2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻を受けて、芸術文化においていち早く反応したのはクラシック音楽界だった。プーチン大統領との関係の近さで知られていたロシアの指揮者ヴァレリー・ゲルギエフが2月25日のカーネギー・ホール(ニューヨーク)でのウィーン・フィルハーモニー管弦楽団公演から降板。さらに3月以降も同氏の指揮が予定されていたミラノ・スカラ座でのオペラ『スペードの女王』(2月23日初日)に対して、ミラノ市長が「侵攻に対する見解を明らかにしない限り指揮を認めない」とする書簡を送るなど、開戦からわずか数日間で様々な反響が見られた。
もちろんプーチンとロシアに対する抗議と同時に、ウクライナ市民への連帯を示すアクションも多くあった。そのひとつが、ベルリン放送交響楽団首席指揮者であるロシア人指揮者ウラディーミル・ユロフスキによる同響定期公演のプログラム変更である。ウクライナ系ロシア人であるユロフスキは、どのような背景をふまえて行動したのか。ドイツ及びアメリカに在住経験を持つ在野のクラシック音楽研究家・辻見達郎による緊急寄稿を以下に掲載する。【Tokyo Art Beat】
ロシアによるウクライナ侵攻という蛮行を前に、芸術に携わる者としていかに振る舞い、いかに自重すべきか。
この難問に対し、ベルリン放送交響楽団(Rundfunk-Sinfonieorchester Berlin)の首席指揮者を務めるウラディーミル・ユロフスキは、2月26日(コンチェルトハウスホールにて)及び27日(フィルハーモニーホールにて)の同響との演奏会で彼なりの回答を試みた。
当初、演奏会ではチャイコフスキーの「スラヴ行進曲」で始め、アントン・ルービンシュタインの「チェロ協奏曲第2番」、旧ソ連からイギリスに亡命し、2020年に没したディミトリー・スミルノフの「チェロ小協奏曲」(世界初演)が続き、チャイコフスキーの「交響曲第5番」で締める、というプログラムが予定されていた。しかし、2月24日から始まった侵攻を受け、ユロフスキは、コンサートをウクライナ国歌「ウクライナは滅びず」の演奏で始め、「スラヴ行進曲」をウクライナ国歌の作曲家であるミハイル・ヴェルビツキーの「交響的序曲第1番」に変更することとした。
また、予定通り演奏されたスミルノフの「チェロ小協奏曲」は、2000年末にそれまでのロシア連邦国歌を廃止し、ソビエト連邦国歌のメロディを復活させたプーチン大統領への抗議の意思を込めて2001年に作曲されたものである。そういった文脈的背景も相まって、変更後のプログラムはプーチン政権が引き起こした今般の侵攻に対し、明確に否定的なメッセージを発信するものとなった。
※26日のコンサート全編は「Deutschlandfunk Kultur」から視聴できる
このコンサートの白眉は、ウクライナ国家演奏後にユロフスキが聴衆に語り掛けた8分間であった。彼は「指揮台は演台ではない」「コンサートは政治活動の場ではない」と何度も強調し、自らの言動が特定の政治的意図を有するものではない旨を主張しつつ、いっぽうで「楽団員にはウクライナ人もロシア人もいる。そのようななか、このような侵攻を目のあたりにして、あたかも何事もなかったかのように平然と過ごすことはできない」と吐露し、「特定の国、特定の政府ではなく、戦争に対し反対の声を挙げねばならない」との思いを抱くに至った旨を説明した。
さらに、演奏されなかったチャイコフスキーの「スラヴ行進曲」は、1876年のオスマン帝国によるセルビアのスラヴ人殺戮を受けてスラヴ諸国家の連帯を呼びかけた作品である。かかる作曲経緯を踏まえると、まさにロシアが自らのもっとも緊密な同胞を殺害しているなかで白々しく演奏することに堪えられず、むしろヴェルビツキーの作品を演奏することでウクライナ人への連帯の感情を表現したいと考えるに至ったのだと説明した。
この変更は、チャイコフスキー及び彼の作品自体を拒絶したということではまったくないとユロフスキは続けた。今般のプログラム変更に対して、ロシアのメディアからは「政治に屈してチャイコフスキーを棄てた」と批判されたが、プログラム後半の「交響曲第5番」は変更せずに演奏されたのであり、そのような批判はまったくあたらないとも付言した。
ウクライナ系両親の下でモスクワに生まれ、18歳までをソ連で過ごしたユロフスキにとり、今回の侵攻が特別な意味を持ったことは想像に難くない。しかし、侵攻を非難する国連総会決議が141か国の賛成で採択され、また、ベルリンを含め世界中でデモが繰り広げられているように、一方的に引き起こされた古典的な侵略戦争により一般人の生活と幸福が奪われている現実に対する憤りや悲嘆は、個人的な経験や立場を超え、普遍的なものとなっている。ユロフスキの今般の判断は、このような共通の思いの広がりを踏まえてなされたものであろう。
一般に、芸術の場に安易に政治的題材を持ち込むことには慎重であるべきである。あらゆる政治的意思決定は様々な思想や利害が交錯するなかでの妥協・調整の結果であり、そのような過程に光を当てることなく芸術の力を用いて特定の見解の正当性を主張するようなことがあれば、それはたんなるプロパガンダである。
いっぽうで、これは必ずしも政治的題材を一切扱ってはならないということを意味するものではない。政治的な事象の只中にある極限状態の人々の感情に共鳴することは人間としてごく自然の行為であり、その情動を芸術作品のかたちで表現することを試みたものも、絵画であればドイツ空軍による都市爆撃を批判したピカソが1937年に描いた《ゲルニカ》、 音楽作品であれば第二次世界大戦の犠牲者の追悼のためにベンジャミン・ブリテンが1962年に作曲した「戦争レクイエム」など枚挙にいとまがない。
ユロフスキの今回のコンサートは、音楽演奏という再現芸術の分野において、このような人間本来の表現を追求したものと評価することができるだろう。