武田鉄平の絵画を初めて見る人は、少なくとも2度驚かされる。まず、その明瞭で大胆な構成とヴィヴィッドな絵具の筆捌きによる快感と奇妙さがもたらす緊張感に。そしてさらに近づいてよく観察したとき、見ていたと思ったものが「じつはまったく見えていなかった」という衝撃的な事実に。
SNS等を通して画像で見た人にとってもそれは同じだろう。私もそうだった。最初に武田の作品を知ったのは2016年。在籍していた雑誌『美術手帖』の新進気鋭のアーティスト100名・組を紹介する特集企画のリサーチ時に、画像でその作品を見た。当時武田が挑んでいた「ポートレイト」の作品群は、人物の顔が破壊的とも言っていいブラッシュ・ストロークで描かれ、どれだけ細部が省略されても人物像に見えてしまうその鮮やかさに見入った。しかしその制作手法について知ると、じつは厚塗りでペインタリーな筆の動きで描かれたものではなく、そう見えるよう「トロンプルイユ(騙し絵)」的な方法で精緻に描き込まれたものだった。
推薦者の三瀬夏之介は原稿を「とにかく実物を見てほしい」と締め括っていたが、私にとってそれが叶ったのが2019年のMAHO KUBOTA GALLERYでの個展。作品に近寄り横から覗き込むと、厚塗りに見えた画面は非常にフラットで、絵具の抉れた部分も反射する光も、本当に描かれたものだった。情報として知ってはいても、それを実際に見て理解したときの驚きは忘れ難い。
2022年に続いて同ギャラリーでの3回目の個展となる「まるで、花のような」(11月15日〜12月26日)では、そんな武田の新たな作品群が披露されている。顔に続く、今回のモチーフは花だ。いや、実際には展覧会名の通り、「まるで、花のような」何かなのだろう。その何かとは、「絵画」そのものである。
武田鉄平は1978年山形市生まれ。少年期からアーティストを志し、武蔵野美術大学視覚伝達デザイン学科卒業後、デザイン事務所勤務を経て山形に帰郷。その後約10年間、作品を制作し続けながらも一切発表せず、絵画の本質と向き合い続けてきた。まるで修行僧のような日々だったのではないかと武田に聞くと、「もともと作ることが好きなので、放っとかれてもずっと制作しているような性格なんです。なので楽しくやっていました。孤独でしたけれど」と笑う。
この長く孤独な探求の末に辿り着いたのが、「描くことを描く」というコンセプトだ。手法としては、小さなサイズで描いたスケッチを撮影し、その写真をパソコンに読み込んだうえでデジタル上で解像度や構図を調整する。その画像をもとに、拡大したかたちで絵具を用いでキャンバスに描く。こうしたコンセプトと手法は、ポートレイトから今回の花のシリーズまで一貫している。
「ほかの手法も試してみたいという気持ちもありますが、この手法でのようやく2つ目のシリーズが今回発表しているものなので、少しずつ進んでいる感じですね。まだやりたいこと、描きたいものがあるので、しばらくはこのコンセプトで制作していく予定です」
武田は何かの主題やモチーフをストレートに描く画家ではない。その姿勢は、絵画というメディアの成り立ちそのものに肉薄する、コンセプチュアル・アーティストだと言えるだろう。改めて、武田のコンセプトである「描くことを描く」とはどういうことなのだろうか。
「なかなか答えがまとまらないのですが……まず僕は絵画が、描くことが好きなんですね。なので、その絵画を描くこと自体を芸術化したい、芸術作品として成立させたいという思いがあって。何を描けばいいのかわからなかった時期が長くありましたが、そのなかで唯一見つかった答えが、『描くことを描く』ということだったんです」
制作の過程では写真やコンピューターを使っているが、最終的に絵具で描くという行為が重要なのかと聞くと、「絵画として描くことで、作品の重さというか、存在感がまったく違います」と答えた。
絵画の歴史を体系的に学ぶようになったのはここ数年ほどだというが、自身の制作にも影響を与えているのはアンディ・ウォーホルやゲルハルト・リヒターなど20世紀以降の画家たちだという。本展に際して刊行した作品集『Flowers』収録のテキストで、武田は「これ以外に、描くべきものを何も見いだせなかった。この手法を取る事で、現代アートが過去に捨て去ってきた描く事、それを美しいと感じる事、それをそのまま作品として提示する事ができる」と書いている。そこにはどのような思いがあるのだろうか。
「絵画が生み出す絵画空間、その表層に対してリヒターは「シャイン(光・仮象)」という言葉を用いて批評的に対峙してきたと思います。僕は、そうした絵画空間を肯定したい。絵画空間は、そこにものがあたかもあるように感じられるという虚像であり、現実空間とは切断された、嘘の、表面的な空間です。現代アートは、こうした絵画空間を捨ててきたのではないか。自分はそうした虚像の空間と、それを見ることができる人の能力をちゃんと提示したいと考えています」
「画家」と「アーティスト」、どちらの肩書きを名乗っているのかと聞くと、「画家ですかと聞かれたらアーティストと答えるし、アーティストですかと聞かれたら画家ですと答えます」と少し悪戯っぽい表情で言う。その意図を聞くと、「どちらでもいいから」。絵画や現代アートというものへの愛情と批評性、そして独自の距離感が感じられる答えだと思った。
