美術家・梅津庸一にとって過去最大となる個展「梅津庸一 クリスタルパレス」が大阪の国立国際美術館で開幕した。会期は10月6日まで。企画担当は同館の福元崇志主任研究員。
作家を知っている人もそうでない人も、本展では作品点数と“手仕事”の割合の多さに驚くだろう。床に目を落とすとひっそりと作品が置かれていたり、壁紙全体が版画で制作されていたり、とにもかくにも情報量・活動量に圧倒される。
「梅津はなんでも過剰にやる節がある」というのは、梅津が主宰する美術共同体「パームルーム」の一員であり10年にわたって活動をともにしてきた画家・安藤裕美の言葉だ(*1)。そのうえ、絵画、版画、パームルーム、作陶など、多彩な活動の幅がその過剰さをさらに際立たせている。
このめくるめく活動の軌跡は本展タイトルの「クリスタルパレス」という言葉が持つキラキラとしたイメージにも符合する。「クリスタルパレス」とは、1851年、第1回ロンドンの万国博覧会に目玉展示物として建設され、後に巨大な温室を含む複合施設として使われた鉄骨とガラスのパビリオン(水晶宮)のこと。じつは国立国際美術館は1970年大阪万博の「日本万国博覧会美術館」(万国博美術館)の施設・展示品をそのまま引き継ぐかたちで設立したという経緯を持ち、万博開催を来年に控えた大阪で展示をすることへの梅津なりの応答があることも想起させる。
展覧会は近年梅津が手がける自画像的陶芸シリーズ「パームツリー」で幕を明ける。本シリーズは、梅津と、その⼤叔⽗であり真珠湾攻撃で戦死した梅津宣夫のポートレイト的作品であるという(*2)。40点ほどのファルス的モチーフは直立していたり、うなだれていたり、様々な様子を見せる。「僕自身の陶芸の技術的なグラデーションを見られます」(梅津)。
1章「知られざる蒙古斑たちへ」冒頭では、小学校6年生のときに描いた作品《校庭から見える風景》で始まることから、作家の個人史が開陳される予感にぐっと気持ちが引き締まる。その横には、梅津が東京造形大学絵画科在学時に描いた《鶏肉》が。豆腐や鮭を写実的に描いた高橋由一作品を彷彿とさせる本作は、絵画科でありながら王道の“絵画”を描かないような当時のムードへの抵抗でもあったという。企画担当の福元は梅津について「批評的・問題提起的に活動してきた」と評するが、その一貫性を感じさせる作品だ。
同章では、作家が人知れず描いてきたというドローイング、大きな影響を受けてきたヴィジュアル系バンドのCDが整列する棚やバンド「SHAZNA」モチーフの作品など、アーティストを志す青年期の梅津の部屋を覗き見するような感覚を得る。
美術大学の卒業制作であり、デビュー作の《フロレアル(わたし)》の参照元は、ラファエル・コラン《花月(フロレアル)》(1886)。フランスの画家で、日本から留学した黒田清輝を指導した人物だ。「なんて美大はクソなんだろうとか、自分が依って立つところへの批判がある。描き方は日本の教育制度を内面化しています」と梅津。同章では前述の⼤叔⽗・梅津宣夫を描いた肖像画も展示され、作家が自身のアイデンティティを深掘りしていくような、そんな章になっている。
同章を見て思い出したのが、物故作家の手紙やノートが展示される展示だ。現存作家であれば隠したいかもしれない「照れくさい部分」が惜しげもなく展示されているところにサービス精神あふれる作家らしさが出ているように見えた。
2章「花粉を飛ばしたい!」では、次々に展開していく活動のプロローグが見られる。作家が多用するキーワードの「花粉」は「生殖に関わるもので、自分の意思とは関係なく空気中を漂い、遠くに行けば行くほど空気中の濃度が下がり、どこに拡散していくかわからない。けれどもどこかに到達する可能性がある」という美術の特性を反映した概念だという。
