韓国、ソウルの麻浦(マポ)区。ここに戦争と女性の人権博物館という小さな博物館がある。同館は日本軍「慰安婦」サバイバーの歴史を記憶し、日本軍「慰安婦」問題解決に向けて活動する私立博物館として、2012年に開館。また、いまなお世界各地で続く戦時性暴力に反対し、連帯する活動を行っている。
今年3月、筆者は初めてこの場所を訪れた。
同館がある麻浦区は、美術やデザインを学ぶ学生が多く通う弘益(ホンイク)大学校がある弘大(ホンデ)地区を要し、ギャラリーなども集まる場所だ。
最寄の弘大入口(ホンデイック)駅から大通りを10分ほど歩くと、「ワールドカップブクロ11ギル」の標識とともに、「戦争と女性の人権博物館」の標識が目に留まる。同区には「2002 FIFAワールドカップ」の開会式が行われたソウルワールドカップ競技場があるのだ。「日韓ワールドカップ」と呼ばれた本大会は、日韓友好のあかしとしてメディアなどで華々しく取り上げられていたことを思い出す。しかし同時に、その後の日韓関係の悪化や日本における嫌韓ムードを思えば、ワールドカップを名前に冠した通りにこの博物館が位置することに、なんとも複雑な気持ちになる。
閑静な住宅街を歩くと、チマ・チョゴリを着た女性たちを描いた壁画や、来館者らのメッセージが目に入る。見上げると、黒いレンガで建てられた戦争と女性の人権博物館があった。
日本人である私は、いったいどんな姿勢でこの博物館を訪れればいいのか。緊張しながら扉を開けると、笑顔で優しい雰囲気の女性スタッフが受付で出迎えてくれた。日本から来たと伝えると、日本語のオーディオガイドを貸してくれる。(ガイドは韓国語・英語・日本語。入館は公式サイトから事前予約制)
渡されたチケットには、ハルモニ(高齢の女性、「おばあさん」を指す言葉。日本軍「慰安婦」サバイバーに対して使われることもある)の顔写真が印刷されている。チケットには5人のハルモニが印刷されており、日替わりでそのうちのひとりのものが渡される。この5人は、「慰安婦」としての過去を乗り越え、人権を守るために行動した女性たちだ。オーディオガイドをつけると、ハルモニの人生についての説明が始まる。
この博物館は、1〜3部の展示で構成されている。「1部 過去、その重い時間の重なり」は、ハルモニたちが経験させられた苦しみがどれほどのものか、来館者の感覚に訴えかけるような工夫が凝らされたインスタレーション的な展示だ。
まず一度建物の外に出て、幅の狭い砕石道を通るのだが、その両側にはハルモニたちの苦しげな顔を模ったレリーフや、被害者によって描かれた絵が掛けられている。
そして細い階段を降りて地下展示館へ足を踏み入れると、暗く狭い部屋にハルモニの映像が浮かび上がっていた。地下牢のように閉鎖的な空間に、苦痛の声が充満する。私はまるで酸素が急に薄くなり何倍もの重力に身が圧迫されるような苦しさを感じ、ここに来たことを後悔しかけ、いますぐに逃げたいという感覚に囚われた。
しかし、なんとか堪えてその場に立ち、いま自分が感じている恐怖や苦痛など到底足元にも及ばない、被害者たちの痛みを想像してみる。どうやっても想像しきれない、安易に共感などできない経験の重みが、ずっしりと身体にのしかかってくるようだ。
地下から2階へと向かう階段展示には、ハルモニたちの顔写真と、韓国語・英語・日本語で書かれた彼女たちの訴えが掛けられている。
「生き残ったことが夢のよう。
夢と言っても過酷な悪夢だけれど。」「悔しくてたまらない。青春を返しておくれ。
「たった一言でもいいから 心のこもった謝罪の言葉を聞きたい。」
階段を上がって2階に着くと、外光が注がれる明るい展示室が現れる。「2部 過去と現在との出会い」では、戦中から戦後にかけての日本軍「慰安婦」問題をめぐる資料や、来館者に歴史やハルモニの人生を解説するパネルなどが展示されている。歴史館、運動史館、生涯館、追悼館の4セクションにわかれており、順に回っていくかたちだ。
歴史館は、戦時下に生み出された日本軍「慰安婦」制度について説明する展示だ。日本軍によって組織的・体系的に行われたこの制度の実態についての解説がなされる。
たとえば、戦時中の「慰安所」でお金の代わりに使われた軍票や現地の紙幣。捕虜として収容された朝鮮人「慰安婦」の尋問調書。「慰安所」に入る兵士たちに配られた「突撃一番」という名のコンドーム。友人と「慰安所」に行ったことが書かれた軍人による日記。残されたこうした資料は、当時の実態を生々しく伝える。
