設備メンテナンスのために、2023年4月から長期休館していた三菱一号館美術館が、11月23日に再開館する。リニューアルオープン最初の展覧会として、同日から「再開館記念『不在』ートゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」が開催される。担当学芸員は同館学芸員の杉山菜穂子。会期は2025年1月26日まで。
開幕に先駆けて行われたプレス内覧会では、同館館長の池田祐子が美術館のリニューアルについて説明。今回のメンテナンスでは、空調機をすべて入れ替えたほか、20世紀以降の作品も含めた様々な作品に対応できるよう、展示空間の汎用性を高めることを目的として、すべての展示壁が乳白色に変更された。また壁にあわせて一部絨毯も変更。照明はすべてLED化された。池田館長は「これまで以上により作品を見やすい環境をみなさまにご提供できるかと思う」と話した。
さらに1階には小展示室を新設。多くの所蔵作品や寄託作品を紹介する場として、学芸員の学術的な興味・関心に基づく企画展示を年3回行う。第1回として、11月23日〜2025年1月26日まで「坂本繁二郎とフランス」が開催されている。また、ワークショップや小規模なレクチャー、小展示などを実施する部屋「エスパス1894」も新たに整備された。
「再開館記念『不在』ートゥールーズ=ロートレックとソフィ・カル」展の始まりは、2020年に遡る。
自伝的作品をまとめた《本当の話》や、自身の失恋体験による痛みとその治癒を主題とした《限局性激痛》など、テキストや写真、映像を組み合わせた作品を発表してきたソフィ・カル。日本では、1999年に原美術館で「限局性激痛」展、2003年にも豊田市美術館で個展が行われたほか、2013年から原美術館を皮切りに「最後のとき/最初のとき」展が全国を巡回した。
三菱一号館美術館では、同館の開館10周年記念展として企画された「1894 Visions ルドン、ロートレック」に際し、ソフィ・カルを招聘する予定だった。美術館の活動を時代の変化に応じて見直すために現代アーティストと協働すべく企画されたものだったが、コロナ禍の影響によりカルの来日は見送りに。プロジェクトは再開館後に持ち越されることになった。そして4年を経て実現したのが本展だ。
カルは、長年にわたって「喪失」や「不在」について考えを巡らせていることから、今回の協働にあたり「不在」というテーマを提案。本展は、「不在」とその表裏の関係にある「存在」という視点でロートレックの作品群を見つめた展示と、「不在」をテーマにカルの代表的なシリーズを紹介する展示という2つのゆるやかにつながった展示で構成される。
まず3階に展開されるのは、ロートレックの作品群だ。ロートレックは1891年に初めて手がけたポスター《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》で高い評価を獲得するが、いっぽうでポスター作家としての評価が先行し、フランスの国公立美術館はロートレックの没後も彼の油彩作品を受け入れなかった。没後に評価が定まらず、美術史から「不在」だった時期に再評価のきっかけを作ったひとりが、ロートレックの友人であり画商でもあったモーリス・ジョワイヤンだった。
本展では、ジョワイヤンが守り伝えてきた作品群のうち、三菱一号館美術館が所蔵しているポスター32点や版画作品、版画集と、フランス国立図書館から借用した版画1点の計136点を展示。全6章に分けて紹介している。
第1章「ロートレックをめぐる『存在』と『不在』」では、生前からロートレックの作品にいち早く注目したピカソやジョワイヤン、そして作家によって「存在」を記録されたモデルや友人たちに注目する。
ロートレックに触発されてサーカスや貧しい人々などを主題としたピカソは、彼の死後、自身の作品《青い部屋》にオマージュとしてロートレックのポスター《メイ・ミルトン》を描きこんだ。ここではその《メイ・ミルトン》や、《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》などを見ることができる。
またロートレックがジョワイヤンへの献辞と彼を表すワニを表紙の裏に描いたジョルジュ・ルナール著『博物誌』の挿絵も展示。ルナールのテキストとともに、羊やネズミ、豚など、ロートレックが描いた様々な生き物たちが壁一面に並ぶ。
第2章「『反復』による強調:ブリュアンのマフラーとアヴリルの帽子」では、赤や黄色で色鮮やかに描かれた歌手アリスティド・ブリュアンのマフラーや、踊り子のジャヌ・アヴリルの装飾的な帽子など、モデルの存在を還元するように繰り返し描かれた着衣やアクセサリーに注目。
第3章「『不在』と『存在』の可視化:ポスターとギルベールの黒い長手袋」では、展示室の中央に薄い膜で囲まれた円形のセクションが登場する。ここでは、批評家のギュスターヴ・ジェフロワが文章を書き、ロートレックが挿絵を描いた『イヴェット・ギルベール』に光を当てる。
イヴェット・ギルベールはカフェ・コンセールなどで人気を博した歌手だが、表紙に歌手の姿は描かれていない。代わりに描かれるのは、彼女の象徴としての黒い長手袋だ。ポスター《ディヴァン・ジャポネ》でもステージ上の女性は顔が見えないが、その黒い長手袋からギルベールだとわかる。本人は「不在」ながら身につけたものが持ち主の存在を強調している。
ロートレックは色鮮やかな多色刷りのポスターで知られるが、ジョワイヤンのコレクションには、単色の試し刷りも多く残されている。第4章「色彩の『不在』と線描の『存在』」では、こうしたポスターの試し刷りや挿絵など、色彩が重ねられていない作品を通して、木炭によるアカデミックな素描の基礎教育を受けたロートレックの表現力に光を当てる。『レスタンプ・オリジナル』に寄せた《アンバサドゥールにて、カフェ・コンセールの女歌手》は複数の試し刷りが並べて展示されているため、作品が色を重ねて完成に向かっていく過程を追うことができる。