1章で展示される、黒田清輝作品のオマージュ作品《智・感・情・A》は梅津の代表作のひとつとも言える作品だが、本作を発表後、「やり尽くした感」があり、マーケットの主導のアートシーンに辟易し、アートで生計を立てることを諦めたという。2章ではそうした2010年代前半、アート界への諦念を持ちながら老人介護職員のアルバイトをしていた頃に描いた作品が多数展示されている。それらは職場にも持っていけるようなメディアで描かれており、「それまでに培った造形言語が複雑に折り畳まれている」(梅津)。2014年、梅津は私塾のような機能を持つ美術共同体「パームルーム」を始動し、活動はさらに多様化していく。
2021年春、作家は長引くコロナ禍に疲れ、現代アート界に不信を抱き、そこからの逃走を試みる。たどり着いた地は六古窯のひとつ、信楽焼で知られる滋賀県の信楽だ。3章「新しいひび」は、文字通りの新天地での暮らし、陶芸作品の「ひび」、コロナ禍で謳われた「New Normal(新しい常態・日々)」のトリプルミーニングになっている。
《ボトルメールシップ》は、作家が飲み終わった酒瓶を粘土で包み、焼成した作品。どこにメッセージが到達するかわからない「花粉」の概念、手仕事、レディメイドが融合している。焼成時のひび割れからガラスが漏れ出ており、テカテカとした表面の質感が砂糖や水飴でコーティングされた洋菓子のようにも見えてくるシズル感が魅力だ。
ぐるっと弧を描いた青い什器の上に多数鎮座するのは、近年の代表シリーズ「花粉濾し器」。フライパンで型取りした台座の上に、テニスラケットのストリング型の楕円2つ、キャンバスの麻布のようなパターンが見られる。本シリーズを梅津は「陶芸における自画像」だと言う。こうした作品は信楽の窯業と共同作業によって作られたものだが、4章「現代美術産業」では、作家の制作をサポートし、ときには制作の大部分を担う「裏方」と言われるような人々・組織との梅津の関わり方が明示される。たとえば「版画工房カワラボ!」の名前を聞いて、ピンとくる人は少ないかもしれないが、多くのアーティスト、出版社、ギャラリーと協力して版画を制作・出版してきた、業界では知る人ぞ知る工房だ。
梅津は、いわば裏方とされる「版画工房カワラボ!」をコラボレーション相手のようにフィーチャーする。なかでも版画作品を中心に展示される空間は、壁紙すら何千回も刷られた版画というこだわりによる圧巻の空間で、「額縁に入った作品だけが作品である」という固定概念をゆさぶる。こうした作品の中・外、美術的なルールの中・外といった概念の攪拌は、手描き、あるいは絵具で着色された作品キャプション、情報量にあふれた壁といったかたちで、梅津が関わる展示では様々な箇所で見られる特徴だ。
最終章となる5章「パビリオン、水晶宮」では、ヴィジュアル系バンド「DIAURA(ディオーラ)」とコラボレーションし、DIAURAが本展のために書き下ろした楽曲「unknown teller」と梅津によるミュージックヴィデオが流れる展示室が出現。他方で梅津が「水害ゾーン」と言う展示室では、地下にあり雨水の影響を受けやすい美術館、ひいては日本全体の宿命を表したかのような屏風の《水難》などが展示される。
最終章の展示室を出れば、ふたたび冒頭の「パームツリー」へ。ループ再生的に最終章と入口が連なっており、「何周もできます」と梅津。
本展を企画した福元研究員は、各章の冒頭で作家の活動を表す解説を書き下ろしており、それが鑑賞の心強い手引きになる。しかし、それで作家の全貌がわかるというわけでもない。福元は「展覧会を見ても、作家のことはわからないかもしれない。ただ、わからないと言うのはネガティブなものではないということもわかってもらえると思う」と話す。美術への強い思い、悲喜交々にあふれた作家の30年史は楽しい迷宮のような様相で、今後の予測を許さないメタモルフォーゼの連続だった。
*1──国立国際美術館ニュース 253 「パープルームで見てきた梅津庸一について」(安藤裕美)より
*2──梅津庸⼀「平成の気分」ステートメントより http://gallery-sokyo.jp/wordpress/wp-content/uploads/2021/01/PR_Y_Umetsu_JP_sokyo-3.pdf
野路千晶(編集部)
野路千晶(編集部)