【対談】映画研究者・北村匡平×布垣直昭トヨタ博物館館長。「時代を呼吸する」クルマと映画の関係

ほぼ同時期に誕生し、変わりゆく時代を映し込みながら発展と変化を続ける自動車と映画。両者の関係を、映画研究者の北村匡平と布垣直昭トヨタ博物館館長が語り合った(構成:新原なりか)

愛知県長久手市のトヨタ博物館にて。左から布垣直昭トヨタ博物館館長、北村匡平・東京工業大学准教授 撮影:水野秀彦

トヨタ博物館:世界の自動車とクルマ文化を紹介

愛知県長久手市のトヨタ博物館は、国際的にも指折りの「世界の自動車とクルマ文化」のミュージアムだ。1989年に開館し、中心施設「クルマ館」では19世紀末のガソリン車の誕生から現代にいたる自動車の歴史を日米欧の代表的な車両で紹介。ファン垂涎のクラシックカーから各メーカーの歴代名車、近年注目される電気・水素がエネルギー源の自動車まで約140台が、サーキットのような楕円形の展示室の2フロアにまたがり並ぶ。「文化館」は、カーマスコットやミニカーなど資料約4000点を展示する「クルマ文化資料室」が大きな見どころ。限定品を扱うショップや図書室、レストランなどもそろい、来場者は楽しみながら様々な学びや発見が得られる工夫がされている。

北村匡平・東京工業大学准教授は、スクリーンに現れる文化事象や俳優を分析・考察する映画研究者/批評家。昨年刊行した初の音楽評論『椎名林檎論——乱調の音楽』(文藝春秋)も話題を呼んでいる。布垣直昭・トヨタ博物館館長は、トヨタ車のデザイン開発に長年携わり、「移動は文化」が持論。ドライブと音楽をこよなく愛するふたりに、新旧の様々な映画でクルマが表象するものについて語り合ってもらった。

トヨタ博物館にて、左から北村匡平、布垣直昭 撮影:水野秀彦

美術潮流が影響した自動車のデザイン

──先ほど北村さんと一緒に館内をご案内いただきました。企業博物館としてトヨタ車だけを紹介するのではなく、世界中のクルマを見ることができるのは素晴らしいことですね。

布垣:この博物館は、トヨタ自動車創立50周年記念事業のひとつとして、クルマ文化全体に貢献するためにつくられました。ただ、結果論としては、他社のクルマも合わせて展示することで自社の製品もよくわかるようになった部分もありますね。ライバルは自分を映す鏡でもありますから。当館は、バックヤードに保管している車両を含め約600台を所蔵し、ほとんどの車両は走行可能な「動態保存」です。常設展示している車両の下部には、油漏れに備えて受け皿を置いています。

北村:今回初めてトヨタ博物館に伺いました。展示を拝見して、クルマだけではなく、膨大な歴史をそこに見た印象を持ちました。クルマの表象が、技術的な変遷だけでなく他の領域の歴史や文化・芸術とも密接につながっているのが見て取れました。とくに面白かったのは、20世紀初頭のアールデコの潮流が、クルマの意匠に大きな影響を与えたこと。自分の中でふたつは繋がっていなかったので、ちょっと驚きました。クルマは工業製品ですが、アートのようにも見えるし、非常に不思議で奥深い魅力があると改めて思いましたね。

北村匡平 撮影:水野秀彦
会場風景より、《キャデラック エルドラド ビアリッツ》(1959) 撮影:水野秀彦
会場風景より 撮影:TAB編集部

布垣:クルマのデザインは、美術領域からもかなり影響を受けています。アールデコが流行した1930年代は、美術が量産品のテイストにも影響を与え始めた時代で、クルマも例外ではありませんでした。当館では、当時の代表的な車種のほか、アールデコの巨匠のルネ・ラリックが手がけたガラスのカーマスコット(ボンネットの先端に取り付ける装飾品)もクルマ文化資料室に展示しています。この頃から、だんだんとクルマがファッションのように記号性を持ち始めて、持ち主の社会的な地位や趣味嗜好を表現するようになっていきました。

美術の領域とのつながりがわかるエピソードとして、1951年のトヨタの《トヨペットSA型》は、車体やシートの色を決める時に画家の東郷青児から意見をもらったそうです。水色の車体に赤いシートのこのクルマは、やっと戦後が来て人々の気持ちが明るくなってきた象徴のようでもあります。

