【対談】妹島和世(東京都庭園美術館館長)×青木淳(京都市京セラ美術館館長):ふたりの建築家館長が語る「美術館のポテンシャル」

秋に開館40周年を迎える東京都庭園美術館の館長・妹島和世と、自身が改修を手掛けた京都市京セラ美術館の館長・青木淳。世界的に活躍する建築家であるふたりが、それぞれの館の魅力や美術館のポテンシャルについて語り合った。

東京都庭園美術館にて、左から妹島和世(東京都庭園美術館館長)、青木淳(京都市京セラ美術館館長) 撮影:坂本理

開館40周年を迎える庭園美術館で対談が実現

日本を代表する「邸宅美術館」である東京都庭園美術館が、10月1日に開館40年目を迎える。フランスに長期滞在した皇族の朝香宮夫妻が1933年に朝香宮邸として建てたアール・デコ様式の本館(国指定重要文化財)と、2013年に完成した新館がある同館は、これまで190余りの展覧会を開催し、美術やデザイン、建築、ファッションと幅広い領域の作品を紹介してきた。2022年に建築家ユニット「SANAA」(*1)として金沢21世紀美術館ルーヴル・ランス(ルーヴル美術館別館)を設計した世界的建築家の妹島和世が館長に就任し、新たな章が始まっている。

今回、同館の開館40周年を記念して妹島館長と、おなじく国際的に活躍する建築家の青木淳京都市京セラ美術館館長の対談が実現した。青木館長は、青森県立美術館の設計や1933年に創建された京都市京セラ美術館の改修設計(西澤徹夫との協働)を手掛け、後者がリニューアルオープンした2019年から館長を務めている。

20代から旧知の間柄だというふたりに、それぞれの館の特徴や館長として考えること、美術館の社会的役割などを東京都庭園美術館にて語り合ってもらった。

アール・デコと帝冠様式 同年生まれの2館

――今回あらためて気づいたのですが、東京都庭園美術館(以下、庭園美術館)と京都市京セラ美術館(以下、京都市美術館)は、本館が完成したのは同じ1933(昭和8)年です。アール・デコ様式を取り入れた庭園美術館本館と、建築家・前田健二郎が設計したいわゆる「帝冠様式」の京都市美術館本館では、かなり外観が違うため「同年生まれ」であることはあまり知られていないかもしれません。

今回の対談は、その歴史的建造物を使った美術館の館長であり、著名な建築家であるおふたりに、自館の見どころを解説していただき、かつ美術館についての考えを聞くよくばった企画です。また今年の秋は、庭園美術館は開館40周年、京都市美術館は開館90周年の節目に当たります。じつは庭園美術館も建物の竣工からいえば、90年ですね。まず妹島さんは今年7月で館長就任から1年になりますが、感想を教えていただけますか?

妹島和世東京都庭園美術館館長 撮影:坂本理

妹島 そうですね、館長職は初めてなのでまだ戸惑うこともありますが、色々な面白いことにも出会います。美術館の場合、展覧会の企画は大体2、3年先まで決まっているので、その枠組みのなかで自分に何ができるかを考えています。当館の特徴として、本館は元々邸宅(旧朝香宮邸)ですから、通常の美術館のような大々的な壁面展示は難しくても、歴史を持った場所としての魅力にあふれています。季節ごとに表情が変わる広い庭園(*2)も特徴で、より多くの方に楽しんでいただけるポテンシャルを持った場所だと思います。京都市美術館は最初から美術館として建てられたのですよね?

青木 当初から美術館ですね。昭和天皇即位を記念する「大礼記念京都美術館」として開館しました。

妹島 だから同時期に建てられても規模がぜんぜん大きいですね。

青木 そう、スタイルも違うしね。

妹島 でもアール・デコ的な雰囲気がする個所が少しありますよね。

青木 若干ね。

――それはどの部分でしょう? 京都市美術館は、和洋を融合した「帝冠様式」の印象が強いのですが。

青木 たとえば、内部階段の装飾ですね。正面でなくて、南と北側の手すりに少しアール・デコの雰囲気があります。当時デザインした人は、多分それほどアール・デコを意識してはいなかったと思うけど。

