ひらがなと漢字で構成される「やまと絵」という言葉の表記はなかなか絶妙だ。
記号としてのひらがなは、漢字から派生する形で登場した平安時代以来、日本文化の根底を大きく支えるようになる。紫式部らによる文学や和歌を書きとめた紙媒体で使われただけでなく、書と絵がしばしば同じ画面で共存する日本の絵画の分野にも、多大な影響をもたらした。「やまと」が「日本」を意味する言葉であることが重要なのは、言うまでもないだろう。
いっぽう、景色などを描き記したものを意味する「絵(繪)」を「え」と読むのは訓読みのように思われるかもしれないが、じつは音読みである。明治時代初期に「芸術」や「美術」などの概念が言葉の伝来によって西洋から輸入されたのと同様に、「絵」の概念そのものが言葉と一緒に中国から渡ってきたとも推測できるかもしれない。少なくとも、「やまと」の「絵」を表す「やまと絵」という言葉には、日本と中国がいい具合に混じり合っているのは確かだ。
東京国立博物館 平成館で12月3日まで開催中の特別展「やまと絵 -受け継がれる王朝の美-」のレビュー記事をしたためるにあたって単語の分析を試みたのは、それがまさに日本と中国の関係によって生まれ育ったことを、展示作品で実感できたからだ。
この展覧会について東京国立博物館絵画・彫刻室長の土屋貴裕は「平安時代から室町時代末までの日本美術史上の重要な『やまと絵』がほぼ揃った夢のような展覧会」と話す。実際、展示替えが多いにもかかわらず、会期が始まった最初の週から、《源氏物語絵巻》《平家納経》《鳥獣戯画》《伴大納言絵巻》などの重要作が会場を埋めている。
その中で最初に鑑賞することになるのが、数点の《山水屛風(せんずいびょうぶ)》である。山水(さんすい)の風景を描いたものを「せんずい」と読むのは、仏教行事で用いることによる慣例とされる。まずは、そのひとつである京都国立博物館蔵の《山水屛風》(以下「京博本」とする)を眺めてみた。《山水屛風》としては、現存最古の作品と聞く。
こうした作品は、ぼーっと眺めていると、絵の表す空気感を実感できるようになり、だんだん味わいが増してくる。そもそも画面に中心があるわけではなく、一点に焦点を絞って眺めるようにはできていないのだ。
遠くに山々を望み、近くには建物と人物や馬が描かれている。平安時代の作なのに、色がよく残っていることに感心する。近寄って、モチーフからモチーフへと目を移して行く。ただの風景ではなく、人の営みが描かれている部分に目が向くと、人が自然と共存していたことがリアルに感じられた。
さて、「京博本」のすぐ近くに展示されていたのが、京都・神護寺蔵の《山水屛風》(以下「神護寺本」とする)だ。
こちらは、時代が少しくだった鎌倉時代の作品だ。全体のおおまかな雰囲気は「京博本」とさほど変わらない。緑豊かな山々と平地が織りなす素朴な風景が描かれている中に建物がいくつか。かなり小さいが、人物の姿もある。
この2点が同じ展示室に出品されていることには、かなり大きな意味がある。「やまと絵」の展開に関する大きな変化をうかがい知ることができるからだ。
「京博本」には、じつは「唐絵(からえ)」すなわち中国の風景を描いた絵画の要素が認められるという。とくに人物が着ている衣裳が唐のものであることからは、描かれた対象が日本でないことが明白になる。いっぽうの「神護寺本」はどうか。寄って見ると、日本の寝殿造りの建物や日本の貴族の衣裳を来た人物が確認できる。日本の風景である。
ただし、「京博本」に描かれた山水は、十分日本的であるようにも見える。やわらかいのだ。日本の実景を頭において描いたのだろうか。画面に和歌は書かれていないが、ひらがなのやわらかさにも通じる。こうした特徴を持つ2作を比べて鑑賞できるのは、おそらく稀有な機会である。
日本の風景を描く「やまと絵」は、中国から伝来し、中国の風景を描いた「唐絵(からえ)」との対立概念として生まれたという。平安時代から「倭絵」などの表記で使われていた言葉である。言葉によって人間の思考は顕在化する。それゆえ言葉の存在は重要だ。平安時代には、すでに自分たちの文化のアイデンティティが芽生えていたと考えてもいいのではないだろうか。
中国と日本の関係を見るうえでは、《扇面法華経冊子》にも注目したい。
扇は平安時代に日本で発明された道具と言われる。扇そのものに優美な絵が描かれることも多い。扇絵を散らして貼った「扇面貼交屛風」が登場するなど、扇の形はとても大切にされる。
《扇面法華経冊子》は、下に絵が敷かれるように描かれているのが特徴的だ。経典の内容とは関係なく、日本の貴族の生活場面が描かれていると聞く。そしてその絵の上に、仏教の経典の文字が載っている。経典自体は中国から伝来したものだ。「やまと絵」に書かれるのがひらがな主体の文章が多いことを考えると、真逆の存在感を持っている。
もうひとつ目を向けたいのは、冊子として制作されていることだ。経典は巻物の形態を取ることが多いが、冊子なら持ち運びやすいだけでなく、画面を開くのも簡単だ。平安時代に素晴らしい装幀家がいたことを想像させる。
いっぽう、はたして、こんなに濃密な絵が描かれた上の文字を見て、ちゃんと読経ができたのかとも思わせる。とはいえ、こうした美しい文物を簡単に持ち運んで楽しむことができただけでも、大きな意義があったのではなかろうか。
目を喜ばせるという点でうれしいのは、装飾経の名品が出品されていることだ。ここでは、有名な《平家納経》と並べて展示されていた《一字蓮台法華経》を紹介しておきたい。
