公開日:2022年9月3日

「装いの力―異性装の日本史」(渋谷区立松濤美術館)レポート。ヤマトタケルからドラァグ・クイーンまで、二元論を超える装いの実践

渋谷区立松濤美術館で9月3日から開催。日本の文化・芸術に見られる女武者、若衆、少女歌劇、現代美術など、多様な異性装を概観

会場風景より

渋谷区立松濤美術館「装いの力-異性装の日本史」9月3日〜10月30日に開催される。本展は日本の文化・風習・芸能などにおける「異性装」の歴史を、様々な芸術作品から辿るもの。人間は「男性」と「女性」のいずれかに属するという性別二元論が未だに社会通念として政治や諸制度にまで影響を及ぼしているが、その根本を文化的な営みから再考する機会となるだろう。本展は基本的に日本を舞台に、ヤマトタケルのようないにしえの神話から、現代の美術作家やドラァグ・クイーンまでを取り上げる。企画は、同館学芸員の西美弥子。

※会期中、一部展示替えあり

渋谷区立松濤美術館 入口
会場にて、学芸員の西美弥子

第一会場:いしにえから江戸時代まで。『古事記』、女武者、若衆、歌舞伎

日本で異性装について言及された最古の例は『古事記』まで遡ることができるという。

「日本には古来から豊かな異性装の文化がありました。いにしえの神話上にその存在が表れるのは、日本だけではないとはいえ、世界的に見ても珍しい。たとえばキリスト教文化圏では異性装は禁じられていたが、日本では教義上のタブーとされることはなかったこともその理由。その象徴と言えるのが、ヤマトタケルです」(西)

ヤマトタケルこと小碓皇子 (おうすのみこと)は、熊襲兄弟を暗殺するために髪を下ろして女性の衣服を身にまとったという。本展では昭和時代に制作された衣裳着人形《日本武尊(やまとたけるのみこと)》や、月岡芳年が小碓皇子を描いた大判錦絵で幕を開ける。

会場風景より、三代・山川永徳斎《日本武尊》(昭和時代初期・20世紀、個人蔵) 
会場風景より、月岡芳年《月百姿 賊巣の月 小碓皇子》(明治時代前期・19世紀、東京都江戸東京博物館蔵)

ほかにも平安末期から室町時代までに成立した中世王朝物語である『とりかへばや物語』『新蔵人物語』でも、異性装の登場人物たちの恋愛や政治的駆け引きが描かれる。

会場風景より、谷文晁(模)《新蔵人物語絵巻》(室町時代・16世紀、サントリー美術館蔵)※前後期で場面替えあり

『新蔵人物語』には、子供たちを心のままに過ごさせようという考えの両親のもとに生まれた、息子1人、娘3人の兄妹が登場する。長女は、女性の身のままでは往生できないと信じられていたために剃髪し「変成男子」となった(剃髪が男装と同義と見られた)。いっぽう三女は、男装して出仕し「新蔵人」と呼ばれるようになるが、その正体が女性であると帝に知れてしまう。しかしかえって面白がられ、帝の寵愛を受けるようになり……というのが、出品されているサントリー美術館所蔵の上巻のあらすじだ。(ちなみに下巻は大阪市立美術館が所蔵しており、サントリー美術館で9月14日~11月13日に開催される「美をつくし―大阪市立美術館コレクション」展に出品されるので、合わせてご覧になりたい方はこちらもぜひ)。

ところで《新蔵人物語絵巻》を見ると、一般的な絵巻に比べて幅が細いことに気づく。このような小型絵巻は15~16世紀にかけて流行し、職業画家ではなく絵心のある素人によって描かれたものが多いという。「本作もそういうものだったかもしれません。いわば現代の同人誌のようなものかも」(西)。

また、実社会において職業として異性装を行っていた人々もいた。

平安から鎌倉にかけて、天皇の行幸の際に、天皇の沓(くつ)を運ぶ役職であった「東豎子(あずまわらわ)」は、男装した女官であった。また女装の稚児も、役割として「女性」を求められた存在。「稚児は女人禁制であった寺院で、僧侶の性愛の対象ともなりました。近年の研究では、稚児愛はホモセクシュアルというより、擬似的なヘテロセクシュアルであったという指摘がなされています」(西)。

