小林エリカ meets「Transformation」展。シリーズ:私が見た「Transformation 越境から生まれるアート」展【3】(アーティゾン美術館)

アーティゾン美術館で開催中の「Transformation 越境から生まれるアート」展に、3名の著者によるレビューやマンガで迫る全3回のリレー企画。ピエール=オーギュスト・ルノワール、藤島武二、藤田嗣治、パウル・クレー、ザオ・ウーキーを中心に、近代以降の芸術家たちの創作や影響関係を明らかにする本展。その背景にある「越境」と「変化」というテーマを、それぞれの筆者はどう見る?

小林エリカ。「Transformation 越境から生まれるアート」展会場にて

アーティゾン美術館で7月10日まで開催中の「Transformation 越境から生まれるアート」展は、「越境」「変化」をテーマに、19世紀半ばから第二次大戦後までのヨーロッパ、日本、アメリカの美術を展望する企画展。

「第1章 歴史に学ぶ——ピエール=オーギュスト・ルノワール」「第2章 西欧を経験する——藤島武二、藤田嗣治、小杉未醒」「第3章 移りゆくイメージ——パウル・クレー」「第4章 東西を超越する——ザオ・ウーキー」の4章によるオムニバス形式で、名前を掲げたアーティストにフォーカスするとともに、関連するアーティストたちの作品も交えて紹介。新収蔵作品2点を含む石橋財団のコレクションを中心に、約80点の作品と資料を展示する。担当学芸員は同館の島本英明。

モノや人の移動や情報の流通が加速度的に発展し、大きな変化を迎えた近代以降。アーティストたちは時代や周囲の変化とどのように影響し合い、それらは創作にいかにして反映されたのか? そして本展の魅力や今日的な意義とは?

本シリーズでは3名の視点から、「Transformation 越境から生まれるアート」展に迫ります。第3回となる今回は、作家、マンガ家として活躍し、展覧会も多数開催している小林エリカがレビューを寄稿。越境と変化を経験してきた画家たちの姿から受け取ったものとは。【Tokyo Art Beat】

▶︎第1回 レビュー 文:山本浩貴(文化研究者、アーティスト、美術批評家)
▶︎第2回 マンガ 作:増村十七(マンガ家、イラストレーター)


異質なものに出会ったときのあの人の態度と私の態度

越境する。
歴史に触れて時間を超える。
海を渡って国境を超える。
自分が知っている文化とは異なる文化に対峙する。
そんなとき、あの人は、この人は、いったいどんな態度を取ったのか。
「Transformation 越境から生まれるアート」展では、画家たちが絵をもってして、真摯にそこに返答するさまが、挑戦的なまでにくっきりと提示されている。

ピエール=オーギュスト・ルノワール ルーベンス作「神々の会議」の模写 1861 国⽴⻄洋美術館蔵(梅原龍三郎氏より寄贈)

展示は「第1章 歴史に学ぶ──ピエール=オーギュスト・ルノワール」から始まる。
ルノワールは、いわずとしれたフランス印象派の画家、大御所である。
奥の展示室にはいかにもルノワールらしさが全開の柔らかでふんわりした色使いの少女像や裸婦像の作品が覗き見える。
しかし、そこへたどり着くより前に見ることになるのは、ルーベンスの絵《神々の会議》のルノワールによる模写であった。
1622年から3年かけてルーベンスが描いたその作品のひとつを、その約240年後の1861年ルノワールがルーヴル美術館で模写したもの。
ルノワールは晩年になるまでヨーロッパのあちこちへ出かけていっては、美術館で過去の画家たちの絵を研究したという。
じつに、真面目な勉強家!
こんなにも柔らかでふんわりした絵の背景に、そんな努力があったことを知るのは、私にとっては意外でもあり、驚きでもあった。
ルノワールはスペインでディエゴ・ベラスケスやルーベンスを、ロンドンでクロード・ロランを、オランダでレンブラント・ファン・レインを、ドイツでフェルメールの作品をわざわざ見に出かけているそうである。ちなみに、ルノワールはレンブラントの《夜警》に対しては手厳しい評価だったそうだが。

ルノワールがベラスケスやルーベンスの絵の前に佇むその姿を想像してみる。
美術館という場所で、ひとりの画家が時間を超えて別の画家に対峙する。
歴史から学び続けたルノワール。
その返答がこの絵なのかと思うと、ルノワールの作品がまた違った輝きを帯びてくる。

会場風景 撮影:木奥惠三 提供:アーティゾン美術館

その後、展示は「第2章 西欧を経験する──藤島武二、藤田嗣治、小杉未醒」と続く。日本から西欧へ渡り、西欧絵画に対峙した画家たちの絵が並ぶ。
海を渡り、ひとりの画家が異なる文化に対峙する。
東京美術学校西洋画科助教授としての地位も得た後に渡欧し帰国した藤島武二。
いっぽう、フランスへ渡りそこで一から絵で身を立てようと奮闘する藤田嗣治。
渡欧後、むしろ西洋画に違和感を感じて日本の伝統を再発見することになる小杉未醒。
日本という狭い画壇のなかで堅実かつ独自の進化を遂げてゆく藤島と、華々しくパリで活躍する藤田の華やかさと、伝統再発見という方向へ向かう小杉。
三人が三者三様それぞれの態度を持っている。
注目を集めがちなのは藤田であるが、それとはまた違った角度でひたすら返答し続けきた藤島の絵が淡々と、しかし異彩を放ちながらじっと並ぶ様は迫力がある。

