国際会議「文化の力・東京会議」が2012年10月19日(金)・20日(土)に、国際交流基金JFICホール[さくら]、東商ホールで2日間にわたって開催された。初日は、本会議の議論を深めるため、本会議の前段階として窪田研二氏(筑波大学芸術系准教授、キュレーター)、林千晶氏(ロフトワーク代表取締役、米国NPOクリエイティブ・コモンズ文化担当)、久野敦子氏(セゾン文化財団プログラム・ディレクター)がモデレーターを務め、3つの分科会が開かれた。
翌日は、本会議として前日の分科会報告、基調講演、パネルディスカッションが開催された。基調講演の福原義春氏(資生堂名誉会長)が当日やむなく欠席となり、代わりに、加藤種男氏(東京都歴史文化財団エクゼクティブ・アドバイザー)が、福原氏の原稿『文化資本的アプローチで社会をつくる』について概要を説明した。また、インドから招聘されたルシール・ジョシ氏(映画監督、作家)が『私たちにアートがあった頃を覚えていますか?』と題して講演を行った。
「文化の力で社会変革」と銘打たれたパネルディスカッションでは加藤氏がモデレーターを務め、基調講演を行ったジョシ氏、国内外各地でアートプロジェクトを手がけている藤浩志氏、アフリカでアラブ文化圏の交流を促進するプロジェクトを手がけるモロッコ出身でブリュッセル在住のカディジャ・エル・ベナウイ氏、世界中で活躍するアーティストのスプツニ子!氏ら、国籍やキャリアが異なるスピーカーが登壇した。
3.11以降の日本での文化活動の社会へのアプローチとは
まず東日本大震災以降のアーティストの動きについて議論は始まった。加藤氏は、アーティストのタノタイガ氏が東日本大震災(以降3.11)を機にアーティスト活動を一時休止して、若手アーティストに呼びかけ、被災地復興のボランティア活動を共に続けていた事例について紹介した。また、日本ではアーティストが社会に対して何ができるのかという議論が3.11以降に活発になったと指摘した。続いて、主にイギリスと日本の二拠点で活動するスプツニ子!氏は、「イギリスではアートやデザインが社会に関わるのは当然である。また、政治や科学技術の重要な場面にも哲学者やアーティストが関与している」と語り、日英の状況の違いについて紹介した上で、3.11以降、若い世代が社会に従うばかりではなく疑うことが自然にできるようになったので、文化の力で社会を変える土壌は日本にもできたのではないかと指摘した。
ソーシャルメディアを用いた文化活動による社会変革の可能性
スプツニ子!氏は、学生時代にインターネットを通じてキュレーターらと知り合い、『東京アートミーティング トランスフォーメーション』展(2010年-2011年、東京都現代美術館)参加というチャンスを掴んだ。彼女はYouTubeを使って作品を積極的に公開してきたが、英国王立芸術学院(RCA)を修了後、すぐに美術館で作品を発表し、キャリアをスタートさせた。さらにインターネットとソーシャルメディアの活用によって、作品制作が可能になったことや、社会変革の可能性が開かれたことについて紹介した。
ベナウイ氏は、北アフリカでは失業者が多く「(西洋文脈おける)アートのない地域」で生まれた。その後、大学時代に劇団に関わり、文化に関わる職業につく決意を固めた。現在、アラブ地域でアートコミュニティーを作ろうとしており、アート・ムーヴス・アフリカやヤング・アラブ・シアター・ファンドという組織で、アラブ地域で文化活動を行う人々が出会うための移動を支援する活動をしている。べナウイ氏によれば、アラブには内戦や戦争の経験を持ったアクティビストの世代と、インターネットを使うのが当たり前になった非アクティビストと言われる世代がおり、非アクティビストと言われる世代はインターネットを通して、何らかのアクションをおこしている。例えば、サウジアラビアの住民がYouTubeに流したヒップホップ音楽が、インターネットを介してモロッコの若者まで広がっていたことが行動調査でわかった。政治やアイデンティティーのあり方などへのメッセージがリズムに乗って、他の国に届いた事例だ。また、ベナウイ氏はアートプロジェクトはオーディエンスにきちんと届けることを忘れてはならず、メッセージを発するだけでなく、その文脈を考えることも必要なのだ、と指摘した。