僕は、館長職が5年目に入りました。僕も展覧会の中身や企画にはほとんどタッチしていません。唯一関わったのは「コレクションとの対話:6つの部屋」展(2021)。これは宮永愛子さんら現代の作家が当館の収蔵品から着想した新作などを紹介した展覧会で、僕はコレクションにある日本画の巨匠・竹内栖鳳の作品のスケッチを展示し、会場構成も担当しました。ただこれは例外的なケースで、基本的には美術館をこれからどう運営していくかという部分をおもにやっています。

京都市美術館は、現存する日本の公立美術館で最古の建物で、90年の歴史があります。長い歳月が流れるなかで、建物が老朽化しただけではなく、エントランスが狭くミュージアムショップやカフェのスペースが十分取れないなど、構造が時代の要請に合わなくなっていました。2018~19年に行われた改修工事は、歴史的建築を活かしながら現代の美術館へアップデートする目的があったんですね。

青木淳京都市京セラ美術館館長 撮影:坂本理

邸宅と庭園 一体的に楽しめる体験を

――妹島さんは館長就任前、庭園美術館に対してどのような印象がありましたか?

妹島 20年前だったら「美術館」と言えば、現代アートの展示には白い空間のイメージがまず思い浮かんだと思いますが、最近は邸宅や周囲に庭園がある環境のなかで作品を鑑賞する良さも求められてきていると思います。その意味で、庭園美術館はキャラクターが非常にはっきりとしていて、例えば本館の窓ひとつとっても、それそのものがまるで美術品のように意匠や素材を考えた組み合わせで作られています。スケール的に大きい作品の展示は本館では難しいかもしれませんが、庭園美術館ならではの雰囲気のなかで美術品を見る経験を楽しめます。さらにここは、白金台という都心に位置して、これだけ広い庭園もありますから、もっと一体的に当館を楽しんでもらえる体験を提供していければと思っています。

東京都庭園美術館の芝庭 画像提供:東京都庭園美術館
東京都庭園美術館本館の大食堂 画像提供:東京都庭園美術館

――妹島さんからご覧になって、庭園以外にもっと知ってほしい場所はありますか?

妹島 本館には、普段公開していないスペースが幾つかあるんです。いまお話している部屋もそうで、昔は運転手さんの控室でした。円形窓が可愛いでしょう? プラタナスの木や防災用の池がある中庭は先日、一般の方が入ることを想定して実証実験を行いました。安全性や建物の保全などの関係で全室を公開するのは難しいと思いますが、なるべく美術館を「開いていく」ための努力を皆でしていきたいと思っています。

――妹島さんは昨年10月~今年1月、庭園美術館の正門横のスペースで「ランドスケープを考える」というテーマのもと、入場無料のふたつのテーマ展示を企画・開催しました。ひとつは石上純也建築設計事務所などによる提案模型等を使った「徳島文化芸術ホール(仮称)」展、もうひとつは横浜国立大学大学院の学生らによる建築家の菊竹清訓の名作住宅をテーマにした「スカイハウス再読」展です。

妹島 正門横の白い建物は、朝香宮邸時代は門衛所でした。美術館になった後、以前はミュージアムショップが入っていたスペースです。建物の規模は小さいけれど、大通りに近くて入りやすいし、当館を訪れたことがない人にも関心を持ってもらえるんじゃないかと思って、展示を企画しました。庭園美術館は、正門から本館の入口までちょっと距離があるので、人を迎え入れるような雰囲気をつくる狙いもありましたね。40周年記念事業として、こちらの建物で庭園美術館のこれまでの展覧会のチラシの展示なども行いました。

青木 たしかに正門からは美術館の建物が見えないから、初めての人はちょっと入りづらい気がするかもしれないね。

妹島 正門から本館の入り口までの道沿いは樹木が多く、秋の夕暮れに歩くと虫の声が聞こえるほどの静けさで、都会にいるとは思えないです。あのアプローチも魅力的なので、何らかの機会に活かしていきたい。正門横の建物は今後、ショップと展示機能を融合したようなスペースにできないかと考えています。

