千葉市美術館で「『前衛』写真の精神:なんでもないものの変容 瀧口修造・阿部展也・大辻清司・牛腸茂雄」展が開幕した。会期は5月21日まで。
本展は、「前衛」をキーワードに、20世紀の写真史を再編集。とくに、今年節目を迎える瀧口修造(生誕120年)、阿部展也(生誕110年)、大辻清司(生誕100年)、牛腸茂雄(没後40年)という4名の活動と、彼らの関係を軸に展覧会が構成されている。
担当学芸員の庄子真汀は「昨今紹介される国内の前衛写真に対して、異なるありかたを提示したい」と語る。
日本の前衛写真は大阪、名古屋、福岡と、関東圏以外のアマチュア団体を中心に、1930年代に勃興。当初は、海外のシュルレアリスムや抽象芸術の影響を受け、撮影や現像を工夫した、技巧的な写真が主流だった(*)。しかし瀧口は、こうした演出された画角ではなく、「日常現実のふかい襞」、すなわち些細でありふれた光景のなかにこそ、超現実が潜んでいると主張。この写真の「なんでもなさ」は、瀧口と協働した阿部、ふたりの活動に触発された大辻、その教え子である牛腸へと引き継がれていく。こうした変遷を追いかける構成が、本展いちばんの見どころだ。
展示冒頭では、瀧口と阿部を中心に、国内の前衛写真の黎明期である1930〜40年代の作品が取り上げられる。美術評論家、詩人として活躍し、戦後は実験工房の主催者としても広く知られる瀧口は1938年、「前衛写真協会」を組織。創設時からの会員で、画家だった阿部とは、37年に詩画集『妖精の距離』を発表していた。
本展では、瀧口が依拠していたウジェーヌ・アジェのストレート写真や、瀧口の詩と阿部の描く有機的な絵画が印象的な『妖精の距離』、阿部が撮影し《夜間作業——オブジェ》と題された写真作品などが展示される。
加えて、前衛写真協会の創設メンバーだった永田一脩、小石清、坂田稔らの作品も公開。どこか不気味なオブジェなど、シュルレアリスムを喚起させる作品が多い。
続く2章は1950〜70年代の作品。大辻が写真を志したのは、旧制中学に在学中の1940年。阿部が作品や論考を投稿していた雑誌『フォトタイムス』に衝撃を受けたという。写真家となった大辻は、その頃には前衛写真協会の中心人物となっていた阿部と共同制作をすることになり、53年には瀧口が主催するグループ「実験工房」にも参加することに。きっかけは画報誌『アサヒグラフ』でスタートしたコーナー「APN(Asahi Picture News)」のためのカット制作を引き受けたこと。本展でも、「APN」での撮影作品が多数公開されている。
上に掲載した阿部との共作は、女性の裸体というモチーフや、多重露光など、マン・レイの技法を思わせる、いかにも演出的な写真作品だ。しかし、大辻は徐々に作風を転換。本展のタイトルにある「なんでもない」とは、大辻が『アサヒカメラ』で持っていた連載「大辻清司実験室」第5回(1975)のタイトルに由来しており、後年はアジェの写真に魅せられるなど、いわばストレートな撮影へと関心が移っていることは興味深い。
最後は牛腸茂雄の活動を中心に、1960〜80年代に注目。牛腸は1965年に入学した桑沢デザイン研究所で講師を勤めていた大辻に、写真を専攻をするよう強く勧められ、写真家としてのキャリアをスタートする。
本展で公開される写真は、記念写真の構図を多用した『SELF AND OTHERS』(1977)や、遺作となったカラー写真集『見慣れた街の中で』(1981)で掲載された作品。牛腸の作品は、「アレ・ブレ・ボケ」を提唱する『PROVOKE』との対立のなかで、コンポラ写真に位置付けられがちだ。しかし、瀧口から始まり阿部、大辻へと続いてきた、日常に潜むものとしての「前衛」を想起すれば、この潮流の行く末とみなすことも可能なはずだ。
同じ会期で、「実験工房の造形」展も開催中。同館のコレクションのなかから、メンバーの北代省三、山口勝弘、福島秀子、駒井哲郎、大辻清司、鈴木博義の作品、資料が展示されている。実験工房のメンバーによる作品を揃って見ることのできる、絶好のチャンス。こちらも合わせて鑑賞しておきたい。
*──東京都写真美術館で昨年開催された「アヴァンガルド勃興 近代日本の前衛写真」展を参考にしてほしい