会場風景 撮影:木奥惠三 提供:アーティゾン美術館
藤島武二 東海旭光 1932 石橋財団アーティゾン美術館蔵
会場風景 撮影:木奥惠三 提供:アーティゾン美術館

展示はさらに「第3章 移りゆくイメージ──パウル・クレー」で「越境」というものをより立体的に見せつけてくる。
ドイツ、バウハウスのマイスターとして活躍したパウル・クレーが、パリではシュルレアリスムの文脈で、アメリカでは国際的で前衛的な芸術家として、評価されてゆく様が、絵だけでなく印刷物も交えて提示されている。
作品やそれをめぐる解釈や言葉はアメリカに渡ったが、本人は一度もアメリカの地を踏むことがなかったという。
ひとりの作品そのものが異なる文化や価値に対峙するとき、どんな受容や変化が起きるのか。
クレーの作品そのものが、それを見る側の立ち位置により、万華鏡のように異なって見えてくる。

会場風景 撮影:木奥惠三 提供:アーティゾン美術館

パウル・クレー 宙飛ぶ竜の到着 1927 石橋財団アーティゾン美術館蔵

そうして最後の展示には「第4章 東西を越境する──ザオ・ウーキー」が据えられる。
北京に生まれ上海で育ち、中国の伝統と西洋近代の絵画を学び、パリで活躍し、その後世界を渡り歩いたザオ・ウーキー。
私にとってはこの展示でザオ・ウーキーという画家を知ることができたのがなによりも発見だった。ウーキーの絵は、西洋の伝統的な絵画のようでもあり東洋の伝統的な絵画のようでもあり大胆で繊細だ。
ちなみにカタログではアンリ・ミショーがザオ・ウーキーの水墨画について書いたテキストを小野正嗣さんの翻訳で読むことができるという贅沢がある。

滲むように交錯するザオ・ウーキーの巨大なキャンバスを前に過ぎ、私は展示室の最後へと辿り着く。

私は長い長い旅をしたような気持ちになる。
越境する。
画家たちは、それぞれのやり方で、それぞれの態度で、越境する。そのやり方や返答はひとつとして同じではないが、そのどれもが真摯に対峙した結果として生みだされたものだった。
私はその絵たちを前に、思い至る。
私自身がこの美術館という場所でこの展示を通し、長い長い越境の旅をしてきたのだということに。
私はそれぞれの画家たちに対し、絵に対し、いま、あるいはこれから、いったいどんな返答をできるだろうかと考えはじめる。
それは遠くの、あるいは近くの他者に、異なる価値に、対峙したとき、私はどのような態度でそこに在れるのか、私はどのような想像力を持ち、どのように振る舞うことができるか、という挑戦でもある。

会場風景 撮影:木奥惠三 提供:アーティゾン美術館

ザオ・ウーキー 水に沈んだ都市 1954 石橋財団アーティゾン美術館蔵 © 2022 by ProLitteris, Zurich & JASPAR, Tokyo C3760

シリーズ:私が見た「Transformation 越境から生まれるアート」展
▶︎第1回 レビュー 文:山本浩貴(文化研究者、アーティスト、美術批評家)
▶︎第2回 マンガ 作:増村十七(マンガ家、イラストレーター)

小林エリカ 

小林エリカ 

こばやし・えりか 作家、マンガ家。1978年東京生まれ。主な小説に、『最後の挨拶 His Last Bow』(講談社、第44回日本シャーロック・ホームズ大賞奨励賞受賞)、『トリニティ、トリニティ、トリニティ』(第7回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞)、『マダム・キュリーと朝食を』(第27回三島由紀夫賞候補、第151回芥川龍之介賞候補、共に集英社)。”放射能”の科学史を巡るコミック『光の子ども1,2,3』、アンネ・フランクと実父の日記をモチーフにした『親愛なるキティーたちへ』(共にリトルモア)、訳書に『アンネのこと、すべて『アンネ・フランク・ハウス編、日本語訳監修石岡史子(ポプラ社)など。主な個展に「His Last Bow」(2019、Yamamoto Keiko Rochaix、ロンドン)、「野鳥の森 1F」(2019、Yutaka Kikutake Gallery、東京)、「トリニティ」(2017、軽井沢ニューアートミュージアム、長野)、主なグループ展に「りんご前線 — Hirosaki Encounters」(2022、弘前れんが倉庫美術館、青森)「話しているのは誰? 現代美術に潜む文学」(2019、国立新美術館、東京)、「更級日記考―女性たちの、想像の部屋」(2019、市原湖畔美術館、千葉)、「六本木クロッシング2016: 僕の身体、あなたの声」(2016、森美術館、東京)。