豊田市美術館、島根県立石見美術館に続き、東京都庭園美術館で「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」展が開催されている。いまからおよそ100年前に、世界各地で同時性をもって広がりを見せた「モダン」の諸相を描き出そうとする野心的な展覧会だ。
展示は、時代区分による4つのチャプターからなっている。1900年から第二次世界大戦が始まる直前の1938年までのあいだに、ヨーロッパと日本で制作された約400点にも上る作品が集められた。また、扱うジャンルも幅広い。家具やテーブルウェア、照明器具にはじまり、壁紙やテキスタイル、さらに衣服や装飾品、装丁やポスター、建築や店舗デザインに至るまで、生活空間にとどまらず、都市空間にまで視点を広げている。
この展覧会の幅の広さや領域横断性は、タイトルにも現れている。「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」というタイトルには、多くの美術展のタイトルによくあるアーティストや芸術運動の名前がない。そのため、心の準備なしに、このタイトルだけ目にした人は、最初、何の展覧会かと少しとまどうかもしれない。しかし、特定のアーティストや芸術運動に限定せず、「モダン」というキーワードを掲げたことで、この展覧会では、20世紀初頭の造形を、よりフラットな視点から俯瞰できるようになっている。すなわち、本展では、特定の側面からとらえられがちな作家やその仕事が、異なる側面からとらえ直されていたり、突出した存在—たとえばコルビュジエやシャネル—の陰に隠れて目立たなかったアーティストにも、等しく光が当てられているのだ。
たとえば、フランスのファッション・デザイナー、ポール・ポワレは、新たな側面にフォーカスが当てられたひとりと言えるだろう。ポワレといえば、脱コルセットを推し進め、第一次世界大戦前のパリで異国趣味的なスタイルを次々に打ち出し、「モードの帝王」の異名をほしいままにした伝説のデザイナーとして知られている。それゆえ、当然といえば当然だが、展覧会などでポワレが取り上げられる場合、彼のデザインした服に関心が寄せられることが多い。
しかし、本展では、ポワレの服「以外」の作品も比較的大きく取り上げられている。なかでも、ポワレのデザイン学校の女子生徒が描いた絵を商品化したインテリア工房「アトリエ・マルティーヌ」に関する展示は、かなりの見応えだ。ポワレが、ウィーン工房と競い合うように、自分の美学を衣服から香り、そして生活空間へと広げていった様子を鑑賞者はたどり直すこととなる。「交歓するモダン」というタイトルにとまどいを覚えた人も、20世紀初頭に現れた国境やジャンルを越えようとした作り手たちの営みが、今日、私たちの身近にあるライフスタイルブランドの原点にあることを直感的に理解するのではないだろうか。
本展では、シャネルの黒いドレスについても、多面的な読解の可能性が示されているように感じた。よく知られるように、シャネルのシンプルな黒いドレス、いわゆる「リトルブラックドレス」は、アメリカ版『ヴォーグ』誌の1926年10月1日号に掲載された、「シャネルという“フォード”—そのドレスは世界中で着られることになるだろう」(*1)という有名なフレーズもあり、機能主義やモダニズムといった言葉と重ね合わせて語られがちである。
シンプルであるがゆえに、コピーが容易で、あらゆる階層の女性たちに着用されたシャネルの黒いドレスは、ベルトコンベアーで大量生産されたアメリカ初の大衆車、T型フォードになぞらえられた。本展でも、この「フォード」という言葉が記された『ヴォーグ』誌が展示されている。
しかし、この展覧会で興味深いのは、むしろ1926年の「リトルブラックドレス」以外の1920年代の黒いドレスも—雑誌記事に掲載のイラストや写真も含め―複数、紹介されていることである。そもそも、前述の『ヴォーグ』誌は、本展では見開きで展示されているが、右ページに「リトルブラックドレス」が掲載されているいっぽうで、左ページには、シャネルに劣らずシンプルなメゾン・ドレコルの黒いドレスのイラストが掲載されている。さらに、畳まれた絹クレープ地が装飾としても機能しているマドレーヌ・ヴィオネの黒いドレスが、まるでコムデギャルソンの服のようなたたずまいを呈しているのも印象的だ。
そのいっぽうで、目を引くのは、シャネルの手がけた装飾的な黒いドレスである。フリンジやスカーフがドラマティックに揺れ動くドレスや、繊細なシャンティイレース仕立てのドレスなどは、いずれも「機能主義的なモダニズム」に収まりきらないデザインと言えるだろう。
新館のホワイトキューブで行われていたこれらの展示に加え、本館「旧朝香宮邸」の1階では、ジャンヌ・ランバンの漆黒のドレス2着も見ることもできる。ランバンが得意としたスカートが大きく広がったロマンティックなシルエットのドレスに豪華なきらめきを添えているのは、ビーズやパール、ラインストーンの刺繍である。