「場所」とつながる建築、展覧会

――青木さんは、庭園美術館とどのように関わってきたのでしょうか。

青木 僕は2008年度から庭園美術館の外部評価委員会委員なんです(2020年度より委員長)。それでいえば、もう15年のお付き合いです。庭園美術館は、展示空間がある新館が新たにつくられて2014年にリニューアルオープンしました。カフェやショップもある新館ができて、来館者は若い方が増えてより幅広い年齢層に来ていただけるようになりました。庭園を訪れる方もだんだんと増えているし、茶室も整備して利用されているなど、ずいぶん変わってきたと思います。

先ほど妹島さんが言われた、正門付近をどうするかはずっと課題でした。とくに若い人は、美術館が見えないから何となく入りづらい感じがするかもしれない。だから妹島さんが館長就任後、ぱっと正門横でふたつの展示をされたときはさすがだと思いました。

いま美術館は、展覧会以外に様々な活動を行っていて、それを実施する場所も考えないといけない。京都市美術館は、本館の中心に「中央ホール」という広い多機能空間があるので、イベントのときはここを使うことが多いです。同じ岡崎公園エリア内に別館もあって、こちらは日本最古の公会堂として1930年に建てられました。この別館を、今後どう活用していくかも検討しているところです。

――京都市美術館は、改修により本館地下1階に挿入されたファサード「ガラス・リボン」から館内に入り、目の前の大階段を上がると中央ホールが現れます。中央ホールは、ふたつの展示空間「北回廊」「南回廊」の入口があり、新設された展示スペース「東山キューブ」や日本庭園と行き来できます。妹島さんは、いまの京都市美術館をどうご覧になりますか?

妹島 改修されて以前より圧倒的に分かりやすくなりましたね。広いけれど、真ん中に中央ホールという太い線が通っているので、そこを介してあちこちへ回遊できます。中央ホール自体もすばらしい空間だと思います。本館の地下前面に設置された「ガラス・リボン」は、新しいタイプの美術館ファサードですし、以前は非公開だったふたつの中庭(光の広場、天の中庭)も新しい体験でした。

京都市京セラ美術館 撮影:来田猛

青木 中央ホールは、パフォーマンスや音楽の演奏、トークなどが開催できて、屋内にある広場みたいな場所になっています。僕は展覧会にタッチしないと言いましたが、企画内容が大体決まると、それを美術館内で展開するのか、それとも京都の街の中に広げられる可能性があるのかなど「展覧会をどう作っていくか」の部分は、スタッフと一緒にディスカッションします。展覧会と言うと、最初から「この展示スペースで」という具合に美術館内の枠組みで考えがちなんですが、もう少し広く、敷地全体や街中でも展示ができないかと考えるわけです。

妹島 展覧会は、同じ展示作品でも場所により見え方が変わり、巡回先の違う街で鑑賞すると全然違ったふうに感じられることがあります。その場所(美術館、地域)とどうつながって、それをいかに鑑賞者に体験していただくかという意味では建築に近い部分がありますね。

京都市京セラ美術館の中央ホール 撮影:来田猛

ホワイトキューブは個性ある空間

――おふたりとも美術館の設計を多く手がけています。若い時からアートに関心があったのですか?

妹島 学生時代はそれほどでもなかったです。中高校生のときは、スポーツのほうに行きましたから(笑)。中学は卓球、高校ではバドミントンをやっていました。SANAAとして最初に設計した美術館は、熊野古道なかへち美術館(和歌山県、1997)で、その次が金沢21世紀美術館(2004)。金沢の設計を通じて当時学芸課長だった長谷川祐子さん(現・金沢21世紀美術館館長)に現代美術のことを色々教えてもらい、国内外の様々な展覧会や芸術祭に足を運ぶようになって、だんだんと好きになった感じです。

青木 僕は中学高校のとき、勉強と全然違うことにのめり込んでいました。映画とか美術とか、音楽とか。美術のための空間に興味を持ったのは、大学院を出てから建築家の磯崎新さんのアトリエで働いたのが大きかった。アトリエは美術関係の仕事が多かったし、磯崎さんが手がけた水戸芸術館(1990)を担当して、いっぺんに現代美術ギャラリーとコンサートホール、劇場の設計に携わりました。その後独立して、美術館やホールの設計をやりたいと思ったけれど、そういう仕事はなかなか来ない。2000年に青森県立美術館(2005)を設計できると決まったときは、これでようやく美術に関わる仕事ができると思ってとても嬉しかった。第一、大手を振っていつでも美術館やギャラリーに行ける(笑)。展覧会を見ることも仕事の一部になったわけですから。

――美術館の設計は、他の建築と違う点はありますか?