様々なもののなかから、どうして今回は「花」を選んだのだろうか。花には人の感情に訴えかけるエモーショナルな要素もあるが……と話を向けると、武田自身は「花はエモーショナルというより、ドライな存在」だと感じているという。
「じっと花を見ていると、ただそこに存在しているだけで、人間の感情は入らない。そこに面白さを感じました。人の顔は、もっと感情を投影したり呼び起こしたりしてしまうものでしたから。それに比べると花は感情を載せられないけれど、何かを表現できるように感じました。
このシリーズを始めた経緯には、実生活で子供が生まれたことも大きいです。出産を控えた時期に、子供が生まれたらどうやって仕事を続けていけるのかもわからなかったので、小さめのサイズで軽く簡単に描けるものを選ぼうと思いました。実際、子供が保育園に入るまでは、育児と制作の切り替えがうまくできず、集中して作ることがとても難しかった」
確かにポートレイトのシリーズに比べ、花の作品は小ぶりだ。中断を挟みながら4年ほどかけて描いてきたが、その間に変化はあったのだろうか。
「できるだけ少ないタッチで、ミニマルな表現に挑戦したいということもあって花を選びましたが、描いていくなかで、だんだん難しくなっていきました。シンプルなだけに、新しい形を見つけようとすると苦労しました。同じようなことを繰り返したくない性格なんですね。同じような形に見える花でも、それぞれ違うように描いています」
実際にチューリップがモチーフの作品がいくつかあるが、見比べるとその筆致や絵具の表情は大きく異なる。たっぷりの絵具が置かれたように見えるものから、地が透けて見えるかのようなエレガンスな《絵画のための絵画 069》、そして非常に限られた要素で構成された《絵画のための絵画 071》まで。チューリップの花の絵といえば、小さな子供がお絵かきで描くような単純化・記号化された形を誰でも思い浮かべることができるだろう。《071》は「まさにそのシンプルなチューリップの究極系、最高到達点ですね」と武田。1度のタッチがそのまま1枚の花弁になっている(かのように見える)、その表現力に引き込まれる。しかし、この一見シンプルな形に辿り着くまで、作家は複雑で細かな試行錯誤を繰り返しているのだ。
シンプルでミニマルな見栄えの作品を志向するうえで、絵画における記号化についてはどう考えているのだろうか。
「デザイナーをやっていた経験から、形を単純化すればするほど人の目に入りやすくなるという感覚は身についていると思います。
またデザインの成立には、琳派や浮世絵などの日本美術からの影響が大きい。僕は大学でデザインを学びましたが、その後アーティストとして制作するようになって、そうした日本美術の要素が一周まわって僕のところにやってきたとも感じていて。不要な部分は捨てて、重要な部分をガチッと決めていく、そんな日本美術の美学を受け継いだのかなと思います。
長谷川等伯の《松林図屏風》は学生時代に見て本当に衝撃を受けました。いまでも公開されているときには、神社にお参りに行くような気持ちで見にいきます」
琳派といえば、気になるのが燕子花の《絵画のための絵画 077》だ。作家は子供と一緒に根津美術館で尾形光琳の《燕子花図屏風》を見たが、その場では子供は疲れて関心を示していないようだった。しかし3日後に子供が「きれいな青い花の絵があったね」と話したという。そんな子供との思い出を形にしておきたかったというのが本作だ。淡々と「描くこと」に向き合っているような武田の絵画にも、こうした生活におけるパーソナルな部分が反映されているのも興味深い。
作品集『FLOWERS』は深澤直人が装丁を担当。プロダクトデザインの重鎮である深澤だが、編集者の既存のブックデザイナーとは違う視点でとらえてくれる人に依頼したいとの意向で、武田の作品集へと話がつながった。
「学生時代から深澤さんの作品を通して色々学んできた。今回お仕事をご一緒させていただいて、初心を思い出しました。できる限りシンプルなかたちを目指しながら徹底して細部まで詰めていく、その姿勢が本当にすごかった。
この作品集は、判型も厚みも、1枚の作品を縮小した形になっているんです。トンボ(仕上りサイズに断裁するための位置を示すマーク)までピッタリ作品図版なので、断裁でズレると変な余白が出てしまう。そうならないように緻密な計算を行うなど、印刷技術における挑戦をしています。帯も表紙に巻きつけるのではなく、小口の長さまでで切ってあり、上からシュリンクをかけることで止めています。グラフィックデザインをわかる人が見たら、普通はやらないことをしていると驚くと思います」
こだわりの製本による作品集はすでに特装版が完売。通常版を見せてもらったが、この本自体が作品と言える仕様で、一流デザイナーとの協働が実を結んでいた。
今後の展望について聞くと、花のシリーズはさらなる展開を考えているという。
「1作品ずつで完結させるというより、たくさんの花を集めたかたちで発表してみたいという思いもあり、試行錯誤中です。また、今後はより大きな作品を手掛けてみたいと思っています」
武田が「描くこと」の探究を続ける限り、私たち鑑賞者にとっても「見ること」の探究が続く。これから生まれる新たな絵画の誕生を楽しみに待ちたい。
福島夏子(編集部)
福島夏子(編集部)