公開日:2024年8月9日

渡辺志桜里、小宮りさ麻吏奈——生存のポリティクス(Polytics)。境界の撹乱と、「invasive」の実践(文:四方幸子)

テクノロジーとエコロジー、クィアといったテーマを内包する作品を制作し、注目を集めるふたりの気鋭のアーティストについて、キュレーター・批評家の四方幸子が論じる。

左:渡辺志桜里「BLUE」展示風景 撮影:小川尚寛 右:小宮りさ麻吏奈《機械化する種 ep.01》スチル

ミクロなポリティクス(Polytics)の発現

不穏な空気が日常を覆っている……微かな憂鬱を感じながらも黙々とやり過ごしがちだが、堆積し続ける澱(おり)のような不安が取り返しのつかないことになる前に、徐々に吐き出し社会と共有していくしかない。

世界は今世紀になって格段にクリーンかつ透明化した。デジタルテクノロジーの普及は時間や空間を緻密に切り分け、私たちの知覚や身体性を大きく変えた。生活の利便性と引き換えに、自身の挙動がトレースされ、地球規模の膨大なデータ・フィードバックに欲望を委ねがちな事態……予測不可能な要素を排除するシステムにより、多様性は遠のく一方である。ビッグテックや国家によるデジタル監視や著作権の管理は前世紀末から押し寄せていたが、AIの進展もあり、いまや人間の思惑さえも及ばないものになりつつある。

渡辺志桜里「BLUE」展示風景 撮影:小川尚寛

今世紀に、デジタルに加えて新たな脅威として加わったのがバイオテクノロジーである。合成生物学の進展により、遺伝子組み換えやゲノム編集から生命や細胞を作る研究まで生命の工学的なデザインは、SFを凌駕するかのようである。DNAコードがデジタルと互換性を持つことで、デジタルとバイオデータの連携が医療や生殖技術を大きく変えつつあるが、倫理・哲学的な検討が後ろ倒しになっている。そのようななか、市場ではすでにグローバルなバイオ系企業が医薬品や種苗、肥料に進出し、農作物の規範・画一化とともに人々の身体や環境に影響を与えている。

人間は古来から、環境に応じたドメスティケーション——移植や栽培、品種改良——を行ってきた。しかし近代以降には、急速かつ大規模な人や物の移動が、意図的か否かにかかわらず、その地に存在しなかった種を根付かせることで生態系を大きく変容させてしまった。前世紀になると増加する人口を養い国家を強靭化するために効率的な食料生産が要請され、品種改良や化学肥料を駆使したシステマティックな農業へと移行する。とりわけ1960年代以降、人新世で「大加速時代(グレート・アクセラレーション)」と呼ばれる時代においてそれは顕著となり、同時に環境汚染や外来種の繁殖などが深刻化する(生物多様性の減衰と絶滅危惧種の増加)。

そして現在。かつてないほど深刻化した環境破壊、経済格差、社会的不均衡、戦争や災害、パンデミックなど地球規模の危機に、科学・技術の進展が複合的に絡まり合う世界。その背後でいまだに稼動する、人間中心主義(とりわけ白人男性を中心とした)……。

小宮りさ麻吏奈 映画『繁殖する庭』スチル

渡辺志桜里と小宮りさ麻吏奈は、絶望的なほど過酷な現在に対して自身が根ざす身体性や自然を起点に抗い続けてきた。渡辺は循環する人工的な生態系を根底に、小宮は自らを表出することによって行われる活動は、この世界のアクターを女性やクィアへと開くだけでなく、動植物をはじめとした非人間へと接続しようとするものである。

それもひとつの方法ではない。状況に応じて複数のフォーメーションを取ることで(*1)、 社会の諸問題に多様なメディアや方法で介入しながら問いを投げかけてきた。それは複数性(Poly)から編み上げられるミクロなポリティクス(Polytics)(*2)の発現と言えるだろう。