金箔、銀箔などがふんだんに使われた美しい料紙を用いた装飾経である。冒頭に配された見返し絵に描かれているのは、貴族の生活風景である。《扇面法華経冊子》に通じる表現だ。手にした人々を美しい極楽浄土に連れて行くための表象だったのだろうなどと曲解するのも楽しい。
生活風景を描いた経典の存在は、平安貴族に仏教が浸透していたことをも物語る。疫病の流行や末法思想の広まりなどから、宗教に救いを求める貴族も少なからずいただろう。《一字蓮台法華経》という名前は、経典の文字が一字ずつすべて蓮台に載せた形で書かれていることを意味しているという。経の一字一字のすべてがそれぞれ仏として表されているのである。ただ豪華な装飾が施されているだけではなく、深い信仰心の大切さを表している点が興味深い。
平安文化において、貴族の生活に根付いていた和歌の存在は極めて重要だ。ここでは、料紙の色彩感が優美な主張をしていた《古今和歌集序》を取り上げる。
和歌は平安文学の基本である。宮中の歌合わせのほか、9世紀には「屛風歌」と呼ばれる遊びが流行したという。絵師に描かせた絵を見て貴族たちが和歌を詠み合うというものだ。和歌は貴族の生活の一部となり、古今和歌集なども編纂されるようになる。紫式部の《源氏物語》や作者不詳の《伊勢物語》にも、和歌が多く登場する。そんななかで現れたのが《古今和歌集序》だった。
巻物にたくさんの和歌が書かれている。目を引くのは、媒体である料紙が数種類の色のついた紙で継がれていることだろう。その紙をよく見ると、人物などが描かれていることがわかる。赤い料紙に描かれているのは、唐風の衣装を着た人物のように見える。どうやら、ここにも中国の影があったようだ。しかし墨でしっかりと書かれた和歌は、十分な「やまと」を表現している。
この書に見られるようなひらがなを主とした連綿体によるくずし字は、速く書くための実用性から平安時代に生まれたものという。日本では絵と書が同じ画面の中にしたためられることも多く、連綿体のひらがなは、絵の中にやわらかく優美な世界を作り出す重要な役割を果たした。
この展覧会には、平安時代に生まれた「葦手絵(あしでえ)」がいくつか出品されており、特有のセンスを楽しむことができた。「葦手絵」は、葦が生えるような水辺の風景の中に、絵画化した文字「葦手」を紛れ込ませて描く様式の絵のことを言う。
《葦手下絵和漢朗詠集》は題名からわかる通り、和歌が書かれた巻物を装飾するために、葦手絵が薄く描かれている。葦手はもはや絵画と一体化しており、上に載せて書かれた和歌を邪魔することもない。「やまと絵」の世界では、なんと遊び心に満ちた物が生み出されていたのだろうと思わせる作品だ。
《鳥獣戯画》は、少々特異な「やまと絵」の例として挙げておきたい。
この展覧会には、四大絵巻として《源氏物語絵巻》《信貴山縁起絵巻》《伴大納言絵巻》《鳥獣戯画》が出品されている。《鳥獣戯画》の特異性は、線描にある。
《鳥獣戯画》でたくさんの動物の輪郭を表した線は、じつに大胆で躍動的だ。肥痩を巧みにすることで、あまりにも生き生きとした描写に成功しているのだ。いっぽう、ほかの絵巻にあるような詞書(ことばがき)はなく、物語があるかどうかも不明だ。この展示を見て、多くの動物が登場するおとぎ話のような世界でこれだけの表現ができるのは「やまと絵」の線の力であることを改めて感じた。
室町時代の逸品《百鬼夜行絵巻》は、会場に来る前には出合いを予期していなかったので、作品と向き合って筆者は狂喜した。
60巻以上も存在するという《百鬼夜行絵巻》の中で、現存最古の作例という。《鳥獣戯画》と同じく詞書がないので物語があるのかどうかは不明だが、最後の場面を除けばたくさんの妖怪が右から左に向かって行進していることだけは間違いなさそうだ。妖怪の大行進。描かれた内容は怖いというよりも楽しい。楽しさは、《鳥獣戯画》にも通じている。マンガやアニメの源流も認められるだろう。
この《百鬼夜行絵巻》には、100年経過した器物が変化する「付喪神絵巻(つくもがみえまき)」の一部を切り取って描いたという説があるそうだ。楽器が変化して妖怪になったキャラクターなどは、とくに印象的だ。音を出しながら行進していたのだろうか。室町時代になると「やまと絵」の展開はここまで来ていたのかと思わせる。創造力を駆使して生まれた表現を、想像力をふくらませて鑑賞するのは、じつに楽しい。
楽器の妖怪が出た縁で、《蒔絵箏》についても取り上げておきたい。
奈良県の春日大社に古神宝として伝わった楽器というが、蒔絵で表現された山水の流麗さがたまらない。自然に対する慈しみや親しみが感じられる。鳥のあしらいなどを含めて、デザインの視点で見ても秀逸である。実際には楽器としては使われなかった可能性もあるという。だが、美しい楽器からは美しい音が出るものである。流れ出る音を聞いてみたいと思わせる逸品だ。
この展覧会では、小説や伝説を絵画化した物語絵、貴族や僧侶を描いた肖像画、地獄の凄惨な場面を描いた地獄絵、四季を描く四季絵、月ごとの行事や風俗を描く月次絵(つきなみえ)など、極めて多彩多様なジャンルの絵画表現で豊かな作例が生まれたこともよくわかった。そこには、「やまと絵」の素晴らしさや面白さを実感して継承し展開しようとした人々の強い気持ちが存在し続けたことがうかがわれる。
小川敦生
小川敦生