エスパス ルイ・ヴィトン東京で始まった国際グループ展「Traces of Disappearance(消失の痕跡)」。
先駆けてキュレーターのエヴァ・クラウス、ミュリエル・ラディックにインタビューを行った。
■お二人の普段のお仕事について教えて下さい。
エヴァ・クラウス:ファインアート、応用芸術、デザインや建築のキュレーターをしています。数年間ギャラリーを持っていたこともあるのですが、いまはインディペンデントキュレーターとして活動しています。
ミュリエル・ラディック:私はもともと建築の教育を受けました。美学でPh.Dを取って、『日本の美術における痕跡と断片』という本を書きました。時間の流れ、特に日本と西洋の廃墟のあり方、時間のあり方に興味を持っています。キュレーターとしての教育を受けたわけではないのですが、京都で「建築と無常」という展覧会をキュレーションしたことがきっかけで、キュレーターの仕事もしています。
■お二人のコラボレーションは初めてですか?
エヴァ:ミュンヘンでの「日本における庭園と建築」というトークイベントに、私がミュリエルを招待しました。そこで彼女がPh.Dを取られた内容のお話をしたことがきっかけで、今回の展覧会のテーマが生まれました。
ミュリエル:キュレーターとして協力するのは初めてですが、それまでに色々なやり取りをしていました。今回タッグを組んで密に話し合いながら進めていきました。
■「Traces of Disappearance(消失の痕跡)」という展覧会のコンセプトについて教えて下さい。
エヴァ:もともとミュリエルの博士号論文のテーマがスタートポイントです。一過性、儚さをテーマにしているアーティストを見つけるのはとても面白い作業でした。ギャラリーに飾っている作品も消失することがあります。パフォーマンスなどそもそもなくなってしまうことを前提とした作品もあります。これらの作品がなぜなくなるのか? と鑑賞者が不思議に思う、そういう反応が面白いと思いました。この消失に形を与えるということは興味深いテーマだと思い、今回の展覧会のコンセプトにしました。
ミュリエル:今回のテーマを決めるときに、美というものはその性質の一部としていずれなくなるもの、あるいは再出現するもの、手に触れることができない儚さがその性質にあると思ったのです。概念的な話になってしまいますが、全ての人間や人造物、物事はいつかは消えてなくなる。それを頭で考えると同時に、それに形を与えて物とするために、アーティストが彼らなりに表現しているところを拾い上げる作業が今回難しかったところですね。
エヴァ:2、3年前にベトナム人アーティストの大きな「マグノリア」(菩提樹)の花をそのまま室内に置く作品を見ました。ある時期になるとその花がとても強い香りを放つようになります。単に目の前に花があるという美しさだけではなく、超越的な意味がありました。その瞬間を捉えて、表面的なレベルだけでなく、次の次元へと翻訳していくことが芸術家としての仕事だと思いました。
■カスパー・コーヴィッツのグミを使用した作品《The Sheer Size of It(その大きさたるや)》は、グミという素材とユートピアのようなイメージの関係が面白い作品ですね。
エヴァ:彼はランドスケープや過去の人物をテーマにしている作品も作っていますが、それに適したマテリアルとしてゼリーや動物の糞、化学物質などを使用しています。コンテンツにマッチしたマテリアルを選択しているということです。今回使用されているグミは、楽園や天国は甘い誘惑という意味があります。また逆にすごく沢山食べると身体によくない。そういう両面性がある素材を選んでいます。それがイメージとマッチしているのではないかと思います。
■今回の展示に来て鑑賞者が初めに驚くのは、アンヌ&パトリック・ポワリエ(Anne and Patrick Poirier)の作品で本物の鳩がいることだと思います。
ミュリエル:作品のタイトルは《The Soul of the World(世界の魂)》です。ご夫妻の魂のエッセンスに対する彼らなりのイメージだと思います。鳥よりも一番最初は円すい形というイメージがありました。哲学者アンリ・ベルクソンの「記憶」の表現から取られています。鳥は人間の魂の中に去来する色々なものを表現しています。あの空間に入った人はある意味でショックを受けるかもしれませんが、同時に詩的なメタファーを受け取ると思います。ラテン文化の中では鳥は魂を表し、同時に世界の脆弱性、儚さを扱っています。鳥も弱くて儚いものです。鑑賞者の理性ではなく感性に訴える作品です。コンテンポラリーアートは概念を理解しようということも大切ですが、この作品の場合は感覚として感じてもらうことも大切だと思います。それから白い鳩は平和のイメージでもあります。
■畠山直哉さんの多くの写真作品群から今回展示されている「ヴァントゥ山」の作品を選ばれた理由を教えて下さい。
ミュリエル:畠山さんは陸前高田の出身の方です。今回の作品は穏やかなイメージで、テーマは崇高さです。そういうテーマのものを選んでもらいまいした。畠山さんとは、都市の中、あるいは風景の中に崇高さがあるのか、という問いについて話したことがありました。18世紀にエドマンド・バーク(註:英国の哲学者、政治家)が美しさを超越したものにあるものは極限の美である、それは危険なものであり山の中に見出すことができると言っています。それを畠山さんは記憶されていて、被写体となっているヴァントゥ山の中にそれを見出したということです。この山には歴史的意味があります。フランチェスコ・ペトラルカという人文学者が著作の中でヴァントゥ山のことを書いています。絵画ではあまりモチーフになっていませんが、文章ではよく触れられている山です。ペトラルカが言うには、「この山を登るのは難しい。しかし、この山を登ることによって自分を取り戻すことができる。景色に対して自分の存在の小ささを感じることができる」。そこにメタファーがあるのではないかと思います。山は常に岩石が崩壊したりと変化があります。同時にぱっと見たときは穏やかなイメージになっています。その穏やかなイメージの裏に無意識的なイメージがあると思います。
■最後にこの展示の見どころを教えて下さい。
エヴァ:「創造の瞬間」を感じて欲しいです。花が開くこともそうですし、芸術でもここでの展示でもその創造の瞬間があります。またそれを見る鑑賞者の中にも創造の瞬間があります。それが面白いところだと思います。
ミュリエル:今回の展示のテーマは時間の流れです。感覚的に、詩的な美しさを感じて欲しいです。各作家それぞれ作品のメディアやトーン、構成は違いますが、作品同士の関係から、特別で詩的な雰囲気が生まれればよいと思います。
今回展示されている作品群は一見かなりのインパクトがある。しかし、そこに込められたコンセプトは極めて詩的なものであることがインタビューを通して分かった。コンセプト自体は極めて概念的なところから出発しているが、観客は直接的にそのインパクトを反芻することを求められているようだ。小難しく探ろうとするのではなく、まずは生身の身体で経験して欲しい。