台北の桃園市立美術館の分館である横山書法芸術館(Hengshan Calligraphy Art Center)が、韓国国立現代美術館(National Modern and Contemporary Art, Korea、以下MMCA)とコラボレーションし、2024年7月6日から10月21日まで、「美術館の『書』:韓国近代・現代書芸展(美術館裡的「書」:韓國現當代書藝展)」を開催した。下記はTokyo Art Beatによる同展のフォトレポートである。
私は会期末に同展を訪れた。この文章では簡単な展評とともに、近年少しずつ高まりつつある、東アジアにおける書への関心について述べたい。
同展のイントロダクションでは、東アジアにおける書の呼称が「書」の一字を共有しつつ、「書法(中国)」「書道(日本)」「書芸(韓国)」と相互にずれ重なることが確認された。また、もともと韓国では呼称として「書」のみだったが、日韓併合時代に日本語の「書道」に塗り替えられ、韓国の独立とともに新たに「書芸」が広まった経緯にも触れ、「書」という共通文化をめぐる呼称と文化的・政治的アイデンティティの関係も示唆された。そうした前提のもと、同展は次の4つのセクションから構成されていた。
(1)The Person in the Script: The First Generation of Korean Modern Calligraphers(書体のなかの人物:韓国近代書の第一世代)
本セクションでは、韓国近代書の第一世代の書家が紹介された。社会と文化が大きく変動した日韓併合時代に現れたこれらの書家は、書画同源とされたそれまでの風潮に対し、近代的な視点から書を独立した領域としてとらえ、日常的な書字行為とは異なる芸術としての「書芸」を提唱した。同時に、「文字香(the fragrance of characters)」や「書卷氣(the spirit of scrolls)」といった伝統的な美学を継承することも忘れなかった。
(2)Revisiting Calligraphy: Experiments and Breakthroughs in Modern Calligraphy(書を再訪する:近代書における実験と打開)
本セクションでは、第一セクションの書家につづき、より実験的な仕事に取り組んだ後続世代の書家が紹介された。第一セクションの書家が、基本的には五體と呼ばれる古典的な5つの書体(楷・行・草・隷・篆)をベースに制作したのに対し、本セクションの書家の作品には、より個人的で表現主義的なスタイルの字体が多い。また支持体に段ボールを用いるなど、字体だけでなく、作品全体を通して実験性を追い求めた点が特徴である(本稿導入部の画像参照)。
(3)Drawing Calligraphy, Writing Painting(書を描く、絵を書く)
本セクションでは、西洋における「絵画」と書芸の交差する風景が紹介された。「書」のイメージが筆でキャンバスに描画された平面作品や、ハングルの字体を木彫した立体作品などは、近代美術と近代書の、西洋と東洋のクロスオーバーであり、同時に、書画同源という伝統的なコンセプトを現代の文脈で再生してもいる。李禹煥(リ・ウーファン)など、日本でも知られた美術家の作品もこのセクションにあった。
(4)Infusing Daily Life with Design(日常生活を満たすデザイン)
最終セクションでは、日常生活のためのデザインとして、様々にアレンジされた現代的な書芸の姿が紹介された。広告、映画、多様なプロダクト、そしてタイポグラフィなど、その範囲は多岐にわたる。技術的にも、筆に代わり、コンピュータ・グラフィックという新しいツールが用いられ、そうして制作されたコンテンポラリーな書芸のイメージは、韓国の一般大衆の生活のあらゆる面に浸透していった。
これら4つのセクションによる構成は、よい意味で教科書的であり、韓国の近代・現代の書芸の展開と現在地をバランスよく学ぶことができる、優れて入門的な内容だろう。同展が台湾で開催され、自国民ではない鑑賞者が想定されたこともその一因かもしれない。いっぽうで、古典から前衛への移行、異分野(美術)との交配、コンピュータと大衆化といった流れは、近代化において視覚芸術があゆむ自然なルートであり、日本の書道はもちろん、美術全般にもある程度そのままパラフレーズできる。イントロダクションで示された呼称の問題をさらに深めることで、韓国の書芸という領域に特化したコンテクストが浮き彫りになるキュレーションにも期待したい(ただし個別の作品にはハングル文字が使われるなど、固有の表現も多くあった)。
次に、同展のような展覧会を取り巻くアクチュアリティを考察したい。個人的な観測だが、東アジアの書をめぐって現在、関心がにわかに、また多方向に高まりつつある。多方向とは、美術から書に向けて、書から美術に向けて、また東アジア各国の相互性というニュアンスである。とはいえ私は日本および米国を拠点にする美術家であり、その視点も一定の偏りを免れることはできない。以下はあくまで、日本からの視点による暫定的な印象である。
これまでも美術と書の接点を探る試みが日本では行なわれてきた。前衛書家の森田子龍が1951年に創刊した雑誌『墨美』は、前衛書はもちろん、同時代の抽象絵画やその実践者たちを紹介し、異分野間の国際交流を促した。1959年の第五回サンパウロ・ビエンナーレには、比田井南谷や森田といった日本の書家が出展している。また「書と絵画との熱き時代・1945〜1969」(品川文化振興事業団O美術館、1992)や、「日本的なるもの 書くこと描くこと」(岐阜県美術館、2002)などの展覧会は、絵画と書の交わりに美術として迫ろうとした。
