これら6人の写真家が1959年にアメリカのフォト・エージェンシー「マグナム」を目標にして、「VIVO」を設立したことはもうすでに写真史的出来事として語られて久しいが、本展覧会はそれを単なる日本写真史上の一トピックとしてではなく、現在でも大いに語り得るようなアクチュアルな写真表現として提示している。
私が今回の展覧会で特に注目して見てみたいのが、東松照明と川田喜久治による原爆の表象である。東松による長崎の表象は微細な細部までを完璧に記録し尽すような、暴力的なまでの暴露性に裏打ちされている。今回展示されている作品では、僧侶の着衣とロザリオの写真を特に見てもらいたい。衣服の繊維一つ一つがはっきりと見出せるほどの細密性は、観る我々に「物そのもの」を提示しているかのようである。
一方、川田による広島の表象は東松とは異なり、物そのものの強度というよりはむしろその物を取り囲む表層的な環境を自己反省させるような反射性を喚起させる。特に、特攻隊員の肖像を撮影した写真は、その肖像のガラス面に映り込む文字に気付いたとき、おそらくこの肖像は原爆記念館か何かに展示されているものであるということに思い至らせるのである。遺留品と展示という公私が入り組んだ原爆表象とは一体何であるかを再度我々に突きつけてくるかのようである。
同じ集団に属していながら、いや同じ集団に属していたからこそ、こうも異なる写真表現が生まれたのかと、本展覧会を見て感じずにはいられない。1960年代当時のプリントを見れる非常に貴重な機会でもあるので、是非会場に足を運んでもらいたい。
Bunmei Shirabe
Bunmei Shirabe