布垣直昭 撮影:水野秀彦
会場風景より、ルネ・ラリック《勝利の女神》(1928) 撮影:水野秀彦
展示風景より、トヨタ《トヨペットSA型》 撮影:TAB編集部

記号として機能する自動車

北村:先ほど展示室で拝見したレオナルド・ディカプリオ主演の『華麗なるギャツビー』(2013)に登場する《デューセンバーグ モデル J》は、スクリーンに出てくるだけで所有者の背景が一目でわかります。映画は語りよりも画で見せていく芸術なので、そういった記号的なアイテムとの結びつきがとても強い。たとえば1950年代の日本映画で主人公の家にテレビが置いてあれば、その人物は金持ちだということを示します。そうした感覚は今の時代はわかりにくいんですが、同時代的な視点で見ていくことで読み取れるものが増える。その点は映画もクルマも同じだなと思いました。

布垣:スピードが速い高級車は、権力や力の象徴として映画で用いられる場合が多い気がします。時速300キロ出せる性能が実生活で役立つわけではないけれど、他の人より機動力に勝る意味で、領主が駿馬に乗る感覚じゃないかと。あと映画の中では、主人公をどの国のどのブランドのどの車種に乗せるかによって、キャラクターの見え方も変わってくると思います。濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021)で主人公が乗っているのがなぜサーブなのか、というようなところですね。ファミリーカーでもなく、スポーツカーでもなく、日本車でもなくドイツ車でもなく、スウェーデンのサーブ。そこになんとなく個性とか知的な雰囲気が表れていますよね。

トヨタ博物館の展示室にて、左から北村匡平、布垣直昭。右に見えるのは《デューセンバーグ モデル J》(1929) 撮影:水野秀彦
展示風景より、《デューセンバーグ モデル J》(1929) 撮影:TAB編集部

馬のように躍動するジョン・フォード作品

──北村さんは映像文化論がご専門です。自動車が表象の観点から画期的な役割を果たした映画はありますか。

北村:映画とクルマの関係を考えた時、まずおもしろいのが、誕生した時期が非常に近い。ガソリン自動車が発明されたのが1886年で、フランスのリュミエール兄弟が初めて映画を上映したのが1895年。両者は現在までほぼ同じ歴史の時間を歩んできていると言えますし、映画史は自動車抜きには語れないと思います。

そのなかで、僕が非常に重要だと思っているのはアメリカのジョン・フォード監督の作品です。1939年の『駅馬車』に登場するのはタイトルの通り馬車。フォード作品と言えば馬なのですが、翌年の『怒りの葡萄』では移動手段が自動車になっています。『怒りの葡萄』は、貧しい人たちが中古で購入したボロボロのハドソン・スーパー・シックスでルート66をひたすら西へと進んでいく話なのですが、壊れかけのクルマがとにかく躍動する。ジョン・フォードが描くクルマは、馬が暴れるみたいにスクリーンの中を駆け回るんです。1941年の『タバコロード』も、クルマがないと成立しないコメディで、フォード車で柵に突撃したり、町を暴走したり、面白いシーンがたくさんあります。

布垣:アメリカ映画では、いまでもアクション映画であれば必ずと言っていいほどカーチェイスのシーンが出てきて、クルマが躍動しているように感じます。カーチェイスって、日常と非日常の交錯だと思うんです。普段乗っている自動車がとんでもない動きをすることで、ハラハラする感覚がリアルに体験できる。だからずっと用いられ続けているのかなと。

展示風景より 撮影:水野秀彦

視点が動くロードムービーの魅力

北村:そうですね。撮影技術が発達するにつれて、カーチェイスはとてもスリリングな映像をつくれるようになって、特にアメリカ映画はそこに特化していますよね。

クルマと映画の関係が顕著なジャンルとして、1960年代に流行したロードムービーがあります。映画誕生後すぐの1900年頃には、列車などの乗り物にカメラを載せて撮影するファントム・ライドという手法が流行し、視点が動いていく独特の映像体験に人々は魅了されました。その移動感覚の心地よさというのが、ロードムービーの根底にもあると思います。

