地理的な視点、しかも川という視点からまとめた展覧会というのも珍しいが、個人的には、まずこの展覧会に中村宏が含まれていることに興味を引かれて足を運んだ。
東京都現代美術館で開催された「図画事件 1953-2007」展以来、強烈な印象で脳裏に焼き付いていた一つ目の女子学生の絵を描いた画家は、謎めいていて気になる存在だった。本展覧会では、中村宏が立石紘一と一緒に1964~66年の2年間ほど活動していた「観光芸術研究所」にスポットが当てられている。
「観光芸術研究所」とは、実体があるのかないのか不可解ながらも存在感を醸し出す名称だ。「観光とは光を見ること」という主張のもとに、同時期の反芸術活動が絵画・彫刻といった従来の美術の形式に反抗する表現を行っていたのに対し、あえて絵画という平面による表現活動にこだわり、「見る」という視覚的表現を追求した活動だったという。
機関車やセーラー服といった中村宏の絵画に現れるモチーフは、「観光」という言葉から連想されたイメージであったことも、観光芸術所の活動意義とリンクする。また、その後「観光芸術研究所」は、イラスト、漫画、デザイン、絵本と幅広い領域で活動を展開した立石大河亞の出発点ともいえる活動として位置づけられるのは興味深い。
本展覧会では、立石が1993年にプランを描いたまま実現されなかったネオン絵画が制作・公開されている。立石がモチーフとして多く取り上げてきたという富士山がキッチュに炸裂した作品を前に、今も昔も変わらぬ「観光」という言葉から連想されるイメージが凝縮されていることに驚いた。
「観光芸術研究所」もそうだが、日本アンデパンダン展、ハイレッドセンターなど、今や伝説となった(少なくとも同時代で経験していない自分にとっては伝説的な)美術史上のハプニングも、本展覧会のように体系的に捕えられることで、一つの現象として疑似体験とまではいかないまでも、本で読む数倍も捕えやすくなる。
本展覧会で他に取り上げられているアーティストも豪華な面々だ。
多摩川を舞台として展開された高松次郎のアースワーク「石と数字」。
多摩川上流の川面を撮影した映像を、下流の川面に投影するという山中信夫の伝説的作品記録。
静かに河原の石と対峙して生み出された郭仁植の美しい色彩、静謐な造形美。
多摩川近辺の光景を、緊張感みなぎるクオリティで印画紙に焼き付けた柴田敏雄、山本糾。
大竹敦人はピンホールカメラによる球体写真で、「眼球の裏側から網膜に写る」映像を写し出し、我々が日常当たり前だと思っている風景の視点を変える。
日高恵理子によって描かれた多摩川近辺の木々は、モノトーンでありながら色彩や風の匂いまで感じさせる。
マコトフジムラのダイナミックな「二子玉川」シリーズ絵画には、多摩川から受けたインスピレーションがあるという。
蔡國強が日本で初めて火薬画を制作したのが多摩川だったというのも興味深い。
1910年代から70年代生まれの幅広い世代の作家が、いずれも多摩川というひとつのテーマのもとに介する展覧会である。
展覧会の後、今回のキーワードである“多摩川”について「なぜ、川なのだろうか?」と考えてみる。すると、川辺でレジャーを楽しんだり、川沿いの物件が人気があったりと、人が川に魅せられるのは、少しずつ変化しながらも不動の存在感のあるものに惹かれるという、人の精神の習性の一つではないかと思い至った。
川はいつも傍にあるけれども、川を満たす水は常に流れ動いているわけで、少しずつ変化しながらも不動の存在感のあるものに人は惹かれるという習性があるのではないだろうか。そしてふと、とあるメーカーが昔CMで使っていたキャッチコピーである「変わろう、変わらないために」というフレーズを思い出す。そうすると、アーティストが川と対峙して制作に向かうこともごく自然に思える。むしろ、当たり前すぎてその関連性に気づかなかったくらいだ。
現役で活動を続けているアーティストについては、ギャラリーで見る機会があり、作品自体の魅力を知っていたはずの作品もあった。しかし、この展覧会を見て、改めて美術史の文脈の中で捕え直すことができた。大きな流れの中で俯瞰することで、作品の新しい魅力を発見できるという、キュレーションの醍醐味を味わうことができる展覧会だといえる。