妹島 私は展示室を設計するときは、これからその場で展示を行う、まだ見ぬ作家やキュレーターにより発展してもらえるような、その方たちがなるべく自由になれるような空間を作りたいと考えます。金沢21世紀美術館でも、当初想定したのとは違う色々な形で展示室が使われることがあって、それがダイナミックで非常に面白いと思います。

青木 僕の場合、駆け出しの頃は展示室をつくる感覚がよく分からなかった。なぜなら建築は通常、完成形を見てもらえるけれど、展示室は美術品がある状態でしか人々の目に触れません。そうした空間を懸命に設計する意味があるのだろうか、と少し思っていました。でもよく考えると、建築とは元々そういうもので、新しく建った住宅でもそこで生活が始まれば、設計者が意図したように住み手が使わないことは当然あります。「使われている状態」を建築の最終目標に設定するなら、建物が完成しても設計は終了していない状態とも言える。そういう建築が本来持っている性質が、はっきりと分かるのが美術館で、設計の姿勢で学ぶことが多いですよ。

妹島 青木さんが言われたように、住宅だって住み手が変われば、空間の使い方も違ってきます。展示室も、アーティストやキュレーターによって全然違って見えて、それが面白いと思います。

青木 美術館の真っ白いホワイトキューブは、よくニュートラルな空間だと言われるけど、じつは違うんですよ。

妹島 違いますね。非常に個性がある空間。

東京都庭園美術館にて、左から青木淳(京都市京セラ美術館館長)、妹島和世(東京都庭園美術館館長)

求められている「一歩外側」の視点

――おふたりのように建築家が公立美術館の館長に就任するケースが増えています。東京都江戸東京博物館は2016年から建築史家でもある藤森照信さん、建物を建て替えて2021年に再開館した青森県の八戸市美術館は佐藤慎也さんが館長です。建築分野から館長を迎えるのは、なぜだと思いますか。

青木 戦後日本の美術館の歴史を振り変えると、1951年に開館したカマキン(旧神奈川県立近代美術館鎌倉館、2016年閉館)に始まり、次第に全国の都道府県に公立美術館が作られていきました。この時期の美術館は、良い作品を広く皆に見てもらい、美術に対する理解を深める啓蒙教育機関としての役割が大きかったと思います。でもいまは、もう少し違う役割も求められているんじゃないでしょうか。展覧会など「鑑賞」だけでなく、ワークショップや講座など「活動」のニーズが高まっているし、来館者も変化しています。たとえば、子供連れのお母さんやお父さんは展覧会に行っても肩身が狭い思いをすることが結構多くないですか? でも、小さい子供や若い人が来て楽しいと思える場所にならないと、これから美術館は存続していけません。ちょっとやり方を変える必要性が出ていて、そのために美術館を一歩外側から見る視点が求められているんじゃないかな。

妹島 そうですね。色々なタイプの美術館があっていいと思いますが、もっと「公共の場所」として開かれていて、一般の方が様々な形で関われる美術館が求められていると感じています。アートそのものも社会に関与する作品が多いし、美術館のほうも様々な教育プログラムがあったり、来館者にクリエーションの機会を提供するなど、より多様な社会との接点を作っていく必要があると思います。

青木 日本は、まだ社会的に「なぜ美術は必要か?」の意識が確定していない気がしますね。コロナ禍の最初の頃、美術館は「不要不急」の存在のように言われたけれど、それでは駄目で、もっと日常に欠かせない大事な場所にならないといけない。人生の「おまけ」じゃなくて、人間が生きていく本質に繋がっている場所にね。美術はそうした側面を持っているはずなので、その接点を美術館は作っていかないといけないと思う。

――「生きていく本質と繋がっている」というのは?

