日本刀鑑賞というと、皆さんはどのようなイメージをお持ちになるだろうか。古くさい、マニア向き、はたまた爺くさい……。色々あるだろうが、いずれにせよ一般の美術好きや若い世代からはやや遠い世界だと思われているのではないか。そんな人たちにとって、東京・世田谷区の静嘉堂文庫で開催されていた本展は、従来の印象を改めるいい機会になったかもしれない。
静嘉堂は茶道具、彫刻、絵画など東洋美術の堂々たるコレクションを有する美術館であり、かの有名な稲葉天目茶碗の所蔵先としても名高い。今回の企画はコレクション創始後まもなくから収集されてきた日本刀を展示するもので、国宝、重文を含む30点あまりが並べられていた。
はじめに断っておくが、筆者は日本刀に関しては全くの素人である。ところがなかなかどうして、本展は私のようなズブの素人にも充分楽しめるつくりになっていた。静嘉堂の展示にはいつも分かりやすい解説が付されているのが特徴だが、今回もその例に漏れない。チケットとともに手渡される手引きには鑑賞のポイントが図解入りで丁寧に説明されているし、展示品の脇に付されたキャプションからは、作品ごとの見どころが初心者にもおのずと感じ取れるようになっている。
会場には、鎌倉時代から江戸時代までの刀剣がずらりと並ぶ。その中でも、国宝《手掻包永太刀(てがいかわながたち)》(鎌倉時代・13世紀)の凛とした姿は圧巻だ。根元からすっくと立ち上がり、空間を切り裂くようにさっと切っ先へ流れる刀のカーブ――これを刀の「反(そ)り」というらしい。この反りはきつくもなければゆるくもなく、いまどきのデザインにありがちなわざとらしさとは無縁のすがすがしさを感じさせる。かたや刃にほどこされた刃文は雲のように淡く波打ち、光を反射しながらゆらゆらとうごめくようである。
展示室に居並ぶ刀剣の一本一本を見ていく中で、ふと何かを思い出した。そう、ブランクーシの彫刻だ。極限まで鍛え上げられ、磨き上げられた刀剣の放つ、それ自体で充足した美。それはまるでブランクーシの彫刻作品の持つ、静かで抑制された美しさを見るようである。英国の作家カズオ・イシグロの表現を拝借するならば、ここにある刀はまるで「自らの美しさを知っていて、自分からそれを言い立てる必要もない」(『日の名残』)かのように、見るものに一切媚びぬ姿でたたずんでいる。たしかに近現代のデザインのような派手さはないが、これらの美しさは私たちの眼を静かに吸い寄せ、想像力を大いにかきたててくれるのである。
刀剣とともに、鞘やつばなどの付属品もあわせて展示。こちらもデザイン性が高く、思わず手に取りたくなるような品が多い。静嘉堂文庫はアクセスがやや悪いのが難点だが、今回の展示には日本刀にうとい美術ファンでも足を運ぶ価値があった。刀工たちが精魂こめて鍛え上げた刀の造形の力強さは、私のような現代美術好きの眼から見ても十分新鮮である。適度な展示量で最後まで集中して鑑賞できたこともポイントが高く、日本刀鑑賞の入門として最適な展覧会になっていたと思う。