渡辺志桜里:自然と人為——境界の撹乱

渡辺志桜里は、近くに生まれ幼少時から親しんだ皇居という場を起点に思索と実践を続けてきた。天皇家が暮らす閉ざされた皇居だが、その内外を鳥や昆虫が行き来し、皇居外苑濠には豊かな生態系が息づく。自然と人為的な境界(象徴・法・空間的)が絡み合う世界の只中での記憶を保持しつつ、皇居の生態系を人工的にシミュレートしたラボが、2017年から継続される《サンルーム》(*3)である。現地で採取した魚や植物、バクテリアが温室や水槽内で生存競争を繰り広げるが、維持するためには水や電力、空気を必要とする(皇居が空気や土地、水を通じて外とつながっているように)。自身にとって近くにありながら遠く、同時に近くも感じるというアンビヴァレントな思いが、個人と国家や自然と社会の関係を問いかける実践に渡辺を至らせたのだろう。

渡辺志桜里「BLUE」展示風景 撮影:小川尚寛

今年の春先に開催された個展「BLUE」(*4)では、お濠にも多く生息する外来魚ブルーギル(*5)が扱われた。政府が処理を推進する種だが、そもそもは1960年に食料として役立つべくシカゴ市長から現上皇(明仁)に贈られたという(*6)。 映像は、通称「種の保存法」(1992)と「外来生物法」(2004)に関する2作品で、自然や皇居の実写、AI生成映像が自動音声(各法についての国会議事録を音声化したもの)をともなうことで、自然の生々しさを剥奪するかのような冷徹な暴力性が感じられる。奥のスペースでは、外来魚回収ボックス(*7)に遺棄された魚を入手し、サンルームに入れ、バクテリアが分解することでできた魚の形がぽっかり空いた状態を展示した《堆肥国家》(*8)や、回収ボックスの内部から直接型を取った痕跡《魚の肌》が生々しい。映像が人間による自然の支配を象徴するなら、魚の痕跡は自然の交わり——外来種の堆肥化と国土への浸透——という渡辺による一種の抵抗(そして折り合い)と見なすことができるだろう。

渡辺志桜里「BLUE」展示風景 撮影:小川尚寛

本展では、絶滅危惧種のある鳥をめぐる《Red》(*9)と題した作品も展示され、全体で人間による自然の支配〜外来種の繁殖〜在来種保護をめぐる新たな支配という構造が示された。その根幹には国家というアイデンティティがある。しかし時代をたどるなら、在来と外来の境界はつねに曖昧である(自然にはそもそも境界は存在せず、現象として生起してもつねに流動の中にある)。つまり境界を策定するのは人間でしかない。外来種と在来種の線引きは、自国人と外国人の境界策定にもつながり、ひいては周縁と中心という問題系へ派生していくことになる(*10)。

渡辺志桜里「BLUE」展示風景 撮影:小川尚寛

渡辺は、2022年の写真作品《Filial 1 hybrid》で大量生産のための品種改良による多様性の減衰、バイオ系企業による農業の管理、人々の食と身体を扱っている。店頭で見かける均質な野菜(F1種)を生殖可能な状態まで育て、その花を撮影したもので、次世代の自家増殖が困難にされた種をハッキングし開花させる実践に渡辺の抵抗が息づいている。

渡辺志桜里《Filial 1 hybrid》 Photo:Naoki Takehisa

小宮りさ麻吏奈:「invasive」の実践

小宮りさ麻吏奈は、クィアというアイデンティティを社会システムや自然に介入させ、それらに潜むクィアネスと接続することで一種のポストヒューマン的アイデンティティを現出させることを試みてきた。とりわけ「生殖」や「繁殖」という問題が、クィアという側面から未来へ向けた闘争の根幹となっている。