妹島 そうですね、私はアートを見て、非常に元気づけられるときがあります。どのような作品に感覚を刺激されるかは、人それぞれで出会い方も様々ですよね。

青木 人間は普通に生活していると、自分の固定観念みたいなものに縛られている部分がかなり多いですよね。だけど美術を体験すると、そんながんじがらめの世界から解放されたり、違う世界を知ったりできる。気持ちがフワっとしたり、生きていて良かったと感じられたりします。これは実際に美術作品を体験しないと味わえない感覚ですね。良い展覧会は、そんな気持ちにさせてくれるし、日常の延長線のなかで、日常的な感覚とは違う感性を呼び覚ましてくれる。

――さきほど妹島さんから「公共の場所」という言葉が出ました。大雑把な印象ですが、美術家より建築家を取材するときのほうが「公共性」「社会性」といった言葉を聞くことが多いと感じます。

青木 それは建築の仕事は、どちらかと言えば「枠組み」をやっているわけです。人間の生活を中身とすれば、その器をつくる仕事だから、つねに外側のほうに意識が向くのかもしれないね。建築を作ることはいろいろな側面があるじゃないですか。お金の問題、法律の問題、クライアントの希望の問題。いろいろなパラメーターがある中で、最適解を導きだすことを日常的にやらざるを得ない。

音楽で言えば、建築家は指揮者みたいなもの。建築の現場では、様々な人がプレーしますが、それを方向付けするディレクター的な役割ですね。京都市美術館でも、僕は「館長」という肩書がピンとこなくて、自分は「ディレクター」だと考えています。皆の意見を聞いて調整しながら方向付けをしていく意味で、そちらのほうが近いと思うんですね。

館の個性をはぐくむ挑戦を

――おふたりが、それぞれの美術館を方向付けていく館長として現在考えていることを教えてください。

妹島 大きくふたつあります。一つは、やはり庭園美術館の「個性」を大切にしたいということです。その場所ならではの個性的な館が増えたほうが、訪れる人も違ったかたちでアートを楽しめると思いますし、またそのエリアも活気づくと思います。庭園美術館は、宝石箱みたいに美しい建物と都心でありながら広い庭園があるので、その個性を重層的に楽しんでもらえるように、美術館と庭園部分の回遊性を高めたり、一体的に味わえる催しなどを増やしたりしていきたいです。

東京都庭園美術館本館の次室と香水塔 画像提供:東京都庭園美術館

妹島 もうひとつは、来館者の方が「体験」できるシーンを増やしたいと考えています。2008年より長谷川祐子さんのディレクションで瀬戸内海の犬島にギャラリー群を作る「家プロジェクト」を展開していますが、はじめは作品の展示替えのときに来場者をどう誘導するか悩んでいたのですが、たまたま通りかかった人も手伝ってくれて。そのとき、そうだ、最初から「完成形」でなくてもいいのだと気づきました。ある場所に集まり、何かを作ることは得難い「体験」になると実感したんですね。たとえば、アート作品を作家が制作している過程を見るのも、興味深い体験になるんじゃないでしょうか。

青木 京都市美術館は、5つの展示スペースを持ち、様々なタイプの展覧会を開催している「総合美術館」です。観客の動員を図り収益を上げる展覧会はもちろん必要ですが、全部がそうでなくていいと思う。これからは、大規模展のように人は入らないかもしれないけれど、もっと京都の街や暮らしに密着した展示も行っていく必要があると考えています。そうしないと、京都で実際にものを作っている人の実態と美術館が乖離してしまう気がするんですね。京都市美術館のカルチャーとして、制作や創作の「現場に近い」姿勢を根付かせていき、ものづくりをする人のハブ的な存在になれたらいいと思う。時間がかかり、うまくいかないこともあるかもしれませんが、そこを頑張らないと、京都の街に必要不可欠な存在になれないと思うんです。