会場風景より、《石山寺縁起絵巻(模本) 巻三》(江戸時代・19世紀、サントリー美術館蔵)。矢印が示しているのが、僧とともにいる稚児

また、現在でも人気を誇る歌舞伎宝塚歌劇団に至るまで、日本の芸能と異性装は切り離せない。この歴史は中世まで遡ることができ、室町時代に成立したにも見ることができる。出品されている能「巴」装束・面は、鎌倉時代の女武者・巴御前を主人公とする演目で使われるもの。男装の麗人を男性である能役者が演じる、二重の異性装だと言えるだろう。

会場風景より、能「巴」装束・面(国立能楽堂蔵)

戦場で戦うことが男性の仕事・役割と考えられていた時代では、甲冑を身につけ武具を持った女性も、異性装の人物ととらえられる。もっとも古い例として考えられる神功皇后をはじめ、巴御前や静御前 、『吾妻鏡』の板額御前(はんがくごぜん)といった平安時代末から鎌倉時代における女武者は、様々な作品のインスピレーション源となってきた。

会場風景より、女性所用の武具である《朱漆塗色々威腹巻》(江戸時代・19世紀、彦根市指定文化財 彦根城博物館蔵) ※前期のみ展示 

いっぽう、美しさを求められた男性である若衆。若い男性を指す言葉だが、江戸時代には、前髪のある元服前の少年や、男色の対象となった陰間(かげま)と呼ばれる少年や役者を指すこともあった。若衆は相手の性別を問わず恋愛や性愛の対象となってきたという。

会場風景より、《納戸紗綾地菖蒲桔梗松文 振袖》(江戸時代・18世紀、奈良県立美術館蔵)。落ち着いた青地に端午の節句にちなんだ菖蒲の紋様をあしらったこの振袖は若衆のためのものだったと考えられる ※前期のみ

本展に展示された葛飾北斎《若衆文案図》「身体をS字型にした物憂げな姿は、あたかも美人画のような雰囲気。若衆独特の中性的な姿に、日本人が美を見出してきたことを感じさせる作例です」(西)。

会場風景より、葛飾北斎《若衆文案図》(天保11[1840]年、氏家浮世絵コレクション蔵)

また、江戸の異性装者が登場する物語や芸能、祭礼を描いた浮世絵も多数展示される。西は、「日本の芸能には異性装の要素をもつものがとても多く、そうした演目に人々は熱狂しました」と語りつつ、いっぽうで実社会では異性装の受容は複雑なものであったと説明。

「実社会では、自ら選択して異性装をしていた人々が皆、社会で受け入れられていたとは言えません。たとえば女性の男装は厳しい目に晒されましたが、男性による女装は階級や素行の良さなどによって比較的許容されることもありました。江戸時代の社会においてはゆるやかに限定的なかたちではあっても、異性装が認められる部分がありました。それがガラリと一変するのが明治時代です。第二会場はそこからスタートします」

会場風景より

第二会場:明治から現代まで。異性装の禁止、少女歌劇、舞踏、マンガ、現代アート、ドラァグ・クイーン

明治時代になると近代化=西欧化のもと、慣習、文化、制度は大きく変化。異性装も禁止された時期があった。明治6年に制定された「違式詿違条例(いしきかいいじょうれい)」は現在の軽犯罪法にあたるもので、それまでの風俗や慣習を西洋諸国に対し恥ずかしくないものへと矯正、整備することを目的とした。同条例には異性装禁止の項目も含まれ、罰則の対象になったのだ。新聞雑誌などのメディアでも、罰を受けた異性装の人物は頻繁に取り上げられ、社会における嫌悪感を助長させた。この法令の期間は8年ほどであったが、その後も、異性装を精神疾患と見做す西欧精神医学の導入などによって、偏見は社会の中に流布され続けた。

昇斎一景 東京名所三十六戯撰 隅田川白ひげ辺  明治5(1872) 東京都江戸東京博物館 ※前期のみ展示

展示されている、印象的な2点を見てみよう。まず昇斎一景《東京名所三十六戯撰 隅田川白ひげ辺》(明治5、1872)は、花見というハレの場でどんちゃん騒ぎの宴会が行われている様子を描いたもの。「違式詿違条例」の少し前に描かれた本作には、女装して場を盛り上げる人物が登場する。

会場風景より、落合芳幾(画)《東京日々新聞 813号》(明治7[1874]年10月、東京都江戸東京博物館蔵)

いっぽう「違式詿違条例」制定後の明治7年「東京日々新聞 813号」に描かれたのは痛ましい出来事だ。明治4年に戸籍法が制定されたことにより、出生地より書類を取り寄せた夫婦。しかしこれにより、妻がじつは男性であったことが露見。夫は妻が女装者であることを承知のうえで3年も結婚生活を続けていたにもかかわらず、この婚姻は強制的に無効とされ、妻は短いザンギリ頭に切られてしまったという。