《小宮花店》(2016〜17)では、自身の汗を花に吸わせるなど植物への侵入や花屋の運営を一種のパフォーマンスとして行った。また鈴木千尋との連名による《繁殖する庭》(映像、書類ほか、2018〜21)では、建築法の改正で再建築不可となった土地——人間の生殖や家族の営みが去勢された空間——に庭を作り雑草が生えるに任せ、ふたりの同性婚式や生活を現場でシミュレートすることで「繁殖」という切り口から制度と自然との攻防を可視化した。法の隙間を可能性の空間としてこじ開け、クィア(*11)そして雑草としての生を主張する抵抗のT.A.Z.(一時的自律ゾーン)(*12)としたのである。

小宮りさ麻吏奈《小宮花店》外観
小宮りさ麻吏奈 映画『繁殖する庭』ポスターヴィジュアル

今年春先に発表された「機械化する種 ep.01」(*13)は、バイオテクノロジーの進化による非接触的生殖をドローンとの類似性においてとらえたインスタレーションである(*14)。映像では、森や川を俯瞰するドローンの視点、身体の接触、蛍光グリーンの液(精液のメタファー)の川や身体への侵入が描かれ、空間では壁面に向けて蛍光グリーンの液が時に発射され、「unmanned」(*15)という文字が次第に浮上していった。ドローンの視点(遠隔映像)、自動ターゲティング、身体を介在しない生殖など非接触的で機械化された近未来的ディストピアは、軍事・撮影・生殖技術の連携に支えられている。

小宮りさ麻吏奈「機械化する種 ep.01」展示風景 Photo:Ujin Matsuo

春から滞在制作を行っているロンドンでは、8月に新作《Invasive Ale》が披露される(*16)。日本や東アジア由来の外来種イタドリ(*17)から酵母を育てビールを作るプロジェクトである。《繁殖する庭》に続いて雑草が扱われるが、ここではイタドリが小宮(日本人、クィア、女性)やその他の移民とも重ねられている。また近代化する前のイギリスでビール醸造が女性の家事労働の一環であった歴史も反映したという。「invasive」な(「侵略的」と見なされている)植物からビールを醸造すること。それは人間にとっての悪から益への転換であるとともに、クィアそして異質のものの可能性の開示でもあるだろう(*18)。

小宮りさ麻吏奈「Invasive Ale」展示風景

小宮は、異質なものとの複数の関係によるハイブリッドな繁殖を、生物的のみならず文化・社会的側面から交錯させ続ける(*19)。それは複数(Poly)面からクィアでハイブリッドな繁殖を促進するという意味のPolyticsの実践といえる。

FAQ? ZINE 「陸路(スピルオーバー#1)」展示風景 Photo:Yuki Moriya

たゆまぬ実践において小宮は、生殖が不可能で社会的に生存をおびやかされがちなクィアの「新しい繁殖の方法を模索すること」を自身のテーマとして掲げ(*20)、そこに「時間論」を導入しようとする。ここでの「時間」とは、クィアが生殖を獲得し未来へと生き延びていくことを指すだろう(*21)。と同時に、近代以降自明とされるリニアで均質的な時間概念に対して、クイアな時間——ノンリニアで不均質、複数的な——を導入することと言えないか。

生存のポリティクス

渡辺は、この国で内面化されてしまっているもの——天皇制や日本人というアイデンティティ——を原体験から掘り下げるなかで、自然と人為、人間と技術という問題系から自然や社会が絡まり合う生態系を提示する。現実そして未来への危機感に苛まれながらも、状況を単に批判し糾弾するのではない。むしろその只中で抑圧されつつ享受もしているひとりとしての、ひそやかで切実な発信である。小宮は自身の身体を他者と接続し交錯させることで、フェティシズムが溶解した彼方における拡張されたコモンズとしてのアイデンティティを志向しているようにも見える。

渡辺と小宮は同時に、それぞれの方法で現代の価値観が形成された経緯や記述されなかった人々の歴史や記憶をたどることで、見る側の想像力を喚起し、本来的な不均質で多様な世界を召喚しようとする。そこでは自然/人間、男/女、人間/非人間、中心/周縁、善/悪、聖/俗、秩序/カオスなどの境界が崩れ、相互循環的なグラデーションが浮上することになるだろう。