そこに通底するのは、欧米主導の美術史において、書という領域が日本独自の文脈を形成しうるという(ときに日本側、ときに欧米側の)直感だろう。他方で最近まで、日本国内では書がおもに団体展のイメージと結びつくことで、美術と決定的な距離が生じてしまっていた。徒弟制をはじめとする古い慣習から逃れてきた現代美術の価値観と、書という業界の構造はたやすくは噛み合わない。それゆえ現代の日本において、書は美術の範疇に含まれないというのが一般認識でもあった。しかし近年、これまでと異なる角度から、書の意義が問い直されている気配を感じる。そこにはふたつの動向が見て取れる。
ひとつ目は、いま述べたような美術と書のこれまでの関係を辿り直し、歴史的に評価する動向である。先般より、欧米における具体美術協会やもの派といった戦後日本の前衛美術への注目に端を発し、その周辺の事象までリサーチの網目が広がるなか、井上有一および森田など墨人会のメンバーや、前衛書の始祖と言われる比田井南谷やその父の比田井天来といった書家が、新たなプラットフォームのもとで紹介され始めている。一例として、東京と北京に拠点を構える老舗ギャラリーの東京画廊+BTAPは、所属作家として比田井南谷の展覧会を開催している。京都に本店があり、同じく老舗のギャラリーである思文閣は、現役の書家である石川九楊の作品を国際的なアートフェアの代名詞であるアートバーゼル香港にて展示している。また東京のオオタファインアーツは、香港の伝説的な路上書家であるツァン・チョウチョイの個展をいち早く2019年に企画した。
こうした動向は、ギャラリーやアートフェアという市場原理および国際的なネットワークの場で起きており、ゆえに―よしあしはさておき―過去にあった美術と書の交わりを焼き直したとは言えない新鮮さがある。そもそも具体やもの派への注目も、アカデミズムとマーケットの両輪によってもたらされた側面があり、露呈しつつある資本の力と歴史評価の解きほぐせない共犯関係は、研究者や美術館キュレーターを高給で雇用する欧米のメガギャラリーの経営手法にも観察できる。
その意味で書は、コレクターの増加が顕著なアジアのマーケットと相性がよいが、さらに背後には、マーケットに限られない国際的なアートシーンにおけるアジア全体のプレゼンスの向上がある。かつてアジア唯一の先進国として存在感を放った日本にとって、書は、欧米主導の美術史における「特殊項」というみずからの位置を鮮明にするために機能した。しかし現在、書に期待される役割は、欧米主導というこれまでの図式ではなく、とくに東アジア漢字文化圏の「共通項」として、アジアに固有の美術史、または視覚文化史を構想するための有力な基礎のひとつを提供することだと考えられる。それは、しばしばアジア現代美術の特色と見なされる参加型アートやコミュニティアートの流れとは別の広がり、すなわちアジアにおける造形表現の系譜をめぐる広大な探求のための基礎である。
アジアのMoMAとも言われる香港の巨大美術館M+(エムプラス)のコレクションには、絵画や写真と並び、インクアートの項目がある。これは、欧米はもちろん、日本の美術館でもあまりみられない。ここから書やインクという概念が、アジアに固有の美術史の構想において重要視されていると推察できる。かつて日本において、欧米に対する独自性として機能しえた書の文脈は、現在、日本を含む東アジアの共通性として、新たな可能性を芽吹きつつある。この可能性は、欧米主導の美術史やマーケットのダイナミズムに呼応しつつも、アジアから自発的に発信されるべきであり、それは歴史の記述やそれに根差したアイデンティティ形成としてこそ本来の意味を獲得するだろう。これが私の考えるふたつ目の動向である。
具体やもの派への注目は、同時代の欧米の美術運動(抽象表現主義、アンフォルメル、ミニマリズム、アルテ・ポーヴェラなど)との関連が付帯している。それは吉原治良とミシェル・タピエの親交が教えるように、当事者たちが望み、意図した結果でもあった。そこには、MoMA型のモダニズムの変奏が非欧米圏にもあるという「モダニズムス(複数のモダニズム)」の思考が脈打っている。そのスコープは、前衛書と欧米の抽象絵画の交流をはかった森田子龍の『墨美』までを自然に含みうる。大阪の国立国際美術館で1985年に開催された「絵画の嵐・1950年代 アンフォルメル/具体/コブラ」展では、森田も取り上げられたほか、ピエール・アレシンスキーの映画「日本の書」がビデオ上映された。それは一見すると、国のボーダー(欧米と日本)のみならず、領域のボーダー(絵画と書)を越境している。同時に、MoMA型のモダニズムという単一の評価軸が、暗黙のうちに作動してもいる。
それ自体は問題ではない。しかし、評価軸が「それしかない」という状況が仮にあるなら、それは現在の批評やアカデミズムが、歴史の記述においてアクチュアリティのある仕事を果たせていない兆候かもしれない。事実、かつて戦後アメリカのモダニズム批評が、抽象絵画をめぐる「平面性」や「純粋性」といった概念を保護するために、書や砂絵といった非欧米圏からの影響を不純物として取り除いたことを踏まえれば、書という領域の可能性を最大化するには、MoMA型のモダニズムとは異なる基準が必要ではないか。
以上を踏まえると、横山書法芸術館という台湾の施設で、韓国の書芸の歴史を概観する展覧会が開催された事実は、そのアクチュアリティが多重に膨らんでこないだろうか。この文章ではおもに日本からの視点に立脚したが、繰り返し述べるように、これは日本を含む東アジア全体に関わる認識である。20世紀後半から21世紀前半へという時間軸のなかで、編み込まれた過去と現在の往還によって生まれる、地政学と文化形成のダイナミズムがそこにある。
大山エンリコイサム
大山エンリコイサム