アーティストによる社会への問題提起とは
藤氏は、「文化やアートに騙されてはいけない」と提言した。「そもそも、社会変革のためにアートを使うことはありえない。アートは庭いじりのようなものであるからだ。アートは、社会を変えようとするのではなく変えてしまうものだ」と続けた。さらに、「表現することは今の自分の常識を超えていくことで、自分の環境に対して自分を変え、自分の問題を超えていくことなのだ」と語った。
ジョシ氏は、「インドを出て、アメリカのバーモント州で70~80年代に青年期を過ごした。その頃、アートといえば、ギャラリーのために制作するなど個人的な表現であり、スキルの善し悪しが評価されるものでもあった。その後、ポストモダン時代に入ると彼や周囲の作品制作の質は変わり、アートはより社会へ問題提起する政治的なものになっていった」と話した。「アートは社会に対してのビタミン剤として機能するとは限らず、個人の内面的な傷を深め、自分を解体させるかもしれない。アーティストは次の災害に対応できるのかを考えるべきだが、私たちはいつも楽観的でなければならない」と語った。
スプツニ子!氏は、「昔と違って今の作品制作は結果ではなくプロセスが重要であり、途中経過をインターネット上に公開し評価されるのも大事だ」と言う。彼女が今年度参加した地域型アートプロジェクト『アートアクセスあだち「音まち千住の縁」』で制作した『ADACHI HIPHOP PROJECT』を始め、自身の作品の殆どはツイッターを通じてインターネット上で制作段階を公開し、協力者の公募を行っている。藤氏もまた、「アートにとって作品として出来上がったものが重要なのではなく、作品が立ち上がる前の未完成な、やわらかい状態が大切だ」と語った。「様々なアーティストが集い、思考を共有するもやもやした状態こそが面白い」と話した。
「表現」というコミュニケーション
社会変革のためのツールとしてソーシャルメディアがもつ力は明らかだ。だからこそ、アラブやインドの社会の現状をより深く聞きたいと感じた。特にベナウイ氏の「北アフリカでクリエイティブになることの勇気」という言葉はとても重要だ。経済的あるいは社会的に有利になることを優先しなければ生きていくことが難しい世界で、創造的になることや他者を受け入れることは危険を伴う。表現を介したコミュニケーションは、それを持たざるものの中では孤立してしまうだろう。ある意味、「違う言語」を持ってしまうことに等しいからだ。しかし、なぜ危険を冒してまで創造的な活動をするのか。それは(現状ではインターネットを通じて)世界に自分たちの現状を伝える行為こそが自由への道だという共通認識がこの議論の底辺にあるからだ。自分や自分の属する社会以外の何者かに評価され、関心を示してもらうことがなぜ重要なのか。閉じた世界から開かれた世界への入り口がそこには見えるからだ。
しかし、気をつけなければいけない。自分を開かれたものと確信し、他者を閉じたものとして見る世界は、他者を「自分のようなもの」に変えようとする力を働かせてしまう。私たちは開かれてはいない、互いに「開かれる可能性をもった」生き物なのだ。だからこのように属性の違う人々が集まり、国際会議を開き、インターネットで日々何かを探し、呈示する。その運動が続く限り、新しい社会への道は開かれている。
なお、19日分科会、20日本会議の模様はUstreamアーカイブとして閲覧可能になっている。
http://www.ustream.tv/channel/tokyokaigi
TABlogライター: ユミソン ふにゃこふにゃお。おとめ座・現代美術家・独学・こぶし(ネコ)と一緒に東東京在住。インスタレーションや言葉を使った作品を制作。「ユミソン制作キロク」に日々のことを書いてます。