――今秋に庭園美術館は開館40周年、京都市美術館は90周年を迎えます。最後に周年事業の予定を教えてください。

妹島 庭園美術館は、9月23日から記念展「装飾の庭 朝香宮邸のアール・デコと庭園芸術」を開催します(会期は12月10日まで)。「庭園」をキーワードに、フランスの装飾芸術家アンリ・ラパンが手がけた本館の装飾プランや当時作られた庭園を読み解き、戦間期のアール・デコの動向も紹介する内容です。会期中、本館3階の「ウィンター・ガーデン」も一般公開します。3面にガラス窓がある温室のような部屋で、市松模様の大理石が目を引く非常にモダンな空間です。備え付けの水道の蛇口や排水溝まで、機能的な作りなのに綺麗に装飾されているので見ていただきたいですね。

東京都庭園美術館本館の南側ベランダ 画像提供:東京都庭園美術館

青木 京都市美術館の記念展「竹内栖鳳 破壊と創生のエネルギー」は10月7日にスタートします(会期は12月3日まで)。近代日本画の巨匠、竹内栖鳳の地元・京都では10年ぶりとなる大回顧展で、新発見の作品も国内で初公開します。90周年だから、小規模でも90個くらいいろいろなことをやりたいと思って、いま詳細を詰めているところです。

妹島 大きなイベントは、開館記念日の10月1日(日)に「TEIEN 40th Anniversary Festival」を開催します。当日は、入館無料で記念展「装飾の庭」をご覧いただけるほか、庭園の芝庭では本館が建った時期と同時代のジャズ音楽とダンスの公演を行い、スイーツなどを販売するキッチンカーも西洋庭園に登場します。

――美術館と庭園を一体的に、みんなで開館40周年を祝うんですね。

妹島 そうですね。開館記念日に行うジャズとダンスの公演は雨天中止なので、いまからお天気に気をもんでいるんです(笑)。

東京都庭園美術館の開館40周年特設サイトはこちら

東京都庭園美術館にて、左から妹島和世(東京都庭園美術館館長)、青木淳(京都市京セラ美術館館長) 撮影:坂本理

*1――1995年、妹島和世と西沢立衛により結成。現在5人のパートナー(棚瀬純孝、ユミコヤマダ、山本力矢、Lucy Styles、Francesca Singer)を含め活動している。
*2――旧朝香宮邸時代から引き継がれてきた芝庭と、茶室「光華」(国指定重要文化財)がある日本庭園、西洋庭園の3つのエリアで構成。庭園だけ入場もできる(有料)。

青木淳(あおき・じゅん)
1956年神奈川県生まれ。東京大学工学部建築学修士修了。磯崎新アトリエ勤務を経て、1991年に青木淳建築計画事務所(現在はASに改組)を設立。主な建築作品に、潟博物館(現・ビュー福島潟、1997、新潟市)、ルイ・ヴィトン表参道(2002、東京都)、青森県立美術館(2005、青森市)、京都市京セラ美術館リノベーション(2020、京都市、西澤徹夫と協働)など。日本建築学会賞、芸術選奨文部科学大臣新人賞、毎日芸術賞など受賞。2019年4月より東京藝術大学美術学部建築科教授および京都市京セラ美術館館長。

妹島和世(せじま・かずよ)
1956年茨城県生まれ。1981年日本女子大学大学院家政学研究科修了。伊東豊雄建築設計事務所勤務を経て1987年妹島和世建築設計事務所設立。1995年西沢立衛とともにSANAAを設立。主な建築作品に、金沢21世紀美術館*(2004、金沢市)、Rolexラーニングセンター*(2009、ローザンヌ・スイス)、ルーヴル・ランス*(2012、ランス・フランス)、すみだ北斎美術館(2016、東京都)など。日本建築学会賞*、ベネチアビエンナーレ国際建築展金獅子賞*、プリツカー賞*など受賞。2022年7月、東京都庭園美術館館長に就任。     (*はSANAAとして)

永田晶子

永田晶子

ながた・あきこ 美術ライター/ジャーナリスト。1988年毎日新聞入社、大阪社会部、生活報道部副部長などを経て、東京学芸部で美術、建築担当の編集委員を務める。2020年退職し、フリーランスに。雑誌、デジタル媒体、新聞などに寄稿。