このように、本展を一巡すれば、ファッションのモダニズムを象徴するとされてきた黒いドレスが、シャネルひとりに帰されるものではないこと、そして、オートクチュールの手仕事が作り出す装飾性とも響き合いながら、世界中へ広がっていたことが理解される。まさに本展の副題で示されている「機能」と「装飾」のポリフォニーと言えるだろう。
本展では、先述の通り、通常、展覧会で取り上げられることが少ないアーティストも多数、取り上げられている。そのなかで、筆者が長年、関心を寄せてきた画家のソニア・ドローネーにも、この展覧会で居場所がしっかりとキープされているのは、率直に嬉しい限りである。旧ロシア帝国に生まれ(現在ならばウクライナ生まれと見なされるであろう)、フランスで活躍したソニアは、1912年に夫で画家のロベール・ドローネーとともに「同時主義(シミュルタニスム)」の絵画を描き始める。
しかし、やがてその関心はキャンバスの外にも向かう。初めて衣服を手がけた1913年以降、1920年代を通して、ソニアは同時代の前衛芸術家たちと国境を超え親交を結び、時に共同制作というかたちを取りながら、絵画をはじめ、詩や広告、ウィンドウディスプレイ、室内装飾、舞踊、写真、映画など、実に多彩な分野と結びつきながら、独自の衣服制作を展開した。
ソニアのファッション・デザインの最大の特徴は、自身の描く抽象画で見出した色彩とフォルムから生まれた幾何学模様である。この展覧会で展示されているソニアの手がけたフランス版『ヴォーグ』誌の表紙やポショワール版画の作品集などからも、いわゆるシミュルタネの色に彩られた点や直線、曲線、波線、ジグザグ、あるいは三角、四角、丸などが織りなす独特のリズムを感じることができるだろう。
そうした幾何学模様が散りばめられたソニアの布地や服は、1925年にパリで開催された現代産業装飾芸術国際博覧会(通称アール・デコ展)で注目を集めた。「産業」と「装飾芸術」がそのタイトルにおいて結びつけられていたこの博覧会では、機械で大量生産する時代にふさわしい現代的な造形が模索されていたが、花模様のような具象的モティーフを伴わないソニアのテキスタイルは、とりわけ現代性を備えたものとして高い評価を得た(*2)。
しかし、ここで強調しておきたいのは、ソニアの意匠が、幾何学模様でありながら、人の手で描かれた線や図形に特有のゆるさやずれ、余白のような不均衡さを残し、独特の味わいを生み出している点である。彼女の「モダン」な造形は、実際には機械化とは相容れない手仕事の跡を色濃く残すものであった。本展の冒頭でも示されていたように、「装飾」と「機能」という2つの側面は、必ずしも対立するものではなく、むしろ、この2つの側面を行ったり来たりする動きによって、「モダン」が作られていったことが理解されるのである。
こう記しながら、1967年にソニア・ドローネーに対して行われたインタビューのことを思い出した。1960 年代にはフランスでアール・デコの再評価が進み、彼女への注目が高まっていたのである。『レアリテ』誌に掲載されたそのインタビュー記事で、ソニアはインタビュアーが発した「1925年様式」という言葉を遮り、「いいえ、私が作ったものは“1925年様式”と呼ばれるものではなく、“現代の様式 (le style moderne)”です」と述べている(*3)。1925年の博覧会で彼女が意図した「モダン」は、同時代における最先端の趣味や様式をかたちにすることではなく、もっと長い目で見た普遍的な何かであったのかもしれない。
ソニアのこの発言は、ある時代の様式や傾向を後から振り返る回顧的な視点に特有の難しさを浮き彫りにしている。作り手の意図と、作品を外から見る者のとらえ方のずれ。さらに作品が作られた時代と、それを評価する時代とのずれ。扱うジャンルや作家、組織、デザイン運動などが幅広い本展では、モダンをめぐる物語(ストーリー)が複雑さを増すのは避けられない。本展のタイトルに含まれる「交歓」や「ポリフォニー」といった言葉も、こうしたさまざまな物語(ストーリー)が織りなす複雑な関係性を示すものとして、受け止めることができるだろう。
*1──“The Début of the Winter Mode”, Vogue US, October 1st, 1926, p.69.
*2──拙著『ソニア・ドローネー 服飾芸術の誕生』、ブリュッケ、2010年、p.209-214。
*3── Jean Clay “C’est la grande fête de la couleur”, Réalités, décembre 1967, p.85.
朝倉三枝
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