作家の巧みな表現力は、ダンサーのロイ・フラーを描いた作品群でも発揮されている。第5章「形態の『不在』」では、フラーの踊りを色彩の変化に集中して抽象的なフォルムで表現した作品群を一挙展示。
そしてロートレックの展示を締めくくる第6章「テキストの『不在』女性の『存在』と男性の『不在』」では、石版画集『彼女たち』を紹介。ロートレックが娼館でスケッチを行って制作した『彼女たち』は、作品の受け手として男性を想定していたが、作品内で男性の姿は可視化されず、商業的にも失敗だったとされる。ここでは、足を広げて腰掛けたり、ベッドの傍で鏡を見たりしている女性たちの何気ない仕草や日常の様子を、物語やテキストの助けを借りず表現し、女性の多様な姿を描き出すことに挑戦している。
最後の作品《54号室の女船客》はロートレックが一目惚れした女性の船客を描いたものだが、この作品から後ろを振り返ると、ソフィ・カルの映像作品《海を見る》の展示室が見える。ここからカルの展示につながっていく。
2019年に渋谷スクランブル交差点の街頭ビジョンで上映されたことも記憶に新しい《海を見る》は、海が身近にあるトルコのイスタンブールに暮らしながら、内陸部に住み、一度も海が見たことがない貧困層の存在をカルが知ったことから制作された。老人から若者まで14人の人物が初めて海を見る瞬間が、6つのスクリーンに映し出される。海を見つめる後ろ姿、そして振り返って言葉を発することなくカメラを見据え、様々な表情を見せる人々の姿は「見ることは何か」ということを鑑賞者に問いかける。
2階に降りて最初の展示室では、カルの自伝的なシリーズを紹介。展示されているのは、近年死去した作家の母親、父親、猫、そして自分自身の死を題材にしたテキストと写真で構成される作品群だ。
母親の日記から時系列に言葉を引用し、1冊だけ日付のないノートに記された言葉からタイトルをとった《いい気分で死ぬ》や、母とカル、それぞれの母親の死について書いた日記と横たわった彫刻の写真を結びつけた《今日、私の母が死んだ》、父の死後に表示された父の携帯メッセージ画面を用いた《どなたさま》、道路の行き止まりの標識の写真に父、母、猫の最期に関するテキストを添えた《私の母、私の猫、私の父》。鑑賞者は、作家自身の個人的な喪失の体験、深い悲しみや身近なものへの愛情など、ロートレックの展示とは打って変わって非常なパーソナルで親密さを湛えた空間に誘い込まれることになる。
本展では初公開となる「ソフィ・カルの《グラン・ブーケ》」も見ることができる。三菱一号館美術館が2010年に収蔵した《グラン・ブーケ(大きな花束)》は19世紀末フランスの画家オディロン・ルドンの代表作で、縦2.5m×横1.6mの大作。限られた期間しか公開されていないため、カルが2019年に同館を訪れた際には本作が展示されていなかった。本作はその「不在」を着想源とした作品だ。
カルはもともと《グラン・ブーケ》が展示されていた場所の前で、学芸員や監視員、美術館スタッフらに本作について語ってもらい、その想いを不在の絵画の代わりとして作品化。様々な角度から語られる《グラン・ブーケ》についてのテキストと、《グラン・ブーケ》のイメージが一時交錯する仕掛けが施されている。展示室には実際の《グラン・ブーケ》も展示されており、色とりどりの花々が咲き誇るこの絵画と向かい合うように、カルが建築家のフランク・ゲーリーから個展のたびに贈られる花束をモチーフにした《フランク・ゲーリーへのオマージュ》が並ぶ。
続く展示室でも絵画の「不在」が追求される。1990年にボストンのイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館からレンブラントやフェルメールなどの絵画が盗難される事件があり、一部の作品は額縁だけが残された。カルはこの事件に着想を得て、美術館の学芸員や警備員、来館者に空の額縁のなかに何が見えるかを問いかけた。《あなたには何が見えますか》は、空の額縁を見つめる人の後ろ姿とテキストを組み合わせた作品だ。
《監禁されたピカソ》では、作品は不在ではなくそこにあるが、覆い隠される。これはピカソの没後50周年を記念し、カルが2023年にパリ・ピカソ美術館に招聘された際に手がけた「ピカソ不在」をテーマにした作品シリーズ。展示されているのはピカソの作品ではなく、作品保護のために紙にくるまれたピカソ作品を撮影した写真群だ。包み紙の中身の作品はタイトルのみで示唆される。
さらに、額装された写真の上にテキストが刺繍された布が吊るされ、鑑賞者が自ら布をめくって写真を見るというカルの代表的なシリーズ《なぜなら》も展示。布には「Parce que(なぜなら)」で始まるテキストが書かれており、なぜこの写真が撮られたのか、なぜこの瞬間や場所を選んだのか、などが綴られている。写真を見る前にその存在理由が示されるこの作品もまた、「見る」という行為や、イメージと言葉の関係を鑑賞者に問いかける。
本展は、身近なものの喪失=不在と悲しみやかれらを恋しく想う感情、作品の不在とそこにあったはずのものに想いを馳せること、言葉とイメージの関係など、様々なかたちで見る者の認識や知覚を揺さぶるカルの作品群をまとまって鑑賞できる貴重な機会。最後に「言いわけ」として、4年の延期を経て本展に取り組むこととなったカルの心情が綴られたテキストが展示されているのも見逃せない。カルの展示作品はほとんどが撮影禁止となっているため、実際に訪れて確認してほしい。