またクォン・ユンドクによる「慰安所」の絵(2010)のパネルでは、「慰安所」の間取りとともに、その周囲をぐるりと包囲する大勢の日本兵が描かれている。脇には女性たちの身体検査のための道具も見える。俯瞰的・説明的な描写であるにもかかわらず、そのおぞましさに絶句するしかなかった。
終戦時の状況も過酷で、妊娠の身でありながら捨てられた「慰安婦」の経験や、自殺の強要や集団的な殺害があったこと、故国に帰れずに行方知れずとなった人々がいたことなどが示される。また無事に故国へ帰ったのちも、後遺症に苦しみ貧困へと追いやられるなど、苦しい暮らしにあった被害者たちの姿も紹介されている。
解説パネルは韓国語が主だが、オーディオガイドとこうした視覚的な展示によって様々なことが伝わってくる。
運動史館は、日本軍「慰安婦」問題解決のための運動の足跡を辿るもの。解説パネルやその時々のニュースを伝える新聞などの資料のほか、1992年1月8日から現在に至るまで、在ソウル日本大使館前で行われている「水曜デモ」の現場の映像や、その1000回を記念した《平和の少女像》などが展示されている。
日本軍「慰安婦」とされた被害者たちは、戦後長らくのあいだ沈黙を強いられ、問題は闇に葬られていた。しかし民主化の成果と女性運動の高まりによって、1988年にようやくこの問題が公の場で議論されるようになった。日本軍「慰安婦」としての被害を初めて公的証言したのは金学順(キム・ハクスン)で、それはようやく1991年になってのことだ。これを機に勇気を出した被害者たちが自らの経験を語るようになり、被害の訴えを聞くための「挺身隊ホットライン」もまもなく開設された。このホットラインで使われ、たくさんの声を受け止めてきた電話も展示されている。
その後の河野談話、女性のためのアジア平和国民基金、女性国際戦犯法廷といった歴史的流れとともに、日本軍「慰安婦」問題解決運動が生存者支援活動とともに、韓国やアジアを越えた女性への暴力撤廃を求める国際的な平和運動として発展していったことも説明される。
生涯館では、被害者たちの紹介とともにその遺品などが展示されている。ここで紹介される被害者は韓国のハルモニが多いが、朝鮮や台湾、オーストラリア、台湾、フィリピン、インドネシアの出身者もいる。
このほか2階には故人となった被害者の顔と死亡日時が展示された追悼館、「ああ、光復!その後」という小展示に加え、中央の吹き抜け部には「寄付者の壁」がある。本館建設の後援者の名簿が刻み込まれたもので、その数7500。海外からは1500、そのうち日本人および日本の団体は1400に及ぶ。
1階に降りると「3部 現在を乗り越え未来へ」の展示がある。ここは現在も世界で繰り返される女性に対する暴力の実態と平和へのメッセージを投げかける空間だ。また屋外にはベトナム戦争時に韓国が加害者となった歴史を伝える企画展示がある。
戦時性暴力は決して過去の出来事ではなく、現在にまで続く問題だ。それはロシアによるウクライナ侵攻が起きているいま、現代を生きるすべての人にとって「自分ごと」として考えるべきものだろう。
博物館としては決して広いとは言えない本館だが、ここで伝えられる歴史と未来に向けた提言に向き合っていたら、あっという間に2時間ほどが経っていた。戦争と暴力がない世界に向け、たゆみない活動を続けている本館を訪れ、未来に歴史を引き継ぐことの重要性を改めて思い知った。
近年ソウルは現代アートが活気付き、2023年9月には2回目となる大型アートフェア「フリーズ・ソウル」も控えている。現在のソウルの熱いアートシーンをまわる機会がある人は、ぜひこの戦争と女性の人権博物館にも足を運んでほしい。
また日本では東京・早稲田にアクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館がある。戦時性暴力、「慰安婦」問題の被害と加害を伝える日本初の資料館なので、こちらを訪れることで得られる学びも多いだろう。
*参考
『戦争と女性の人権博物館 展示図録』戦争と女性の人権博物館、2017年
戦争と女性の人権博物館
開館日:火~土 10:00~18:00(最終入場 17:00)
休館日 : 日・月、1月1日、チュソク、旧正月、12月25日
住所 : ソウル市 麻浦区 ワールドカップ北路 11ギル 20
事前予約制
公式サイト(日本語)
福島夏子(編集部)
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