、過去のセルフポートレイトの試作あり、遊びで撮影された写真あり。森村が生み出してきた無数の「ワタシ」のなかに、40年近くにわたって歴史、人種、思想、ジェンダーやアイデンティティを超えてきた試みが垣間見られる。
「M式写真回廊」の中に潜むように、3つのセクションが設けられている。
ひとつが「夢と記憶の広場」。
ここでは森村がひとりで30人の人物に扮した動画作品が上映される。「近年では作品規模が大きくなって多くのスタッフと制作するようになりましたが、コロナ禍という事情もありこの作品はすべてひとりで作りました。本来、ポートレイトはひとりの世界で、その原点に戻れました」(森村)。
ポートレイトの制作プロセスを記録した映像も、同時に上映。BGMに時折流れる電車の音は、森村のアトリエがある鶴橋の高架下を連想させる。森村の迷宮世界の生まれる場所に迷い込んだようだ。
その衣装、小道具や愛読書を展示するのが、「衣装の隠れ家」。森村ワールドの秘密兵器たちをカーテンのスリットからのぞき見る仕掛けで、見せ物小屋のような背徳感がたまらない。
3つ目が、「声の劇場」だ。写真の回廊に囲まれた中に、畳敷きの何も作品展示がない空間が作られている。ここでは森村が書き下ろした短編小説をもとに、10個以上のスピーカーからの音と光とで、無人の朗読劇が演じられる。ストーリーは猟奇的で古風なミステリーで、演出にスモークとお香が使われる。声という身体性と気配、聴覚や嗅覚で感じとる、もうひとつの迷宮だ。
迷わせポイント満載の森村ラビリンス。「回廊の中に広場があり、見せ物小屋があり、劇場がある。ワタシの中に都市空間があって、そこを人がうろうろする。そんな感じがいいな、と思いました。迷うことはゲームのようなもので、ワタシの中の不思議な世界を面白いと感じてもらいたい」と森村は語る。
森村泰昌
もりむら・やすまさ 近年の個展に「森村泰昌:自画像の美術史──『私』と『わたし』が出会うとき」(国立国際美術館、2016)、「森村泰昌:エゴオブスクラ東京2020──さまよえるニッポンの私」(原美術館、2020)、「ほんきであそぶとせかいはかわる」(富山県美術館、2020)、「M式『海の幸』──森村泰昌 ワタシガタリの神話」(アーティゾン美術館、2021)等。2018年、大阪・北加賀屋に「モリムラ@ミュージアム」を開館。著書に、『自画像のゆくえ』(光文社新書)ほか多数。