「とうとうたらりたらりらたらりあがりららりとう」展示風景より 小宮りさ麻吏奈《This is not self-replication》 Photo:Naoki Takehisa

自然と人間の不均衡(人間による自然の制御)や社会における不均衡は、それらを維持しようとする力に支えられている。それらを解きほぐすのは、たやすいことではない。しかしだからこそ渡辺と小宮は、それぞれのアクティビズムを実践しつづける……生存のためのぎりぎりのポリティクス(Polytics)として。

蝶の微かな羽ばたきが気象に影響を及ぼしうるように、彼女たちは淀んだ空気に介入し続ける。その流れを肌で感じ、吸い込み自由に反応していくこと。それは生き生きと生き、生き延び、未来へとつないでいくための生存のポリティクス(Polytics)を私たちそれぞれが磨くことであるだろう。アートや社会、自然の多様性に向かって。


【筆者が本稿を執筆中に、ふたりの作家からもらったお互いに関するコメント】

小宮りさ麻吏奈より渡辺志桜里について:
「渡辺志桜里さんの活動は、人間中心主義的なシステムの中で否応なく中心に位置づけられてしまった私たち自身が、空虚な中心から脱出するための経路を作っているのではないかと感じる。周縁化された存在たちに目を向けることで「天皇制」という日本の中心に据えられているものを脱中心化することも、日本で美術をやる上でとても重要な仕事だと思う。背景になっているものを前景化したり、スペースをやったりキュレーションもやったりということへの手つきが等価にあることも、いくつもの経路を生じさせるために必然的な態度なのかなと思う」(2024年7月17日 Facebook Messenger経由)

渡辺志桜里より小宮りさ麻吏奈について:
「小宮りさ麻吏奈さんは潜伏的アナキストだ。抵抗の仕方が独特で、ある種の気持ち悪さー気がついたら家の隅で虫が湧いている、とか、洗面所の排水溝がぬるっとしてるとかーを伴うところがチャームポイント。つまり正面から抵抗するのではなく、体制にある種、従属させていると思わせながら虎視眈々と国家転覆を狙っている。なんかそれがいまの時代のやり方としてすごく腑に落ちる。結局はコロナと人類は共生しているし、それが勝利の一つの形と思えば小宮さんの革命はいまも私の知らないところで企まれているんだろう。そしてある時あっと驚く。それが小宮さんだと思う」(2024年7月19日 Facebook Messenger経由)

