大分県別府市にて塩田千春展『巡る記憶』が始まった。同展は、日中韓3か国の都市が協働して多彩な文化芸術イベントを行う「東アジア文化都市2022 大分県」のコア事業のひとつ。大分県の温泉地として知られる別府の中心市街地に、塩田の新作インスタレーション2点やドローイングなどを展示する個展である。会期は2022年8月5日から10月16日。
塩田と総合プロデューサーである山出淳也によるガイドつきで行われたプレスツアーでは、まず最初に「BEP.Lab」(別府市北浜)を訪ねた。小麦粉や砂糖などの食品卸業を商う草本商店の旧倉庫などを活用した多目的スペースである同所では、建物の2階・3階を用いたインスタレーション《巡る記憶 - 草本商店》が展示されている。
編み込まれた大量の白い糸と滴る水、そしてその下一面に広がる水面で構成された同作は「循環」をテーマとしている。
何年も前から大分県内での塩田の個展を構想し続けていたという山出は、温泉地である別府の地熱やエネルギーを通して、人間中心ではない世界のマクロさをここでは表現し、もうひとつの会場では人間の日々の営みのようなミクロなありようを表現しているのではないか、と語る。
塩田 別府のあちこちで湧き上がっている湯気からは本当に大地のエネルギーを感じます。それが白い糸の集まりとなって、そこから水が落ちていくことで循環していきます。大量の水を建物のなかに持ち込む作品なのでとても神経を使いましたが、別府だからこそできる作品を自分のなかで探していて、このようなかたちになりました。
展覧会の構想のために塩田は別府市内の30か所以上を見てまわったというが、最終的に選ばれたこの会場はそのなかでもとくに小さなスペースだったそう。海外巡回が行われるほどの好評を博した森美術館での個展(「塩田千春展:魂がふるえる」、2019)がそうであったように、大規模かつスペクタクルな作風が特徴的に認識されてきた塩田にとって、これは意外な選択かもしれない。
塩田 私の作品のテーマは「記憶」です。もう誰もいないのだけれど、誰かが使っていた、暮らしていた記憶のある場所であればあるほど作品が作りやすい。美術館の真っ白なスペースも好きですが、別府だからこそ家全体をまるまる使うようなものにしたいと思いました。
個人的な記憶と照応するかのように、3階の別室に飾られているのが計5点のドローイングとリソグラフだ。2020年から22年までのちょうどコロナ禍の時期に描かれたそれらは、人と世界、あるいは人と人のあいだの、か細くも強いつながりを感じさせるものになっている。
ドローイング群の小部屋を抜けると見晴らしのよい屋上にいったん出る。そこからもう一度階段を使って鑑賞者は下に降りていくことになるのだが、この場所にもじつは作品がある。とくにタイトルはつけられていないようだが、天井のところどころに指向性スピーカーが設置されていて、増幅された水音が聴こえてくるのだ。あたかも大地の奥深くに浸透していく水滴に我々自身も同一化したような内省的な感覚を味わいながら、会場を後にした。
続く会場は、歩いて2分ほどの場所にある「新中華園ビル1階」(別府市元町)。別府市民に長く愛され、約6年前に惜しまれつつ閉店した元中華料理屋の店内を使ったこちらは、静謐で動的な白の世界とはうって変わって、パワフルな赤の世界が広がっている。
閉店後に残されたままになっていたテーブルや食器を赤い糸で結ぶ方法は、ストレートに「記憶をつなげる」イメージになっているが、不思議と感傷的な気分にならないのは幽霊たちのパーティーのようなスラップスティックさがあるからかもしれない。皿も空を舞うが、シュウマイも空を舞う。
ここで見逃せないのが、店先にあるディスプレイ。お皿やメニューの名札を緊縛(?)するような赤い糸のたたずまいがファニーだが、よくよく見ると塩田千春作品の雰囲気とはちょっと違うものも混ざっている。
別府のアート界隈でたいへん有名な「ライスボール山本」という人物がいる。別府で長く暮らしている彼は、別府で開催されていた国際芸術祭「混浴温泉世界」(2009〜15)でアートに目覚めて以来、別府に訪れた出品作家の作風を自己流に解釈して自分でも作品を作り、ゲリラ的に発表する活動をずっと続けている名物おじさんだ。今回も作業中の作家のもとを訪ね、自分の作品をプレゼンしていったのだという。さらに驚くべきことに、なんと塩田はそれを作品の一部に採用。ライスボール山本の作品が晴れて公式に認められたかたちだ。継続は力なり。
塩田 ライスボール山本さんの噂は設営中にあちこちで聞いていました(笑)。でも、中華園のディスプレイの展示にちょっと苦戦していたタイミングにこの作品に出合って「ちょうどいい!」と思ったんです。
何が「ちょうどいい!」だったのかはわからないけれど、プレスツアーでたびたび塩田が語っていた別府の印象と、この選択はどこかで必然的につながっているように感じる。
塩田 別府には外からやって来た「よそもの」を受け入れてくれる感じがあります。いま泊まっている旅館の人からも「甘えてくださいね」と言われるのですが、その言葉にとても弱くて「甘えちゃおうかな〜」と本気で思ってしまう(笑)。
私はベルリンに住んでもう25〜26年なのですが、ベルリンはすごく多国籍の街だから「よそもの」という感覚があって、それが逆にアーティストにとっては馴染みやすく住みやすい。そういう環境を肌で感じていると「よそもの」であることが楽しいんです。
古来から湯治の地として知られ、日本の近代化以降は国内外から多くの観光客が訪れ、それを目当てに観光業に関わる様々な人が移住してきた別府は、流れ者たち、よそものたちでかたちづくられてきた街だ。そういった流動性の高い街の特質を受け入れ、作品にとって「よそもの」であるかもしれない外的な要素も取り込んでいく。
塩田 アート作品を作って置いていっても、それはただのお荷物になってしまうかもしれない。でも人とつながることで、それが(その土地の)宝物になっていくということがあると思うんです。それは別府じゃなくてもよく考えていることで、瀬戸内の豊島などでも体験してきました。
地方はどこも過疎化や人口減少の問題を抱えていて、元からあった個人商店も全国規模の企業に負けていってしまっています。でも、別府にはまだローカルの元気さがあると感じます。
作品と土地の固有性を結びつけすぎても逆に窮屈な作品理解になってしまうことはあるにせよ、今回塩田が発表した2つのインスタレーションは、それぞれが「土地(温泉)」と「人(旧料理店の活気)」の記憶に結びつくところから生まれているのは間違いない。
美術館やギャラリーのホワイトキューブならではの楽しさややり甲斐もあるが、展示のために特化して設られた場所では、作品をゼロから生み出さなければならない大変さがある、と塩田は言う。いっぽうで、今回のように有形無形の様々な記憶の痕跡があるところでの展示では、その力が作品を作り出すモチベーションや助けになるという。
2001年の最初の横浜トリエンナーレで発表した天井から吊るされた巨大なドレス作品《「皮膚からの記憶-2001-」》や、先述した森美術館での個展におけるスペクタクルの現出とは異なる「もうひとつの塩田千春」を、別府での個展では見ることができるはずだ。
今回の展覧会では、主会場の「BEP.Lab」「新中華園ビル1階」のほかに、これまでの塩田の活動をアーカイブしたサテライト会場「platform05」もある。図録や「第56回ヴェネチア・ビエンナーレ」での制作風景を納めた映像も見られるほか、暑さを避けるための休憩所にもなっている。大きな移動を伴う展示規模ではないが、そのぶんだけゆったりと作品を体験できる展覧会を堪能してほしい。