ロードムービーというジャンルは、権力からの逃走や、恋人同士の逃避行、未知なる世界への旅などと強く結びついて、それにまつわる希望やスリルなどの感情を描いてきました。ロードムービーの発展の中心となったアメリカにおいては、西部開拓時代から息づく国民的な意志のようなものとも関係しているように思います。ジャン=リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』(1960)はフランス映画ですが、アメリカのフォード社のサンダーバードが印象的に使われています。

布垣:当時のヨーロッパには、アメリカへの憧れと、自分たちが文化先進国だという自負との間で揺れ動く、複雑な心理がありますよね。そのあたりが映画に登場するクルマ選びにも表れている気がします。

北村:ゴダールの『勝手にしやがれ』は、フランス車では絵にならなかったと思います。外国製のアメリカ車だから、主人公と一緒に死んでいくのが似合うというか。同じくジャン=ポール・ベルモンドが主演した『気狂いピエロ』(1965)でも、イタリアのアルファロメオ社のジュリア・スパイダ―やアウトビアンキ・プリムラ、フォード社のギャラクシー・サンライナーなど、様々なクルマを登場させています。『気狂いピエロ』は、男女の破滅的な逃避行の物語ですが、逃走のアシにやはり自動車は欠かせません。ゴダールは、ヒッチコックなど作家性の強い娯楽映画を評価したと同時に、アメリカが築き上げてきたハリウッド的な映画の文体を斬新な手法で解体していきました。ですから、布垣さんがおっしゃったような屈折した感情が、作品に滲み出しているのだろうと思います。

展示風景 撮影:TAB編集部

ボンド映画に登場した2000GT

──ハリウッド映画に採用された日本車の先駆けが《トヨタ2000GT》(1965)です。ジェイムズ・ボンド・シリーズの5作目『007は二度死ぬ』(1967)に登場しました。当時最高水準の速度とデザイン性を持ち「国産初のスーパーカー」と呼ばれた《トヨタ2000GT》は、日本車の実用的なイメージを変えたと言われています。

布垣:本来の2000GTはハードトップで、映画のためにオープンボディ仕様に改造されました。現在は展示していませんが、撮影で使った実物を当館で所蔵しています。当時日本の自動車産業は、国際的注目が高まっている時期で、日本が舞台の『007は二度死ぬ』に2000GTはピタリとはまりました。ただ、映画の中で運転しているのは、ジェームズ・ボンドじゃなくて、謎の日本女性アキなんです。これは僕の想像ですが、それまでボンドカーと言えばアストンマーティンなど英国の高級車が多かったから、ボンドに日本車のハンドルを握らせるわけにはいかなかったんじゃないかな。

展示風景より、《トヨタ 2000GT MF10型》(1967) 撮影:TAB編集部
《トヨタ2000GT》(1965)について説明する布垣直昭(右)と北村匡平 撮影:水野秀彦

画期的だったヴァルダの『冬の旅』

北村:20世紀の映画では、ハンドルを握るのは男性が多く、クルマは基本的に力強くマッチョな男性性と結びつけられてきました。その男性性をとらえ直すフェミニズムの視点から映画史を見直したとき、非常に画期的な作品だと思うのがアニエス・ヴァルダの『冬の旅』(1985)と、リドリー・スコットの『テルマ&ルイーズ』(1991)です。

『冬の旅』は、主人公の少女がクルマで放浪の旅に出る物語で、おそらく初めて女性を主人公にしたロードムービーです。『テルマ&ルイーズ』も女性がハンドルを握る映画で、女性2人の家父長的な社会からの逃避行を描いています。そういう意味では、中平康監督の『あした晴れるか』(1960)は、インテリのキャリア・ウーマンである芦川いづみが石原裕次郎を助手席に乗せて東京を連れ回す先駆的な作品で、実はトヨタの赤いコロナが使われています。近年、世界を沸かせた濱口竜介監督の『ドライブ・マイ・カー』(2021)も、男性が女性にハンドルを譲り渡す話ですね。女性が運転して男性が乗せてもらう設定自体が、極めて現代的な映画だと思いました。