*1──作品やプロジェクトに加え、渡辺はキュレーションや場を作る活動を、小宮はFAQ?(注19参照)での活動や漫画の執筆など。
*2──「Polytics」は、アーティストグループDumb Typeのリーダー的存在でもあった古橋悌二(1960-1995)が、唯一の個人名でのインスタレーション「LOVERS - 永遠の恋人たち」(キヤノン・アートラボ、1994/キュレーター:阿部一直、四方幸子)の際に残した言葉「Love Polytics」から引用。
*3──渡辺は、タイトルに第一印象とは異なる層を含ませる。「サンルーム」の「サン」は、太陽(Sun)に加え、フランス語のSang(血)、Saint(聖なる)を意味するという。
*4──タイトルの「BLUE」は、「青」ではなく外来魚ブルーギルを意味している。
*5──「ブルーギルは、『特定外来生物による生態系などに係る被害の防止に関する法律』により、”飼育・栽培、保管、運搬、販売・譲渡、輸入、野外に放つ事”が規制され、釣り場でも外来魚ボックスに棄てるなど、処理が勧められる魚である」(渡辺)。つまり繁殖によって在来種を脅かし、生物多様性に逆らう存在となっている。
*6──国民の人口増加を支えた存在から、繁殖する外来種として敵と見なされる存在へ。
*7──外来魚(主にブラックバスやブルーギルなど)の生息数を減らし、生態系への悪影響を抑える目的で湖や河川、公園などの釣り場に設置された回収ボックス。
*8──外来魚が堆肥化され日本の土になり植物が栽培されるプロセスを、サンルームでも再現している。
*9──絶滅危惧種の保護のため、国際自然保護連合が「レッドリスト」を作成している。
*10──渡辺がキュレーションを手がけた「とうとうたらりたらりらたらりあがりららりとう」(展示、パフォーマンス、トークで構成、2022年秋)は、「能であって能でない」と言われる『翁』に着想を得て、聖と俗、生と死、この世とあの世、自然と人間、人間と非人間をつなぐ世界が、新宿歌舞伎町能舞台を中心に自然、アート、文学、⺠俗学、芸能をまたぎ繰り広げられた。本展では、翁と天皇が周縁と中心として対比的に扱われつつ、両者の同質性が浮上することになる。小宮は、《小宮花店》(後述)と《This is not self-replication》(2022)を出展。
*11──クィアは、セクシュアリティを超えてより広く多様性を求めて抵抗をするアイデンティティや態度としてもとらえることができるのではないか。
*12──必要に応じて一時的に組織化し分散していく自律的なゾーン。アナキズムを標榜する詩人で批評家のハキム・ベイが1980年代に提唱した概念で、インターネット登場後のアクティビズムに大きな影響を与えた。ベイは1990年代末には「ピーター・ランボーン・ウィルソン」名で「Avant Gardening」(「前衛(Avant Garde)」と「ガーデニング」の合成語)を提唱、個人や共同体の庭の破壊への抵抗やDNAの独占体制批判を展開している。
*13──特別上映プロジェクト 小宮りさ麻吏奈「機械化する種 ep.01」(2024年2月17日〜25日、TALION GALLERY)
*14──小宮はコンセプトシートにおいて、「ドローンによるレイプ」を念頭にしたと述べている。
*15──人間が介在・接触しないという意味とともに、非男性化や去勢的という意味が込められているだろう。
*16──MARINA LISA KOMIYA "OPEN STUDIO: ‘INVASIVE ALE’ “(2024/8/7011) https://studiovoltaire.org/whats-on/marina-lisa-komiya-open-studio/
*17──イタドリは、元来は土壌侵食防止などの目的で導入されたが、観賞用はシーボルトによって日本からヨーロッパに輸入されたという。現在「侵略的外来種ワースト100」のひとつ。
*18──その意味で「invasive」は、交わりを許容するための介入とも解釈されうる。本作ではまた、Invasiveとされるイタドリの成分を身体に取り込み吸収することも重要である。
*19──2021年より小宮が谷川果菜絵と展開するクィア・フェミニズムアートプラットフォーム「FAQ?」では、交換日記、上映会やトーク、イベントを展開。
*20──過去に数えきれないクィア的身体が絶滅してきた、と小宮は述べている。
*21──ここでは合成生物学が道を開くことになるだろう。しかし生命にまつわる哲学・倫理的な問題が横たわる領域であり、科学者の欲望や経済優先で進めることは避けなければならない。

四方幸子

四方幸子

しかた・ゆきこ キュレーター/批評家。「対話と創造の森」アーティスティックディレクター。美術評論家連盟会長。多摩美術大学・東京造形大学客員教授、武蔵野美術大学・情報科学芸術大学院大学(IAMAS)・京都芸術大学非常勤講師。「情報フロー」というアプローチから諸領域を横断する活動を展開。1990年代よりキヤノン・アートラボ(1990〜2001)、森美術館(2002〜04)、NTTインターコミュニケーション・センター[ICC](2004〜10)と並行し、インディペンデントで先進的な展覧会やプロジェクトを多く実現。国内外の審査員を歴任。著書に『エコゾフィック・アート 自然・精神・社会をつなぐアート論』(2023)。共著多数。(ポートレイト撮影:新津保建秀)