濱谷浩 東京浅草 国際劇場 男装の麗人ターキー リハーサルの夜 1938 東京都写真美術館

こういった抑圧や差別が社会に根付いていくいっぽうで、芸能や娯楽においては表現の手段のひとつとしての異性装がますます花開く。少女歌劇はそのひとつ。「メディアは一般の異性装の取り締まりを世に広めたいっぽうで、男装の麗人・ターキーの華々しい活躍も報じました」(西)。

会場風景より、橘小夢《澤村田之助》(昭和9[1934]、弥生美術館蔵)
第二会場の展示風景。田中千代がデザインした「いかり肩スーツ」(1945)や、手塚治虫『リボンの騎士』、池田理代子『ベルサイユのばら』、江口寿史『ストップ!! ひばりくん!』の原画やデジタル出力も

エンターテインメントや舞台芸術における異性装の登場人物は、現代にまで受け継がれている。また異性装の表現は、第二次世界大戦を経て、より様々なメディアへと広がっていった。本展では大野一雄の舞踏、映画『薔薇の葬列』手塚治虫『リボンの騎士』、池田理代子『ベルサイユのばら』、江口寿史『ストップ!! ひばりくん!』といったマンガ、アマチュア女装者情報誌現代美術家・森村泰昌の「女優シリーズ」などを展示する。

会場風景より、アマチュア女装者情報誌の展示
会場風景より、森村泰昌の展示
篠山紀信 森村泰昌 『デジャ=ヴュ』の眼 1990 作家蔵

そして最後の展示室には、日本におけるドラァグクイーンの黎明期に、グロリアス(古橋悌二)、シモーヌ深雪、DJ Lala(山中透)、ブブ・ド・ラ・マドレーヌらが参加したドラァグクイーンによるエンターテインメントダンスパーティー“DIAMONDS ARE FOREVER”メンバーによる、スペシャルなインスタレーションが展開。アーチを潜り抜けると、めくるめくキャンプな空間が広がっているので、とくとお楽しみいただきたい。またダムタイプの《S/N》(初演1994年)記録映像も展示されている。異性装と密接に結びつく、現代における多様なジェンダーやセクシュアリティの政治性と表現について考えることができるだろう。

会場風景より
シモーヌ深雪、D.K.ウラヂ DIAMONDS ARE FOREVER ROYAL WIG 2018 DIAMONDS ARE FOREVER

西は、現代社会においても性別における「男」「女」の二項対立が根強く残っていると指摘しつつ、「異性装という言葉自体も、この二項対立を前提にしている。この言葉について、今回の展示を準備するなかで何度も悩んだ」と語る。実際、ジェンダーやセクシュアリティをめぐる言葉や概念は次々とアップデートされているし、いま使っている言葉や概念が、数年後には使われなくなっているということはあるだろう。最近では男・女のどちらか一方にとらわれないアイデンティティを自認する「ノンバイナリー」や、他者に対して性的欲求や恋愛感情を抱かない「アセクシュアル」というセクシュアリティを自認する人々の声も、メディア等を通して少しずつ世の中に届くようになってきた。いっぽうでトランスジェンダーへの苛烈な差別や、クィアのなかでも男性より女性のほうが可視化されにくく、社会的に弱い立場に置かれがちだという問題なども根強くある。実際、本展を通して見ても、特に後半は男性(とみなされる人物)による異性装の表象が多くを占め、女性(とみなされる人物)による異性装の紹介は限定的だと感じた。

固定的な性役割やジェンダー・イメージを、“過剰”な装いの実践によって転覆・反転・メチャクチャにし、高らかに笑い、歌い、踊ることで抵抗の闘いを繰り広げてきたドラァグクイーンたち。そのエネルギーが充満する小宇宙のような部屋から、未来における「解放」のあり方に思いを巡らせてみたい。

神々のようなドラァグクイーンたちと記念写真が撮れるスポットも。フラッシュを焚くと、クイーンたちのお顔が…!?
会場に来ていたブブ・ド・ラ・マドレーヌさんもパチリ(パネル下部のドラァグクイーンもご本人)

福島夏子(編集部)

福島夏子(編集部)

「Tokyo Art Beat」編集長。『ROCKIN'ON JAPAN』や『美術手帖』編集部を経て、2021年10月より「Tokyo Art Beat」編集部で勤務。2024年5月より現職。