布垣:はじめ主人公は、女性の運転手に愛車のハンドルを渡すことに抵抗しますよね。なぜ彼がそう思ったのかというところに、男性性の問題が関わっています。ところが、その女性ドライバーがハンドルを操りながら「持ち主がこのクルマに愛着を持っていることがわかります」と言うと、主人公は「この人はわかっている」と感じて、自動車を通した信頼関係がふたりの間に生まれます。

トヨタ博物館にて、対談する北村匡平(左)と布垣直昭 撮影:水野秀彦

──北村さんは著書『アクター・ジェンダー・イメージズ: 転覆の身振り』(2021、青土社)で、「アクターは時代が求める抽象的な理想に肉体を与え、あるいは逆にそれまでになかった理想を具象的に創り出す存在である」と書かれています。時代の要請や欲望を形にする、時には私たちが気づかない理想を具体化する意味で、クルマもアクターと共通点があるのかもしれません。

布垣:自分がトヨタ自動車でデザイン開発をしていた時のことを考えると、本当にそうですね。当時、世界中のファッションや映画や音楽など、あらゆる領域のトレンドをチェックしていました。私は「クルマは時代を呼吸している」と言うのですが、クルマが「吸い込む」空気は、様々な文化的事象やトレンドに現れていますから。クルマにお客様は何を求めていらっしゃるのか、つねにキャッチすることを意識してデザインしていました。でも呼吸は、吸うだけでなく吐き出しもします。時代を吸い込んだ自動車が映画に使われて、逆に自動車が時代性を帯びて観客に受け止められるケースもありますよね。

「クルマ文化資料室」の展示風景 撮影:TAB編集部
自動車が登場する映画のDVDやCDなどが並ぶ「クルマ文化資料室」の一角 撮影:水野秀彦
「クルマ文化資料室」に並ぶミニチュアカー 撮影:水野秀彦

ハンドルがタッチパネルになる日

──今後、自動運転化やEV化により、クルマ文化も変わっていきそうですね。

布垣:面白いのは、技術はデザインを変えるきっかけにはなるけれど、デザインは必ずしも技術をそのまま表現するわけではないことです。理屈だけでデザインすると、お客様に受け入れられないこともあります。たとえばハイブリッド車は、エンジン自体は付いているので、ガソリン車と形状自体は変わらないことになりますが、やはり新しいクルマには新しい形が求められます。人間の求めるデザインの矛盾ですよね。

北村:すごくわかります。やはり人間は具体的な形を与えられる、つまり差異化されると、新しい時代の製品だと感じて安心するし、心地よい気分も得られますしね。

布垣:デザイン面で言えば、次は丸いハンドルが消えていくんじゃないかな。回しやすい機能性がある円形ハンドルは運転の象徴でもありますが、完全自動運転が実現したら不要だと見なされると思います。車体にハンドルが付いていても、円形でなく、四角形や飛行機の操縦桿ふうの形状がポピュラーになるかもしれません。まあ、これは僕の予言みたいな話ですけど。

北村:タッチパネルみたいな盤面でクルマを操作している手元がアップになる映画、早く見てみたいですね。

北村匡平
きたむら・きょうへい 1982年山口県生まれ。映画研究者/批評家。東京大学大学院学際情報学府修士課程修了、同大学博士課程単位取得満期退学。日本学術振興会特別研究員を経て、東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター准教授。専門は映像文化論、メディア論、表象文化論。著書に『椎名林檎論——乱調の音楽』(文藝春秋)、『24フレームの映画学——映像表現を解体する』(晃洋書房)、『アクター・ジェンダー・イメージズ——転覆の身振り』(青土社)、『美と破壊の女優 京マチ子』(筑摩書房)、『スター女優の文化社会学——戦後日本が欲望した聖女と魔女』。

布垣直昭
ぬのがき・なおあき 1958年京都府生まれ。トヨタ博物館館長/トヨタ自動車社会貢献推進部長。1982年トヨタ自動車に入社。新コンセプト車の商品化に多くかかわり、チーフとしてハリアー(初代)、アルテッツァ、イストなどを担当。2006年より部長として、レクサスを含むトヨタ全体のデザイン戦略やブランディングを担当。デザイン開発を通してクルマのさまざまな歴史や文化を見てきた経験から、2014年よりトヨタ博物館館長として自動車文化発展に尽力。2020年1月より、社会貢献推進部長を兼ねる。

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。