2010年代。私たちは、かつて夢見た未来を通り過ぎた地点に生きているのかもしれない。今私たちが描いている未来も、やがては過去の遺物と化していくのだろう。
フランスのパリを拠点に、宇宙、ロボット、科学やテクノロジーをテーマにした写真や映像の制作を手がけるヴァンサン・フルニエの個展「ARCHEOLOGY OF THE FUTURE―未来の考古学」が、渋谷のディーゼル・アート・ギャラリーで開催されている。
「SPACE PROJECT(スペース・プロジェクト)」、「POST NATURAL HISTORY(続・自然史)」、「THE MAN MACHINE(機械人間)」という3つのプロジェクトを通じて見えてくる未来の姿とは。アーティストのヴァンサン・フルニエに、作品に関する話を聞いた。
今回展示される3つのプロジェクトは、すべて科学やテクノロジーをテーマにしています。これらの作品を制作した背景を教えてください。
人間は昔から「空を飛びたい」、「月に行きたい」といった夢を抱き、そのために科学やテクノロジーを発展させ、また一方では小説や映画といった創作物を生み出してきました。私自身も子供の頃からSFが好きでサイエンスに興味を持ち、ジュール・ヴェルヌの小説などを愛読してきましたが、これまでに触れた本や映画などが私の中に蓄積して創作のベースになっているのだと思います。
テクノロジーに関して特に私の心を強く揺さぶるのは、過去から見た未来の姿です。たとえば「SPACE PROJECT(スペース・プロジェクト)」で表現したように、1960年代の人々が夢見た宇宙は、現代から見ると既に過去のものになってしまいました。同様に、今の私たちが想像している未来も、1000年後の世界から見ると違った見え方をするのだと思います。このような未来の持つ「ねじれ」や「複雑性」に対する興味が、これらの作品を作る動機となったのです。
それでは、遺伝子を操作された動物や昆虫の姿を表した「POST NATURAL HISTORY(続・自然史)」では、未来の世界を描いているのでしょうか。
時代を特定しているわけではありませんが、これはすべて「あり得る未来」を表現しているつもりです。たとえば、現実に遺伝子操作によってクラゲのDNAを注入した光るウサギは既に存在しています。ですから、私が作品にした架空の動物たちは本当に存在していても不思議ではないのです。
現実味を欠いた荒唐無稽なアイディアではなく、私の作品の土台にあるのはリアリティです。作品を観る際にはぜひタイトルまで確認して欲しいのですが、実際に科学者からアドバイスをもらい、学術的に違和感のないラテン語の学名も付けています。まずはタイトルを見ずに作品を観て、その後にタイトルを見ていただくと、また見え方が変わってきて作品を多面的に楽しめると思います。
行き過ぎた科学を批判しているようにも取れなくはありませんが、そのようなメッセージ性はあるのでしょうか。
作品を通じて何らかのメッセージを発しようという意図は一切なく、私はただ問いかけているだけに過ぎません。事実として、私たちは生物の遺伝子を操作する技術を持っており、それを用いればこのような動物たちを創ることも不可能ではない。そうした客観的な事実を伝えているだけであり、作品を見てどう感じるか、何を考えるかについては、皆さんに委ねたいと考えています。
ただし、私は科学者ではなくアーティストですから、ビジュアルの美しさは絶対に欠かさざるものとして重視しています。グロテスクさやインパクトで勝負しようというタイプではありません。今回のすべての作品においても、科学や技術といった背景は存在しますが、純粋にビジュアルとして美しいものになると思えたからこそ制作したものばかりです。
私は、作品とは誰かに鑑賞されて初めて作品になると考えています。ですから、今回の展示を沢山の方々に観ていただき、一人ひとり異なる受け取り方をしていただきたいと思います。
DIESEL ART GALLERY
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